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縮毛矯正に敗れ続けた女、パーマで休戦協定を結ぶ

美容師さんには、必ず言われる一言がある。

「髪、多いねー」

「多い」ではなく、「多いねー」。

この語尾の伸びには、わずかな感嘆と、わずかな哀れみが同居している気がしてならない。

カットが終わると、床には毛の束がうず高く積もっている。

美容師さんはそれを両手ですくい上げ、まるで戦利品のように見せてくる。

「見て、こんなに切ったよ!」

見せなくていい。

私は今、自分の頭から生えていたものが山になっているのを、直視させられている。

私は、髪の毛が多い。

そして、生まれつきの天然パーマである。

子どもの頃からの憧れは、いつだってサラサラのストレートヘアだった。

テレビの中の女優さんが風になびかせる、あの一本一本がまっすぐ流れ落ちる髪。

私の頭にも、いつかああいう瞬間が訪れると信じていた。

信じていた時期が、私にもあった。

中学の頃、初めて縮毛矯正に挑戦した。

薬剤の匂いに耐え、三時間以上椅子に座り続け、鏡の中の自分がだんだんサラサラになっていく様子に胸が高鳴った。

仕上がった瞬間は、たしかに天使のようなストレートだった。

だが、天使は三日で失踪した。

四日目、洗面所の鏡に映っていたのは、根元だけ不自然にうねり始めた、謎の生き物。

毛先はまっすぐ、根元は不服申し立て中。

髪の毛の中で、静かに内戦が始まっていた。

それでも私は諦めなかった。

高校でリベンジ。

大学でリベンジ。

社会人になってからもリベンジ。

美容雑誌の「くせ毛でも失敗しない矯正の秘訣」という見出しを見つけては必ず熟読し、意気揚々と美容院に乗り込んでは、同じ内戦を抱えて帰ってくる。

その繰り返しを、何回やっただろう。

私は、これでも果敢に挑み続けてきた女である。

そして、そのすべてに、律儀に敗れてきた女でもある。

ある日、いつもの美容師さんに根元のうねりを見せながら、ついに泣きついた。

「もう無理です。私、ストレートになれないんですか」

美容師さんは少し考えて、こう言った。

「ゴリねえさんの髪、矯正でまっすぐにするより、パーマで巻いた方が絶対に映えると思うんですよね」

負けを認めろということか。

一瞬、そう思った。

だが、試しにスパイラルパーマをかけてもらったその日、私は生まれて初めて、自分の髪と休戦協定を結んだ。

ストレートは、私の髪にとって「望まれていない状態」らしい。

矯正してもすぐ根元から反乱が起きるのに、パーマは驚くほど素直に、そして長く持つ。

天然パーマの上にパーマをかけるという、力業に力業を重ねる暴挙のはずなのに、毛はなぜかあっさり白旗を上げる。

私の髪は、強い力でねじ伏せられたときだけ従順になるタイプらしい。

多いなら、もっと巻け。

うねるなら、もっと巻け。

逆らわず、むしろ加速させる。

それが、髪との唯一の交渉術だった。

今のスパイラルパーマは、ただでさえ多い毛量をくるくる巻き上げる、なかなかに主張の強いスタイルである。

乾かすだけで小一時間かかる。

雨の日は湿気を吸ってさらに膨張し、頭がひとまわり大きくなる。

電車で、隣の人が心なしかそっと距離を取ることもある。

だが、それでいい。

多い日は、多い日なりの必殺技がある。

頭のてっぺんでゴムを二重、三重に巻きつけ、暴れる毛量を無理やり一点に集約する団子ヘアだ。

仕上がりは、もはやヘアスタイルというより、頭上にできた小さな盛り土。

だが、これが不思議と落ち着く。

まとめている間だけは、内戦もひとまず休戦してくれる。

それでも心のどこかでは、今もまだ、さらさらと風になびくストレートへの憧れが消えていない。

いつか、あの女優さんのように、風の中で髪を揺らしてみたい。

そんな乙女心を後生大事に抱えたまま、今日も私は頭のてっぺんに盛り土を作り、パーマの神様に平伏している。

哲学的に締めようとすればするほど、結局は、

「多い毛は、多いなりに生きるしかない」

という、身も蓋もない結論に着地する。

それでいい。

悟りとは、だいたいそういう顔をしている。

戦績。

縮毛矯正、通算敗北数、数えるのをやめた。

スパイラルパーマ、無敗継続中。

団子ヘア、休戦協定、本日も締結。

サラサラストレートへの憧れ、永久凍結中につき未消化。

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