見出し画像

テクノロジーを隠す理由

ここ最近、自分のやってること、siroという会社の特徴を棚卸ししようと思って、言語化に取り組んでる。その作業の前段階はAIとの対話になる。自分の情報、会社の情報をできるだけ渡して、分析を頼む。その上で、自分の仮説を伝えたりして議論していくわけだ。

その中で、AIたちがみんな特徴だと語りがちな私の作る上での思想がある。それは、「テクノロジーをひっそりと使う」という点だ。

テクノロジーを武器としてるのに?

もともと、テクノロジーを扱えることを武器にしてきたので、テクノロジーの難易度やクオリティという点で自負がある。なのだが、それを強くだすことはそんなに好きではない。

AIたちの語りとしては、テクノロジーを自己のアイデンティティとしてるなら普通見せたいでしょって言ってくる。ビジネスとしても「売り」を目立たせるべきだという主張もあった。とやかく言われようが、そんなことはあまり好きではないのだからしょうがない。

好み

理由を何種類かの軸で説明する。

何と言っても、まずは好みだ。自分で作ったものを自分が欲しいと思わないというのはいかがなものかと思ってる。なので、作ったものを家に置きたいか?という問いを自分に投げることがある。

例えばこれだ。

音楽の棚

これは、家具として作ったものだが、当然カラクリがある。扉を開いた棚に設定された音楽が流れるのだ。つまり、これは家具のようでいて、プレイリストのセレクターなのだ。

これなんかは(当時はiTunesしかまだない頃だが)、iTunesで音楽を選ぶという行為の無機質さに嫌気がさして、それでそこをテーマにして作ったのだ。所作のデザインと当時言ってた気がする。

音楽の棚の例は、とてもわかりやすいだろう。棚には照明も組み込まず、LEDもない。できるだけ装置の存在を消したくて、磁石を使ったりバレないところにスイッチを隠したりした。

時のしずく
すわるとしっぽがはえるイス

これらもできるだけ電気感を薄くしてるし、発光するものはあまり使わないようにしてる。

これは、自分の好みだ。自宅に置くなら自発光しないものを置きたいと思ってるからだ。

手柄の所在

私がいつも気にしてるのは、テクノロジーの持つ面白さに負けることだ。たとえば、「プロジェクター」が自分の中では代表的なものだ。

例えば、プロジェクターを家の壁にうったとする。そうすると、いつもの壁に像が浮かぶ。なんていうかこれだけで面白い。これは、レンズによって像を結ぶということがそもそも面白く、意外性がある。これを、超手軽に生み出せるのがプロジェクター。しかも動画も出せる。

これの面白さに比べて、そのプロジェクターを使った見せ方のアイデアが持つ面白さが負けてる時、それは、面白さの手柄はプロジェクターにあると私は思ってしまう。作家としての手柄ではなく、プロジェクターメーカーの手柄だと思う。

つまり、こうした手柄をテクノロジーに取られるのはあまり得策ではないと思う。隠蔽したから手柄が自分のものになるというわけでもないが、スタンスとして、このテクノロジーのもつ面白さや魅力におんぶに抱っこになるつもりはないということは、ここで表明しておきたい。

最近気がついたいい言葉。粋(いき)だ。江戸のアレ。粋の対義語は野暮(やぼ)。

テクノロジーの使いかたに粋とか野暮とかあるのかという話はあるかもだが、自分は粋に使いたいのだ。

たとえば、裏地にこだわるというのは粋なおしゃれだ。ほとんど見えない裏地にこだわる。相手にはほとんど見えない。ふとした時にチラッと見えるかも程度だ。見えないところも手を抜かないというのとも少し違う、贅沢なこだわりをあえて隠すという話だ。

私の場合は、テクノロジーの存在は消しても消しきれないわけで、少し違うかもと言われるかもだが。ただ、自分的にはしっくりきたので、ある程度価値観としては近いと思う。粋なテクノロジーの使い方をしようとしてる。

このやり方だから見えること

こうして、テクノロジーをひっそりと使い、そのポテンシャルは上手く活用する。そんなことをやり続けてきたことで、見えてきたことがあると思ってる。私の作品やなんかを並べてみた時に一貫する何かを感じると思うが、その辺にこのこだわりが関与してると思う。

ひとつ言葉にしてみよう。それは「見る人の気持ちに関与すること」だ。しかも、見る人の気持ちに直接アプローチして強制的に方向づけるのとは違う。

私の好きな言い方だと、「毛並みに沿って撫でるように仕向ける」のだ。

展示や体験のなかで、自然と意味が立ち上がって感じたり、なにかハッとしたりするようにした。それは、さらに詳しくいうと、自然と自分が気が付いたかのようにしたいのだ。説明によって気がつかされたというアプローチではなく、その時その状況になると自然とわかるという感じに。

アフォーダンスみたいなことだろう。

時のしずくなんかは、ポイントが多い。一秒一滴落ちるということに気がついたひとは、この輪が60滴であることもそんなに違和感なく気づくだろう。すると、時々あふれる現象は何秒に一回起こるのかなーとか、考えを巡らせるかもしれない。そもそも、水滴は落ちるのに新しく水滴が生まれて無限に続く感じは、時について考えを巡らされるだろう。無限のループ感を味わうことになる。など、さまざまな思考が自発的に生まれたこととして体感するはずだ。

まとめ

私が大事にしてる軸の一つについて、できるだけわかりやすく解説してみた。ある意味野暮な説明なわけだが、こうして棚卸ししたことで、新たなフィールドが見えてくると思ってるのだ。

いいなと思ったら応援しよう!