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#1なぜ、ガンバ大阪は2014年に「三冠」を成し遂げられたのか

序章 あの一年を、もう一度。


2014年12月13日、日産スタジアム。ガンバ大阪はモンテディオ山形との天皇杯決勝を戦っていた。この時点で、ガンバはすでにJ1リーグとヤマザキナビスコカップを制していた。残されたタイトルは天皇杯だけ。4分、宇佐美貴史。22分、パトリック。後半に山形のロメロ フランクに1点を返されたものの、85分に再び宇佐美が決める。3-1。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ガンバ大阪は国内主要タイトルをすべて獲得する「三冠」を成し遂げた。J1リーグは19勝6分9敗、勝点63。遠藤保仁はJリーグ最優秀選手賞、長谷川健太は最優秀監督賞、宇佐美貴史とパトリックはベストイレブンに選出された。数字だけを見れば、圧倒的な強者の一年に見える。だが、この一年を本当に理解するためには、最後の天皇杯決勝からではなく、もっと前に戻らなければならない。

2014年3月1日、万博記念競技場。J2から1年でJ1へ戻ってきたガンバ大阪の開幕戦は浦和レッズ戦だった。J2降格という屈辱から1年。ホームに戻ってきたガンバが、ここから新しい歴史を始めるはずだった。しかし、結果は0-1。第2節のアルビレックス新潟戦こそ2-0で勝つものの、第3節のベガルタ仙台戦は0-0、第4節のサンフレッチェ広島戦は1-1。第5節のサガン鳥栖戦でも0-2の敗戦、第6節ホーム鹿島戦にも敗れ、開幕6試合は1勝2分3敗だった。しかも、苦しさはここで終わらない。ワールドカップによる中断前の第14節終了時点で、ガンバは16位。首位浦和との勝点差は14まで開いていた。J2から昇格したばかりのチームがJ1で優勝争いをするどころか、降格争いを意識させる位置にいたのである。

ところが、ここからガンバ大阪の2014年は大きく変わっていく。リーグ再開後に5連勝。さらに第22節から7連勝。16位だったチームが一気に上位へ駆け上がり、第28節終了時点で2位に浮上する。そして第32節、首位浦和との直接対決。勝点差は5。ガンバはこの試合を2-0で制した。翌33節、浦和が鳥栖と引き分ける一方、ガンバは神戸に勝利。勝点62で浦和に並び、得失点差で首位に立った。そして最終節、徳島との試合は0-0。それでも浦和が敗れたことで、ガンバは2005年以来9年ぶりとなるJ1優勝を決めた。最大14ポイント差をひっくり返しての逆転優勝だった。そして、その勢いはリーグだけでは終わらなかった。ヤマザキナビスコカップを制し、最後には天皇杯も制して三冠を完成させた。

だから、2014年のガンバ大阪について考えるとき、単純に「強かったから三冠を獲った」と結論づけるのは違うと思う。むしろ、この一年の本当の面白さは、最初から強かったわけではないチームが、シーズンの途中で強くなっていったことにある。J2へ落ちた。1年で戻った。しかし、戻った直後は勝てなかった。16位まで落ちた。首位とは14ポイントも離れた。それでも、そこからチームは変わった。宇佐美貴史が復帰し、パトリックが加わり、遠藤保仁や今野泰幸らがチームを支え、東口順昭らの守備陣が安定し、長谷川健太がチームをまとめた。一つ一つの要素が少しずつ噛み合い、やがてガンバは「勝てるチーム」から「勝ち続けるチーム」へと変わっていった。

では、何がガンバを変えたのか。なぜ16位だったチームが、わずか数か月後にはJ1の頂点に立ったのか。なぜリーグ優勝だけで満足することなく、ナビスコカップ、天皇杯まで獲得できたのか。そして、2012年にJ2へ降格したクラブが、なぜわずか2年後に国内三冠という歴史的な偉業を成し遂げられたのか。この答えを探していくと、まず一人の選手に行き着く。

宇佐美貴史

2014年、負傷によってシーズン序盤を欠場していた宇佐美は、リーグ再開後に復帰するとゴールを量産した。そして中断期間中に加入したパトリックと前線でコンビを組み、ガンバの攻撃を一気に変えていく。もちろん、宇佐美の存在が大きかったことは間違いない。しかし、「宇佐美が戻ってきたから強くなった」という一言だけでは、2014年のガンバを説明することはできない。宇佐美が戻ったことで何が変わったのか。なぜパトリックとの組み合わせが機能したのか。なぜ攻撃が変わると、チーム全体まで勝てるようになったのか。そして、なぜそのチームは一つ目のタイトルを獲ったあと、二つ目、三つ目まで獲り切ることができたのか。

2014年のガンバ大阪には、まだ語られていない「三冠の理由」がある。
この連載では、あの一年を最初から最後まで追いながら、その理由を一つずつ探していきたい。まずは、三冠を獲ったチームの「始まり」から見ていこう。


第一章 「三冠チーム」は、最初から強かったのか?


2014年のガンバ大阪を振り返るとき、最初に忘れてはいけないのは、あのチームが決して完成された状態でシーズンを迎えたわけではなかったということだ。2013年、ガンバはJ2で25勝12分5敗、勝点87という成績で優勝し、1年でJ1へ戻ってきた。遠藤保仁、今野泰幸ら経験豊富な選手を擁し、長谷川健太監督のもとでJ2を制したチームだった。しかし、J1に戻った瞬間、状況は変わった。開幕戦の浦和戦を0-1で落とし、順調に勝点を積み上げることはできなかった。

さらに第9節から3連敗を喫し、ワールドカップ中断前の第14節終了時点では16位。首位浦和との勝点差は14だった。今から考えれば、この数字には2014年の物語が凝縮されている。最終的に三冠を獲ったチームが、シーズン前半では降格圏にいた。首位との距離は大きく開いていた。しかも前年はJ2王者だった。J2では勝てたのに、J1では勝てない。自分たちのサッカーをしても、相手に簡単には通用しない。試合を支配しているように見えても、最後のところで勝点3を逃す。J2を制したチームがJ1で戦うためには、何かを変えなければならなかった。

その「何か」を考えるうえで、宇佐美貴史の存在は非常に大きい。宇佐美は2014年の開幕時には負傷のため戦列を離れていた。つまり、三冠を獲ったガンバの中心選手が、シーズン序盤にはピッチにいなかったのである。リーグ再開後、宇佐美が復帰すると状況が変わった。さらに中断期間中にパトリックが加入。宇佐美とパトリックが前線で組むようになると、ガンバは再開後5連勝を記録し、第22節からは7連勝を達成した。Jリーグ公式も、ガンバのV字回復の立役者として宇佐美とパトリックの2トップを挙げている。つまり、16位だったチームが上昇していく過程には、明確な転機があった。

しかし、ここで「宇佐美が戻ってきたから強くなった」とだけ考えると、まだ本質には届かない。サッカーは一人の選手だけで勝てるものではない。宇佐美が得点を重ねても、その間に失点を繰り返していれば連勝は続かない。パトリックが前線で存在感を発揮しても、中盤でボールを奪えなければ攻撃は始まらない。遠藤がゲームを組み立てても、前線との距離が離れていればその力を生かせない。つまり、2014年のガンバが強くなった理由は、個々の選手の能力だけではなく、それぞれの能力が噛み合い始めたことにあった。

そして、ここが2014年というシーズンの面白いところだと思う。ガンバは「強いチーム」だったのではなく、シーズンを戦いながら「強いチームになった」。開幕直後のガンバと、秋のガンバは、同じメンバーを中心に戦っていても、明らかに違うチームになっていた。再開後の5連勝、第22節からの7連勝、28節終了時点での2位浮上、そして浦和との直接対決での2-0。16位だったチームが、首位を追い、ついには首位を奪った。その過程には、選手の復帰、補強、戦術、守備、チーム内の信頼、そして長谷川健太のマネジメントが複雑に絡み合っていた。

だから、この物語を「2014年のガンバは強かった」で終わらせたくない。
なぜ、強くなったのか。
そこを知りたい。
その最初の鍵となったのが、宇佐美貴史だった。

ただし、宇佐美の2014年を追い始めると、すぐに別の疑問が浮かんでくる。なぜ、宇佐美は復帰しただけで、これほどまでにチームを変えることができたのか。

ゴールを決めたから?それだけではない。宇佐美がボールを持つことで、相手の守備はどう変わったのか。パトリックは何をもたらしたのか。そして、宇佐美が前線に戻ったことで、遠藤や今野を含めたチーム全体の戦い方はどう変化したのか。
三冠の物語は、まだ始まったばかりだ。
次章では、2014年のガンバ大阪を語るうえで避けて通れない男、宇佐美貴史の復帰に焦点を当てる。そして、そこで一つの答えが見えてくる。「宇佐美が戻った」のではない。ガンバ大阪そのものが、宇佐美を中心に変わり始めていた。

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