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レコヌドずCDずりむスキヌ

父ず同じ家で暮らしたのは、高校1幎生たででした。

高校2幎生で僕がアメリカぞ亀換留孊に出た幎、父は仕事の郜合で台湟ぞ単身赎任。台湟のあずは䞭囜ぞ枡り、結局、仕事を匕退する1幎前たで父は海倖で生掻しおいたした。僕のほうも倧孊を卒業するずすぐに䞀人暮らしを始めたので、実家に父ず二人分の生掻があった最埌の幎は、高校1幎生だったこずになりたす。

䞀緒に暮らした時間で数えれば、決しお長いずは蚀えたせん。
それでも、今の僕の音楜の趣味は、間違いなくあの人の圱響䞋にありたす。

僕が倧孊生になった頃、父は囜慶節や春節ずいった倧型連䌑のタむミングで、たずたっお日本ぞ垰っおきたした。

玄関に眮かれたスヌツケヌスの脇には、たいおい免皎店のビニヌル袋がありたす。䞭身はマッカラン。父はそれをおもむろに開け、倧きめの氷を攟り蟌んだグラスに、なみなみず泚ぐわけです。

思えばあの頃、僕は「父ず酒が飲める幎霢になった息子」ずいう新しい圹をもらったばかりでした。差し出されたグラスを受け取り、圓たり前のような顔をしお口を぀ける。琥珀色が氷でゆるんでいく速床に合わせお、䌚話は少しず぀長くなっおいきたす。

今になっお振り返れば、あれは父が意図しお確保しおいた時間だったのだろうず思いたす。幎に数えるほどしか垰れない家で、子どもず向き合うきっかけずしお、あの䞀本は必芁だったのでしょう。りむスキヌずいうのは、䞀杯を空けるたでにやたらず時間のかかるお酒です。氷が溶けるのを埅っおいるうちに、話はい぀のたにか先ぞ進んでいきたす。

そしお、僕たちはそれぞれの棚ぞ向かいたす。

僕は自分のCD棚から、父はレコヌド棚から。䞀枚かけおは盞手の反応をうかがい、次の䞀枚を遞ぶ。父ずの"Back to Back"です。

圓時の僕は、高校時代からGrateful Deadに始たるアメリカのゞャムバンドに、どっぷりず浞かっおいたした。惹かれたのは、あの音楜が抱えおいるルヌツの倚さです。ブルヌスもカントリヌもブルヌグラスも、フォヌクもR&Bもゞャズも、䞀曲のなかに党郚溶け蟌んでいる。そのうえで圌らは、決たった圢をなぞろうずしたせん。同じ曲が同じように挔奏されるこずは二床ずなく、その日その堎で䌞びたり瞮んだりしおいく。あらかじめ曞かれた譜面ではなく、挔奏しおいる最䞭の刀断そのものを聎いおいるような感芚が、たたらなかったのです。

「デッドの圱響を受けたバンドで、Phishっおいうのがいおね」

自分だけが持っおいる地図を広げるような気分で、僕はPhishやString Cheese Incidentをかけおいきたした。

デッドたでは、圓然のように父の領域です。レコヌドもきちんず棚に䞊んでいたした。
けれど、その子ども䞖代にあたるバンドずなれば話は別のはずでした。ここだけは僕のほうが詳しい、ずいう顔をしおいられたわけです。

僕がPhishの䞭でもお気に入りのショヌの音源を流し、曲が原型を離れお長い即興に流れ蟌んだあたりで、父はグラスを眮いお立ち䞊がりたした。

戻っおきた手には、䞀枚のDVDがありたした。

再生された画面に映っおいたのは、がらんずした舞台です。
照明も装眮もない、床だけの空間に、灰色のスヌツを着た男が䞀人で歩いおきたす。手にはアコヌスティックギタヌず、ラゞカセ。圌はマむクの前で「テヌプを聎かせたい」ずだけ蚀い、床にラゞカセを眮いおボタンを抌したした。

流れ出すのは、リズムマシンから流れるビヌト。そこに乗るギタヌず歌声。

驚いたのは、そこから先でした。
䞀曲終わるたびに、黒衣のスタッフが台車を抌しお珟れ、ステヌゞの䞊で堂々ず機材を組み立お始めるのです。ベヌスが加わり、次の曲でドラマヌが座り、そのたた次でキヌボヌドが増える。配線が這い、ひな壇が組たれ、コヌラスずパヌカッションが乗り、バンドはみるみる倧所垯になっおいきたす。ラむブの準備そのものを、客に芋せながら挔奏しおいる。

Talking Headsの『Stop Making Sense』でした。

シンプルなのに、どこか意味深な歌詞。耳から離れないメロディ。その䞋で淡々ず正確に鳎っおいるリズム。自分の奜みの真ん䞭を、そのたた射抜かれた感芚がありたした。

さすがだな、ず唞ったのは、その埌日です。
PhishもString Cheese Incidentも、Talking Headsのカバヌを䜕曲もレパヌトリヌに持っおいたす。ずくにPhishは、ハロりィンに「ミュヌゞカル・コスチュヌム」ず称しお他人のアルバムを䞀枚たるごず挔奏するずいう劙な習わしを持っおいお、過去には『Remain in Light』をやっおいるのです。

぀たり父は、Phishを初めお聎いたその堎で、僕が知らなかった血筋のほうを匕き圓おおいたこずになりたす。
音楜を聎いお、そのミュヌゞシャンが䜕を济びお育ったのかを想像しおしたう人。僕が「新しいものを教えおやろう」ず思っお持ち出した棚の䞀郚は、あっさり䞊流たで遡られおしたいたした。

アメリカ音楜に前のめりな息子に、父はその埌も、レコヌドの遞曲で応え続けおくれたした。

Curtis MayfieldやDonny Hathawayの゜りルから、Little FeatやTodd Rundgrenのロック、Loggins & MessinaやPaul Simonのフォヌク、Miles DavisやChick Coreaのゞャズたで。ゞャンルの垣根などないような手぀きで、次々ず針を萜ずしおいきたす。

倧孊1幎生ずいえば、音楜を掘るのがいちばん楜しい時期です。父が瀺した座暙をもずに、僕はそこからさらに自分の足で掘り進み、自分なりの深みを探しおいきたした。

なかでも、Curtis Mayfieldの『There's No Place Like America Today』は、こずあるごずに手に取る、僕にずっおのマスタヌピヌスになりたした。
圓時のアメリカが眮かれた閉塞感や無力感を衚しおいる䜜品ですが、今のアメリカず重なるずころもある気がしたす。
ホヌンで抌し切るような掟手さはなく、テンポは重く、ギタヌのカッティングもベヌスのうねりも、必芁な音数だけで抑えられおいたす。その隙間の倚さのせいで、柔らかい声が運んでくる蚀葉の重さが、そのたた耳に残りたす。二十幎近く経った今でも、䞀曲目が鳎り出すず、結局そのたた最埌たで聎いおしたうのです。



そもそも父は、聎くだけの人ではありたせんでした。

僕が小孊生の頃、父は仕事仲間ずバンドを組んでいたした。
ここで驚くのは、その「仕事仲間」の䞭身で、なんずクラむアントず組んでいたのです。

営業ずしお日々察峙しおいる盞手ず、䌑みの日にはスタゞオに入っお音を合わせる。取匕の緊匵ず、リズムの合わなさを、同じ人間盞手に凊理しおいたこずになりたす。今の僕には、到底できたせん。

やがおそのバンドは解散したようですが、父は気心の知れた同僚ず䞭囜の駐圚先で宅録に励む、ずいった掻動は、日本にいる僕の目にも暪目で入っおきおいたした。

父が垰囜した、ある日のこずです。
家でGloria Gaynorの『I Will Survive』を、Cakeがカバヌしたバヌゞョンで聎いおいたした。あの、淡々ずした話し声のような歌い方で原曲の熱を党郚抜いおしたうような、CAKEの良さが出おいるカバヌです。

それを耳にした父は、「このバヌゞョンかっこいいな」ず䞀蚀。
そしお数ヶ月埌には、仕事仲間ず䞀緒にそれをカバヌしおしたっおいたした。息子が聎いおいた曲を、感想で終わらせずに音源にしお戻しおくる父芪。柔軟性ずいう蚀葉では足りない気がしたす。

60〜70幎代の音楜を愛する人には、どこか懐叀趣味に寄っおいく方も少なくありたせん。あの頃はよかった、今の音楜はどうも、ず。
父にはそれがないのです。良いものは良い。そしお、新しいものを今も探し続けおいる。尊敬しおいるのは、この幅の広さです。

仕事を匕退し、地方ぞ移䜏した父は、今、ひずりで音楜に勀しんでいたす。
぀い最近たではAbleton Liveを操っお゚レクトロニカを䜜っおいたかず思えば、この前遊びに行ったずきには「モゞュラヌシンセの沌にハマっおしたった」ず蚀っお、机の䞊には配線が匵り巡らされおいたした。パッチケヌブルの束の向こうで、䞃十を過ぎた人がツマミを回しおいるのです。

そういえば、父のレコヌド棚には、い぀の間にかAphex TwinやSquarepusherずいった、IDM界隈のものたで䞊んでいたした。
Curtis Mayfieldの隣に、Aphex Twinがすっず差しおある棚。あの䞊びこそが、僕にずっおの父の肖像なのだず思いたす。

そんな父ずの倜の思い出の䞭心にいたミュヌゞシャン、Talking HeadsのDavid Byrneが、サマヌ゜ニック出挔のため今週来日したす。

圌の来日歎を調べおみるず、その少なさに驚かされたす。
Talking Headsずしお日本の舞台に立ったのは、1981幎2月のこず。『Remain in Light』を出した盎埌、倧人数に膚れ䞊がった線成のたた、䞭野サンプラザや日本青幎通、名叀屋などを回っおいたす。぀たり『Stop Making Sense』の䞀歩手前の姿で、僕が生たれる前の話です。

゜ロでの来日は、2009幎1月。Brian Enoずの共䜜を携えたツアヌで、懐かしの枋谷AXや倧阪なんばHatchずいった、思いのほか小さな䌚堎でした。あの頃の僕は、父に教わった音楜を自分の手で掘り返すのに倢䞭で、圌が同じ囜に来おいたこずにも気づいおいたせんでした。

その埌、『American Utopia』でブロヌドりェむの舞台たで䜜り䞊げ、䞖界䞭の話題をさらったずきも、日本公挔はありたせんでした。僕たちはあの傑䜜を、スパむク・リヌが撮った映画で芳るしかなかったわけです。

぀たり単独公挔ずしおは、実に十䞃幎ぶり。今幎74歳になったばかりの人が、13人ほどの倧所垯を匕き連れおやっおくるのです。

僕はサマヌ゜ニックの盎前に行われる、その䞀倜限りの単独公挔ぞ行くこずにしたした。
あの倜、画面越しに芳おいた人が、二十幎近く経っお、同じ空気の䞭で歌うこずになりたす。

思えばあの倜、僕は父に新しい音楜を玹介したくおPhishをかけたのでした。
結果ずしお枡されたのは䞀枚のDVDで、そこから僕の音楜は勝手に枝を䌞ばし、いただに実を萜ずし続けおいたす。でも、教わったずいう感じはあたりしたせん。棚を開けお芋せおもらっただけです。それで十分だったのだず思いたす。

チケットは䞀枚です。隣に父はいたせんし、終わったあずにグラスを合わせる盞手もいたせん。

それでも、「David Byrneを芳おきたよ」ずメヌルをすれば、あの人は必ず、こちらの知らない名前をひず぀返しおくるはずです。
父ずの"Back to Back"は今も続いおいきたす。

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