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#4なぜ、ガンバ大阪は2014年に「三冠」を成し遂げられたのか

第四章 なぜ、遠藤保仁がいた2014年のガンバはこれほど強かったのか?

宇佐美貴史とパトリック。2014年後半のガンバ大阪を振り返れば、どうしてもこの二人に目が向く。宇佐美はリーグ戦26試合で10得点。パトリックはシーズン途中の加入ながら19試合で9得点。「ウサパト」と呼ばれた二人が前線でゴールを重ね、前半戦16位だったガンバが優勝争いへ駆け上がっていったことは、前章で見てきた。しかし、シーズンが終わったとき、Jリーグが2014年の最優秀選手として選んだのは宇佐美でもパトリックでもなかった。

遠藤保仁。

ガンバ大阪の背番号7。キャプテン。そして、当時34歳だった。

2014年12月9日、横浜アリーナで行われたJリーグアウォーズ。そこで遠藤は、自身初となるJリーグ最優秀選手賞を受賞した。すでに日本を代表する選手だった。日本代表として何度も国際舞台を経験し、ガンバでも数々のタイトルを獲得している。それでもJリーグMVPに選ばれたのは、この2014年が初めてだった。

なぜ、遠藤だったのか。

その答えを探すためには、まず2014年の遠藤がどれほど試合に出続けたのかを見る必要がある。

リーグ戦34試合、全試合出場。

しかも、途中から出場した試合があったという意味ではない。遠藤は34試合すべてで先発し、途中交代したのもわずか2試合だった。第2節新潟戦で87分、第21節名古屋戦で86分に退いた以外は、すべて最後までピッチに立っている。フィールドプレーヤーとして、ガンバで唯一のリーグ戦全34試合出場だった。

そして、6得点を記録している。

数字だけを見れば、宇佐美の10得点、パトリックの9得点ほど派手ではない。しかし、遠藤に求められていた仕事はゴールだけではなかった。ボールを受ける。味方へつなぐ。攻撃の方向を変える。前線へボールを送り込む。セットプレーを蹴る。そして必要なときには、自らゴール前へ入っていく。Jリーグ自身も、2014年の遠藤について、正確なクロスやセットプレーで得点を演出し、ボールをさばいて攻撃のリズムを作ったことをMVP選出時に評価している。

しかも、この34試合は普通の34試合ではなかった。

2014年はワールドカップイヤーだった。

遠藤は5月までガンバでJ1を戦い、6月には日本代表の一員としてブラジルへ向かった。背番号は、ガンバと同じ「7」。グループステージ初戦のコートジボワール戦では54分、長谷部誠に代わってピッチへ入った。第2戦ギリシャ戦でも後半開始から長谷部に代わって出場した。日本は1分2敗でグループステージ敗退。遠藤にとっても、日本代表にとっても望んだ結果ではなかった。

そして日本へ帰ってくる。

帰国した遠藤を待っていたのは、J1優勝を争っているガンバではない。

第14節終了時点、16位。

首位浦和との勝点差は14。

J2から1年でJ1へ戻ってきたガンバだったが、再び降格圏にいた。

ここが、2014年の遠藤を考えるうえで重要だと思う。

遠藤は「強くなった後のガンバ」に加わった選手ではない。

苦しんでいた時期から、ずっとそこにいた。

開幕戦で浦和に敗れたときもいた。勝点を積み上げられず、16位まで落ちたときもいた。そして、ワールドカップを挟み、後半戦にガンバが勝ち始めたときもいた。

チームの順位は大きく変わった。

しかし、背番号7は変わらずピッチの中央にいた。

7月19日、リーグ戦再開初戦の甲府戦を2-0で勝利すると、ガンバはそこから5連勝を記録する。第18節横浜F・マリノス戦もその一つだった。試合は終盤まで0-0。82分、パトリックが先制点を決める。そして89分、左サイドの藤春廣輝から送られたボールを受けた遠藤が、逆サイドから流し込むようにシュートを決めた。

2-0。

前線のパトリックが決め、最後は遠藤が決める。

この試合も、後半戦のガンバを象徴する一戦だった。

9月27日の第26節サガン鳥栖戦でも、遠藤は重要な場面でゴールを決めている。開始10分、豊田陽平のPKで鳥栖に先制を許した。追いかけるガンバは25分、パトリックがペナルティエリア内で倒されてPKを獲得する。

キッカーは遠藤。

これを決めて1-1。

この同点ゴールから、後半にパトリックが3得点を奪い、ガンバは4-1で勝利した。試合を決定づけたのはパトリックのハットトリックだった。しかし、その大量得点が始まる前に、先制された試合を振り出しへ戻したのは遠藤だった。

ナビスコカップ決勝でも同じだった。

11月8日、サンフレッチェ広島との決勝。20分、35分と佐藤寿人に決められ、ガンバは0-2と追い込まれた。ここから始まった反撃の最初のゴール。38分、左サイドからクロスを送ったのが遠藤だった。そのボールにパトリックが頭で合わせ、1-2。後半には宇佐美からのクロスをパトリックが決めて同点。そして大森晃太郎のゴールで逆転した。

パトリックが2得点を決め、決勝MVPに選ばれた試合。

しかし、その逆転劇の最初の一本を送ったのは遠藤だった。

これが、2014年の遠藤を見ていくと何度も現れる。

最後にゴールを決める選手ではないことも多い。

しかし、その一つ前、そのさらに一つ前で遠藤がボールに触れている。

ウサパトの強さを語るときも同じだ。

宇佐美がボールを持って仕掛ける。パトリックが最終ラインと競り合う。二人がゴール前で決定的な仕事をする。しかし、その二人へどうやってボールを届けるのか。どこから攻撃を始めるのか。どちらのサイドを使うのか。セットプレーなら誰がゴール前へボールを供給するのか。

その役割を担っていた一人が遠藤だった。

ただし、ここで注意しなければならない。

「遠藤がいたからガンバは後半戦に勝てるようになった」と単純にまとめることはできない。

なぜなら、前半戦にも遠藤はいたからだ。

これは非常に重要な事実だと思う。

ガンバが16位だったときも、遠藤は先発していた。後半戦になって突然遠藤が加わったわけでも、遠藤自身が別の選手になったわけでもない。

変わったのは、遠藤の周囲だった。

宇佐美が負傷から戻った。パトリックが加入した。チームの選択肢が増えた。その中で、遠藤が持っていた技術やゲームを組み立てる力が、より結果につながる形で使われるようになった。

だからこそ、2014年の遠藤を考えるとき、「遠藤がチームを変えた」とするよりも、「変わっていくチームの中心に遠藤が居続けた」と見る方が、実際のシーズンに近いのではないか。

そして、遠藤自身も勝負どころで結果を残した。

10月26日、第30節FC東京戦。

リーグ戦は残り5試合。ガンバは首位浦和を追い続けていた。前半は0-0。53分、大森が先制する。そして59分、遠藤が追加点を決めた。最終的には2-1。優勝争いを続けるために必要な勝点3を手にした。

そして11月22日。

第32節、埼玉スタジアム2002。

首位浦和との直接対決。

試合前の勝点差は5。負ければ浦和の優勝が決まる可能性がある状況だった。ガンバは88分に佐藤晃大が先制し、後半アディショナルタイムに倉田秋が追加点。2-0で勝利した。

勝点差は2。

翌第33節、ガンバは神戸に3-1で勝利。浦和は鳥栖と引き分けた。両チームは勝点62で並び、得失点差でガンバが首位へ立つ。

前半戦16位だったチームが、残り1試合で首位。

そして12月6日、最終節徳島ヴォルティス戦。

勝てば、自力で優勝を決められる。

しかし、ガンバは最後までゴールを奪えなかった。試合は0-0。同時刻に試合をしていた浦和、鹿島の結果を待つことになる。

浦和は名古屋に1-2で敗戦。

鹿島も鳥栖に0-1で敗れた。

ガンバ大阪、J1優勝。

9年ぶり2度目のリーグ制覇だった。

そのピッチにも、遠藤保仁はいた。

2012年、クラブ史上初のJ2降格。

2013年、J2優勝。

2014年、J1復帰。

そして前半戦16位からのJ1優勝。

遠藤は、そのすべてをガンバ大阪で経験した。2013年からはキャプテンを務め、J2を戦った。そして2014年もキャプテンとしてチームを率いた。

J1優勝が決まった3日後、12月9日。

Jリーグアウォーズで遠藤保仁の名前が呼ばれる。

最優秀選手賞。

遠藤にとって、初めてのJリーグMVPだった。

さらにベストイレブンにも選ばれた。遠藤のベストイレブン受賞は、この時点で歴代最多を更新する11回目だった。

なぜ、遠藤だったのか。

6得点だけを見ても、その答えは分からない。

34試合すべてに出場したこと。

そのほとんどをフル出場したこと。

正確なクロスやセットプレーからチャンスを作ったこと。

中盤でボールを動かし、攻撃のリズムを作ったこと。

そして、16位だった時期から優勝する瞬間まで、キャプテンとしてピッチに立ち続けたこと。

2014年の遠藤の価値は、一つの数字では表せない。

JリーグがMVPを発表した際、遠藤について「的確なボールさばきで攻撃のリズムをつくり」、さらに守備でもチームを支えたと評価している。そして長谷川健太監督も、遠藤と今野がチームをまとめたことの大きさを語っている。

ここに、2014年の遠藤保仁がMVPだった理由が見えてくる。

遠藤は一人で試合を決め続けた選手ではない。

ガンバ大阪というチームを、試合の中で動かし続けた選手だった。

ウサパトが爆発すれば、その二人へボールを届ける。セットプレーになればキッカーを務める。必要な場面では自らゴールを決める。そして、チームが苦しい時間にもピッチからいなくならない。

2014年のガンバは、宇佐美だけのチームではない。

パトリックだけのチームでもない。

そして、遠藤だけのチームでもない。

ただ、前半戦16位からJ1王者まで上り詰めたチームの中心に、最初から最後まで背番号7がいたことは事実である。

だから、2014年のJリーグMVPは遠藤保仁だった。

しかし、遠藤の存在だけでガンバの中盤を説明することもできない。

遠藤のすぐ近くには、もう一人、日本代表としてブラジルワールドカップを戦った男がいた。

遠藤とは、まったく違う特徴を持つ選手だった。

遠藤がボールを動かす。

その横で、相手からボールを奪う。

前線の選手が攻撃へ出ていけば、その後ろを埋める。

危険な場所があれば、そこへ走る。

そして、自らゴール前へ飛び出すこともあった。

今野泰幸。

2014年のガンバを語るとき、遠藤保仁だけを見ていては、中盤のもう半分が見えてこない。

なぜ、遠藤と今野だったのか。

そして、なぜ今野泰幸という選手が、三冠を狙うガンバ大阪に必要だったのか。

次章では、背番号15に焦点を当てる。

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