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大好きな中野量太監督のオススメ秀作映画「私はあなたを知らない、」~ウェルメイドですが感動とは真逆のエゴを描く~

 杉咲花の下着姿からもう10年前ですか、「湯を沸かすほどの熱い愛」で鮮烈メジャーデビューの中野量太監督が、原作ものではなく完全オリジナル脚本としての新作で、大いに期待しました。流石に練りに練った脚本で「パン切包丁」と「サボテン」そして「スカイツリー」をストーリーの鍵に据え、映像的にミスリードを誘う巧妙な演出を多用し、快調な映像テンポで家族の崩壊を描いてゆく秀作でしょう。ただし前述の杉咲花の下着姿同様に、突拍子もないリアクション展開に多少の違和感もないわけではないですが。以下、ネタバレとはいかなくとも、これからご覧になられる方は知らない方がよろしいかと。

美し過ぎる原田美枝子が母親役?

 冒頭いきなり坂口健太郎扮する夕平の顔のドアップがスクリーン一杯に横たわる。まあ、この男優のお顔のパーツの美しいこと限りなく、監督も百も承知で輪郭、鼻筋、目尻とスクリーンを埋め尽くす。世捨て人のような生活風情なのに、髪型だけはボリューミーでお洒落な今どきヘアスタイル。堀田真由扮する紗月の登場で少しづつ世捨て人を変えて行く。並行して朝寝坊の女子高生の一日も描かれる。早瀬憩扮する朝子が高校生の一人暮らしで夜のバイトまでこなすとは、この辺り大学生の設定でもと思うけれど、それではサボテンの花の設定と辻褄があわないから、なんでしょうね。兎に角、この紗月と朝子が無論歳は違うでしょうが、似ているのなんの、えっ、同一人物? 親子? ホクロが見えるから朝子、化粧で見えないから紗月のようで朝子? この混乱もまた意図したもので、時系列がまるで分からない作劇も狙い通りなのが秀逸。やがてスカイツリーの存在で時系列を明かすのもスマートですね。

このサボテンが曲者なのです

 ゴム手袋工場に紗月が登場して、お付き合いのプロセスすっ飛んで、早々に紗月は夕平のアパートに足を踏み入れる。ちょっと早すぎでしょ、も実は紗月の企み通りで、今度は私のアパートに来て、それも約束時間にワザと買い物に出、勝手に部屋へ入れさせる。そこでなんと!のサプライズを仕掛けるなんざ、えっ結婚詐欺?とまで思ってしまう程の策略ぶりには少々白けます。いきなりのキスも女の方から、そもそもこの男に性欲はあるのかしら?なんですから、疑似家族の構築には子供可愛さの要素が不可欠なのでした。

こんなに溺愛してしまって・・・

 一方の女子高生は早々に卒業式を迎え、どうやら病状末期と思しき女性を病院へ見舞いに行く。えっ?原田美枝子がいくらお美しくても、18歳娘の母親役は厳しいでしょ、と思う間もなく、両親のいない身を育ててくれた祖母だと明かす。これも監督の作劇で、こうしたフックのような仕掛けの積み重ねもっと言えば工夫が映画的リズムを生むのです。で、祖母が孫娘に12年前の出来事を遺言よろしく話出す。鍵は朝子が5歳の時に母親は半年ばかり父親替わりだった男に殺されたと言う衝撃の事実。その語りのシーンは直接映像では入れず、過去のストーリーを展開し明かす構造。これにも舌を巻く巧さを感じました。

このシーンは何故遠巻きに朝子を観察したのでしょうか

 こうして孤高のイケメン君は紗月の思い通りに。前述のとおり子供の世話に完全に重きがあり、しかしこうまで朝子優先となると夕平の過去も推して知るべし。男と女の幼児に対する距離感の齟齬が次第に膨張し、あの保育園での運動会での異常行動に繋がり、紗月も遂に匙を投げる。とは言え、あの行動はあまりに常軌を逸してます、まさに杉咲花の下着姿と同レベル。中野監督の誇張の表現でしょうね。さらに対する紗月から切り出す別れ話もチト唐突で、身勝手にすら感じてしまう。けれど、この女の過剰反応があるからこそ、以降の展開も必然をもって繋げられるわけです。

ここで黄色のシューズは紛らわしいでしょ、この弁護士も力不足が明々白々

 後半、弁護士・町村善一役で滝藤賢一が登場するけれど、さしたる活躍の場はない。唯一、殺人犯は最後まで殺意があったか無かったを明確にしなかった事実を朝子は知る。あったなら生涯憎み続けられる、けれどもし無かったら・・・一生悔やみ続ける不安もある。そのクライマックスでの夕平こと坂口健太郎のアップの長廻しこそ、監督が撮りたかった画でしょうね。坂口健太郎頑張りました、来年の日本アカデミー賞を飾るのではないでしょうか。耐えきれず朝子は面会室を飛び出してしまうのは、殺意が無かったなんて今更受け入れられないからでしょう。

 この後、本作は明確に映像で事実を観客に描いてみせるのです。いや、みせなくても良かった作劇も当然ありましょう、なにしろ夕平に殺意があったなんて観客には到底信じられないのですから。それでも見せたいのは中野監督の根本的人間性の優しさに由来でしょう、だから私は彼のファンなのです。以下、私自身の覚書として文字にしてみます、くれぐれもご鑑賞後にお読み下さい。最後と称してアパートの二階階段辺りで二人は会う、朝子との約束の36色クレヨンの受け取りを紗月は断固拒否し、かつてプレゼントされたサボテンなんぞとうに捨てたと嘘を吐く、ならば最後に借り続けてたパン切包丁を返そうと取り出す夕平、取り乱した紗月は包丁を前に完全に恐怖に支配され、包丁で右手の平に切り傷を負ってしまい、そのはずみで階段を転げ落ち頭部を打撲、夕平は血の付いた包丁をその場に落とし、慌ててその場を逃げ、サボテンを買った花屋を訪ね、サボテンは20年近くしてやっと花を咲かせると知る。

 伏線回収なんて言い回しで映画を評しますが、かなり微に入り細に入りサスペンス要素をたっぷり含ませながら、湯を沸かすとは正反対に家族の崩壊を描いた。サボテンの黄色い花のアップで終わるかと思わせて、さらに5年後を描く。どこかで出会ってもお互い「私はあなたを知らない、」で通しましょと。大東京でまさか出会うなんて、ですがそこは映画でニアミスまで描く。かたやタクシー運転手、かたや保育園の先生として。でも、ここは横断歩道を園児達が歩き、タクシーが停車する、その時、乗客に話掛けられ、園児の一人が手を挙げず思わず注意する、なんて瞬間のすれ違いまで描けば、と夢想しました。

 中野量太流の誇張をもう少し洗練させれば、山田洋次的、ひいては小津安二郎的、松竹の本流に収斂するのですがね。ある意味独りよがり的な脚本づくりがそうさせるのか、脚本サポート役が必要ではないでしょうか。それにしてもタイトルの「、」が思わせぶりで、私はあなたを知らない、けれど・・・と未練たっぷりなのが素直ですね。

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