くせ毛がヘアドネーションを夢見るとき
私は今、かなりの長髪だ。
子供の頃、源氏物語の影響で姫君たちの長い髪に憧れたが、伸ばそうと思っても、辛抱ができずに切ってしまう。その繰り返しで、なかなか髪を伸ばすことができなかった。
しかし、高校生のとき、《初恋が銀河鉄道スリーナインのメーテル》だという男に恋情を抱いたことをきっかけに、私は髪を伸ばすことを決意する。跳ねてうねり散らかす毛先に奮闘しつつ、私はどうにか、髪を後ろで結べる長さに伸ばすことができた。
しかし、それで恋が成就するほど甘くはない。
モデル並みの容姿でありながら、包容力と母性を兼ね備え、謎めいた神秘性を持ち合わせているメーテルに、髪を伸ばすだけで近づこうとするには無理がある。せめて金髪にでもなれば、男の心をくすぐることができたのかもしれない。が、そこには校則の壁があった。
どのみち、メーテルを理想に掲げる男の気を引くのは難しい。
そんな私に残されたのは、失恋の傷と長い髪である。
《失恋したから長い髪を切る》という、昭和生まれならではの定番の手に打って出ることもできたのだが、次、好きになった男の理想の相手がラプンツェルだった場合、また髪を伸ばさないといけなくなる。なので私は現状維持を通すことにした。くせ毛を肩下まで伸ばす苦労を知ると、また短くしたいとは思えなかったのだ。
結婚してからは、美容室に行くのは年に一度になった。
「今回はどうしますか?」
という美容師の質問に、私は毎回、
「ぎりぎり後ろで束ねられるくらいの長さまで切ってください」
と答えつづけた。
その後、コロナのせいで美容室から足が遠のく。セルフカットに勤しむうちに、私は気づいてしまった。
美容室が苦手だということを。
鏡の前にずっと座らされることが思いのほか苦痛だった。鏡は現実を映し出す。私って、こんな顔なんだと思い、狼狽える一瞬が針のように私を刺す。あぁ、痛い痛い。渡された雑誌をめくる指先が小刻みに震える。
鏡から目を逸らすには、微塵も興味の湧かない美魔女のファッション雑誌を流し見するしかない。
艶やかに微笑むモデルたち。
日々の鍛錬を感じさせる美脚とぺたんこの腹回りが眩しすぎて、目が潰れそうになる。
この人たちは腹八分ではなく、おそらく腹五分くらいで食事を済ませ、ジョギング、もしくは水泳、もしくはジムなどに日々通い、それでも飽き足らず、ヨガやピラティスをして、毎日のウォーキングは欠かさず、おやつにはナッツかプルーンにヨーグルト、アサイーなどを嗜むのだろう。
私はモデルたちの美しさよりも、そういった日々の鍛錬を想像して気圧されそうになる。なぜ、毎日そんなことができるのか。偉大だ。
そうやって、溜息交じりに視線を上げると、現実がそこにいるのである。私は毎日こんな顔をさらして生きているのか。生まれてすみません、と太宰治が憑依しはじめる。どこに視線を預けても気持ちが落ち着かない。
美容室は座っているだけでそわそわする。ここに私の居場所があるとすればトイレくらいだろう。
そんなわけで、もう三年近く、私は髪を切っていない。先日、久しぶりに会った友人たちに、
「長っ!」
と言われた。
髪も腰まで伸びると、目立ってしまうのだろうか。困った。切りに行くのが面倒で……と話すと、
「あたし、自分で切ってるよ」
「わたしも」
友人たちはセルフカットをしているそうだ。揃いも揃って、美容室に行かず自分で散髪しているというのだから驚く。類は友を呼ぶという言葉は真実らしい。
夫が最近、私の髪を見て渋い顔をするようになった。
「長すぎるんだよっ」
その言い方は、私がトイレの電気を消し忘れ、注意するときと同じ言い方だった。
結婚して25年。
まさか髪が長くて怒られる日がくるとは思いもしなかった。
くせ毛の長髪ほど醜いものはない、とでも言いたげに、夫は私の髪の毛を見ている。
「散髪に行きなよ」
「そうねぇ……」
締まらない返事をして誤魔化していると、
「俺が切っちゃる」
と、夫が言い出した。
「じゃあ、頼むよ」
依頼したものの、口だけで一向に切ってくれる気配はない。面倒臭いのだろう。
とはいえ、ここまで伸びると、なんだか切るのがもったいない。自分の髪で箒でも作れればいいのに……などと思っていたとき、ヘアドネーションのことを思い出した。
私の周囲にもヘアドネーション経験者がいる。
その度に、自分の時間を割いて善行を積むその姿を眩しく見つめていたのだが、いざ自分がやろうと思うと、私はつい、こんなことを考えてしまう。
使えない髪……とか思われないだろうか。
何しろ、くせがありうねりがある。髪の毛というよりも、むしろ脇毛と言ったほうがいいほど、私の髪はごわごわしている。
こんな髪を送りつけられて嬉しいはずがない。
O・ヘンリーの有名な短編小説に『賢者の贈り物』という話がある。
貧しい夫婦が互いのために贈り物を買おうと、自分の一番大切なものを手放す物語だ。夫は大事な金時計を売って、妻のために美しい髪飾りを買い、妻は美しく長い髪を売って、夫の時計用の鎖を買う。
なんと、美しい物語だろう。
しかし、私のような人間が注目するのは、ハートフルなストーリーよりも、妻の髪の価値の高さである。妻は、
髪しか売れるものがない。
と思い詰めたかもしれないが、私からすれば、売れるほど美しい髪なのだ。うらやましいことこの上ない。
誰かの役に立つにも、役に立てる素質や素養が必要だ。善意だけではどうにもならない。
だが、ヘアドネーションは60センチ以上になると、グッと寄付の数が減るらしい。60センチあれば、セミロングのウィッグが作れるのだという。と、いうことは、腋毛チックな私の髪であっても、60センチ以上の長さであれば、
「まぁ、長いからいっか」
と、思ってもらえるかもしれない。
そんな米粒ほどの希望を抱きつつ、私は未だにだらだらと髪を伸ばし続けている。しかし、夫は私の髪の長さに辟易としているようなので、仕方なく、ヘアゴム一本でダンゴヘアーができる技を習得した。やってみると、これが案外いい。
どうしてかはわからないが、髪をアップにすると、うなじに手を添えたくなる。
「うっふん♡」
などと声に出して言ってみたくなる。
なぜかはわからないが、
「うっふん♡」
が、つい口をついて出る。
無意識のうちに、女ぶりが上がったような錯覚に陥っているのかもしれない。目を覚ませ、私。
しかし、身内にならばちょっとくらいは見せつけてもいいだろう。私は夫にアップした髪を見せて、
「うっふん♡」
と、盛大に吐息を洩らしてみた。すると夫は顔色一つ変えずに、
「なんだ、また悪いもんでも食ったんか?」
と言った。
私は今、期せずして、小学生のときに憧れた源氏物語の姫君たちの髪の長さに近づいている。
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