AI進化後のnote投稿 ブルーオーシャンVSレッドオーシャン
AIの進化スピードを眺めていると、私たちの足元にある世界が、音を立てて拡張していくのがわかる。
AIが頭の中のモヤモヤを見事に言語化してくれる面白さに突き動かされてNoteを書き始めたのは、つい最近のことだ。
最初は「これからは一次情報だ」とカフェや城を巡る記事を構想したが、ふと立ち止まってやめにした。
(AIの提案は他にも同じように考える人がたくさんいる、つまりライバルは多い)
そして気づけば回顧録にとどまらず、社会の裏側から日々の小さな違和感まで、書きたいものを書きたいように書き綴り現在に至る。
だが、ここからが本題だ。
まずブルーオーシャン
技術の進化曲線は、もはや人間の直感を超える。
今後1、2年のうちに多言語翻訳は完全に日常のものとなり、テキストの自動アニメーション化さえ現実のものになるだろう。
それが実装されれば、個人の思考や文章はそのままシームレスにYouTubeのような巨大動画マーケットへと流れ込み、市場は指数関数的に爆発する。
これはもう、ほぼ確定した未来予想図だ。
そしてレッドオーシャン
それと並行して、AIによる「パーソナライズ(個人最適化)」の波も確実に押し寄せる。
ユーザー一人ひとりの好みに合わせ、その瞬間に最適化された物語やコンテンツが無限に生成される時代がやってくる。
(つまり自分専用のオリジナルエッセイや小説が秒で用意されるということだ)
つまり、僕たちの目の前には、まったく新しい「ブルーオーシャン」が間もなくやってくる。
だが、その蜜の味に群れ集う者たちの手によって、その海はものの数ヶ月で一気に「レッドオーシャン」へと染め上げられるだろう。
ブルーからレッドへの移行は、思っている以上に猛烈なスピードで重なり合うようにやってくるはずだ。
AIに尋ねてみればブルーオーシャンからレッドオーシャンへの移行は「せいぜい半年程度のタイムラグだろう」という冷徹な答えが返ってくる。
では、そのレッドオーシャンにおいて、AIの群れに食い潰されずに生き残る「打たれ強い投稿」とは何なのか。
答えは極めてシンプルだ。
「AIに代替されにくい内容」に特化すること。
鋭く尖った個人の視点、強烈な生の一次情報、そしてAIが安全設計の分厚い壁に阻まれて絶対に足を踏み入れられないアングラやアダルトの領域。
そういう、アルゴリズムの都合の良い綺麗事では絶対に処理できない泥臭い領域こそが、この先を生き抜くための盾になる。
時代の激流がどう変わろうとも、僕のスタンスはブレない。
脳内で発酵した記憶と、世の中の構造を穿つ考察を、長すぎない手頃なボリュームでただ淡々と最速アウトプットしていく。
AIがどれほど進化し、パーソナライズの波が押し寄せようとも、人間がむき出しの脳みそで面白がりながら放り投げる言葉の熱量だけは、きっとアルゴリズムの予測を少しだけはみ出し続ける。
noteは積み上げ資産だ。
考えたら自分の脳の断片が世界にばら撒かれるとは、なかなかの出来事だ。
先にくるのはブルーオーシャンみたいだから、楽観論でいこうと思う。
