生成AI難民になるのは、作れないからではなく作れてしまうからかもしれない…
半年ほど、動画生成AIにメッチャハマっていた時期がありました。
でも、今は全部やめています。
理由は、動画が作れなかったからではありません。
むしろ、それっぽい動画は作れるようになったからです。
静止画を動画化するのは、とてつもなく面白いです。
1枚の画像が動き出すだけで、まるで別物になります。
最初は、それだけでもかなり感動しました。
海外のバズ動画をお手本にして、プロンプトを設計し、毎日のように生成していました。
当時は、動画で収益化するには、バズる動画を作れなければダメだと思っていました。
だから、YouTubeを見たり、海外のバズ動画を参考にしたりしながら、「こういう動きなら伸びるのか」「こういう見せ方なら反応されるのか」と考えていました。
何度も生成して、失敗して、プロンプトを変えて、また生成する。
顔が崩れたり、動きが不自然だったり、思った方向と全然違う動画になったり。
それでも、たまに「お、これはいいかも」と思えるものが出る。
この瞬間が、かなり面白かったんです。
ちなみに、AIスキルに関して、おじ3Gの自己評価は「初心者」です。
恐らく、これは未来永劫に変わらないと思います。
AIの進歩や新サービスのリリースの方が早すぎて、ずっと追いかけっこをしているような感覚があるからです。
何とか食らいついて、ギリギリぶら下がっている。
そんな感じです。
だから、生成AIに関しても基本はチャッピー主体。
そんな筆者でも、動画生成AIにはしばらく夢中になりました。
そして、実際にそれっぽい動画は作れるようになりました。
見た目だけなら、海外で見かけるようなバズ動画に近いものも作れる。
でも、ある時、ふと冷静になりました。
その動画は、どこへ向かっているのだろうか。
参考にした動画に近づけているつもりでも、自分の場合は「どこかで見たバズ動画の劣化版」になっている感じでした。
逆に、自分でコンセプトを考えて動画にしても、思うようには伸びません。
バズ動画を連発できるわけでもない。
収益化までの道も遠い。
しかも、そこに使っている時間は膨大でした。
動画は作れる。
でも、その動画をどこで伸ばすのか。
誰に見せるのか。
どう収益につなげるのか。
そこが見えていませんでした。
動画生成AIを触っている時は、作ること自体が楽しいので、あまり考えなくても時間は過ぎていきます。
でも、後から考えると、自分の中に続ける理由や勝ち筋のようなものがなかったんです。
その頃の自分は、動画を作っているようで、少し迷子になっていたのかもしれません。
そこで初めて、自分のゴールがないことに気づきました。
当時、3つほど動画生成系のサービスをサブスク化していました。
でも、最終的には全て解約しました。
正直、肩の荷が下りました。
多くの動画生成AIや画像生成AIには、クレジット的なものがあります。
生成できる回数に制限があり、次月に持ち越しできないサービスもあります。
未消化のクレジットは、基本的にはそのまま消えてしまう。
貧乏性の私には、それが勿体なく感じていました。
だから、本当は作りたい動画があるわけでもないのに、クレジットを消化するために何となく生成していたこともあります。
これは、ある意味でサブスクの怖いところではないでしょうか。
「作りたいから作る」ではなく、「残っているから使う」になる。
気づけば、生成すること自体が目的になっていました。
でも、サブスクから解放されたことで、無意味な時間がかなり減りました。
やめたことで、不都合になったこともありません。
むしろ、ChatGPTに集中できるようになり、プラスになったことの方が多かったです。
もちろん、動画生成AIそのものを否定しているわけではありません。
今でも、静止画が動き出す面白さはあります。
しかも、今は当時よりもさらに状況が変わっています。
動画生成AIも、画像生成AIも、文章生成AIも、当時とは比べものにならないほど進化しています。
当時は、顔が崩れたり、手がおかしくなったり、動きが不自然だったり、思ったように出すまで何度もプロンプトを変えていました。
でも今は、自分のイメージに近いものが、以前よりもずっと出しやすくなっています。
簡単な指示だけで、それなりの形になることも増えました。
場合によっては、自分で一からプロンプトを設計するより、誰かが公開しているプロンプトを使った方が早いこともあります。
「これは本当に便利です。」
ただ、同時に少し怖さもあります。
自分が必死に覚えたコツは、次のアップデートで簡単に古くなるかも…。
旧版では必要だった工夫が、最新版では不要になることもあります。
別の生成AIを使えば、また癖も違います。
つまり、動画生成AIのスキルは、積み上がっているようで、意外と流動的です。
もちろん、何も残らないわけではありません。
構図の見方、動きの考え方、見せ方の感覚。
そういうものは残ります。
でも、「このプロンプトなら動く」「この書き方なら崩れにくい」という技術的なコツは、生成AIの進化によってどんどん変わっていきます。
だからこそ、思ったんです。
このまま動画生成を続けて、自分には何が残るのだろうか、と。
今は、動画だけでなく、画像も文章もSNS投稿も、AIでそれなりに形になります。
だからこそ、余計に「で、自分は何をしたいんだっけ?」となりやすい気がします。
もし収益化が目標なら、動画を作る力だけでは足りません。
見てもらう場所を作る力。
続けるテーマを決める力。
収益までの導線を考える力。
そういうものが必要になります。
でも、生成AIの性能が上がるほど、つい「作れること」に目が向きます。
どのAIを使えばいいのか。
どのサービスに課金すればいいのか。
何を作ればいいのか。
どこまで覚えればいいのか。
気づけば、AIを使っているのか、AIに追いかけられているのか分からなくなる。
これが、今の生成AI難民なのかもしれません。
おじ3Gは、たぶんこれからもAI初心者です。
全部を追うのは、たぶん無理です。
少なくとも、おじ3Gには無理です。
だから今は、「何ができるか」よりも「自分が何に使いたいか」を先に考えるようにしています。
動画生成AIにハマって、やめた経験は、決して無駄ではなかったと思います。
あの時期があったからこそ、生成AIは面白いけれど、目的がないまま使い続けると時間もお金も溶ける。
それに気づけました。
生成AIで迷子になるのは、作れないからではなく、作れてしまうからなのかもしれません。
