【書道断片】百錬自得

百錬自得
ひゃくれんじとく
何度も何度も鍛錬を重ねることによって、教えられた技術や知識が自分自身のものとなり、意識せずとも自在に働く境地に至る。
「百錬」は文字どおり百回鍛えることから転じて、繰り返し修練すること。
「自得」は他人から与えられるのではなく、自ら体得することである。
この語の背景には、技芸や武道、書、禅などに共通する「習うこと」と「身につくこと」の違いがある。
師から型を教わり、頭で理解しただけでは、まだ真に会得したとはいえない。
同じ所作を幾度となく繰り返し、失敗し、修正し、さらに繰り返す。
その蓄積の果てに、型を意識する必要すらなくなり、身体が自然に動くようになる。
そこに「自得」が生まれる。
たとえば書において、一本の線を美しく引こうと意識しているうちは、筆にはどこか作為が残る。
しかし千遍万遍と筆を運ぶうち、呼吸と身体と筆とが一つになり、考えるより先に線が生まれる。
それは単なる反復ではなく、反復によって自己そのものが変化した結果である。
禅の修行にも通じる言葉ではあるが、むしろ芸道や修養の精神を簡潔に表した語として捉えるのがよい。
繰り返すことで、技を覚えるのではない。 繰り返すことで、技そのものになる。
それが百錬自得である。
