【針綱神社】神社から見た犬山城 後編|城より先にいた神
城山には、城より先に神がいた
三光稲荷神社の境内を出て、城へ向かおうとしたらすぐの位置にもう一つの神社が現れる。
神社から見た犬山城 前編の記事はこちら
針綱神社
令和8年6月中旬
三光稲荷の奥之院の参拝を終えると、奥さんは天守の方に向かうため先に大手道に出ていた。
右サイドにある社号碑を見て、
「ここもお参りするの?」と聞くので
「せっかくだし、参拝しよう。」と答えた。


奥さんは早く天守へ向かいたそうだったが、ここは参拝してからが「王道」。
参拝後、正面の鳥居が南側の麓にあることに気づき、いったん下まで降りてみた。



「結構、広いな。もしかして境内の中で曲輪を跨いでいる?」
そんなことを考えながら参拝を済ませた。
さほど大きくない犬山城に、性格の違う2社が寄せ合うように鎮座しているのも不思議だった。
しかも後日知ったのだが、針綱神社は『延喜式神名帳』にも名を残す古社だった。
もちろん、この時の私はそんなことを知らない。
待ちかねた奥さんと大手道へ戻り、そのまま天守へ向かった。
御朱印

御朱印に押された犬山祭とユネスコ無形文化遺産の印。知らなかったので調べるきっかけにもなった。
国宝・天守から見る



駐車場からここまで、何度も目にした「国宝・犬山城」の文字。
城郭検定の勉強をしていて改めて整理できたのだが、「国宝」なのは犬山城の天守という建築物だ。
一方、城跡全体は「史跡」として評価され、いわば「史跡における国宝」ともいえるのが「特別史跡」である。
「国宝五城」は有名だが、城跡そのものにも、これとは別に国の評価軸があったのだ。
犬山城の場合、国宝天守を持ちながら、城跡全体は特別史跡ではなく、国史跡に指定されたのは平成30(2018)年と意外に新しい。
平日にもかかわらず天守には列ができていた。
20分ほど待って、ようやく内部へ。


遠くに名古屋市街のビル群が見える

写真中央に見えるのが伊木山。その右背後に岐阜城があるはずだが、見えないかな。

天守から改めて周囲を見渡すと、思わず感じた。
「よくぞ、この場所に城を築いたものだ。」
南には濃尾平野が広がり、小牧山も見える。
城山は標高約85m。周囲との比高は40mほどある。現在のような高層建築のない時代なら、その眺望の意味は今以上に大きかったはずだ。
一方、北側には木曽川。
その向こうは美濃である。
現在は犬山橋やライン大橋が架かるが、近世まで木曽川を渡るには基本的に舟が必要だった。対岸には伊木山も見える。
木曽川は防御線である一方、人や物を運ぶ交通路でもあった。
この場所の価値は、軍事だけではなかったのである。
城好きにも色々ある。
私が一番惹かれるのは、その城が「なぜそこにあるのか」を考えることらしい。
地形や交通といった条件に加え、一度城が築かれれば道や町が生まれ、人々の記憶や愛着も積み重なる。
そうして生まれた新たな価値が、また次の時代の選択に影響していく。
犬山城は、その積み重なりがとても見えやすい城だった。
ところが後日、針綱神社の由緒を調べていて、この城山について一つ意外なことを知った。
創祀年代は分からない。
しかし神社の由緒では、古くは現在の犬山城天守付近に鎮座していたという。
つまり――
犬山城より先に、城山には神がいた。
御祭神は、尾治針名根連命をはじめとする神々。
「尾治」の名からもこの土地との古い関わりを想像したくなるが、御祭神を見ただけで、なぜこの城山に祀られたのかが分かるわけではない。
だからこそ気になる。
城が築かれるよりはるか以前、人々はこの山の何に意味を見出したのだろう。
天文6(1537)年。
織田信康が犬山愛宕16の愛宕神社境内にあったとされる木之下城から城山へ本拠を移す。
その犬山城築城に伴い、針綱神社は城山を離れ、東方の白山平山へ遷座したと伝わる。
現在、国宝天守が建っている場所。
そこは城になる以前、祈りの場所だったのである。
神のいた山に城を築く
なぜ信康はこの山を選んだのか
では信康は、なぜ神社を移してまで、この山を城に選んだのだろう。
信康自身が理由を語った史料があるわけではない。
ただ、先ほど天守から見た景色を思い出せば、この場所の強さはよく分かる。
木曽川と美濃を望み、背後には濃尾平野。
しかも城山は、硬いチャートからなる独立丘陵だ。
見渡せる。守りやすい。
そして川を押さえられる。
信康自身がどこまで意識していたかは分からない。
それでも、この山が城地として価値を持っていたことは、その後も長く犬山城が城として使われ続けた歴史そのものが物語っている。
犬山城の築城によって白山平山へ移った針綱神社だが、これで遷座が終わったわけではない。
慶長11(1606)年、今度は名栗町へ移される。
犬山市の資料では、この遷座を「城下経営の一環」としている。
ここが面白い。
最初の遷座は、城を造るためだった。
2度目の遷座は、城下町を造るためだった。
神は城に場所を譲り、今度はその城の下に生まれた町へ降りていった。
犬山祭は神社だけの祭ではなかった
そして江戸時代。
犬山城主となった成瀬家のもとで、城下町が整えられていく。
寛永12(1635)年に始まったと伝わるのが、
現在の犬山祭である。
針綱神社の祭礼だ。
現在は13輌の車山と3つの練り物が、かつての城下町を華やかに巡る。
犬山祭の車山行事は国の重要無形民俗文化財となり、さらに「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
祭りを担うのは、針綱神社の氏子域にあたる犬山城下の人々だ。
各町が車山を持ち、曳き、からくりを神前に奉納する。
つまり犬山祭は、神社の祭りであると同時に、城下町の祭りでもある。
城主によって整えられた城下町に共同体が生まれ、その人々が祭礼を受け継いでいく。
「造られた城下町」が、少しずつ「自分たちの町」になっていったと考えると面白い。
ここで、前編の三光稲荷神社と繋がってくる。
三光稲荷には、城を治める側の祈り。
針綱神社には、町に暮らす側の祈り。
もちろん、それほど綺麗に分けられない。
針綱神社も織田信康が手彫りの犬を奉納したと伝わり、歴代城主から崇敬されてきた。
それでも2社を並べてみると、城主と城下町という、犬山を形づくった2つの顔が見えてくる。
2社は再び城山へ
明治6(1873)年、犬山城は廃城となる。
そして明治15(1882)年、針綱神社は名栗町から、かつて鎮座していた城山へ戻ってきた。
ただし、天守の場所ではない。
現在の城山南麓である。
さらに時代が下り、三光稲荷神社も旧鎮座地の三光寺山から現在地へ遷座した。
こうして現在、2社は犬山城跡の中で隣り合うことになった。
三光稲荷神社はかつての松の丸、針綱神社は松の丸・桐の丸跡にまたがるように鎮座している。

かつての松の丸・桐の丸に、現在の2社が重なる
今では鳥居をくぐり、そのまま天守へ向かう観光客も多い。
けれど数百年前、ここには御殿や櫓が並んでいた。
同じ土地なのに、時代によって意味がまるで違う。

天保11年の犬山祭当日を再現した模型。
中央右に針綱神社。
城と祈りが重なった場所
最近、神社を巡っているとよく考えてしまう。
人はなぜ、この場所で祈り始めたのだろう。
そこには、この場所だからこその意味があったのではないか。
犬山城を見れば、その答えの一端は分かる気がする。
木曽川、美濃との境、濃尾平野、街道、そして独立した城山。
軍事にも交通にも重要な場所だった。
けれど今回、2社を巡ってみて、それだけでは犬山を見たことにならない気がした。
城は、この場所がなぜ重要だったのかを教えてくれる。
神社は、そこで人々が何を願い、何を受け継いできたのかを教えてくれる。
三光稲荷神社と針綱神社を知ったことで、犬山城だけを見ていた時よりも、この土地が少し立体的に見えるようになった。
神社を知ることで、城の見え方が変わる。
城を知ることで、神社がなぜそこにあるのかを考えたくなる。
現在、犬山城跡に並ぶ2社は、この土地に重なった長い時間を静かに伝えているように思えた。
有楽苑でひとときの茶
犬山城を後にし、最後に向かったのが有楽苑。
「ぐこ」さんにお勧め頂き、訪問しました。
いつもありがとう😊
「ぐこ」さんの記事 雪の有楽苑も素敵です。

スケジュールを詰め込みすぎそうになっていたところに、突然訪れた涼しく静かな時間。
「また時間がないと思っていたのに」と奥さん。
「いつもお茶したいって言ってるから」
「こういうお茶じゃないよ 笑」
「わかってる。でもいいよね。」
園内にある国宝茶室「如庵」は、織田信長の弟・有楽斎が京都・建仁寺に建てたもの。
各地を移り、犬山へ移築されたのは昭和47(1972)年のことだ。
城も、神社も、茶室も。
犬山では、時代ごとに人が場所へ新しい意味を重ねてきた。
そんなことを考えながら、最後は静かな茶の時間を楽しんだ。
基本情報
鎮座地:愛知県犬山市犬山北古券65ー1
授与時間:9時〜16時頃
※最新情報は公式HPをご確認ください
参拝所要時間:30分くらい。
Googleマップ
次回予告
最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回は出羽三山シリーズ第1弾「出羽神社」
6月参拝の神社を書いているうちに、季節はすっかり夏本番。夏といえば山。
次は舞台を出羽三山へ。山岳信仰の世界を歩きます。
お楽しみに。
「東海」の神社の記事はこちら
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