サクリファイス~Sacrificatio
Offret
1986
スウェーデン、イギリス、フランス
アンドレイ・タルコフスキー 監督・脚本・編集
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 音楽
スヴェン・ニクヴィスト 撮影
エルランド・ヨセフソン、、、アレクサンデル
スーザン・フリートウッド、、、アデライデ(妻)
アラン・エドヴァル、、、オットー (郵便局員)
グドルン・ギスラドッティル、、、マリア (召使い)
スヴェン・ヴォルテル、、、ヴィクトル(医師)
ヴァレリー・メレッス、、、ジュリア (小間使い)
フィリッパ・フランセーン、、、マルタ (娘)
トミー・チェルクヴィスト、、、子供
主人公のアレクサンドルの誕生日のお祝いで友人が訪ねてくるところから始まります。
いや、アレクサンドルと喉を手術して声の出ない幼い息子との散策から始まっていました。
見終わってから考えると、この息子が「はじめにことばありき」と話せるようになるまでの1日間を描いた作品です。
この映画はタルコフスキーの息子に遺す作品であるという位置づけです。

アレクサンドルの独り言に、これまでのタルコフスキーらしくないセリフが多かった。
ああいった直接的なメッセージではなくもっと象徴的であったり暗喩であったり、
なんというか、映像に内包された効果音的な詩の形をとることが多く、
映像の上にメッセージとしてかなり一義的に生に語られるセリフは聞いた記憶があまりない。
主人公が友人の医者からプレゼントされた「アンドレイ・ルブリョフ」のイコン画集を暫く眺めるシーンが印象的。
さらに窓に映るダ・ヴィンチの『東方三博士の礼拝』。
他にも声の出ない息子が家政婦マリアと一緒にプレゼントに作ったという家にソックリなミニチュア模型。
タルコフスキーの遺作になります。
脚本はタルコフスキー自身です。
音楽はJ・S・バッハと法竹の日本音楽その他民族音楽?
バッハの『マタイ受難曲』よりアリア「憐れみ給え、わが神よ」がいつもより耳慣れた音でした。
水は海を思わせる波の音。水たまりはいつも通りです。ミサイルの通過する音?で家が振動して棚からミルクがピッチャーごと床に落下して割れる。絶え間ぬ風の音。激しく燃えさかり崩れる家。
タルコフスキー4大元素は常に基調を奏でています。
核戦争が起き、非常事態が発生したとTVが伝え、その後停電に。
不仲であった妻は取り乱し、世界の終焉に皆が怯えます。

「わたしはこの日を待っていた」とアレクサンドル。
彼はすべての人々の救済を神に祈るのです。
救済されたのなら、自分は家も家族も息子もことばも捨てることを約束します。
無神論者アレクサンドルがこれを祈ることは、神への対決を込めてのことか。
夜、アレクサンドルにヨーロッパの地図をプレゼントしたオットーが窓の外からはしごをかけて彼の部屋を訪れ、マリアと結ばれることが奇跡を起こし人々を救済する最後の手段だと執拗に説く。マリアは実は魔女であると。
最初は相手にしていなかったが、自転車まで用意してきた彼の不条理な話に次第に引き込まれ、マリアの家に赴きます。
「鏡」のように二人が抱き合う姿が宙に浮く。
次の日の朝、気づくとステレオからは日本の法竹の音楽が流れており、電気は通じておりテレビも問題なかった。
いつもと全く変わりない日が訪れていました。
彼は、早速家族・友人を置き手紙で散策に出かけさせ、その間に「神」との契約を実行します。

息子がひとり父親が海辺に日本の盆栽風に植えた枯れ木に、約束通りにバケツで水を与えていました。
「はじめにことばありき」
1986年の第39回カンヌ国際映画祭で史上初の、審査員特別グランプリを初めとする4賞を独占受賞しました。
2014年3月の記事。
これも文体が今と大きく違い、語彙も異なる。そのまま載せるか迷ったが、そのままにした。
紛れもない自分の文章である。
結局、「人は、世界の中で、どのように身を置くことができるのか。」を問い続けてきた気がする。
当時は、この映画を「神との契約」や「救済」の物語として読んでいた。
今は少し違う。
『サクリファイス』に残るのは、世界が救われたという証拠ではなく、一人の人間が約束した行為を最後まで引き受けたという事実である。
そして最後に残るのは、一本の枯木に水を与え続ける子供の姿だ。
タルコフスキーは、希望があるかどうか分からなくても、行為だけは続いてゆくことを描いたのだと思う。
