文学は女性のものである
文学は女性のものである。はじめまして、HALWRDです。
単純な話です。
男性的文章というのは法律文や契約文といった人を縛るものだから。人を従わせるためのものだから。対して、文学はいつだって縛るものへの叛旗、従わせるものからの逸脱です。よって、文学は女性のものです。
まるで法律のような男たち、契約のような男性たちは、その奴隷であることに気づいていない。そして狐は、自らそのものがルールであるかのように振る舞う。
しかし
現実において、男性が文学を書くことは珍しくありません。これはなぜなのか?
逆説的なんです。
性そのものを逸脱すること。男性的であるとか女性的であるとかいう檻そのものから逃走すること。ここにおいて、性差は霧散します。
そして
今はまだ、それが完全に破壊されていないという意味で男性が有利という側面があります。破壊において一日の長があるのは男であるという論理です。単に男性社会であるので男が有利という話ももちろんあります。
しかし
そんな時代も終焉を迎えつつあるのかもしれない。壊せるものは壊しつくされるはずです。現実が壊されるのではなくて、文学上、文章上ではそうなるということ。するとどうなるのか? 流れは消え去って砂になるのか。あるいは、「あらゆるものを奪っていく、与える盗人」みたいなイメージも世の中にはあります。この辺は僕も追いきれていません。
一応、僕なりのイメージはディオニューソスです。バッカスですね。「男性的でありながら女性的でもある中性的な存在」とWikipediaに書いてありました。まだ、古くなってないイメージだといいのですが。大丈夫かな? 世間に疎いのでこの辺は自信ないです。
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