それはドローンだった 第四章 赤いサイレン
その男が恐喝罪で逮捕されたのを知ったのは、一週間後のことだった。ニュースによると、男は小中学生に声をかけ、「みかじめ料」と称して数回にわたって金銭を脅し取っていたらしい。被害額は、数千円から数万円程度。犯行は僕たちが、その男に出会う前から行われていたようだった。
「実は、あの時は黙ってたけど悔しくて仕方がなかった。だから、俺ずっと宇宙人に祈ってたんだ。『ベントラ、ベントラ、宇宙のブラザー、あの男に罰を与えて下さい』ってな」
橋本はそう言って男が捕まったことを喜んでいた。僕と今田は思いっきり引いていたが、やっぱり橋本も悔しかったんだなと思うと、急に申し訳なくなった。
「ごめんな、俺が金を渡そうなんて言ったから……」
僕は橋本に謝った。橋本は首を振った。
「いや、ナッシーは冷静だったよ。俺だけだったら、石でも投げて怪我させて問題になってたかもしれない。でも意外だったな、今田はてっきり、正義の鉄拳を食らわしてやるもんだと思ってたけどな」
橋本が冗談交じりに言った。今田は、肩をすくめて薄く笑った。
「まあ、腹は立ったけどな。でも、道場の先生にいつも言われている。空手の本義は相手の痛みを知ること、それは人間本来の優しさを知ることだって。だから、余程のことがなければケンカには使わない」
「お前、格好いいな。ただの石焼き芋だと思ってたけど、見直したよ」
「何だと、お前、正拳突き食らわすぞ」
今田が真顔で腰を落として正拳突きの構えになると、橋本はすぐに僕の背後に身を隠した。
「お前、言ってることとやってることが、違うじゃん」
橋本がそう言うと、今田は声を出して笑った。
「冗談だ。でも、俺も今回の件は、ナッシーが正しかったと思う。もちろん、モヤモヤはしたけどな。でもあれが大人の判断なんだろうな」
今田が言うと橋本も頷いた。僕はただ黙ってそれを聞いていた。僕は大人なんかではない。ことなかれ主義なだけなんだ。
「まあ、これで、あの公園も行きやすくなったよな」
僕はそれだけ言って、薄く笑った。
◇
気がつけば、夏休みも終盤になっていた。僕たちは毎日のように今田の家に集まっていた。最近は午前中に宿題をやり、午後涼しくなってから廃品回収をするようになっていた。
「宿題、終わんねーよ。タッキーに期限伸ばしてもらえないか交渉しないか?」
橋本がガリガリ君をかじりながら言った。
「ダメだ。勉強はちゃんとやるって約束したじゃないか」
今田にそう言われても、納得できないのか、橋本はずっとブツブツ言っていた。でも、そういう今田の宿題が一番進んでいない。ここは思い切ったことをしなければならないと思い、僕はある提案をした。
「なあ、分担しないか?数学とか国語のドリルみたいなのは、俺がやる。それを、写していいよ。ただバレないように、ちょっとだけ変えてくれればいい。その代わり、絵日記だの工作だのは苦手だから、頼めないか?」
橋本の目が輝いた。
「いいのか?」
「いいよ、俺も助かる。それとついでに自由研究は、廃品回収の結果を美化運動にしちゃえばいいよな?」
「廃品回収の件は、内緒にしろってタッキーが言ってたじゃないか?」
今田が反論した。
「内緒にしろっていうのは、お金をもらってることだろ?それさえ黙っていれば、約束を破ったことにはならないよ」
僕がそう言うと、それ以上、反論はしてこなかった。きっと、今田だって早く宿題を終わらせたかったからだろう。
「よし、それでなんとかなるよ。ちょっと息抜きしに公園行こうぜ、公園!」
橋本がシャープペンを投げ出しながら言った。
「お前は、本当に飽きっぽいな」
そう言いつつ、今田もスクッと立ち上がった。みな、宿題の目処がついたせいか表情が少し緩くなっているように見えた。
◇
夕方の公園は閑散としていた。いつものように周回をして空き缶や段ボールを集めた。植え込みの中を探していた今田が突然、声をあげた。
「これなんだ?」
今田が土嚢を入れる麻袋のようなものを見つけた。開けてみると大量の銅線が入っていた。今田は重さを量るように袋を上げ下げした。
「米の袋くらいかな?五キロか?いや、もっと重いな」
今田がそう言うと、橋本は目を輝かせて言った。
「お宝だよ!それだけで三千円くらいにはなるはずだ」
僕は思わず聞いた。
「銅ってそんなに高いのか?」
橋本が嬉しそうに言った。
「アルミの三倍くらいはするはずだって、兄貴がそう言ってた。早いとこ業者に持っていこう」
結局、銅線は七キロほどあった。作業員の男はそれを秤に載せ、しばらく黙ってから、油で汚れた手で千円札を三枚と百円玉を何枚か差し出した。数えてみると、三千八百円あった。
「すげーな、最高記録だ。とりあえずアイスでも食おうぜ」
橋本がはしゃいでいると、作業員の男は怪訝な顔をしてこちらを見た。一瞬、その目の奥の光に何か不気味なものを感じたが、はしゃぎながらリアカーを引いているうちに、いつの間にか忘れてしまった。その時にはもう日が暮れかかり、頼りなく光る街灯の光には蛾が数匹たかっていた。
◇
それから不意に、自転車の呼び鈴の音が聞こえた。目を凝らしてみると、中年の男性がこちらに向かってきているのが見えた。
「君たち、ちょっと待ってくれや」
男は関西弁で話しかけた。急いできたのか息を切らしているようだった。僕らに追いつくと、自転車を止め、何か意味深な笑顔を浮かべた。
パンチパーマに柄シャツ。年齢は四十歳くらいだろうか?首元には金色のネックレスが光っていた。夜なのに、薄い色のサングラスをかけている。いかにも、僕らが関わってはいけない種類の大人に見えた。
「今日な、公園で銅線みつけたやろ?あれ実はおっちゃんのやねん。ずっと置き場所がなくて公園に置いとったんよ。せやけど今日見たらなくなってるんで驚いてな……。馴染みの業者のところにいったら、中学生が売りに来たって聞いたんで、君たちかと思うて追いかけてきたんよ」
「そう……だったんですか」
男はずっと笑っていた。怒っているようには見えなかった。だから余計に怖かった。僕はようやくそれだけ口にした。
男はそれから、ポケットからタバコを取り出し火をつけた。ライターの火が男の顔を一瞬照らした。頬にうっすらとした傷跡のようなものが見えた。男はタバコをうまそうに吸うと、話を続けた。
「だから、悪いけど返してくれへんか?おっちゃんもうっかりしてたんで、警察には言わんといてやるから」
「返してと言われましても、もう売っちゃったんで……」
橋本がおそるおそる言うと、男は少し、苛ついたようだった。
「だから、金。金もろたやろ。それで勘弁したるから。早よ出せや」
男は手を僕たちの方に差し出した。指には金のごつい指輪が二、三個はめられていた。
「それなら銅線は、業者に言って直接返してもらえばいいんじゃ……」
僕は小声でそう言った後、すぐにそのことを後悔した。案の定、男の態度は急変した。男はタバコを地面にたたきつけ、もみ消した。
「そんなもん、もうとっくに溶かしてなくなっとるわい。お前ら分かっとんのか?これ窃盗やぞ。犯罪や。それを見逃してやろう言うとるんや」
まずいことになったと思った。悪いことにそこは人通りの少ない路地だった。しかも夜だ。その時、今田が急に振り向いた。声には出していないが、その口は「逃げろ」と言っていた。それに気づいた橋本は、一気に路地を駆け出した。
僕は体が震え、ただ立ち尽くしていた。頭の中はおが屑が詰まったようになり何も判断できなくなっていた。
男は逃げていく橋本を見て舌打ちした。追いかけようとしたが、あっという間に橋本が暗闇の中に消えていったので諦めたようだった。
「じゃあ、警察に行きましょうか。僕たちは構わないですよ」
今田が落ち着いた口調で言った。口元には笑みまで浮かべている。
男はその様子に驚いたようだったが、たたみかけるように言った。
「あんなあ、そんなことしたら、お前らタダじゃ済まされんで。退学やぞ、退学。さぞや親御さんも悲しむやろな。だから悪いことは言わん。金渡せや。そしたら黙っといてやるさかい、な」
今田はそれでもニコニコして黙っていた。男はついに痺れを切らしたようだった。
「ガキが……ちょっと痛い目に遭わんと分からんようやな。おっちゃんが社会って奴を教えたるわ」
男は指をポキポキ鳴らして近づいてきた。それでも今田の口調は、相変わらず落ち着いていた。
「俺、空手やってますから、やめといた方が良いですよ。極真って知ってます?」
今田がそう言って正拳突きの構えをすると、男は少し怯んだ。その隙に、今田はもう一度僕の方を見て、口を動かした。「まだ、いたのか」と言っていた。僕は涙目になり頷いた。その時になってようやく交番に行こうと思いついた。でも、なぜか足が動かない。もがいているうちに足がもつれ、僕は横倒しになった。
「なんや。後ろの兄ちゃん、情けないやっちゃなあ。空手なんてハッタリちゃうか」
男が声を出して笑った。今田が心配そうにこちらを振り向いた時、男の拳が今田の顔面を捉えた。直撃ではなく、かすっただけのようだった。それでも、今田の目の上が少し切れていた。それから男は今田に向かって殴る蹴るを繰り返した。今田は正拳を何度か突き出した。けれど、その拳は男の顔の手前で止まった。男はそれを見て、ますます勢いづいた。
「おらおら、見せてみいや、極真とやらを」
今田は必死で防御していたが、顔をかばっていた両腕が、少しずつ下がり始めていた。もう限界のようだった。僕は必死で立ち上がろうとしたが、腰が抜けてしまったようだった。
ーー早く、助けを呼ばないと。
せめて声を張り上げて助けを呼ぼうとしたが、胸が苦しくて口をパクパクしているのがやっとだった。その時、公衆電話の灯が遠くに霞んで見えた。
ーーそうか、初めから110番すれば良かったんだ。……何をやってるんだ、僕は……。
目に涙がジワッと滲んできた。
それから不意にパトカーのサイレン音が聞こえてきた。誰かが通報してくれたのかと思った。ハッとして今田たちの方を見ると、男は動きを止めていた。
「今日は、このくらいで勘弁したるわ。次はあらへんからな」
男はそう言って、慌てて自転車に乗り、立ち去っていった。
「おーい、大丈夫だったか?」
橋本の声だった。自転車に乗っている。そうか、橋本は逃げたのではなく、あのサイレンを取りに戻ったのだと思った。前輪のカゴには何か赤いサイレンのようなものがあり、回転しながら光っている。音もそこから出ているようだった。
情けなかった。どうでもいい時には結構ハッタリをかましている。でも、ここぞという時には役に立たない。それが僕という人間だ。
「これも秋葉原で売ってたんだって。兄貴から借りてきた。結構、パトカーそっくりな音出るだろ」
「遅いよ、お前……。でも助かった」
今田はそう言ってその場に座り込んだ。
その後、僕らは今田を支えながら病院へ連れて行った。赤いサイレンは、橋本の自転車の前カゴの中で、まだ小さく回っていた。
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