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【統合失調症】何者かになりたかった私が、35歳を過ぎて教えてもらったこと

私はいまでも、プライドの高さを持て余してしまうことがあります。
仕事ができないのを隠すために、時間外で作業をしたり。
「イケオバ」になれるわけでもないのに、心の中では「まだ大丈夫」と思おうとしたり。

けれど、本当は全然大丈夫なんかではありません。
私の根底には、肥大化した自己承認欲求があります。
年相応の振る舞いもできない、ただの痛い人間なのだと、自分でも笑ってしまうことがあります。

私はずっと、「何者かになりたい」と思っていました。

人より優れている自分。
人から認められる自分。
いつか花開く、特別な自分。

けれど、その「何者か」になれないまま、35年も生きてきました。





20代の頃、私は「いつか花開く」と信じていた


二十代の頃。
統合失調症と診断される前、私はひきこもり生活を送っていました。
当時の私は、どこか狂っていたのだと思います。

「自分はいつか花開く人間だ。こんなものじゃない」
そんなことを、本気で信じていました。

何者かになりたい。
でも、何の努力もしない。

ただ家でぼーっとして、時間だけを溶かしていく。
若さと時間を浪費したことへの後悔は、今でもあります。
「あの頃の自分が、もう少し違う生き方をしていたら」
そんなことを考えてしまうこともあります。

でも、過ぎてしまった時間は戻ってきません。


三十代になり、病気を抱えながら、福祉の力を借りて生きるようになりました。
けれど、福祉につながったからといって、すぐに人間として成長できたわけではありません。

むしろ私は、相変わらず面倒な人間でした。
少し優しくされただけで、福祉スタッフの異性をすぐに好きになってしまう。
身だしなみすら整えられない。
心にも余裕がない。

そんな私に、人が寄り添い続けるのにも限界があったのでしょう。
結局、ある方からは着信拒否をされました。
今思えば、当然だったのかもしれません。


「人に教えてもらう」ことが、私は苦手だった

そして35歳を過ぎた頃、就労移行支援事業所に通うことになりました。
最初に担当してくださったのは、若い女性の支援員さんでした。
仕事のできる方で、いろいろなことを教えてもらいました。

本来なら、ありがたいことです。

けれど私は、その「若さ」や「できる人ぶり」に嫉妬してしまった。
その方から教えてもらうことが、私のプライドを傷つけたのです。
情けない話です。

「この人に教えてもらいたくない」
そんな気持ちが、どうしても消えませんでした。

自分より若い人に教えられると、負けたような気持ちになる。
自分よりできる人を見ると、嫉妬する。
そんな自分が嫌でした。

そして私は、担当を変えていただくことにしました。


次に担当してくださったのが、私と年齢の近い女性の支援員さんでした。
その方に、恋愛感情を持つこともありませんでした。
今思えば、それも私にとっては大切なことだったのだと思います。

私はこれまで、人から何かを教えてもらうことが苦手でした。
でも、その方とは不思議と安心して話すことができました。
私の無駄に高すぎるプライドを刺激することなく、ただ優しく寄り添ってくれたからです。

私はようやく、「人に教えてもらう」ということができるようになりました。
それは私にとって、思っていた以上に大きな変化でした。


「デザイン職に就きたい」と言えなかった


そして私は、その支援員さんになかなか言い出せないことがありました。
「デザイン職に就きたい」
そんな、自分のやりたいことです。

言ってしまえばいいだけなのに、恥ずかしくて言えませんでした。
こんな自分がデザイン職なんて。
そんなふうに思われるんじゃないか。
「何を夢みたいなことを言っているんだ」と思われるんじゃないか。
何者かになりたかったくせに、いざ自分の夢を口にするとなると、怖かったのです。

結局、それもプライドだったのだと思います。

できない自分を知られるくらいなら、最初から夢を語らない。
そんなふうに、自分を守っていたのかもしれません。

でも、その支援員さんは言ってくれました。
「あなたのやりたいことを応援します」
その言葉に、私は救われました。

否定されなかった。
笑われなかった。
「無理でしょう」と言われなかった。
ただ、やりたいことを「やりたい」と言っていいのだと、教えてもらったような気がしました。

私はAdobe Illustratorを使って、ベクター画像のイラストを描いていました。それを見てもらったとき、支援員さんはこう言ってくれました。
「あなたのイラストを見ると、優しい気持ちになれます」
その言葉は、本当に励みになりました。

何者かになりたくて仕方がなかった私にとって、「あなたの絵を見ると、優しい気持ちになる」と言ってもらえたことは、とても大きかったのです。

人より優れているとか、才能があるとか、そんな評価ではありません。
ただ、自分が作ったものが、誰かの心を少しだけ優しくできる。
それだけで、十分なのかもしれない。
そう思えるようになりました。


「何者か」にならなくてもいい

私は、自分や人生から逃げ続けてきました。
馬鹿にされたと思っては、プライドゆえに怒りをぶちまける。
人に教えてもらうことを嫌がる。
できない自分を見られるのが怖くて、夢を語ることさえ避ける。
そんな自分の醜さを、支援員さんは受け止めてくださいました。

もちろん、その人が私を変えてくれた、とだけ言うのは違うのだと思います。

変わるのは、あくまで自分自身です。
でも、変わるための安心できる場所を、その人が作ってくれた。
私は、そんなふうに感じています。

「あなたはダメだ」と否定されるのではなく、
「あなたはあなたでいい」と受け止めてもらう。

その安心があったからこそ、私は初めて、自分自身のダメなところを見ることができたのだと思います。
そして、自分の力で少しずつ変わっていくことができました。
暗闇の中で、生きる意味をもう一度見つけることができました。

親戚は、人の言うことを聞かない私のことを「馬小屋の人」と呼んでいました。
でも、お馬さんだって学習するでしょうに。

そんな「どうしようもない私」を、それでも見捨てない人が、福祉の世界にはいました。

小さな幸せに気づかせてくれた人。
自分では口に出せなかった「やりたい」を、応援してくれた人。
私の作ったイラストを見て、「優しい気持ちになれる」と言ってくれた人。35年間、勘違いをこじらせながら生きてきた私が、少しずつ自分を変えていくきっかけをくれた人。

その支援員さんが、定着支援を満了し、つい先日、私の元を去っていきました。


「ずっと、笑顔でいてください」


最後に残してくれた言葉は、とてもシンプルでした。
「ずっと、笑顔でいてください」
私はさぞかし、手のかかる、面倒な利用者だったことでしょう。

それでも、その人は私のクセの強さを「個性」として認めてくれました。
小さな幸せに気づかせてくれました。
そして、人に認めてもらうことの温かさを教えてくれました。
感謝しかありません。

思えば私は、ずっと「何者かになりたい」と思っていました。

人より優れている自分。
人から認められる自分。
いつか花開く、特別な自分。

そんなものを追いかけて、若さも時間も、ずいぶん無駄にしてしまったように思います。

でもいまは、少し違います。
何者かになれなくてもいい。
人より優れていなくてもいい。

自分のやりたいことを、恥ずかしがらずに口にしていい。
誰かに教えてもらいながら、失敗しながら、それでも少しずつ生きていけばいい。

そう思えるようになったのは、私を否定せずに受け止めてくれた人がいたからです。

私はもう、「特別な何者か」にならなくてもいいのかもしれません。
誰かより優れていなくてもいい。
ただ、自分が作ったもので誰かの心を少し優しくできたり、誰かに安心してもらえたりする。
そんな人になれたら、それで十分なのかもしれません。


支援員さん。

どうか、あなたも笑顔でいてください。

あなたがくれた言葉を、私はこれからも忘れません。

いただいた変化と温もりを胸に、私はこれからも生きていきます。

そしていつか私も、誰かにとっての「安心できる人」になれたらと思います。

35年間、何者かになりたかった私が、ようやく見つけた答えは、そんなに特別なものではありませんでした。


何者かにならなくてもいい。
誰かにとって、安心できる人であればいい。

そう思えるようになったこと。
それが、私にとっては何より大きな変化でした。

支援員さん。
本当に、ありがとうございました。

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