師匠

写真は十数年前、ギリシア・エピダウロスにて梅若実(当時)師匠と。
師匠が療養生活に入られてから、もう3年になる。
自分がどうのこうのということではなく、とにかく師匠が舞う能というものに魅了されてしまって、ただそれだけでこの世界にいる僕としては、半分が抜け落ちてしまったような状態で生きている。
そんな僕も年に数番の能を舞うようになったいま、師匠のお稽古を素通りせざるを得ず、非常に不安なまま舞台を勤めている。
下手であろうと何であろうと、師匠の稽古を受けて舞台に上がらないと意味がないと感じる。
師匠が「検品しました」というシールを貼らずに舞う舞台は、モグリの能である気さえする。
内弟子入門して7年、卒業してからも10年くらい後輩が出来なかったから、師匠のあらゆる舞台や稽古に、ほとんど一人でお供していた。
僕にもっと能の基礎と向学心があれば、その期間に吸収出来たものは莫大だったはずなのに、おっかなびっくり着いて行くだけだった自分の人間性が悔やまれる。
それにしても、内弟子時代の師匠の稽古は恐怖でしかなかった。
まず基本的に、始めから怒っている。笑
日常生活のことでも毎日怒られているのに、膝下にいる理由である能の修練を疎かにしている自分を晒すことで、いまここで生きている意味、そのものが揺らぐ危機だった。
師匠も年間100番近く能を舞う忙しさのさなかにいて、書生さんと呼ばれるような優雅さのかけらもない、全くの戦場生活だったことを口実に、僕は怠けていたのだと思う。
そんな頃も師匠は呆れながら、「叩き上げて、俺を超えるつもりでやらないと意味がない」と仰っていた。
それから随分と年月が経って、三人の会で「山姥」などを舞った頃、稽古のお直しの時に、「お前は俺がやろうとしているように、やっているな」と言われた。
その時は意味が分からなくて、「はぁ」とだけ答えていた気がする。
思えば、何と有り難いことを仰ってくださったのだろう。
梅若会で「三輪」を舞ったのが、師匠にお稽古を受けた最後になった。
その時の地謡が、師匠にとっても能を謡った最後の舞台になってしまっている。
なかなか舞台へのご復帰は難しいとは知りながら、師匠に謡っていただいた舞台の有り難さ、師匠の地謡について謡う喜びを思い出すと、今の状態が口惜しい。
師匠は関西の施設に入られているので、同門もなかなかご挨拶に行き難い。
僕は月に一回は必ずお見舞いをして、1時間くらい、これから舞う能の話や、師匠がいま話したいことを伺って帰っている。
伺って失礼しようとすると、また話が始まって引き止められる。笑
それを、なかなか実地で受けられない今のお稽古と思っている。
この間は「楊貴妃」のお話を伺った。
それだけではなく、新企画として、もう迷惑を承知で謡ってしまえということで、施設の部屋で「楊貴妃」の謡のお稽古を受けた。
「そんなに悪くはないんだが」から始まるお直しが、有り難かった。
「みんな音を下げようとするけど、下げるんじゃなくて、手から落ちるように落とすんだ」と、寝たまま見本を謡われる。
かつてのような豊かな響きではないのだが、療養中の身とは思えない、骨格のしっかりした、摂理に則った謡だった。
師匠の生命と不可分になった能の魂の不滅を感じた。
内弟子時代、こうして見本を謡われたのに聴き惚れて、そこから全く何も掬い上げられなかった数多の瞬間を思い出した。
お部屋を後にして、早く思い切り稽古をしたくなった。
とにかく師匠には、お元気でいていただかなくてはならない。
師匠がやろうとしたことのその先を、見ることが出来るのだろうか。
いま僕は、少しは師匠の弟子になれた気がしている。
