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リモート反骨心(リモートシャーク)

誰にも見られていないと、人は自由になる。
自由は少しずつ、自分だけの規則へ変わる。
私はまず、下半身から会社員をやめた。


今日の弁当

- もうかさめの油淋鶏
- 人参の生姜黒酢和え
- アボカドの花椒和え
- 紫玉葱のアチャール
- ゆで卵の麹漬け


スーパーで、時々見かける謎の食材、もうかさめ。
一応サメの一種らしい。淡白でクセもないので煮付けや唐揚げにすると美味しく食べられる。

そして、サメを見るとどうしても、リモートワークの頃の思い出が蘇る。


リモート反骨心


先日、ZINEフェスで購入した目野さんの「ごはんたべてお風呂はいって寝たら100点満点」という本で見つけたある一節、

「真面目でないといけない」ような気がする社会に抵抗したいではないか。

目野  著「ごはんたべてお風呂はいって寝たら100点満点」P.8より

それを読み、私はリモートワーク中、下半身だけムエタイのトランクスで会議を進行していた頃のことを思い出した。抵抗の仕方としては、かなり下半身に偏っている。

今の会社へ転職してからすぐ世の中がコロナ禍に入り、前任者の引継ぎ等が終わると仕事はほぼリモートになった。世間では「家では集中できない」「意思疎通が難しい」といった話が出ていたが、私はそれほど困らなかった。

前職では海外出張先でも当たり前に設計をさせられ、客先との打ち合わせにSkypeで参加していた。場所が会社でなくても仕事はできる。ブラック労働は、ときどき本人の望まない形で未来への適応力を育てる。

転職後の仕事にも慣れてきたので、正直かなり気は抜けていた。

サボろうとは思わなかった。ただ、誰にも見られず、部屋で黙々と図面を引くだけなのが、何か無性にもったいなく感じたのだ。

リモートワークとは、仕事を遠隔で行う仕組みであると同時に、人間の一部を社会から切り離す仕組みでもある。見えなくなった部分には、自由が発生する。そしてそこには、だいたいろくでもないものが置かれる。


リモートシャーク

まず、嗅覚から試した。

私は古着屋の香りが好きで、その元になっている「デニム」という名前のお香が家に眠っていた。これを焚けば、仕事中でも古着屋気分を味わえるのではないか。

実際に焚いてみると、部屋は古着屋になった。しかし換気したはずなのに少し喉が痛くなり、近くに掛けていたスーツへ匂いが移った。次に出社した時、見た目は会社員なのに匂いだけ古着屋という、経歴にない二重生活が発生した。

嗅覚は危険である。これはやめた。

海外には酒を飲みながら働く人もいる、と何かで見たことがある。しかし酒は判断力を落とす。設計で寸法を間違えれば、陽気では済まない。
何より私は酒をたしなまない。

なので、代わりにサメをたしなむことにした。

IKEAで、大きなサメの抱き枕を買った。
サメはいい。サメは寂しさを紛らわせてくれる。
夜はサメを抱えて『シャークネード』を観た。
観終えた頃には、あの映画で最も被害を受けているのはサメだと気づいた。

このサメにはなんと実用性もあった。

家の椅子で長時間仕事をすると、姿勢が崩れて腰が痛くなる。そこで机と腹の間にサメを挟むと、体が前へ倒れにくい。姿勢を支えるクッションとして、思いのほか優秀だった。

唯一の欠点は、万が一ビデオ会議が繋がると、私より先にサメが画面へ入ることだった。

後年、東急ハンズで、机と体の間に挟んで姿勢を支える「ふんばるず」という商品を見つけた。私は売り場の前で、本気で悔しがった。特許の必要性を、私は変な場所で学んだ。

次にたどり着いたのが、服装だった。

出社時はスーツだが、自宅では何を着ても画面には映らない。夏になり、私はムエタイのトランクスを履くようになった。格闘技経験が、まさか冷房効率の改善に使われるとは思わなかった。

ムエタイのトランクスは、丈が短い。ムエタイを知らない人から見れば、ショートパンツというより派手な下着の類いである。

一度、置き配を指定し忘れ、その格好で宅配便を受け取った。配達員の顔は今でも忘れられない。荷物を渡す数秒の間に、相手の人生へ説明のつかない映像を置いてしまった。

そういえば最近、SNSで「おじさんのハーフパンツは許せるか」という論争を見かけた。誰が誰を、何の権限で許すのか分からないが、もしその論争をしている人たちの前に、ムエタイパンツ姿の私が颯爽と現れたらどうなるだろう?

おそらく両者は一度争いを止め、もっと優先して考えるべき問題があることに気づくはずだ。

こうして夏の定番は、下半身ムエタイパンツ、腹部IKEAのサメになった。

私は機械設計という立場上、製品開発のDRなどで会議を進行することが多い。ウェブ会議では、最後まで一度も発言しない人がいる。「何かコメントはありますか」と聞いても静かで、本当に接続されているのか不安になる。

その一方で、会議中は何も言わず、後から文句だけ言う人もいる。議事録を残しても、そういう人ほど議事録を読まない。

理不尽なことを言われても、画面の下でムエタイパンツを履き、サメを抱えていると、怒りが少し引いていった。相手は真剣に小言を続けている。こちらも真面目な声で応答している。しかし向こうはまさか私が手元のサメでエアギターをしているとは夢にも思わないだろう。

サメの奏でる音色に酔いな。

これは意外なアンガーマネジメントだった。
業務に支障がなければ問題ない。私はそう考えた。

そして、自分で作ったその規則を、自分で少しずつ広げていった。


リモート倫理観

ある日、ほとんど関係のない会議へ呼ばれた。別製品の部材が入手できない、という話だった。ウェブ会議は会議室を取らなくていいぶん、人まで気軽に追加される。私はミュートにして、話はきちんと聞いていた。

ただ、前から一度やってみたいことがあった。

会議中、音声をミュートにしてこちらにしか聞こえない小さな音でBGMを流すことである。

選んだのは、『新世紀エヴァンゲリオン』のヤシマ作戦、その作戦会議で流れる曲だった。小さな議題でも、この音楽を重ねると、急に人類の存亡が懸かっているように聞こえる。

初めは一人で楽しんでいた。

ところが、会議が進むにつれ、音楽と内容が妙に重なり始めた。部材を作る中国工場が、停電で生産できなくなったらしい。ヤシマ作戦も、日本中から電力を集める作戦で停電になる。

生産管理の女性が言った。

「駄目ですね。代わりの部材も、納期が長すぎます」

猛烈な既視感があった。エヴァの司令室で、オペレーターのお姉さんが作戦の失敗を報告する時の声である。考えてみれば、あの人たちは自分の失敗でもないのに、毎回いちばん厳しい報告をさせられている。生産管理も同じだった。

現実とBGMが妙にリンクして、私は笑いそうになった。

その瞬間、想定外に意見を求められた。

慌てて曲を止め、回答した。しかし頭の中には司令室が残っている。笑いを隠すため、私は激しく咳き込んだ。

数日後、会社の人からチャットで言われた。
「この前、すごく咳き込んでたけど大丈夫? 検査を受けた方がいいんじゃない?」

その言葉で、私はようやく我に返った。

…私は、一体何をしているのだろう。

なぜ会議中に曲を流しているのか。
なぜサメを抱いているのか。
なぜムエタイのトランクスを履いているのか。

「業務に支障がない」を免罪符にして、行動は少しずつエスカレートしていた。そもそも、どこまでなら許されるかを考え続けている時点で、仕事に集中していない。

そして何より、「誰にも迷惑をかけない」と思っていたのに、私は人へ余計な心配をかけた。

誰にも見られていない。
絶対にばれない。
罰せられない。

そういう環境では、普段きちんとしている人でも、少しずつ妙なことを始める。社会の規則は、見つかる可能性によって人を止める。しかし、見つからない場所で最後に残るのは、その行為が誰かを傷つけないか、困らせないかという倫理だけである。

昔、宗教学の授業で、宗教は法律の届かない場所に規律を置く仕組みにもなる、と聞いた。

「神に誓って」という言葉は、映画では気軽な決まり文句に見える。けれど、神がいると本気で信じる人にとって、誰にも見られていない場所は存在しない。法に触れなくても、自分の中では裁かれる。

信仰には危うさもあるが、見つからなければ何をしてもいい、という考えを止める仕組みとしては、よくできている。

そう考えると、リモートワークに本当に必要なのは、高性能な椅子でも高速回線でもなく、画面の外まで見ている何かだったのかもしれない。

幸い、私はそこで止まれた。

さらに幸いだったのは、誰にも見られていない場所で現れた私の闇が、サメとトランクスとBGMで済む程度のものだったことである。

私の闇は、サメが泳げないほど浅瀬だった。


今でも夏場はお世話になってます。




※弁当とエッセイをまとめた「弁当記録」というマガジンがあります。
今回の文章が気に入った方は、自己紹介と合わせてのぞいていただけたらうれしいです。

自己紹介エッセイ

マガジン|弁当記録

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