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【掌編小説】 料理と芸術

「世界が綺麗に敷き詰めたもの」が大嫌いだ。
だが、その下にある「壊れたもの、消えたもの」の形だけは大好きだ。

足元には、床一面に緩衝材が敷き詰められていた。
その不揃いな気泡の群れは、粉々になったコーヒーフロートの入っていたグラスの破片を、必死に覆い隠そうとしている。
世界が用意した、中途半端で偽物じみた優しさのように。
けれど、その下にある剥き出しの破片たちは、そんな窮屈な目隠しを嫌がって、いやらしい光を放ちながら緩衝材を突き破ろうと蠢いている。
世界がどれだけ綺麗事で包もうとしても、私の痛みは隠しようもなくそこに在る。
虚で無垢なこの世界で、窓から差し込む光に向かって、ただ静かに手を振った気がした。

部屋を出て行った彼女に捨てられた私を可哀想と嘲笑いつつ、今も私をこの世に存在させた神から届いた銀河鉄道の切符は、ここではないどこかへ連れ去ろうという偽善だった。
私はそれを、火にかけたばかりのフライパンのなかに放り込む。
チリチリと音がして、純白の紙がまたたく間に黒く染まっていく。
逃げ出すためのレールを、私は自らの手で灰にした。
虚で華麗なこの世界で、窓ガラスに映る自分に向かって手を振ってみる。
今、笑えているだろうか……。

まだ、やり直せるのだろうか。
もしも夢をもう一度編み直しても良いと言うのなら、あの理不尽な神様を今すぐこの手で殺してしまいたい。

絡まった糸の如く、一歩も動けなくなった私の身体。
私はいつか、自分自身が何者だったのかを知ることができないまま、息絶えてしまうのだろうか。
胸の奥の愛も、涙も、決意も未来も、希望も夢も、すべてがフライパンの上でドロドロに混ざり合っていく。
神様、見てますか。
あなたの作った私は、こうして悉く汚れてしまいましたよ。
だったら、この汚れきった混沌を、あなたへの「料理(死体)」として仕立て上げてあげましょう。

これが、私からの死の預言だ。

食器棚からマグカップを取り出して、自室の造花を詰め込んでいく。
視線をクローゼットへ向ければ、その横には脱ぎ散らかされた服がうず高く溜まっている。
それを拾って片付けるほどの生きる気力は、もう今の私には一滴も残されていない。
世界は繊細で脆い。
だからこそ私は、世界のことをもっと知りたいと手を伸ばした筈だったのに。
いつしか彼女が私に向けてくれた、「あなたに寄り添いたい」という言葉さえも、私はフライパンの油のなかに放り込み、真っ黒に焦がしてしまった。
残酷で、不快な臭いに満ちたこの世界に、私はもう呆れ果て、背を向け、呼吸が落ち着くのを待つだけだった。

まだ、やり直せるなら、彼女との夢を追いかけ続けてもいいのかな……。
ああ、でももういいや。
この世界を、今すぐに捨ててしまいたい。

絡まった糸の如く、一歩も動けない私は、いつかこのまま死んでしまうのだろうか。
自分自身の本当の姿を知ることができないまま、彼女も誰もいないこの部屋で、ひっそりと息絶えてしまうのだろうか。
胸の奥の愛も、頬を伝った涙も、明日を睨んだ決意も、まだ見えぬ未来も、希望も夢も、すべてがドロドロに混ざり合っていく。
そして、神様。
あなたの用意した私が、こうしてあっけなく、無残に腐ってしまったなら――。
「これはブルーチーズだよ」って、高級な料理の名前を添えて、お洒落な嘘で綺麗に盛り付けてあげましょう。

意識がグラつき、足元が崩れ、命の均衡が崩壊していく。
そんな私の命のグラつきなんて、神から見ればバグが起きて壊れるだけの単純な仕組みなのでしょう。
上に綺麗事を敷き詰めて焦がせばただのグラタンという見た目で終わるのでしょう。

かつて愛した思い出や感情のスパイスが、今や完全に冷め切ってしまった。
温かかったはずの愛は瞬く間に冷え固まり、やがて床の上で体温を失い、ドロドロに溶けて境界線を失っていくのでしょう。

もしも私が、世界の残酷さを真に受けない、中身の軽い、空っぽな人間だったなら、こんなに苦しまずに済んだのに。
自分が重い心を持っていたからこそ壊れてしまった。
もし中身が軽ければ、神にどれだけドロドロに掻き混ぜられ、黒い絶望を振りかけられても、ただのカルボナーラとして平気で生きていられたのに。

クソが。

生きる気力を失って、時間の概念すらどうでもよくなり、放置した。
命の時間が消え去り、肉体が放置された状態へ、そのうち移行するだろう。

神によって与えられた黒にまみれた、散々な毎日の積み重ね。
緩衝材も、溜まった服も同じ。
絶望の毎日という黒が「何層も敷き詰められた」結果として、今の自分が形作られているんだよ。

なぁ聞いてるのか神様よお!?

あ、ようやく来てくださいましたか。
どうぞどうぞお座りください。

ああ、なんてことだ。
ついに死の使者のお迎えと、大嫌いな神が、私の死体というメインディッシュを食べるために食卓の椅子に座ったのだ。
でもまだ見せない。
死の準備が整い、私の剥き出しの痛みや血のケチャップが、死という綺麗な皮の卵で完全に包み隠し、あなた方の前に差し出した。

なぁに、ただのオムライスですよ。

ずっと胸の奥に隠していた「神を殺したい、世界を捨てたい」という鋭利な殺意のナイフと、混ざり合って毒のようになった心のカクテル。
隠していた刃物を取り出し、自分を終わらせるための最後の調合がそろそろ終わる。

さて、カクテルもどうぞ。
あれ?タイミングが違いましたかねぇ。
ではではこれはいかがでしょう?

人型の周りを飾る、食用の花々でございます。

狂気の皮を被った死体解剖図が、ついに完成する。

絡まった糸の如く動けない私は、いつか死んでしまうのだろうか。
何も知れぬまま、ただの泡になって消えてしまうのだろうか。
限界だった。
私は手元にあった、死神と神を眺めながら、花だけをきつく詰め込んだマグカップを、床に向かって力任せに叩きつけた。
パリンと硬い音がして器は無惨に破れ、なかに閉じ込められていた鮮やかな花たちが、一斉に台所の床へと飛び散り、敷き詰められる。
愛も涙も、決意も未来も、希望も夢も、全部混ざり合って、私の身体から流れ出していく。
そして、悉く汚れきった私の人生の終着点。
私は、その花が敷き詰められた床へ、糸が切れたようにバタリと倒れ込んだ。
私の肉体が、その落下の衝撃で、床の花たちを周囲へと激しく押し退ける。
やがて私の肉体が泡のように消え去ったとき。
床の上には、完璧に計算された「引き算の芸術」が残されていた。
倒れ込んだ私の身体があった場所だけ、花が退けられて床の地肌がぽっかりと「人型」の空白になって剥き出しになっている。
そして、その人型の『空白』の周りを飾るようにして、押し退けられた花たちが美しく取り囲んでいた。
それは、自らの死の衝撃そのものによって自動的に完成させられた、完璧な棺桶の「別れ花」の配置だ。
ああ、なんで美しい。
中身は全部汚れてしまったけれど、せめて最後、彼女の元へ還る私の死に様だけは、少しでも見た目が良いように、完璧な盛り付けで。

この光景は、台所のきつい油の匂いとともに、私を存在させた神様の脳裏へ、決して落ちない油絵の具のようにべっとりと、永遠に乾かない呪縛として刻み込まれることだろう……。

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