「役に立たない」ことも受け入れる
割とぼやっとした話ですけど、「それって役に立つんですか?」とか「それをするとすぐに売り上げが向上するのか?」みたいなことに回答を迫られている方がちょくちょくいて、周囲にいる自分も疲れてしまう時があります。
やっかいなのは、この種の問いが正義に見えやすいことです。問われた方が「はい」と答えた瞬間に「そのエビデンスはあるんですか?」と突っ込めるので武器として強力です。つまり、この問いを発することで集団の中で簡単に自分が優位に立てるわけです。
「役に立つ」ことを明確に証明できる場合は豊富な前例の上に立っているからで、要は誰もリスクを負わなくても良いので安心感があります。その代わり、予測の範囲内のことしかできませんので、不確実性の高い時代にこんなことばかり続けているとその集団は縮んでいくだけです。
会社でこの種の問いが多用されるようになると危険信号です。保守主義に傾きすぎていたり、逆に冒険主義に傾きすぎていたり、説明力か質問力が不足していたり、前提の共有不足や、場合によっては個人攻撃を合理主義と勘違いしていたりなど、何か良くないことが起きているかもしれません。
とはいえ、何事にもお金がかかりますので、役に立つかどうかはっきりしない物事へ野放図に投資することもよろしくありません。そのためある程度の制限は設ける必要があるでしょう。概ね次のような基準が設定されるのではないでしょうか。
まず面白いこと
一つ一つは少額であること
全体としては総額が決められていること
実際に面白いことが起きたら共有すること
うまくいかない場合はこっそりフェードアウトして良いこと
要は気軽に挑戦できる枠を設けることで、不確実性の許容と制限を両立するということです。
(…ということを仕事でやってみたいのですが、勤め先は仕組み作りがものすごく苦手な−むしろ嫌っている−組織なので自分でこっそりやるしかなさそうです。単体の仕事でも、ここまでは予測の範囲、ここからはチャレンジとか分けられますから。)
余談ですが、上記のことは趣味にも当てはまると思っています。興味深いことに、カメラで写真を撮っている人に対して「それってなんかの役に立つんですか?」とか質問する人がいるようです。はっきり言って愚問の極みですね。趣味は楽しいからやっているのであって、役に立つからやっているのではないからです。趣味を続けていると新たな出会いによって視野が広がることがありますが、これは役に立つ・立たないの枠を超えた話です。また、質問の真意は別のところにあったとしても、質問が下手すぎて話になりません。(こういう場合は「そっか、君は仕事に全力投球しているんだね。」と返事しておくのが賢いでしょうか。当然褒めていません。)
そして、楽しいからと言って野放図にお金を使うと家計が崩壊しますので、やはり上限を設けるべきでしょう。ある意味自分の首を絞めるようなものですが、家族持ちとしては受け入れるべき制限です(汗
