2025年の後半に向けて
2025年4月20日、イースターの日にnoteを書き始めました。それから今日まで、72日間、毎日欠かさず書き続けています。
もともとnoteというプラットフォームには親しみがあり、あらためてまた書いてみたいと思いながらも、なかなかはじめるきっかけをつかめずにいました。ですがあるとき、ふとイースターが「はじまり」の日であることに思い至りました。とても大切な記念日でありながら個人情報と結びつかないこの日を選んで、4月20日からのnote生活が始まりました。
曜日ごとのテーマで書くということ
以前も書きましたが、曜日ごとにnoteのテーマはある程度決めて書いています。
日曜日:その週に向けての所感
月曜日:『30secインテリジェンス・レビュー』
火曜日: 少し肩の力を抜いて書けるテーマ
水曜日: 『ひとすじのノート』
木曜日: 『自分あらば「好き」語り』——好きなことを自由に綴る日
金曜日: 『マネ×ゴト』——仕事・マネジメント・お金のことなど実用的な話題
土曜日: 1週間のふりかえり。
曜日によってテーマが決まっていることで、毎日のnoteは日課でありつつ、単調にはなりません。「今日は何を書こうか」と頭を悩ませることがない代わりに、それぞれの曜日が、私の中のそれぞれ別の領域を引き出してくれます。中でも木曜日の『自分あらば「好き」語り』は、特に印象深いテーマです。「好き」という言葉を真ん中に置いて、私自身の感情と向き合い、それを人に伝える言葉に変換すること。これは私にとって、言語的な挑戦であり、内省的な遊びでもあります。
振り返ると、ぼんやりするあの頃
7月1日。ちょうど2025年の後半が始まったところです。前半を振り返るタイミングとしてもよさそうです。けれど、実際に思い返してみると、4月20日以降の記憶はとても鮮やかなのに、それ以前──たとえば2025年の1月から3月、あるいは2024年の秋ごろのことになると、急にぼんやりとしてしまいます。
あの時期は、なかなか厳しい時間でした。特に仕事では、さまざまな事情が重なり、人的リソースが不足していました。一人で抱えるタスクも多く、思うように進まないことが続いていました。けれど一方で、生活全般はそこまで悪くはなく、健康面ではむしろ改善していたのです。運動量が増え、睡眠不足も減り、身体は整っていた。それだけに、心と頭のコンディションのギャップに戸惑いもありました。
いま振り返っても、「心が病むほどではない」と私自身は感じているのですが、それでも思い返すこと自体が少し辛い。記憶の引き出しを開けるのに、心のどこかが抵抗しているのかもしれません。
それでも、いくつかの場面は覚えています。たとえば、2024年12月にいわきで食べた海鮮定食のこと。あのひとときは、記憶の底に静かに沈んで、今でも思い出すことができます。
私の「非線形的な成長」
4月20日以降、noteを書きはじめたタイミングから、私の中で「非線形的な成長」を感じています。
非線形的──それは、努力の成果がまっすぐ比例して伸びていくのではなく、あるときふと、ジャンプするような感覚。今までの私ならそうはしなかったであろう行動を、私の中の新しい部分が選び取っている。そんな変化です。たとえば、誰かと一緒に仕事をするとき、「仕事にストーリーを持たせよう」と意識するようになりました。これまでは目の前のタスクを処理することに終始していた部分がありましたが、「この仕事はどこから来て、どこへ向かうのか」「なぜ、いま、これをやるのか」という全体像を描くようになったのです。また、いいなと思う人の言動を素直に真似てみる、ということも増えました。
これらのこと自体は、「noteがあったから」というわけではないのですが、生活全体を振り返って気づいたのはnoteで毎日自分を言葉にしているからこそです。
書き続けるということ
これも何度か書いている通りですが、72日毎日noteを書くというのは簡単なことではありませんでした。仕事で疲れていたり、体調がいまひとつだったり、気持ちが乗らない日もあります。それでも書き続けられたのは、書くことが「『誰か』にむけて、ひらかれている」ものだったからかもしれません。
ただ、それでも私は「スキ」の数を追いかけたくはありません。書いたものに共感を示してもらえたら嬉しい。でも、それを目的にしたくはない。むしろ、書くことを通じて、私自身の「共感力」や「未来志向性」が高まっていくほうが、ずっと健やかで意味があるように思えるのです。
noteを書くことで、私自身の「いま」と向き合うことができています。そして、言葉を積み重ねることで、いつのまにか「これから」に目を向けられるようにもなっています。
2025年の後半に向けて
2025年も半分が終わりました。
以前からなんでも主体的に取り組む方ではあったと思いますが、思い返せば、2025年前半の春から夏にかけては、いままでにないほど、いろいろなことに主体的に取り組むようになった時期だったと思います。それは決してドラマチックな変化ではありませんでしたが、日々のささやかな選択の中で、「自分で選び取る」ことがより増えていったように思います。
これからも私は、淡々と。スキを追わずに。けれど、自分の「好き」を大切にしながら、noteを書き続けていくつもりです。未来のどこかで、この日々が自分にとってかけがえのない時間だったと「証明」できるよう、共感と未来志向というふたつの軸をたよりに、これからも言葉を綴っていこうと思います。

