noteについて
素晴らしい情報が溢れるNoteの街を眺めていると、時折奇妙な風景に出くわす。
何が言いたいのか輪郭のぼやけた薄い記事が数千人のフォロワーを抱えているかと思えば、ページを開いた瞬間に引きずり込まれるような圧倒的な没入感と切れ味を持つ記事が、フォロワー100人未満の静かな一角に埋もれている。
開始からの期間が多少の相関を持つにせよ、それは決して「正比例」などしていない。
世の中は「ノウハウ」や「役に立つメリット」に飢えている。
わかりやすい勉強系や、明日から使えるお得情報が強いのは事実だ。
それに比べれば、僕が書いている回顧録(思い出し)や考察(気づき)は、実用性の面ではいささか弱いかもしれない。
ここでふと、完全に僕の主観なのだが、思ってしまうことがある。
noteには「めっちゃ良い内容なのに、死ぬほど長い記事」がある。
本当はスキを押したいのに、あまりの長さに途中からイライラしてきて、結局スキも押さずにそのまま閉じてしまうことがたまにある。
「本当に良い内容なら、長くたって読めるはずだ」と言われそうだが、ここで言う「良い内容」と「没入感」はちょっと違う。
どれだけ中身が素晴らしくても、いつまでも続く記事のしんどさは別の話なのだ。
だからこそ、作り手としては、どれほど良い内容であっても長い記事はいくつか小分けにして投稿してもらえると、読む側としては非常にありがたいなと感じる。
そんなことを考えつつ、じゃあ自分のスタイルはどうなんだという話になる。
僕のスタンスは明確だ。
脳内にあるモヤモヤした澱のような思考をAIに投げ込み、ちょこっと整えてポンと外へ放り出す。
画像を吟味するわけでも、読者ウケする構成に頭を悩ませるわけでもない。
だから圧倒的に早い。
何より、そのアウトプットのプロセス自体が純粋に面白い。
以前、AIにこんな問いを投げたことがある。
「好きなことを書くのと、得意なことを書くのと、読まれやすいことを書くのと、どれが良いのか?」
その答えはこうだった。
『長く続けて影響力を持っていくための王道は、「好きなこと」をベースにしつつ、そこに自分の「得意な視点」を掛け合わせることだ』と。
だから僕は、このスタイルを崩さない。
ノウハウの売り出し合戦のような場所から一歩引き、自分の脳内で発酵した記憶と、社会の裏を穿つ考察を、長すぎない手頃なボリュームでただ淡々と書き綴る。
役立たずで、どこかシュールで、けれど自分にとっては最高に楽しい思考の実験場。
価値観を共有できる人たちともっと繋がれば、企んでいることが2つある。
今日も僕は、脳内の最速アウトプットを、世に放り投げる。
