見出し画像

家族という名の、終わらない介護

 叔母の家に、お線香をあげに行った。大きな家に叔母夫婦と若夫婦の4人が住んでいる。叔父は少し認知症が入り物忘れの傾向がある。従兄弟はもう何年も病気を患い、数年前からは障害者手帳を持ち毎週療養所に通っている。お嫁さんの車に乗せてもらい、駐車の際は、障害者マークの札を車のフロントガラス下に置く。
 老老介護と同じくらいのしかかっている負担、叔母の年で2人の介護は大変だろう。従兄弟は精神的にも不安定で、大きな声で怒鳴ったりよくおかしな行動をする。
 仏壇で叔母と話している間も、大きな音を立てたり震災用の笛を吹いていた。紙オムツをして畳をはい、置いてある食べ物を口に入れようとする。だから叔母は、お嫁さんが仕事で留守の間ふたりから目が話せない。従兄弟は車椅子を使うほどの体でいながら、よく食べるし這って外へ出ようとする。私は、叔母の歳を考えると不憫でならない。
 そんな叔母が私に、たった一枚の写真を見せてくれた。生前の普段着を着た祖母の写真。4人姉妹が仲良くならび、祖母だけはキリッとした顔で写っていた。『もう、これしか残ってないの。最近は、時々手帳から出してひとりで見ているの。』そう話す叔母に、返す言葉が無かった。
 私は無性に悲しくなって心が痛かった、それでも涙は出なかった。この家の状況を考えると、悲しすぎて泣けなかった。叔母が今向き合っている目の前のことは、お金を出してもかたずかない。どんな良書を読んでもどんなお店に行っても、答えは見つからない。出来るとすれば、お嫁さんと協力して重すぎる介護をこなしていくこと。
 今の私に同じことができるのだろうか?いや、出来るかどうかじゃない選択肢はないのだ。お嫁さんは仕事から疲れて帰ったその後に介護、叔母なんか一日中介護の生活である。
 うちはまだ関係ないとか、その時が来たら考えようなんて言ってられない気がした。どんどん高齢化が進む日本のあちこちで、同じようなことで困っている家庭も多いのだろう。次に叔母のお宅にお邪魔する際に、私はどんな言葉を掛ければいいのだろうか?私はそんなことを考えながら電車に乗った。


いいなと思ったら応援しよう!