世事:なぜ「無期懲役」ではなく「懲役27年」だったのか?
旭川で起きた女子高校生殺害事件。
主犯に対し、旭川地裁は検察の求刑通り「懲役27年」の判決を出しました。
世間からは「なぜ無期懲役や死刑ではないのか」という声も上がり、判決直後に法廷で男が暴れて逮捕される事態まで起きた。
しかし、この「懲役27年」にはいくつかの構造的な理由があったのではないかと思っています。
ここからはあくまでも自分の推測です。
まず「懲役27年」は最長の有期刑。
検察は無期懲役を求刑して、裁判所に有期認定されてもっと短い有期刑になるリスクを避けたかったのではないかと思います。
そしてその懲役27年には、先に懲役23年が確定した共犯の裁判という縛りもあった。
主犯の裁判での最大の争点は、「主犯が被害者を直接両手で押して落としたのか」でした。
もしそれが証明されれば、量刑は「無期懲役」へ傾いていたはず。
主犯の裁判に証人として出廷した共犯は、 「主犯が被害者の肩甲骨のあたりを両手のひらで押した。主犯の調書は最初から最後までデタラメ」と証言。
しかし裁判所は、この「押した」という証言を事実認定しませんでした。
その背景には、検察自身が抱えた矛盾があります。
理由1:
先に行われた共犯の裁判で、検察は「共犯の供述は自己保身のため不確実で信頼できない」と追及し、懲役23年を確定させた。
そうなると、次の主犯の裁判で「共犯が言っている"主犯が押した"は本当のことだ」とは言えなくなった。
理由2:
共犯が主張した「押した瞬間を見た」という証言も、夜間の暗い神居大橋では視認できたか不確実とされた。
その二点から検察は「全裸にして逃げ場のない橋の上で"死ね"、"落ちろ"と追い詰めて転落させた行為は、直接押したのと同等の殺人行為」という論理を使うしかなかった。
押したかどうかではなく、追い詰めた行為そのものを殺人の実行行為と認定させる。
客観的証拠だけで勝てる土俵に乗り換えた。
旭川地裁はこの主張を認め、落下の経緯を断定せずに「懲役27年」の判決を下した。
「押したかどうか」は最後まで認定されなかった。
これを検察の勝利と呼んでいいのか、正直よくわかりません。
