見出し画像

私に袴は着れないだろうな…と

大学から卒業袴レンタルの案内が届いて、私は叩かれたみたいに撃沈している。3月のこと、卒業生の先輩から卒業式の写真が送られてきた時にみんな袴を着ていたのだが、来年には私もそうなっているという想像がまるでできなかった。私はこんなふうになりたくないな…きっと苦しんだろうな…と強く感じたのである。入学式と同じスーツでいいよ。成人式の振袖も着てないし、それと似たような袴なんて着たくないと思った。

私の中でここまで受け入れられないのはなぜなんだろうか。拒否感がすごくて、雑誌をまともに開くこともできないくらい。目障りなので早く捨てたい。18歳になって成人を迎えたのはかなり前のことだし、大学を卒業することだって時の流れにしたがって生きていれば当然のことなんだ。それなのに、節目となる行事に特別な服を着て参加し、写真を撮るということが私には不可能であるようかのように思えて仕方がない。多くの人が通る道を通過することが困難になってしまった。怖い。すごく怖い。

このことに関しては、私の性の在り方が関係しているのではないか、という気も少ししている。数年前からしてみたいことがあって、「男装をすることが夢」って仲の良い人には伝えている。そのうちのひとりから「素敵」と言ってもらえた。「女性がする男装は、男性とはまた違う存在という感じがある。楽しみがあることはいいことです。その楽しみを理解し、一緒に楽しんでくれる方が周りに増えるといいですね。」って、とても優しい返答だった。

最近は、そのセクシャルマイノリティの方とお友達感覚で話している。身体的な性は女性、性自認がノンバイナリー、恋愛関係はパンセクシャルのポリアモリーであるとおっしゃっていた。つまり、「男性」「女性」の二元的枠組みに当てはまらない(あるいは当てはめたくない)人で、性別や性自認に関係なく人を恋愛や性的に好きになる、それも単なる一対一の恋愛関係(モノガミー)に限定されない非独占的な交際をする傾向である、という複雑なものだった。

率直な感想としては、SNSのセクマイ界隈だけならまだしも、一般社会ではまだまだ特殊とみなされるだろうな…と感じた。その性的指向を理解している彼氏がいるらしいけど、「他に好きな人ができたらどうなるかわからないし、別れることになってもなるべく話し合いを重ねて円満的な別れ方をしたい」とのことだった。何もカミングアウトしない限り、一対一の異性愛にしか見えないから、多数派であるとほとんどの場合誤解されるんだろうな…と直接関係のない私まで頭にそんなことが浮かんだ。

「私の男装したい願望について素敵だと思ってくれるのは、あなたがセクシャルマイノリティだからだと思う。自分の親世代とかを思うと、同年代の人も比較的寛容な感じがする」と伝えたのだが、「確かにその傾向はあるかもしれないけど、少し違います。私は私の価値観で素敵だと思ったから素敵だと答えたのです。一個人の意見です。私と同じような性指向でも、それに価値を置かない方もおられると思いますよ」と言われて、なるほど…ってなったし、目から鱗だった。

私が持つ女性という側面は、私を傷つけてくる人たちに引っ掛かってしまった。セクハラとストーカーがどうにも理解できなかった。また、一番近い女性(母親)が抑圧と否定をしてくる人だからか、自分の性が嫌いになってしまった。女性でなければこんなに苦しまずに済んだかもしれない…なんてことを考えたくなかった。男装だって性表現の一部に過ぎないと思うのだが、中身が女性である限り、この気持ち悪さから完全に逃れることからはできないんだろうな…とも感じる。

性同一性障害(性別不合、性別違和)の人の感覚はどんなものなんだろうか、と大人になってからの私は、そういうことばかりに興味関心が向いている。たとえ詐称であっても、性的指向なんて名乗れるだけ名乗ったらいいのだ。それは無意識にお互いを傷つけ合わないためにも重要なこと。私は、自分に気を遣ってほしいと思ってしまう。理由は死にたいほど傷ついたから。後天的にセクシャルマイノリティになるようなことは社会の欠陥としか思えないので、憤りと共に募っていく悲しみが後を絶たない。私の中にあったはずの女性という女性らしさがとうに壊れてしまった。

いいなと思ったら応援しよう!