疾患ファンタスティック(1)
あらすじ (創作大賞2027出稿予定)
[部門未定]
不治の病『死にたい病』
SNSのメンヘラ界隈では、認定されると国の保証で一生安泰に暮らせるという、その病気の話題でもちきりであった。
27歳の会社員、樹下マチカは、うつ状態で休職中だが、その安穏とした状態を一生継続したいと願い、『死にたい病』の認定を受ける為に、日々、知恵を絞っていた。彼女はSNSで知り合った『死にたい病』の患者、ノウエのアドバイスに従って、認定を目指している。
果たしてマチカは『死にたい病』の認定を受けられるのか。そして政府が画策する『死にたい病』の本来の目的とは。
現代精神医療の闇と、ひとりの女性の恋を描いたディストピア恋愛小説。
疾患ファンタスティック
- 1 -
目を見開く。
下を向いて座る。
涙がこぼれるように。
白目が充血するように、瞬きの回数を少なくして、目玉が飛び出すくらいに瞼をあげて床の1点だけを凝視する。傷ひとつ、埃ひとつないアイボリーのフロアタイル。行き来する人の足だけが動いているのを見つめる。
サンダル、ヒール、スニーカー。革靴、スリッポン、デッキシューズ。黒、ピンク、ブルー。茶色、灰色、黄土色。瞳の下の方がひりひりしてくる。じんわりと目に体液が満ちてくる。だけど溢れない。涙はあふれない。
眼球の表面張力で涙はこぼれない。
呼吸が荒くなる。というか、荒くする。鼻だけで大きく空気を吸い込む。鼻孔の奥がひんやりと冷たくなる。アルコールや次亜塩素酸の匂い。清潔だけど人工的な、自然界が介入できないような香り。息を吐き出す。繰り返す。それを繰り返す。何度も、何度も、何度も。指先が痺れてくる。口のまわりがピリピリする。指先が強張る。全身の筋肉が緊張する。
爪先が痺れてふくらはぎが攣る。
「ぁいだだた...っ!」
顔をしかめ、思わず目を閉じる。身を屈めて足をさする。呼吸を正常に戻すと痺れが消えてゆく。瞬きの回数が普通になると、目の充血や涙はどこかへいってしまう。
「はは、足、つっちゃって、」と、痛みに大声を出してしまった私は、周囲からの視線に耐えられず、待合室の誰に言うともなく言い訳めいた独り言をつぶやき、苦笑いを浮かべながらへらへらと空中に会釈する。
「マチカさーん、樹下マチカさーん」
名前が呼ばれる。くそ、最悪のタイミングだ。
目が血走った過呼吸状態で診断をうければ認定されると思ったのに。「はい」と、返事をして、ナースの横を通り抜け診察室に向かう。
***
「ま、当然だよ」
病院から戻った私に、K5が言った。
「『死にたい病』の認定なんて、そう簡単に受けられるはずないじゃん」
平日の午後、休職中の私は、自分の部屋で、職場がすぐ近くの彼氏、K5が買って来てくれたサンドイッチを食べながら彼と話している。
「いやでも、実際に私、死にたいって思う事よくあるし」と、反論する。「K5は、私に死なれたら困るでしょ?だから、認定されなきゃ」
「うーん」
彼が首をひねる。「いや、マチは本当に死ぬ気なんかないよね?」
ある。たぶん。
ない。とは、言いきれない。ときどき、何もかも嫌になって死んじゃった方がいいんじゃないか、と思うようなことはよくある。これは『死にたい病』の症状の代表的なものであるから、私は死にたい病なのだ。と、K5に言ってみる。
「そんなの俺だってあるし…」
いや、それは違うのだ。違うものだ。私だって、こうなる前から、もう死にたいとか思うことはよくあった。恥ずかしい失敗をしちゃったときとか、昔の彼氏に酷いフラれかたをしちゃったときとか。でも、今のこれは違うのだ。本当にヤバい何かなような気がする。
おそらく。
「まぁでもさ、マチは『うつ』で休職中なわけでしょ?まずはそれ治さないとね。ほら、このパン屋のサンドイッチ人気なんだよ?並んで買ったんだから、たくさん食べて元気だしてよ」
K5が固めのパンにたっぷりとハムとマスタードが挟まったパストラミサンドを差し出してくる。うつで休職中の人間に『元気だして』とか言うなよ。デリカシーねえなあ。と、思いながらも私はサンドイッチに手を伸ばす。さすが人気店のパンはおいしい。
さて、午後からは何して過ごそうか。ゲーム?読書?それとも病院いって疲れたから、やっぱお昼寝ですかね。
ああでも、その前にヤリたいかも。
サンドイッチを食べ終えた私は、K5をベッドに誘う。私はメンヘラでセックス依存症でもあるから、こういうのは毎度のこと。食欲を満たした後に来るのは性欲だ。「またかよ」と、まんざらでもない様子で笑いながら私の誘いに応じるK5とキスをする。舌をからめつつ、彼の下半身を手で弄ると、すでに硬くなっている。彼の土台がねだるように腰をくねらせる。
真上にある太陽が、部屋を白く、そして明るく照らしている。指で彼を擦りながらゆっくりと服を脱いだ私は、自然な流れで彼に跨り、硬い肉を自分の柔らかい肉の奥に受け入れると、手ではない部分で彼をねちねちと擦ってあげる。びくんびくんと私の中でうねる彼ではない彼は、死にたいなんて思ったことはないだろう。むしろ生を象徴するなにかだ。吐き出されるネバネバは生命の源。私は、快楽と苦痛と笑いと悲鳴がまじりあった行為を楽しむ。
さて、あと何しよう。ゲーム?読書?お昼寝?
それとも死ぬ?
- 2 -
K5が会社に戻り、ひとりになった私は、SNSを開く。ここには私と同じような境遇の人が沢山いるのだ。
私のフォロアーのプロフィールには様々な病名が並ぶ。うつ、双極性障害、適応障害、ADHDなどなどなどなど。はじめはなんでプロフィールにそういうメンタルヘルス系の病名を書いているのかわからなかったけど、今ではわかる。
それは免罪符であり、配慮への期待であり、同志へのアピールであり、そしてアイデンティティなのだ。トヨダ自動車で働いています。とか四菱電機で働いています。とかそんな感じ。ああ、奇遇ですね、ボクもトヨダです。何年目ですか?そうですね、発症してから3年です。
そして、そんな病名なんて本当かどうかすらわからない。医学的な根拠なんかない自己診断や、ただの自称って可能性だってある。でも、そんなの誰も気にしない。リアル社会ではなかなか実現できない、同じような境遇の仲間と居場所が欲しいだけだから。
私のプロフィール写真は、微妙に顔がわからない口元から胸元にかけてのもの。ハイネックで首から胸元が強調される袖なしのニット、色は薄い桃色。グロスを塗りたくってピンクぷるぷる唇の私が、円形のサムネイルの中で薄く微笑んでいる。『うつ』『メンヘラ』『自傷』『かまってちゃん』というわかりやすいプロフィールの単語。アカウント名は『じゅげむ』。でも本当は自傷なんかしていない。自分で自分の体を傷つけるなんて怖すぎる。
ポスト:
昼エロはたまりませんなあ (≧∀≦○)ノ
(微妙に顔がわからないセルフィー)
メンション、いいね!メンション、いいね!いいね!メンション、いいね!いいね!いいね!
セックスしたの?誰としたの?オナニー?自家発電?彼氏?セフレ?俺もしたい、俺ともしようよ、とかなんとか、そんな感じ。くっだらないと思いつつも、注目して欲しくてこんなポストを繰り返してしまう。
承認欲求?そうだよ?文句ある?みんなみんなみーんな自分を見て欲しいし、誰かに認めて欲しいし、かまって欲しいでしょ。私はそれを隠していないだけだよ。文句ある?
27歳にもなって何してんだ、と自分でも思う。大学時代の何人かの友達は、もう結婚して子供がいたりする。大企業のバリキャリなんかもいる。その子たちは、可愛い子供のお世話をしたり、同僚とランチしたり、会議室で小難しい資料と睨めっこしていたりするのだろう。かたや私は仕事もせずに平日の昼間っから有名店のパンをぼそぼそと貪り、彼氏とエッチして、それをSNSで自慢しつつ、ちいさな承認欲求を満たしている。
いいのだ。どうせ最後は死ぬ。総理大臣でも、アメリカ大統領でも、なにやら偉大な発見をしたすごい科学者でも、後頭部を金属バットでフルスイングされれば死ぬ。みんな同じ。みんな同じだ。今日の午後に何をしていたかなんて関係ない。私のおばあさんが20世紀のとある日の昼下がりに何をしていたかのなんて、誰も知らない。思い出さない。100年前に生きていた昆虫の生態なんか誰が気にするというのだ。
DMが来る。ノウエさんだ。『死にたい病』認定のアドバイスをくれる、私の数少ない理解者。『会おう』とも『エッチしよう』とも言ってこない、年上のイケメンお兄さん(たぶん)
私は彼とのチャットを開始する。
***
きっかけは些細なミスだった。
外部に発注したデザインに誤植があった。『苺のショートケーキ』が『苺ののショートケーキ』と印刷されたリーフレットが1000部刷られた。私は叱って、叱られた。私は、その『叱って叱られる立場』というものが未経験であったために混乱した。まず私が上司に叱られ、その次に、私が外部のデザイナーに厳しく注意した。いや、悪いのは私じゃない。外部のデザイナーだ。でも、それを担当者としてキチンとチェックしなかった私の責任でもあるのだ。それはわかる。頭ではわかっている。
これまでの人生において、ミスなんかしたことがなかった私はショックだった。しかも直接的な自分のミスじゃない。でも、他人のミスでも私のミス扱いになって叱られるという社会の責任文化に驚愕して落ち込んだ。
何事にも身が入らず、そのミスが繰り返し頭の中で反芻された。私を叱った上司も、そのミスをした外部のデザイナーも、翌日にはけろっとしていけど、私の心はちっとも晴れなかった。
心療内科を受診したら『うつ状態』と診断された。うつ病ではない。『うつ状態』だ。でも、その診断書を会社に提出したら休職させてもらえた。出社しなくて給料の67パーセントくらいを貰えるのだ。
なぜだかは知らないが、そのことが決定した途端に、私の心を覆っていた厚い雲はきれいさっぱりと風に吹かれてどこかへ行ってしまった。『うつ状態』じゃなくなったけど、『うつ状態』じゃないと給料の67パーセントが貰えないから、私は定期的に心療内科へ通った。そしたらなんだか、アラ不思議。本当に『うつ状態』みたいな気持ちになってきたのだ。
しかしそんな気持ちになるのも一瞬のこと。具体的には病院の待合室にいる間と、ちょっと嫌な事なんかがあったときだけだ。
はじめは、お給料を貰いながら自由な時間を楽しんでいた私だったが、そんな生活にはすぐ飽きた。ずっとゲームしたり読書したり、散歩したりセックスしたりしているわけにはいかない。楽しいこともやがて飽きる。
暇になった私は上を目指そうと思った。
特定障害69号:譫妄性致死疾患、通称『死にたい病』の認定だ。この病気に認定されれば、年金のように一生涯に渡って生活費が支給されるのだ。不可解なことに、私が貰っているお給料よりも多い額が毎月貰える。
働く意味、ある?
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