わたなれを読んだ!読め!琴紗月…

 アニメ17話でドハマリして小説8巻迄+2冊を一気読み。気持ちが追いつかず。

 続けてnoteを書くのもなんだしゆっくり消化しようとも思ったが、時期悪くソシャゲのあれやこれやが集中して溜まってしまった。今の情緒を手放す前に記録だけはしておいて、いずれ来たる9巻の前に読み返したりしたい。

7巻表紙

 世にあり最も美しい物の一つ。

 この美について言葉を尽くすだけ無粋だから書かない。それゆえ美的観点でないところから語りたい。

 書店の平積みでもAmazonのストアでも集英社のページでもいい、既刊の表紙を一覧してくれれば7巻の異質性は一見してわかる。

 小説わたなれの表紙の内、10冊中7冊までが女の子二人が左右に並んだニーショット(膝から上)という構図。れな子は女の子を取っ替え引っ替えしているね。

 この統一感にはマーケティング上の意図があると思っている。いかにも!百合!って感じに見えて、意外と百合っぽさの脱臭が念頭にある。ニーショットは遠いのだ。コッテコテのというともっと、例えば女の子二人が間近で顔を向かい合わせるクローズアップみたいな。

 例外の3冊のうち2冊もニーショットは踏襲する。6巻(遥奈)は姉より前面に出る妹という捻り。3巻は紫陽花さんの単独表紙で、これまでのコメディ色強めの2冊とは雰囲気が違うぞ!のアピール。

 というわけで、この7巻は例外中の例外なのだった。

 シリーズに異質な表紙があるとバチバチにキマるんだ。他の作品のお気に入りも併せて語らせてほしい。

 月とライカと吸血姫は冷戦期の宇宙開発競争をモチーフにしたSFで、ソビエト(がモデルの国家)を舞台に、人類初の有人宇宙飛行…に先行する、人類とは見做されない吸血鬼を載せた極秘の試験飛行が行われるというストーリー。3巻はアメリカ(がモデルの国家)南部に舞台を移して、ロケットを飛ばす計算手を起点に新血種族の社会運動が描かれる。

 1巻2巻の深く冷たい夜の青から一転、汗ばむほど熱い夕焼けの橙に。表紙を並べただけでワクワクさせてくれるのは良いラノベの証拠だと思う。

ムリムリ進化論

 フルで聴いたら右肩上がりに良くて放心。

 れな子のイメージソングなのは17回聞いた時から理解できていた。短尺だとコミカルな印象ばかり勝っていたのだが、フルで聴くその先が全然違う。なんてヒロイックなんだ。7巻読み進め痛感した。かっこいいれな子にこそ重なる曲だったんだ。

 万が一原作を読まずにこのnoteを読む人があるなら、早めに小説8巻まで買い揃えてほしい。迷ってるなら聴け。期待感はムリムリ進化論がもたらしてくれる。

 この感動をエモという言葉で片付けたくねえ…! と決意した後見かけたツイートがこれ。いえエモだと思いましたね。

 ある楽曲が突き刺さるとその曲だけ延々とヘビロテする悪癖があり、例えば3分の曲であれば3かける20で1時間…を数日。季節をあけてまた再燃、みたいな聴き方をする。そこまで聴いてロクに歌詞とメロディが脳内で一致しないから「あの曲がいいよね」と話すときに困るのだが、「場違いな逆光さえキミと」は好きで覚えた。すげーイイ。あとアウトロのとぼけた「コツン」。

琴紗月という人物

 顔を覆い、天を仰ぎ、「琴紗月…」と呻き声を漏らすことしかできない。

 アニメでも最後に爆弾を投下していたから当然続きが気になっていたのだが、いやまさか、これほど情緒がかき乱されようとは。ちょっと顔と体型が好みなだけだったキャラクターのことを今や寝ても覚めても考えている。

 わたなれの既刊はシーズンという区切りで大きく二分され、1巻〜4巻(アニメ1話〜17話相当)までがシーズン1と呼称される。ここまでは各巻の完結性が高く、クインテットを一人ずつ順番に掘り下げる形式でやっていた。5巻からはガラッと変わる。シーズン1の成果を土台にして巻を跨いでロングスパンで話を動かしている。(だから未読者はもうブラウザバックすべきだ)

 5巻冒頭、爆弾処理の、引き攣るような緊張感。致命的に間違えたという手応え。“これ”が話を牽引するという確信。

 ブチ上がる期待感に違わず、このときの琴紗月の心情はとっておきの秘密として取り扱われる。秘密はストーリーを動かす乾電池のようなもの。秘密である内は潜在的なポテンシャル。秘密が秘密でなくなるときエネルギーが取り出されてストーリーが前進する。最新刊である8巻現在、シーズン2は佳境に入り、ついに琴紗月の秘密にも手がかかる。

 だが奴は…弾けた。

 なんてこったい紗月のメンタルはもうボロボロ。台詞がれな子のモノローグと同水準で信用できず未だ心の裡を知ることが叶わないが、それにしたって8巻末の紗月の言動は精神的に限界だったと読み取る他ない。この電池爆発寸前かも!

 筆者はひとつにヒロイックな女の子が好きであり、他方で苦しみ、すり減り、冷たい怒りで視線を鋭利にする女の子が好きだ。二つは近しい。どちらも同じなのだ。極めて繊細な違いによって、一方はヒーローと呼ばれ、もう一方はヴィランと呼ばれる。

 ヴィランには革命家であってほしい。テーゼに苦悩しアンチテーゼを打ち立てる者。対峙するヒーローもまたテーゼの擁護者ではなく、それゆえジンテーゼの開拓者であってほしい。

 そして――琴紗月はヴィランなのである。

 月明かりの下、紗月の両手がれな子の首にかかった時…、あの挿絵もないシーンの、あの乾いた泣き顔が脳内に焼き付いている。9巻は是非、落涙する紗月の単独表紙で……!

 選ぶというのは、それ以外を選ばないということ。シーズン2でたびたび反復される紗月のこの言葉は当初想像していたのとは少し別の意味合いを帯びてきている。恋愛を選ぶというのは、それ以外の関係性を蔑ろにするということ。恋人とは、家族や家族同然の関係より優先されるべきものなのか。

 この問いには見覚えがある。第1巻。れな子と真唯との勝負。親友という関係、恋人という関係のどちらが相応しいか。意外なことに、れな子と紗月はよく似ていたらしい。

 紗月は恋なんて下らないと吐き捨てる。家族や親友の方が大切だと証明しようとしている。この信念のもとでは家族や親友に恋心を抱いてはいけない。恋人より良いと信じる関係を壊して恋人になろうとは言えないはずだ。例の告白の真意を言いたくないと言うのは、言っているようなものだというのに。

 いわば…私が恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)か(ここに鶴見中尉の画像)



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