映画日記 安田淳一・監督作品『ごはん』純粋に米作りを継承するということ
米作りをする映画監督
『ごはん』は、2017年公開の映画だ。監督は安田淳一。『侍タイムスリッパー』の人だ。
『侍タイムスリッパー』は、失われつつある時代劇をテーマに、低予算で作られた娯楽映画だった。自主製作の限定公開にもかかわらず、徐々に人気を博して、全国で配給され、最終的に2025年の映画賞を総なめにしたヒット作だ。…なんて、みんなが知っていることを書いてもしょうがないか…。
『ごはん』も、やっぱり自主製作のようだった。タイトルのとおり米作りを扱った映画だ。監督の実家は米農家だという。この映画は2017年の公開だが、監督の父親が亡くなり、2023年からは、監督が農家を継いで、実際に自分で米作りをしているという。だから今の安田淳一は、映画も作る兼業農家の人だ。
米不足と価格の高騰と、備蓄米と減反政策と…
米といえば、去年の2025年は、値段が高騰した年だった。理由はいろいろとあったのだろうが、それまで5キロ2000円台だったお米の値段が、急に4000円とか5000円に跳ね上がった。
値段が高くなったうえに、スーパーやお米屋さんの店頭から、お米が姿を消した。90年代の米不足・タイ米騒動の時よりも、極端だった。
2025年当時の小泉農水大臣は、価格の上昇を防ぎ、元の値段に戻すために、備蓄米を何度も放出した。米が足りないので増産する、という農業政策の転換もした。
小泉前農水大臣の政策の効果があったのか、は私にはよくわからない。ブランド米の値段は下がらなかったが、放出米は3000円台で手に入った。といっても、消費税を加えると4000円を超えた。我が家では放出米を買った。
高市政権になって、農水大臣は鈴木という人になった。大臣が変わったら、途端に、お米の増産は取りやめになり、やっぱり減反政策に戻った。備蓄米の放出もやめた。お米の価格は、市場に任せることになった。
テレビに出てくるコメンテーターや専門家は、お米の値段は徐々に下がりだすと言ったが、我が家の近所では、高止まりしたままだった。在庫は豊富にあるけれど、鈴木大臣の政策によって直接お米の値段が変化することはなかったと思う。
4月の後半になって、一部では、極端に下がったという報道もあった。新米が流通した出したのと、業者が去年買い入れて、出し惜しみしていたお米の在庫が余ったのだ。それで困った業者が、利益を度外視して値下げを始めた、という報道だった。
が、私の自宅近所の何か所かの売り場を見た限りでは、お米の値段はまるで下がっていない。相変わらず備蓄米だった古米や古古米の値段が4000円手前で、ブランド米は消費税を入れると5000円を超している。
実際問題の農家の時給はいくらなのだ?
お米は、日本人にとっては主食だから、とても大事なものらしい。だからいろいろと政治が介入している。生産量が、需要と供給に見合っているのかは、私にはわからない。増産すべきなのか減反すべきなのかも、私にはわからない。お米の適正価格がいくらなのかも、わからない。高いままだが、それでいいような気持ちもどこかにある。
そんな私でもわかっているのは、お米を作る農家が減っているということだ。そして現在、お米を作っている人は、かなりのご高齢になっている。
しかも、その労働は、対価がまるで見合っていない。そもそも農家の収入を時給換算にしたら、極端に低くなる。今でも大半が500円を切ったりするのではないかと思う。お米や農産物は、ちょっと安すぎるのでは、と思うこともある。こうなると、もう、わけがわからない。日本の農業は、抜本的におかしいのだと思う。
妻の実家で米作りを、ほんの数回、手伝ったことがある
たまたま私の妻の実家が農家で、一緒になった頃、何度か農作業を手伝ったことがある。30年くらい前のことだ。妻の実家では当時、何棟かのビニールハウスで、主にニラを栽培していた。お米も、自分たちの食べる分を作っていた。妻の両親は、土日も旗日も関係なく、働いていた。
ニラは、一つのハウスで年6回、収穫していた。棟によって収穫時期がズレているので、昔のような農閑期というのがなく、年中休みなしで働いていた。
収穫にしたニラは、一定の重さに束ねてビニール袋に個包装して、それを農協のマークの入った段ボールに入れて、農協に持って行った。作業は朝から始まり、出荷して戻ってきたころには、とっくに日暮れを通り越していた。単純に計算したら、義父や義母の時給は200円を切っていた。
妻の実家では、お米も作っていた。田んぼは、十数軒ある近隣の農家と共同で、自分たちの食べる分のお米を作っていた。農機具も、共同で購入して、共同で使っていた。
田んぼの作業がある時は、特に朝は早く、夜は夜中まで続いた。普段の畑作業のほかに田んぼが加わるのだった。
田んぼ作業は、苗作りから始まった。農協から購入したパチンコ玉くらいの大きさの土のボールを、苗床に敷き詰める。この土のボールには、種が入っていて、水をやっていると芽吹いて、苗になるのだった。苗床は、そのまま田植え機にセットできるようになっていた。
ハウスの中で苗が適度な大きさに育つまでの間に、田んぼでは土づくりが行われる。トラクターで土を掘り繰り返し、軟らかくして、水を張り、水田に整えるのだ。
田植えは、近隣の農家と協力してみんなでやっていた。水の管理も、共同でやっていた。ある程度、稲が育ってからが、農家ごとの仕事になった。農薬をまいたり、草取りをしたりだ。
稲穂が実って、稲刈りの段になると、また共同作業になった。持ち回りでコンバインを運転し、刈り取り、脱穀までするのだった。田植えと稲刈りの時期には、都会で暮らしている息子や娘たちも帰って来て、手伝っていた。
稲刈りから、脱穀までは、大型コンバインで一気にやっていた。その後、乾燥機にかけて、お米を乾かすのだが、その様子は私は見たことがない。乾燥されたお米は、大きな袋に入れられて、それぞれの家の玄関に届けられた。
袋の中身は玄米だ。必要な分だけ精米して食べるのだ。共同の農機具を置く倉庫に、精米機もあった。収穫したお米は、それぞれの農家が、自分の倉庫に積み上げて保存していた。
妻の実家では、田んぼを3枚持っていた。そこで作られたお米は、家族が食べるには十分な収穫量になった。
単に手伝っているだけの私は、気楽なものだったが、あんな生活が毎日続いていると考えると、しんどくて、気が狂いそうになった。
義父が亡くなり、米作りは、妻の弟が引き継いだ。と言っても義弟は会社員なので、米作りと言っても、管理と手伝いだけで、実際の作業は、親戚の農家に委託していた。
親戚の農家は、出来たお米の半分ほどを義弟に回し、残りは農協を通して販売するのだった。割が合うのか、ボランティアなのか、さっぱりわからないが、みんなで協力して、毎年、お米を作っている。
映画『ごはん』を見ながら、そういった妻の実家での作業を思い出した。映画では、農家のしんどさ、農政のおかしさなどには直接触れず、育つお米の美しさ、お米を作る人達の一途な姿が描かれて、感動的だった。
『侍タイムスリッパー』と同じで、悪いヤツ、いやな人が、一人も出てこない映画だった。スレッカラシている私は、眩暈がするほどだった。
脱穀、精米、炊き上げる こんな食べ方を誰が思いついたのか?
ハナシは全く変わるが、子供の頃からいつも疑問だったのは、誰がお米なんか食べ始めたのか?ということだ。
お米に限らない、小麦も蕎麦もそうだ。生では食べられない。その上、粒だ。一粒一粒、もみ殻から中身を取り出して、お米なら炊かなくてはならないし、麦なら粉にしてそれからパンにしたり、パスタや蕎麦らなら、麵上に加工しなくてはならない。
この食べ方を、最初に誰が思いついたのだろうか、不思議でならなかった。生の状態から食べられるようになるまで、何段階もあって、どうして思いつくのだろうか、ものすごく不思議なのだ。
一粒は極端に小さい。空腹を満たすためには、大量に必要だ。どうやって、集めたのだろうか? やっぱり、あんなに小さな粒を殻から出して、どうして思いついたのだろうか?
トウモロコシならなんとなくわかる。しかし、お米は無理だ。私の想像力を越えている。人類とはすごいな、と思ったりしている。私はバカだろうか……。
