【遠距離恋愛、連載】第28話「『会わない』という選択──すれ違いを恐れながらも、信じた未来」
前回の続き
彼女を失い、愛を失い、それでも結婚した10年の軌跡、第28話

景子が北海道へ帰る日。
羽田空港へ向かう電車の中。
隣に座る景子は、昨日と変わらないはずなのに、どこか少しだけ遠く感じた。
車窓に流れていく東京の街並みを眺めながら、俺は昨夜の会話を何度も思い返していた。
「私、資格を取ろうかと考えてるの」
景子は、少し迷うように視線を落としてから言った。
「試験が終わるまで、会いたくないんだ」
一瞬、言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。
「……試験が終わるまで?」
「うん」
短い返事。
でも、その声の奥にある覚悟だけは、痛いほど伝わってきた。
「……そっか」
喉の奥に引っかかったものを飲み込むようにして、俺は笑った。
「景子がそうしたいなら、いいよ」
そう言うと、景子は少しだけ安心したように笑った。
「亮平に悪いと思って、ずっと言えなかった」
「ちょっと寂しいけどね」
冗談っぽく言ったつもりだった。
でも、本当は少しじゃなかった。
景子は小さく「ごめんね」と呟いた。
「いいよ」
そう返しながら、自分に言い聞かせていた。
これは、終わりじゃない。
未来のための時間なんだ、と。
――その会話が、今も胸の奥に残っていた。
羽田空港に着くと、休日のロビーは人で溢れていた。
搭乗案内のアナウンス。
キャリーケースの転がる音。
誰かの笑い声。
そんな騒がしさの中で、俺たちだけが別の時間を歩いているようだった。
「そろそろ行かなきゃ」
景子が、小さな声で言う。
「……うん」
分かっていた。
次に会えるのは、7月。
試験が終わったあと。
それまで、会わない。
昨日までは“約束”だった言葉が、今は現実として目の前に立っていた。
「いろいろありがとう。楽しかった」
「うん。俺も、すごく楽しかった」
そのあと、少しだけ沈黙が落ちる。
別れ際になると、どうして人は急に言葉が少なくなるんだろう。
「7月、終わったら会おうね」
景子がそう言った。
その一言に、少しだけ救われる。
「ああ、約束な」
ようやく自然に笑えた。
「うん、約束」
景子も、少しだけ泣きそうな顔で笑った。そして――
俺は景子を、そっと抱きしめた。
強くじゃない。
壊れものに触れるみたいに、静かに。
ほんの数秒。
でも、その数秒だけ、時間の流れが止まった気がした。
景子の髪の匂いも、肩の温度も、全部を忘れたくないと思った。
「じゃあね」
「うん。気をつけて」
景子は何度も振り返りながら、手を振っていた。
その姿が、人混みの向こうで少しずつ小さくなっていく。
最後に見えなくなるまで、俺もずっと手を振っていた。
――見送る側って、こんなに寂しかったんだな。
帰りの電車に乗る。
窓の外には、夕方の光に染まる滑走路が見えた。
飛び立っていく飛行機をぼんやり眺めながら、ポケットのスマホを握る。
もう、空の上かな。
その時、通知が震えた。
――[離陸したよ。ちょっと怖かった笑]
思わず笑ってしまう。
「子どもかよ……」
小さく呟きながら、すぐに返信を打つ。
――[無事でよかった。7月、楽しみにしてる]
送信ボタンを押したあと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
景子の選択には、ちゃんと理由がある。
逃げじゃない。
未来のために、自分を変えようとしている。
それは分かっている。
分かっているのに――
理恵のことが、頭をよぎった。
あの時も、“仕方なかった”。
仕事だから。
忙しいから。
今はタイミングじゃないから。
そうやって、お互いに少しずつ我慢して。
少しずつ、言葉が減って。
気づけば、心まで離れていた。
今回は違う。
そう信じたい。
でも、“会えない時間”が人を変えてしまうことを、俺は知っている。
ポケットの中の携帯を、強く握りしめる。
約束はある。
7月になれば、また会える。
それだけが、今の支えだった。
――この距離を、越えられるだろうか。
窓の外では、夕暮れの空へ向かって飛行機が小さくなっていく。
その光を見つめながら、俺は静かに思った。
試されているのは、きっと今なんだ。
第29話に続く
※次回以降、毎週水曜日、土曜日の週2回、連載を投稿予定しています。
引き続きご期待ください。
【マガジンを作りました、過去の話はこちらから】
「遠距離恋愛、10年の軌跡、秋の章」
「四季を越えて愛、総集編」
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