親しき仲の礼儀、疎き仲の容赦

どうも、ゴリ松千代です。


いじり、とは本当に必要なコミュニケーション仕草なのだろうか。

私自身いじり、からかいに対して「嫌だな」と思う事が相当多い。特に一対一でならまだしも多人数の前で下げるようないじりをし、周りの人間にも笑ってもらおうとする人間には特に敏感だ。トーク力の無さを他人でカバーし、思ったような反応がもらえなければ「分かってないなぁ」などと相手の責任にする。言い返されれば「あいつは悪だ」と裏で声高に語り、同じような仲間と湿布の貼り合いをする。他責思考の最たるものではないか。よくもまぁ人前に出てこれたものだ。あ、勘違いしないで!君の事じゃないよ!

そしてこういうお上品な方、言うのは良いが言われるのは駄目って事が余りにも多い。こちらの感情を無視しているのだから、無視されても仕方がないと思うのだが。「いや、私は人一倍トーク力もコミュニケーション能力もあるし」「いじるの上手だよ、常識的な節度を弁えてるし」とでも言うつもりか?そこに悪意はないんだよ、というのは分かる。しかしながら『自分が許せないいじられ方』をされた場合を考えられずに平然と吐き出せるその距離感、本当に良い歳の取り方をされていますねという認識を避けられない。

極端ないじりを繰り返す人ほど語彙が少なく、上手な言い回しもしない。「私ってサバサバしてるから」「私って言いたい事口に出ちゃうから」と何の個性もないセリフを立て続けに聞かせて頂ける。結局没個性、凡庸な人間の引き出しなど創造の一端ですらなく、他人との接触の中で憧れた態度を掬い上げて使っているのだなと思えて大変ありがたい。均質化されたモブの話は耳を傾けるに値しないため、早期の線引きを行う事に一役買ってくれるからだ。

当然利点としては分かる。一定の距離に近付けたのだなと一方的に安心出来るのだろう。しかしながら相手の許容範囲やその日のコンディションにすら左右される事は考えないのだろうか。いじられる事で目立てる、露出が増えるなどの利点が往々にしてあるプロフェッショナルな芸能人の皆々様方ならまだしも「とりあえずからかっときゃいい」みたいな奴はコミュニケーション能力が死んでいる。

そして二の矢、二の太刀として放たれる「こんな事くらいで怒るの?」「器が小さい」。こういった事を言う人間に「相手を慮れない時点でコミュ力5歳児以下だよね」と返すのは簡単だが、まずは自分の言動を振り返って律するのが肝要。そうしたら私は人を傷付けない人間に限りなく近付く。何度も言うようだが、指摘したところで相手の人生が好転してしまうだけだ。離れてやるからそのまま突き進め。

言いたい事が言える、それはその相手に対する甘えでしかない。言いやすいやつに言う、こいつなら我慢してくれる、こいつなら言い返してこないだろう、こいつなら恨んだりしないだろう……という身勝手な信頼。自虐トークなんてもっての外、自分自身で盛り上げる事も出来ずに他人へマイナスな言葉を並べ、それが自分の強みだと思っている。分かるか?興味深いところはそこだ。

いつだって言い返せる。だがそれはしない。いじりを受けた人間はそのまま甘んじて受け入れる事しか選択肢としては存在せず、安全な位置からただただ撃たれる事がその場における「空気」だからだ。なんて素晴らしい文化なのだろう。それに私をよく知る人物であれば分かる通り、私は本当に精神も縁も断ち切るほどの一太刀を腰に差している。これはいわゆる『イキり』でもなければマウントでもない。マイナスな事ほど大きく自覚しておかなければ失敗してからでは遅いのだ。「私の嫌味なんて大した事ないっしょヘーキヘーキwww」なんておいそれと抜く訳にはいかない。

だから私は……無様にも言われっぱなしで脱兎の如く離れるしかない。意趣返しで深手を負わせてしまったと後悔するのは数年後なのだから。


いや、いじりを絶対悪として叩きたいわけじゃないのよ。私だっていじる事あるし。じゃあ何が言いたいかって、「付き合い浅いくせに、何も知らんくせに距離詰め過ぎんなよな」って話。

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