僕のnoteの書き方。「視点」と「視座」 4/26
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最近、ある動画を見ていて、ちょっと引っかかった言葉があった。
古舘伊知郎さんが、「視座」という言葉を使っていたんだ。
実は「視点」という言葉は、よく使っている。
ところが「視座」という言葉は見聞きしてはいるものの、
それがどういうことなのか、ちゃんと考えたことがなかった。
視点と視座って、何が違うんだろう。
ちょっと自分の中を探ってみて、こんな答えを見つけた。
視点というのは、どこを見るか。
どこに焦点を当てるか。
いわば、カメラの向きだ。
一方で、視座というのは、どこに立っているか。
どの高さから、どの位置から見ているか。
同じ景色でも、
立っている場所が変わると、まったく違って見える。
たとえば、公園にいる3歳の女の子を見ているとする。
今は10メートルほど離れて見ている。
この女の子に近づいて、アップで見る。
すると、口の周りにビスケットの粉をつけているのがわかる。
視点を変えるだけで、これだけの変化がある。
後ろに回って見る。
上から見下ろす。
それだけでも、いろいろな情報が見えてくる。

ここまでは、視点の話だ。
では、視座を変えるとどうなるか。
それは、この女の子を見ている「自分自身の立場」を変えることだ。
たとえば、僕が3歳の男の子だったらどうだろう。
僕が10歳の少年だったらどうだろう。
僕が30歳だったらどうだろう。
もうこのくらいの子どもがいてもおかしくない年齢だ、
と思うかもしれない。
そして、今の76歳の僕だったらどうだろう。
この子はこれから、どんどん成長して恋をして、
もしかしたら失恋もするかもしれない。
そして結婚をして、ママになるかもしれない。
良い人生を送ってほしいなぁ、と感じるかもしれない。
これが、視座を変えるということだ。
ここまで考えて、ふと思った。
自分は普段、どっちで書いているんだろうって。
実は、数年前までは、視点を決めてから書いていた。
ところが最近は、まったく変わってきた。
まず、視座を決めてから書き始めているのだ。
そして、その位置から視点を動かして、
より自分が感じていることを表現しやすい視点を見つけている。
ただ面白く書こうと思えば、
視点だけを動かせばいい。
ちょっとずらしてみたり、
違う角度から見てみたり。
それで、文章はかなり面白くなる。
だが、それだけだと、どこか軽くなる。
だから僕は、まず立つ。
どこに立つのか。
どういう高さで、どういう距離感で、その世界を見るのか。
その視座を決める。
そこを決めてから、
その中で視点を動かしていく。
そうすると、不思議なことに、
同じことを書いていても、
文章の手触りが変わる。
たぶんこれは、技術というよりも、癖みたいなものだと思う。
noteで3年間、毎日のように記事を書いているうちに、
自然とそうなってきた。
だから、あえて言葉にするとすれば、こんな感じかな。
僕は、
視座で立って、視点で書いている。
そして、その立ち位置は、
書くたびに、少しずつ変わっていく。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
その場所が変わるたびに、見えてくる世界も、少しずつ変わっていく。

