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世界中の猫がしあわせでありますように。|猫エッセイ

世界中の猫が、温かく安心できる場所で眠れますように。

街で、ペットショップで、SNSで。
私は猫を見かけるたびに、そう祈る。

そうなったキッカケは、ある1匹の猫との出会いだった。

少し悲しいお話ですが結末はハッピーエンドです。
苦手な方はブラウザバックをおねがいします。


およそ10年前。

適応障害になった私は、再出発のためにとある会社に就職した。

久々に人と一緒に働く感覚に心身が追いつかず、驚くほど不安定な毎日。

出社前は最寄りの駅のトイレで呼吸を整えないと会社へ向かえなかったし、
緊張からくる頭痛と疲労で、泥のように眠る日々だった。

そんな私を、なんとか会社へと向かわせてくれたのが、
地域猫「さくら」の存在だった。

就職した会社は、大通りから路地を1本入った小さなビル。
その近くでは、近隣の人に愛される地域猫たちがのんびりと暮らしていた。

そのなかの1匹が、さくらだった。


さくらは、不思議な距離感の猫だった。

人懐っこいわけではないけれど、こちらが遠慮がちに近づくと、いつも逃げずに体を撫でさせてくれた。


「さくら」という名は、私の中で勝手に付けた名前だ。

出会ったのが桜の季節だったことと、
桜耳(不妊去勢手術済みの印)が特徴だったから。


桜の花びらを頭に乗せた「さくら」


行きに会えれば「今日もがんばってくるね」。
帰りに会えれば「今日もがんばったよ」。

そしていつも決まって、
「触らせてくれてありがとう。安全で温かい場所で眠ってね」
と声を掛ける。


もちろん返事なんてくれないけど、もっふりと柔らかくてあたたかいさくらが大好きだった。

さくらに会えることが、当時の私にはなによりの救いだった。

そしておよそ1年後。
すっかり会社にも慣れたころ、ぱったりとさくらを見かけなくなった。

心配していた矢先、会社への通り道の地域看板に、一枚の張り紙を見つけた。

そこには、さくらの写真と一緒に、こんな言葉が書かれていた。


【るるちゃんを いつも可愛がってくださっている みなさまへ】

【るるちゃんは 今 〇〇病院に 入院しています】


しばらく会えないと思っていたら、入院していたのか。

特に詳しい症状や病名などは書いていないから心配だけれど、どこにいるかを知れただけでも嬉しい。

そして、「るる」ちゃんっていうのか。
さくらの本当の名前は。


そして張り紙には、こう続いていた。

【お時間のある方、ぜひ会いに行ってあげてください】

【もし可能であれば、入院費をご協力いただければ嬉しいです】


私は、この言葉を見た瞬間、さくらに会いに行くと決意していた。

いつも励ましてくれていたさくらを、今度は私が励ますんだ。


しかし、困ったことがあった。
それは、《病院の場所と開院日時》と《私の出勤日と勤務時間》の兼ね合い

病院の場所は、1分も残業しないで病院までダッシュすれば、ギリギリ間に合うかもしれない???
という絶妙な距離だった。

「お見舞いに行く」と決意したにもかかわらず、
「どうしても今日中に完了させないといけない仕事」や「就業時間を過ぎるほど長引いた上司の話」なんかが続き、私は病院に行けずにいた。


そして、
「今日こそは!!」と定時に会社を飛び出せたのは、張り紙を見てから2週間も経過していた日だった。



病院に到着したのは、病院が閉まる5分前。

全力疾走で息が上がっているのと緊張で、私は病院の前でしばらく佇んでしまった。

動物を飼ったことのない私には、「動物病院」そのものが初めてだった。


恐る恐る扉を開け、病院内を見る私。
気付いた先生と看護師さんが、手を止めて声をかけてくれた。
すでに閉院の片づけをいる様子だった。


「……るるちゃんに会いに来たのかな?」

「はい!お見舞いと、入院費を渡したくて!
 ギリギリに申し訳ありません。すぐ帰りますので」


そう言った私に、先生は少し顔をゆがめ、看護師さんと顔を見合せる。

そして、とても言いづらそうに口を開いた。



「残念だけど、昨日ね、亡くなったんだよ。
 それを聞いて、ここに来たわけじゃないようだね」




頭が真っ白になった。



亡くなった?さくらが?

ただの入院じゃないの?

そんなにひどい状態だったの?



「昨日の夜11時頃。苦しまず眠るようにね……」



昨日の夜?
たった数時間前まで、生きていたの?




間に合わなかったんだ、私。



呆然としていると、
「顔、見ていく?」と先生が奥へ案内してくれた。


小さなゲージの中で、さくらは眠っていた。

いつも通勤路で寝転がっていた姿のままで。

あまりにも普段と変わらないので、全然死んでるなんて信じられなかった。

違うのは、
ピクリとも動かないことと、ゲージの脇に小さな花瓶に入ったお花が置かれていたこと。



気付いたら滝のように涙を流していた私に、先生は話し続けた。


「明日、鈴木さんがお寺に連れて行くらしいよ。最期に顔が見られてよかったね」

鈴木さんは、さくらを病院に連れてきてくれた地域猫のお母さんのような人で、張り紙をしたのも鈴木さんだった。

ちなみに、入院費受付用の缶を置いていたらしいけれど、今朝先生が連絡をした際、鈴木さんが引き上げていったらしい。



ほんの少しでも足しになれば、と用意したお金すら渡せないのか。
つくづく何をしに来たんだろう。


自分の不甲斐なさに情けなくなってくる。



「片付けてるから、気が済むまで一緒にいたらいいよ」と、先生が席を外してくれようとしたので、

「……触ってもいいですか?」

私がそう聞くと、先生は頷き、私とさくらだけにしてくれた。


初めて動物が亡くなった姿を見たけれど、
不思議と「怖い」とか「近づきたくない」という気持ちは浮かんでこなかった。


そして、
柵に手を入れ、指先でさくらの桜耳と頭を撫でた。


冷たかった。

可愛い姿はそのままだったのに、
大好きな桜耳や毛の柔らかさはそのままなはずなのに。

ついこの前までそこにあったはずの温かさだけが、どこにもなかった。


手の届く範囲でさくらの体を撫でる。

苦しまなくてよかった。
みんなに愛してもらって幸せだったね。
安らかに眠って、ゆっくり天国で過ごすんだよ。

なにより、
私と出逢ってくれてありがとう。
私ががんばれたのは、さくらがいてくれたからだよ。


そんなことを小さく声に出して伝えながらも、
心の中に浮かんでくるのは「自分への非難の声」だった。


どうして無理をしてでも仕事を切り上げなかったんだろう。

どうして「もう二度と会えないかもしれない」と、1㎜でも考えなかったんだろう。

最期に顔だけでも見れてよかった、なんてとてもじゃないけど思えない。

張り紙を見た後すぐにここに来ていたら。

あと1日早かったら。



考えても今更どうしようもないことなのに、
どんどん胸の中が黒くなってくるのが分かった。



10分ほど、さくらのそばにいただろうか。

これ以上居ても迷惑がかかると思い、先生と看護師さんにお礼を伝えて病院をあとにした。

その時、入り口で一人の女性とすれ違ったけど、
あまりにもぐじゃぐじゃになった顔を他人に見られたくなくて、俯きながら急ぎ足で駅へと向かった。




駅に向かう途中、涙が止まらず息苦しく、上手く歩けていた自信がない。

私は、この後悔をずっと抱いて生きていくのかな。
猫を見るたびに、間に合わなかった今日のことを思い出すのかな。

そんな想いが、とめどなく流れてきた。



すると、後ろから大きな声で話しかけられた。

「すみません!今、〇〇病院にいた方ですか?!」

自転車に乗った70歳くらいの見知らぬ女性。

驚く私が「そうですが……?」と答えると、


「今病院に行ったら、先生が
 『たった今、るるちゃんに会いに来てくれた女性が帰ったよ』って。
 私、鈴木と申します


鈴木さん。
さくらのお母さん。

よく見ると、さっき病院の入り口ですれ違った女性だった。
先生に話を聞いて、急いで私を追いかけてきてくれたらしい。


泣き腫らした私の顔を見て、鈴木さんは優しく

「わざわざ、るるに会いに来てくれてありがとう」

と言った後、

さくらが、ああ見えて老猫だったということ。
昔からおっとりとした猫で、近所の人から愛されていたこと。
あの辺りの地域猫の中には、数匹さくらの子がいること。

などを、教えてくれた。

(※私は気付きませんでしたが、結構おばあちゃんだったみたいです。
 亡くなった直接の原因は、教えてもらったかどうかも記憶があいまいで覚えていません;)


そして、
「良ければ、どうやってるるを知ったのか教えてもらえる?」
と、私に質問をしてきてくれた。

「会社への通り道に、るるちゃんがいたんです」

鈴木さんは「そうなのね、たしかあの路地の先に〇〇会社さんがあったわね」と、なるほどーと頷いた。

「いつも撫でさせてくれて、会う度にすごく癒されてて」

鈴木さんは、うんうんと話を聞いてくれている。


「本当は、もっと早く会いに来たかったのに、全然行けなくて。今日やっと会えると思ったら、亡くなってて……」

喋っていると、さっきまで触っていた、さくらの柔らかさと冷たさがどんどん思い出される。


「仕事がツラい時も、あの子がいたからがんばれたんです」


一度引っ込んだ涙が、また堰を切ったように溢れ出す。

初対面の人を目の前に、私は道路の端で号泣しながら話し続けた。


「私は、あの子にもらってばっかりで。生きてるうちに『ありがとう』も言えなくて」


そこまでずっと話を聞いてくれていた鈴木さんが、「そんなことない」と初めて私の話を遮った。

そして、

「るるはその人のことが嫌いなら、絶対に触らせたりしない。
 あの子も、あなたに優しくしてもらえて嬉しかったんだと思う」


鈴木さんは、「可愛がっていた地域猫が亡くなった」寂しさと同じくらい、「なにもできなかった自分を責める私」に気付き、そんな言葉をくれたんだろう。

長年さくらを見守ってきた彼女だからこそ言える、慰めの言葉。

その言葉で、自分を責めていたトゲが少しだけ溶けた気がした。



ひとしきり泣いた後、私は我に返り、

「入院費、いまからでもお渡ししていいですか?
 もともと渡すつもりで今日病院に行ったんです。
 さっき病院に行ったら、お金を入れる場所が無くて」

と言って、バックから財布を取り出し、お札を渡そうとした。

すると、鈴木さんは「有難く受け取らせてもらいます」と言いながら、一冊のノートを差し出した。


「ここに住所とお名前を書いてもらえる?
 入院費をくださった方に、後日お手紙を出すつもりでいるの」


そのノートには、お見舞いに来た人たちの名前がズラリと並んでいた。

小さな子供の字から、ご年配の方の達筆な字まで。
数ページにわたり記入されていた。


さくらは、本当にたくさんの人に愛されていたんだ。

私以外にも、たくさんの人の人生を照らしていたのだ。


私はそのノートを大切に受け取り、一覧の最後尾に記名をした。

そして、鈴木さんは最後に、
「るるを可愛がってくれてありがとう」
と言い、自転車で去って行った。



数週間後、一通の手紙が届いた。

差出人は、会社近くの住所の鈴木さん。
約束通り、お礼の手紙を送ってくれたらしい。


封筒を開けると、

そこには、お見舞いの感謝と、供養が済んだ旨が書かれたメッセージカード。
そして、さくらの写真が入っていた。

写真を見ると、私は考える隙もなく、ぼたぼたと涙を零していた。


写真に中のさくらは、
私が知っている姿よりずっとふっくらしていて、毛並みの色も濃くツヤツヤしていた。

さくら、本当におばあちゃんだったんだなぁ。
あんなに豊かな毛並みじゃ、全然気づけなかったよ。


しばらくの間、会社への道を通っても、さくらに会えないと思うと寂しかった。

でも、この写真を見るたび、あの子の柔らかさ、そして動物病院のスタッフの方、鈴木さんの温かさを思い出せる。

そして、この子が確かにこの世にいて、私が触れた時間や感触が本物だったんだと、改めて実感した。


それから私は、猫を見かけるたびに願わずにはいられなくなった。


世界中の猫が、

あなたのように、誰かに優しくされていますように。
温かい場所で、安心してお昼寝ができていますように。


そんなふうに。


《実際のお手紙》

どんなに時間が経っても、
たくさんのカワイイ猫を見かけても、
あなたはいつまでも「私にとって大切なあの子」でいつづけるよ。


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