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『楽しい』は一人称、『成果』は二人称

最近、同じような事象が、別々の方向で枝分かれして現実に生じている

自分を観察して、もう不要な思い込みに気付いて、
少しずつ楽になっていく

そんな一連の流れを、わたしはここ数ヶ月、かなり楽しくやっていた

なのに、それを他の人に提供しようとした途端、
自分にも何かしらの目に見えた成果が必要な気がして
急に楽しかった日々のルーティンが重くなった

演技でも同じ。
今取っているクラスはとてもで地味で基礎的なものだけど、
玉ねぎの皮を剥くみたいに
自分の癖や無意識の反応に気付いて、
少しずつ意図的に行動を変えていくことが楽しかった

それによって、生の感情が出てくる気持ちよさや
自分の感覚が生き返ってくる手応えがあって、
毎回それが面白かった

なのに、「短編映画」という目に見える成果に対して
キャストから外れたという事象が生じた途端、
レッスンや今まで積み重ねてきたことまで無駄に感じて、
重くなった

他人の才能や見た目を、急に羨ましく感じ始めた

楽しくてただやっていたことが
成果を意識した途端、急に重くなる

それは、
「楽しい」は一人称なのに
「成果」は、それを成果と結論付ける誰かがいて
二人称だからなのかもしれない

自分の中だけで完結していたことが
誰かの評価を意識した途端、
急に自分の中にもそのジャッジが生じたのだろうと思う

もしかしたら、これが「提供者側の意識に移る」という
転換点なのかもしれない

誰が何を言おうとも
わたしが良いと思ったものを世界に提供する。
その勇気と責任を持つ。

今問われているのは、成果を他人の基軸で測ることではなく、
自分という感性を信頼し
世界観を外側に差し出していくこと。

そして、それによって自分の世界を創造していくことなのかもしれない。


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