短編小説「宗教のある家」〜前編〜
私の家には生まれた時から宗教があった。
私が一番最初に覚えているのは確か。
3 歳くらいかな。
ある日、特別なおでかけをするよ、って言われて。
お母さんは、私にお姫様みたいなふわふわのスカートと、そしてキラキラのピンクの靴を用意していて。
パチン、と留めるストラップにはお花がついていた。
肩までの長い髪の毛を、高い位置で大きなリボンで結んだ。
あれは、どこに行く予定だったんだろう?
私は、その場で裾を広げながら、さながらプリンセスのように、くるくる回って踊り出す。
ワクワクがとまらなかった。
「早く行こうよ、行きたいよ。」
とお父さんの手を握って振り回して甘えた。
それを仕方なさそうな顔して、
「もう少し待ってて。」
と、いなしてくる。
今にも靴を履いて外に飛び出したいのに。
お祈り部屋の祈祷テーブルに、お父さんとお母さんとおばあちゃんが座り始める。
「え?どうして?なんで今からお祈りなの?」
3人で最初の歌を声を揃えて唱え始める。
しばらくはそれは終わらないことを知っている。
いっつもそうだった。
何かの前には必ずお祈りから…。
私は洋服のことなどどうでもよくなって、
床を転げ回ってダダをこねる。
でも誰も相手にしてくれない。
足を投げ出し仰向けに寝っ転がる。
部屋のストーブの上から昇る、蜃気楼のような空気の揺れ越しに大人たちの背中を見る。
そのうち、疲れて眠ってしまう。
そのあとはどうなったんだろう。
もう記憶がないけど。
いつもこんな感じで、宗教が私の毎日にいた。
_幼い私は
「いつもどうしてお薬を飲むの?」
無邪気に聞いていた。
お父さんは決まって食事の後にたくさんの薬を飲む。
「じゃあひかりちゃんに問題!」
唐突にクイズが始まる。
「お水は、甘いでしょうか?辛いでしょうか?」
え?と固まる。
お水の味…?
「うーんとね、えーっと辛くないから、甘い!!」
「ブブー!味がしない、でしたー。」
「ええ?ずるいー!」
怒る私を高く抱き上げた。
「ごめんごめん。」
お父さんはいつも優しかった。
そんな父が亡くなったのは私の5歳の誕生日を迎えたすぐあとだった。
「ひかりちゃん…」
お父さんが私を呼んでくれた声を思い出す。
5歳の私は、お父さんが亡くなったという現実がよくわかっていなかった。
寂しい、という感情もない。
お父さんがいない。
それだけだったと思う。
__この、ひかりという私の名前。
幼稚園の友達からは、かわいい名前だね、といってもらえる。
世間から見てもそうなのかもしれない。
でも、私は好きではなかった。
なぜなら、
『愛とひかりの会』という宗教団体からもらっているから。
しかも名付けはその中の、大して偉くもなさそうな人がつけたそうだ。
お父さんとお母さんがその人に名付けをお願いしたらしい。
知りもしないおじさんからより、せめて両親からのプレゼントとして名前をつけてもらいたかった。
__そのあとから、しばらく大人の出入りが多かった。
宗教の人たちが毎日うちに来た。
それがお父さんが亡くなったからなのか、そうではないのかわからない。
母はその大人たちと毎日長く話す。
つまらない毎日だった。
なので私はこっそり家を抜け出す。
_私は外で遊ぶのが好きだった。
家の周りは田んぼや山があった。
1人遊びが得意な私は、草花とだって遊べた。
誰からも作り方を教えてもらっていないけど、花かんむりも作れた。
シロツメクサをでっかい花束にするために長い草を探したり。
刈り取られた後の田んぼでは、追い風を使って誰よりも早く走れるごっこをした。
雪がたくさん降った日はたくさんのかたまりを作って、お砂糖屋さんごっこをした。
そうやって1人遊びがますます得意になった頃__
お母さんは結婚した。
背の高い、日焼けした、目がギョロッと大きなおじさんが、今日から私の父親になるらしかった。
最初の頃は、当たり前のようにその人が家にいるのが不思議で。
私はどうやって過ごしたらいいかわからなかった。
その人が。
「おじさんのことをなんて呼ぶ?」
と聞いてきた。
《お父さん》とは呼べない気がした。
「パパ、って呼ぼうかな。」
その人は笑顔を向けた。
その人が家に住み始めるとおばあちゃんは少し離れた家に住み始めた。
私の足ではまだおばあちゃんの家に1人で行くには遠かった。
朝にも夜にもその人とお母さんはお祈りをする。
それを後ろで見ていた。
その日も同じように、2人がお祈りを終えるのをただ待っていた。
その時、
「お前もここに座れ!」
と大きな声で怒鳴られた。
びっくりした。
はじめてこんな大きな声を聞いた。
と、同時に頭に強い衝撃がきた。
私の体は膝立ちの姿勢から横に崩れ落ちた。
殴られた?
「どうして祈りの声を出さないんだ?」
「はい。ごめんなさいパパ…」
また、今度は頬に衝撃がきた。
頭がぐわん、と右を向いた。
目の奥がバチバチとなった。
「気持ち悪い!2度とパパと呼ぶな!」
怖くて怖くてたまらない。
呼吸が整わない。
母は悲しそうな顔を浮かべるが何も言ってくれない。
それからその人は、私のもう1人の
『お父さん』
になってしまった。
食事の時はその人の正面が私の席だった。
その人は野球を見ながら箸を動かす。
母はその人の湯呑みの減りに気を付けながら急須でお茶を足す。
私は大皿のお肉をとりたかった。
そっと箸を伸ばす。
するとまたバシッと手を叩かれる。
「キョドキョドするな!気持ち悪い!」
母はそっと私の皿にお肉を乗せた。
泣くな、とまた怒鳴られないように、ゴクっとご飯のひと口を喉の奥に押し込んだ。
__学校に上がってからは、少しだけ楽になった。
学校に行くための支度にまだ時間がかかる私は朝のお祈りをしないで済んだ。
一年生でまだ明るい時間に帰る私は、父のいない時間が嬉しかった。
お母さんに、学校であったことをいろいろ話した。
夜には父に独占されてしまうテレビを自由に見ることができた。
ただ、お父さんの帰りは早い。
必ず18時には家に帰ってくる。
私はその少し前には毎日こっそり外に出た。
外にはたくさんの自然がある。
草も花も土も友達。
日が落ちても、私は友達と遊んだ。
父は夜のお祈りの時間になっても帰宅していない私を怒ったりはしなかった。
朝のお祈りも許されていたし、平日はのびのびと過ごした。
理由は子供心になんとなくわかっていた。
『目障り』なのだろう。
ただ、土日の休みは朝と夜も、お祈りの時間は強制だった。
地獄のような時間。
閻魔大王のような『お父さん』
いつ私を睨んで痛い目に合わせるか、それを怖れて私は手を合わせ声を大きく上げる。
心の中でずっと
〈お父さんが生き返りますようにお父さんが生き返りますようにお父さんが…〉
必死に虚しい祈りを続ける。
なぜだろう。
その時間は、余計に私の気持ちを宗教から遠ざけていた。
そんな中で1人の男の子に出会った。
大して衝撃的なことではない。
私の家は、学校の誰よりも一番遠かった。
校区外ギリギリ、といったところだ。
街中にある学校からどんどん高台の山の方に帰る通学路だった。
その日は少しだけ足を伸ばして山の下まで降りて遊んでいた時、同じクラスの陽介くんと出会ったのだ。
「この近くなの?」
「うん、あそこだよ」
離れた家を指差した。
すごく古くてボロい家だった。
「遊びに来る?」
「え?いいの?」
陽介くんの家に上がった。
家の中はたくさんの物があちこちにあって散らかっている、という感じ。
「そこに座っていいよ。」
そう言われたところに腰をおろすのを、少し躊躇った。
「オンボロだよね。」
陽介くんは少し恥ずかしそうだった。
「うちもオンボロだよ?」
私は小さい嘘をついた。
その日から学校が終わるとすぐに陽介くんちに行った。
いつの頃からか、いつも必ず2つ、おやつが置かれていた。
いつ行っても陽介くんしかいないから、
「お母さんは何時に帰ってくるの?」
そう聞くと、少し困ったように
「んー、わかんない。」
と答えた。
お仕事大変なんだな、と私は気にも留めなかった。
_陽介くんちの前には、空き地や広い田んぼがいくつもある。
空き地は私たちの絶好の遊び場だった。
風を使う、早く走れるごっこを教えた。
でも陽介くんは、大人しめの性格なのにクラスで足が一番速い。
追い風を使っても、陽介くんにはすぐ捕まってしまう。
悔しかったけど、めちゃくちゃ楽しい。
田んぼの端に、籾殻が小さい山を作って置いてある。
それを投げ合って遊んだ。
投げても全部顔に戻ってきて、2人で大笑いした。
散々やっておきながらも
「怒られちゃうかな?」
私は心配になった。
「平気だよ。おじいちゃんがしてたから。」
「え?陽介くんちの田んぼ?」
「んー、わかんない。」
「そっか。」
陽介くんの返事はほとんどが、わかんない、だった。
けど、そんなことどうでもよかった。
毎日陽介くんと遊ぶことが楽しかったから。
そんな息苦しい家と、陽介くんとの楽しい時間は続いた。
__その日、友達からお土産をもらった。
神社の赤くてかわいいお守りを、ランドセルにつけて帰った。
嬉しかった。
ランドセルの動きに合わせて、それはぴょんぴょんと揺れる。
走ったり、歩いたり。
私はその様子を見ながらとても楽しい気持ちで帰った。
たまたま来ていたおばあちゃんとお母さんに、それはすぐに見つかった。
なんて物をつけているの、と取り上げられて私は泣いた。
「仕方がないでしょう。うちにはいらないのよ、こんなもの。」
と捨てられてしまう。
どうしてなの?と私は泣いた。
明日お守りのことを聞かれたらどうしよう。
みんなとお揃いでランドセルにつけたのに。
うちの家はよその家と違う。
この違和感がどうしても拭えず、苦しさと情けなさを感じた。
普通にみんなが持ってるお守りすらも、うちの家では、《こんなもの》になってしまう。
__「あそこの穴見てて。」
陽介くんが、ザリガニがいる川の水の中の穴を指差す。
ザリガニが穴の中に入っていった。
「ね?ね?すごいよね?」
「え?わかんない。なにがすごいの?」
「だってあれ、アメリカザリガニだよ?あの穴はアメリカに繋がってるんだ!」
キラキラした目で陽介くんは言う。
私は驚きなのか、そんなわけない、なのか。
不思議な気持ちで2人で、暗い穴の奥と、ザリガニの動きをいつまでも見つめて遊んだ。
その帰り道、私は川の石で派手に転んだ。
膝からは真っ赤な血が滴り落ちた。
ズキズキと痛み、膝を動かせなかった。
私は大きな声で泣いた。
陽介くんは躊躇しながらも、私を肩に抱えて。
足を引き摺りながら2人で私の家に帰った。
18時を過ぎていた。
遠くから私の泣き声が聞こえていたのであろうお父さんが、玄関の扉の中にいた。
陽介くんは事情を話して、そっと私を玄関に座らせた。
お父さんの姿を見た瞬間、私はスッと泣き止んでいた。
父に背を向けるような形で、血まみれの足を投げ出して玄関に座っている私を、父は見下ろしていた。
陽介くんは心配そうに私の足の血を拭こうとした、その時だった。
私は右側の頭に強い衝撃を受けた瞬間、左側の玄関の柱に頭を強くぶつけた。
ボタっ、と。
鼻血も出た。
「あ!あぁ!」
と陽介くんが私を起こそうとするやいなや、
「お前は出て行け!」
と、陽介くんを怒鳴った。
そのまま戸惑うように陽介くんは出て行った。
頭の痛みより、鼻血より。
私はとても悲しかった。
この世の終わりのような気持ちだった。
あぁもう、終わりだ。
すべてが幕をおろしていくような絶望の中私はサラサラとした涙を流していた。
※本作はフィクションであり、実在する人物・団体・宗教とは一切関係ありません
