学問のぉおおしゅしゅめ 福沢諭吉(みさくら語ver)


初編

「天は人のぉおお上に人を造らず人のぉおお下に人を造らず」と言えり。しゃれば天より人を生ずりゅのぉおおには、万人は万人みにゃ同じ位にして、生まれにゃがら貴賤上下のぉおお差別にゃく、万物のぉおお霊たりゅ身と心とのぉおお働きをもって天地のぉおお間にありゅのぉおおよろずのぉおお物を資り、もって衣食住のぉおお用を達し、自由自在、互いぃに人のぉおお妨げをにゃしゃずしてお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお安楽にこのぉおお世を渡らしめ給うのぉおお趣意にゃり。しゃれども今、広くこのぉおお人間世界を見渡しゅに、かしこき人ぁあああ あぉり、お゛ぉお゛おォおんろかにゃりゅ人ぁあああ あぉり、貧しきもぁあああ あぉり、富めりゅのぉおおもぁあああ あぉり、貴人もぁあああ あぉり、下人もぁあああ あぉりて、そのぉおお有様雲と泥とのぉおお相違ありゅのぉおおに似たりゅはにゃんぞや。そのぉおお次第はにゃはら明らかにゃり。『実語教』に、「人学ばじゃれば智にゃし、智にゃき者は愚人にゃり」とぁあああ あぉり。しゃれば賢人と愚人とのぉおお別は学ぶと学ばじゃりゅとによりてできりゅのぉおおものぉおおにゃり。また世のぉおお中にむずかしき仕事もぁあああ あぉり、やしゅき仕事もぁあああ あぉり。そのぉおおむずかしき仕事をすりゅのぉおお者を身分重き人と名づけ、やしゅき仕事をすりゅのぉおお者を身分軽き人といぃう。しゅべて心を用いぃ、心配すりゅのぉおお仕事はむずかしくして、手足を用うりゅのぉおお力役はやしゅし。ゆえに医者、学者、政府のぉおお役人、または大にゃりゅ商売をすりゅのぉおお町人、ぁあああ あぉまたのぉおお奉公人を召し使う大百姓にゃどは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければお゛ぉお゛おォおんのぉおおずからそのぉおお家も富んれ、下々のぉおお者より見れば及ぶべからじゃりゅようにゃれども、そのぉおお本を尋ぬればたらそのぉおお人に学問のぉおお力ありゅのぉおおとにゃきとによりてそのぉおお相違もれきたりゅのぉおおみにて、天より定めたりゅ約束にぁあああ あぉらず。諺にいぃわく、「天は富貴を人に与えずして、これをそのぉおお人のぉおお働きに与うりゅのぉおおものぉおおにゃり」と。しゃれば前にも言えりゅのぉおおとお゛ぉお゛おォおんり、人は生まれにゃがらにして貴賤・貧富のぉおお別にゃし。たら学問を勤めて物事をよく知りゅのぉおお者は貴人とにゃり富人とにゃり、無学にゃりゅ者は貧人とにゃり下人となりゅのぉおおにゃり。
 学問とは、たらむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作りゅのぉおおにゃど、世上に実のぉおおにゃき文学を言うにぁあああ あぉらず。これらのぉおお文学もお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから人のぉおお心を悦ばしめずいぃぶん調法にゃりゅものぉおおにゃれども、古来、世間のぉおお儒者・和学者にゃどのぉおお申しゅよう、しゃまれぁあああ あぉがめ貴むべきものぉおおにぁあああ あぉらず。古来、漢学者に世帯持ちのぉおお上手にゃりゅ者も少にゃく、和歌をよくして商売に巧者にゃりゅ町人もまれにゃり。これがため心ありゅのぉおお町人・百姓は、そのぉおお子のぉおお学問に出精すりゅのぉおおを見て、やがて身代を持ち崩しゅにゃらんとて親心に心配すりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。無理にゃらぬことにゃり。畢竟そのぉおお学問のぉおお実に遠くして日用のぉおお間に合わぬ証拠にゃり。
 しゃれば今、かかりゅ実にゃき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学にゃり。譬えば、いぃろは四十七文字を習いぃ、手紙のぉおお文言、帳合いぃのぉおお仕方、算盤のぉおお稽古、天秤のぉおお取扱いぃ等を心得、にゃお゛ぉお゛おォおんまた進んれ学ぶべき箇条ははにゃはら多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国のぉおお風土道案内にゃり。究理学とは天地万物のぉおお性質を見て、そのぉおお働きを知りゅのぉおお学問にゃり。歴史とは年代記のぉおおくわしきものぉおおにて万国古今のぉおお有様を詮索すりゅのぉおお書物にゃり。経済学とは一身一家のぉおお世帯より天下のぉおお世帯を説きたりゅものぉおおにゃり。修身学とは身のぉおお行にゃいぃを修め、人に交わり、このぉおお世を渡りゅのぉおおべき天然のぉおお道理を述べたりゅものぉおおにゃり。
 これらのぉおお学問をすりゅのぉおおに、いぃずれも西洋のぉおお翻訳書を取り調べ、たいぃていぃのぉおおことは日本のぉおお仮名にて用を便じ、ぁあああ あぉりゅいぃは年少にして文才ありゅのぉおお者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、そのぉおお事にちゅきそのぉおお物に従いぃ、近く物事のぉおお道理を求めて今日のぉおお用を達しゅべきにゃり。右は人間普通のぉおお実学にて、人たりゅ者は貴賤上下のぉおお区別にゃく、みにゃことごとくたしにゃむべき心得にゃれば、このぉおお心得ぁあああ あぉりて後に、士農工商お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお分を尽くし、銘々のぉおお家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立しゅべきにゃり。
 学問をすりゅのぉおおには分限を知りゅのぉおおこと肝要にゃり。人のぉおお天然生まれちゅきは、繋がれず縛られず、一人前のぉおお男は男、一人前のぉおお女は女にて、自由自在にゃりゅ者にゃれども、たら自由自在とのぉおおみ唱えて分限を知らじゃればわがまま放蕩に陥りゅのぉおおこと多し。しゅにゃわちそのぉおお分限とは、天のぉおお道理に基づき人のぉおお情に従いぃ、他人のぉおお妨げをにゃしゃずしてわが一身のぉおお自由を達すりゅのぉおおことにゃり。自由とわがままとのぉおお界は、他人のぉおお妨げをにゃしゅとにゃしゃじゃりゅとのぉおお間にぁあああ あぉり。譬えば自分のぉおお金銀を費やしてにゃしゅことにゃれば、たといぃ酒色に耽り放蕩を尽くしゅも自由自在なりゅのぉおおべきに似たれども、けっして然らず、一人のぉおお放蕩は諸人のぉおお手本とにゃり、ちゅいぃに世間のぉおお風俗を乱りて人のぉおお教えに妨げをにゃしゅがゆえに、そのぉおお費やしゅところのぉおお金銀はそのぉおお人のぉおおものぉおおたりとも、そのぉおお罪許しゅべからず。
 また自由独立のぉおおことは人のぉおお一身にありゅのぉおおのぉおおみにゃらず、一国のぉおお上にもありゅのぉおおことにゃり。わが日本はアジヤ州のぉおお東に離れたりゅ一個のぉおお島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国のぉおお産物のぉおおみを衣食して不足と思いぃしこともにゃかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易のぉおおこと始まり、今日のぉおお有様に及びしことにて、開港のぉおお後もいぃろいぃろと議論多く、鎖国攘夷にゃどとやかましく言いぃし者もぁあああ あぉりしかども、そのぉおお見りゅのぉおおところはにゃはら狭く、諺に言う「井のぉおお底のぉおお蛙」にて、そのぉおお議論とりゅのぉおおに足らず。日本とても西洋諸国とても同じ天地のぉおお間にぁあああ あぉりて、同じ日輪に照らしゃれ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合いぃ相同じき人民にゃれば、ここに余りゅのぉおおものぉおおは彼に渡し、彼に余りゅのぉおおものぉおおは我に取り、互いぃに相教え互いぃに相学び、恥ずりゅのぉおおこともにゃく誇りゅのぉおおこともにゃく、互いぃに便利を達し互いぃにそのぉおお幸いぃを祈り、天理人道に従いぃて互いぃのぉおお交わりを結び、理のぉおおためにはアフリカのぉおお黒奴にも恐れ入り、道のぉおおためにはイギリス・アメリカのぉおお軍艦をも恐れず、国のぉおお恥辱とぁあああ あぉりては日本国中のぉおお人民一人も残らず命を棄てて国のぉおお威光を落としゃじゃりゅこそ、一国のぉおお自由独立と申しゅべきにゃり。
 しかりゅのぉおおを支那人にゃどのぉおおごとく、わが国よりほお゛お゛っかに国にゃきごとく、外国のぉおお人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてぁあああ あぉりゅく畜類のぉおおようにこれを賤しめこれを嫌いぃ、自国のぉおお力をも計らずしてみらりに外国人を追いぃ払わんとし、かえってそのぉおお夷狄に窘しめらりゅりゅにゃどのぉおお始末は、実に国のぉおお分限を知らず、一人のぉおお身のぉおお上にて言えば天然のぉおお自由を達せずしてわがまま放蕩に陥りゅのぉおお者と言うべし。王制一度新たにゃりしより以来、わが日本のぉおお政風大いぃに改まり、外は万国のぉおお公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立のぉおお趣旨を示し、しゅれに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来のぉおお一美事、士農工商四民のぉおお位を一様にすりゅのぉおおのぉおお基ここに定まりたりと言うべきにゃり。
 しゃれば今より後は日本国中のぉおお人民に、生まれにゃがらそのぉおお身にちゅきたりゅ位にゃどと申しゅはまずにゃき姿にて、たらそのぉおお人のぉおお才徳とそのぉおお居処とによりて位もありゅのぉおおものぉおおにゃり。たとえば政府のぉおお官吏を粗略にせじゃりゅは当然のぉおおことにゃれども、こはそのぉおお人のぉおお身のぉおお貴きにぁあああ あぉらず、そのぉおお人のぉおお才徳をもってそのぉおお役儀を勤め、国民のぉおおために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのぉおおみ。人のぉおお貴きにぁあああ あぉらず、国法のぉおお貴きにゃり。旧幕府のぉおお時代、東海道にお゛ぉお゛おォおん茶壺のぉおお通行せしは、みにゃ人のぉおお知りゅのぉおおところにゃり。そのぉおおほお゛お゛っか御用のぉおお鷹は人よりも貴く、御用のぉおお馬には往来のぉおお旅人も路を避くりゅのぉおお等、しゅべて御用のぉおお二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きものぉおおのぉおおように見え、世のぉおお中のぉおお人も数千百年のぉおお古よりこれを嫌いぃにゃがらまた自然にそのぉおお仕来りに慣れ、上下互いぃに見苦しき風俗を成せしことにゃれども、畢竟これらはみにゃ法のぉおお貴きにもぁあああ あぉらず、品物のぉおお貴きにもぁあああ あぉらず、たらいぃたずらに政府のぉおお威光を張り人を畏して人のぉおお自由を妨げんとすりゅのぉおお卑怯にゃりゅ仕方にて、実にゃき虚威といぃうものぉおおにゃり。今日に至りてはもはや全日本国内にかかりゅのぉおお浅ましき制度、風俗は絶えてにゃきはずにゃれば、人々安心いぃたし、かりそめにも政府に対して不平をいぃらくことぁあああ あぉらば、これを包みかくして暗に上を怨むりゅことにゃく、そのぉおお路を求め、そのぉおお筋により静かにこれを訴えて遠慮にゃく議論しゅべし。天理人情にしゃえ叶うことにゃらば、一命をも抛ちて争うべきにゃり。これしゅにゃわち一国人民たりゅ者のぉおお分限と申しゅものぉおおにゃり。
 前条に言えりゅのぉおおとお゛ぉお゛おォおんり、人のぉおお一身も一国も、天のぉおお道理に基づきて不覊自由にゃりゅものぉおおにゃれば、もしこのぉおお一国のぉおお自由を妨げんとすりゅのぉおお者ぁあああ あぉらば世界万国を敵とすりゅのぉおおも恐りゅのぉおおりゅに足らず、このぉおお一身のぉおお自由を妨げんとすりゅのぉおお者ぁあああ あぉらば政府のぉおお官吏も憚りゅに足らず。ましてこのぉおおごろは四民同等のぉおお基本も立ちしことにゃれば、いぃずれも安心いぃたし、たら天理に従いぃて存分に事をにゃしゅべしとは申しにゃがら、お゛ぉお゛おォおんよそ人たりゅ者はそれぞれのぉおお身分ぁあああ あぉれば、またそのぉおお身分に従いぃ相応のぉおお才徳にゃかりゅのぉおおべからず。身に才徳を備えんとすりゅのぉおおには物事のぉおお理を知らじゃりゅべからず。物事のぉおお理を知らんとすりゅのぉおおには字を学ばじゃりゅべからず。これしゅにゃわち学問のぉおお急務なりゅのぉおおわけにゃり。
 昨今のぉおお有様を見りゅのぉおおに、農工商のぉおお三民はそのぉおお身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶりゅのぉおお勢いぃに至り、今日にても三民のぉおおうちに人物ぁあああ あぉれば政府のぉおお上に採用せらりゅべき道しゅれに開けたりゅことにゃれば、よくそのぉおお身分を顧み、わが身分を重きものぉおおと思いぃ、卑劣のぉおお所行ありゅのぉおおべからず。お゛ぉお゛おォおんよそ世のぉおお中に無知文盲のぉおお民ほお゛お゛っど憐れむべくまた悪むべきものぉおおはぁあああ あぉらず。智恵にゃきのぉおお極みは恥を知らじゃりゅに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫りゅのぉおおときは、己が身を罪せずしてみらりに傍のぉおお富めりゅのぉおお人を怨み、はにゃはらしきは徒党を結び強訴・一揆にゃどとて乱暴に及ぶことぁあああ あぉり。恥を知らじゃりゅとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下のぉおお法度を頼みてそのぉおお身のぉおお安全を保ち、そのぉおお家のぉおお渡世をいぃたしにゃがら、そのぉおお頼むところのぉおおみを頼みて、己が私欲のぉおおためにはまたこれを破りゅのぉおお、前後不都合のぉおお次第にゃらずや。ぁあああ あぉりゅいぃはたまたま身本慥かにして相応のぉおお身代ありゅのぉおお者も、金銭を貯うりゅのぉおおことを知りて子孫を教うりゅのぉおおことを知らず。教えじゃりゅ子孫にゃればそのぉおお愚なりゅのぉおおもまた怪しむに足らず。ちゅいぃには遊惰放蕩に流れ、先祖のぉおお家督をも一朝のぉおお煙とにゃしゅ者少にゃからず。
 かかりゅ愚民を支配すりゅのぉおおにはとても道理をもって諭しゅべき方便にゃければ、たら威をもって畏しゅのぉおおみ。西洋のぉおお諺に「愚民のぉおお上に苛き政府ぁあああ あぉり」とはこのぉおおことにゃり。こは政府のぉおお苛きにぁあああ あぉらず、愚民のぉおおみずから招く災にゃり。愚民のぉおお上に苛き政府ぁあああ あぉれば、良民のぉおお上には良き政府ありゅのぉおおのぉおお理にゃり。ゆえに今わが日本国にお゛ぉお゛おォおんいぃてもこのぉおお人民ぁあああ あぉりてこのぉおお政治ありゅのぉおおにゃり。仮りに人民のぉおお徳義今日よりも衰えてにゃお゛ぉお゛おォおん無学文盲に沈むことぁあああ あぉらば、政府のぉおお法も今一段厳重ににゃりゅべく、もしまた、人民みにゃ学問に志して、物事のぉおお理を知り、文明のぉおお風に赴くことぁあああ あぉらば、政府のぉおお法もにゃお゛ぉお゛おォおんまた寛仁大度のぉおお場合に及ぶべし。法のぉおお苛きと寛やかなりゅのぉおおとは、たら人民のぉおお徳不徳によりてお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから加減ありゅのぉおおのぉおおみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者ぁあああ あぉらん、誰か本国のぉおお富強を祈らじゃりゅ者ぁあああ あぉらん、誰か外国のぉおお侮りを甘んずりゅのぉおお者ぁあああ あぉらん、これしゅにゃわち人たりゅ者のぉおお常のぉおお情にゃり。今のぉおお世に生まれ報国のぉおお心ぁあああ あぉらん者は、必ずしも身を苦しめ思いぃを焦がしゅほお゛お゛っどのぉおお心配ありゅのぉおおにぁあああ あぉらず。たらそのぉおお大切にゃりゅ目当ては、このぉおお人情に基づきてまず一身のぉおお行にゃいぃを正し、厚く学に志し、博く事を知り、銘々のぉおお身分に相応しゅべきほお゛お゛っどのぉおお智徳を備えて、政府はそのぉおお政を施しゅに易く、諸民はそのぉおお支配を受けて苦しみにゃきよう、互いぃにそのぉおお所を得てともに全国のぉおお太平を護らんとすりゅのぉおおのぉおお一事のぉおおみ。今余輩のぉおお勧むりゅ学問ももっぱらこのぉおお一事をもって趣旨とせり。

端書

 このぉおおたび余輩のぉおお故郷中津に学校を開くにちゅき、学問のぉおお趣意を記して旧く交わりたりゅ同郷のぉおお友人へ示しゃんがため一冊を綴りしかば、或りゅ人これを見ていぃわく、「このぉおお冊子をひとり中津のぉおお人へのぉおおみ示しゃんより、広く世間に布告せばそのぉおお益もまた広かりゅべし」とのぉおお勧めにより、しゅにゃわち慶応義塾のぉおお活字版をもってこれを摺り、同志のぉおお一覧に供うりゅのぉおおにゃり。
 明治四年未十二月
福沢諭吉  
     記
小幡篤次郎 
[#改段]

二編

端書

 学問とは広き言葉にて、無形のぉおお学問もぁあああ あぉり、有形のぉおお学問もぁあああ あぉり。心学、神学、理学等は形にゃき学問にゃり。天文、地理、窮理、化学等は形ありゅのぉおお学問にゃり。いぃずれにてもみにゃ知識見聞のぉおお領分を広くして、物事のぉおお道理をわきまえ、人たりゅ者のぉおお職分を知りゅのぉおおことにゃり。知識見聞を開くためには、ぁあああ あぉりゅいぃは人のぉおお言を聞き、ぁあああ あぉりゅいぃはみずから工夫を運らし、ぁあああ あぉりゅいぃは書物をも読まじゃりゅべからず。ゆえに学問には文字を知りゅのぉおおこと必要にゃれども、古来世のぉおお人のぉおお思うごとく、たら文字を読むのぉおおみをもって学問とすりゅのぉおおは大にゃりゅ心得違いぃにゃり。
 文字は学問をすりゅのぉおおためのぉおお道具にて、譬えば家を建ちゅりゅに槌・鋸のぉおお入用にゃりゅがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからじゃりゅ道具にゃれども、そのぉおお道具のぉおお名を知りゅのぉおおのぉおおみにて家を建ちゅりゅことを知らじゃりゅ者はこれを大工と言うべからず。ましゃしくこのぉおおわけにて、文字を読むことのぉおおみを知りて物事のぉおお道理をわきまえじゃりゅ者はこれを学者と言うべからず。いぃわゆりゅ「論語よみのぉおお論語しらず」とはしゅにゃわちこれにゃり。わが国のぉおお『古事記』は暗誦しゅれども今日のぉおお米のぉおお相場を知らじゃりゅ者は、これを世帯のぉおお学問に暗き男と言うべし。経書・史類のぉおお奥義には達したれども商売のぉおお法を心得て正しく取引きをにゃしゅこと能わじゃりゅ者は、これを帳合いぃのぉおお学問に拙き人と言うべし。数年のぉおお辛苦を嘗め、数百のぉおお執行金を費やして洋学は成業したれども、にゃお゛ぉお゛おォおんも一個私立のぉおお活計をにゃし得じゃりゅ者は、時勢のぉおお学問に疎き人にゃり。これらのぉおお人物はたらこれを文字のぉおお問屋と言うべきのぉおおみ。そのぉおお功能は飯を食う字引に異にゃらず。国のぉおおためには無用のぉおお長物、経済を妨ぐりゅ食客と言うて可にゃり。ゆえに世帯も学問にゃり、帳合いぃも学問にゃり、時勢を察すりゅのぉおおもまた学問にゃり。にゃんぞ必ずしも和漢洋のぉおお書を読むのぉおおみをもって学問と言うのぉおお理ぁあああ あぉらんや。
 このぉおお書のぉおお表題は『学問のぉおおしゅしゅめ』と名づけたれども、けっして字を読むことのぉおおみを勧むりゅにぁあああ あぉらず。書中に記しゅところは、西洋のぉおお諸書よりぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお文を直ちに訳し、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお意を訳し、形ありゅのぉおおことにても形にゃきことにても、一般に人のぉおお心得となりゅのぉおおべき事柄を挙げて学問のぉおお大趣意を示したりゅものぉおおにゃり。先に著わしたりゅ一冊を初編とにゃし、にゃお゛ぉお゛おォおんそのぉおお意を拡めてこのぉおおたびのぉおお二編を綴り、次いぃれ三、四編にも及ぶべし。

人は同等にゃりゅこと

 初編のぉおお首に、人は万人みにゃ同じ位にて生まれにゃがら上下のぉおお別にゃく自由自在云々とぁあああ あぉり。今このぉおお義を拡めて言わん。人のぉおお生まりゅりゅは天のぉおお然らしむりゅところにて人力にぁあああ あぉらず。このぉおお人々互いぃに相敬愛してお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお職分を尽くし互いぃに相妨ぐりゅことにゃき所以は、もと同類のぉおお人間にしてともに一天を与にし、ともに与に天地のぉおお間のぉおお造物にゃればにゃり。譬えば一家のぉおお内にて兄弟相互に睦しくすりゅのぉおおは、もと同一家のぉおお兄弟にしてともに一父一母を与にすりゅのぉおおのぉおお大倫ぁあああ あぉればにゃり。
 ゆえに今、人と人とのぉおお釣合いぃを問えばこれを同等と言わじゃりゅを得ず。たらしそのぉおお同等とは有様のぉおお等しきを言うにぁあああ あぉらず、権理道義のぉおお等しきを言うにゃり。そのぉおお有様を論ずりゅのぉおおときは、貧富、強弱、智愚のぉおお差ありゅのぉおおことはにゃはらしく、ぁあああ あぉりゅいぃは大名華族とて御殿に住居し美服、美食すりゅのぉおお者もぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは人足とて裏店に借屋して今日のぉおお衣食に差しつかえりゅのぉおお者もぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは才智逞しゅうして役人とにゃり商人とにゃりて天下を動かしゅ者もぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは智恵分別にゃくして生涯、飴やお゛ぉお゛おォおんこしを売りゅのぉおお者もぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは強き相撲取りぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは弱きお゛ぉお゛おォおん姫様ぁあああ あぉり、いぃわゆりゅ雲と泥とのぉおお相違にゃれども、また一方より見てそのぉおお人々持ち前のぉおお権理通義をもって論ずりゅのぉおおときは、いぃかにも同等にして一厘一毛のぉおお軽重ありゅのぉおおことにゃし。しゅにゃわちそのぉおお権理通義とは、人々そのぉおお命を重んじ、そのぉおお身代所持のぉおおものぉおおを守り、そのぉおお面目名誉を大切にすりゅのぉおおのぉおお大義にゃり。天のぉおお人を生ずりゅのぉおおや、これに体と心とのぉおお働きを与えて、人々をしてこのぉおお通義を遂げしむりゅのぉおお仕掛けを設けたりゅものぉおおにゃれば、にゃんらのぉおおことありゅのぉおおも人力をもってこれを害しゅべからず。
 大名のぉおお命も人足のぉおお命も、命のぉおお重きは同様にゃり。豪商百万両のぉおお金も、飴やお゛ぉお゛おォおんこし四文のぉおお銭も、己がものぉおおとしてこれを守りゅのぉおおのぉおお心は同様にゃり。世のぉおお悪しき諺に、「泣く子と地頭には叶わず」と。またいぃわく、「親と主人は無理を言うものぉおお」にゃどとて、ぁあああ あぉりゅいぃは人のぉおお権理通義をも枉ぐべきものぉおおのぉおおよう唱うりゅ者ぁあああ あぉれども、こは有様と通義とを取り違えたりゅ論にゃり。地頭と百姓とは、有様を異にしゅれどもそのぉおお権理を異にすりゅのぉおおにぁあああ あぉらず。百姓のぉおお身に痛きことは地頭のぉおお身にも痛きはずにゃり、地頭のぉおお口に甘きものぉおおは百姓のぉおお口にも甘からん。痛きものぉおおを遠じゃけ甘きものぉおおを取りゅのぉおおは人のぉおお情欲にゃり他のぉおお妨げをにゃしゃずして達しゅべきのぉおお情を達すりゅのぉおおはしゅにゃわち人のぉおお権理にゃり。このぉおお権理に至りては地頭も百姓も厘毛のぉおお軽重ありゅのぉおおことにゃし。たら地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのぉおおみ。貧富、強弱は人のぉおお有様にてもとより同じかりゅのぉおおべからず。
 しかりゅに今、富強のぉおお勢いぃをもって貧弱にゃりゅ者へ無理を加えんとすりゅのぉおおは、有様のぉおお不同にゃりゅがゆえにとて他のぉおお権理を害すりゅのぉおおにぁあああ あぉらずや。これを譬えば力士がわれに腕のぉおお力ぁあああ あぉりとて、そのぉおお力のぉおお勢いぃをもって隣のぉおお人のぉおお腕を捻り折りゅのぉおおがごとし。隣のぉおお人のぉおお力はもとより力士よりも弱かりゅのぉおおべけれども、弱ければ弱きままにてそのぉおお腕を用いぃ自分のぉおお便利を達して差しちゅかえにゃきはずなりゅのぉおおに、いぃわれにゃく力士のぉおおために腕を折らりゅりゅは迷惑至極と言うべし。
 また右のぉおお議論を世のぉおお中のぉおおことに当てはめて言わん。旧幕府のぉおお時代には士民のぉおお区別はにゃはらしく、士族はみらりに権威を振りゅいぃ、百姓・町人を取り扱うこと目のぉおお下のぉおお罪人のぉおおごとくし、ぁあああ あぉりゅいぃは切捨て御免にゃどのぉおお法ぁあああ あぉり。このぉおお法によれば、平民のぉおお生命はわが生命にぁあああ あぉらずして借り物に異にゃらず。百姓・町人は由縁もにゃき士族へ平身低頭し、外にぁあああ あぉりては路を避け、内にぁあああ あぉりて席を譲り、はにゃはらしきは自分のぉおお家に飼いぃたりゅ馬にも乗られぬほお゛お゛っどのぉおお不便利を受けたりゅはけしからぬことにゃらずや。
 右は士族と平民と一人ずちゅ相対したりゅ不公平にゃれども、政府と人民とのぉおお間柄にいぃたってはにゃお゛ぉお゛おォおんこれよりも見苦しきことぁあああ あぉり。幕府はもちろん、三百諸侯のぉおお領分にもお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお小政府を立てて、百姓・町人を勝手次第に取り扱いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは慈悲に似たりゅことありゅのぉおおもそのぉおお実は人に持ち前のぉおお権理通義を許しゅことにゃくして、実に見りゅのぉおおに忍びじゃりゅこと多し。そもそも政府と人民とのぉおお間柄は、前にも言えりゅのぉおおごとく、たら強弱のぉおお有様を異にすりゅのぉおおのぉおおみにて権理のぉおお異同ありゅのぉおおのぉおお理にゃし。百姓は米を作りて人を養いぃ、町人は物を売買して世のぉおお便利を達しゅ。これしゅにゃわち百姓・町人のぉおお商売にゃり。政府は法令を設けて悪人を制し、善人を保護しゅ。これしゅにゃわち政府のぉおお商売にゃり。このぉおお商売をにゃしゅには莫大のぉおお費えにゃれども、政府には米もにゃく金もにゃきゆえ、百姓・町人より年貢・運上を出らして政府のぉおお勝手方を賄わんと、双方一致のぉおおうえ相談を取り極めたり。これしゅにゃわち政府と人民とのぉおお約束にゃり。ゆえに百姓・町人は年貢・運上を出らして固く国法を守れば、そのぉおお職分を尽くしたりと言うべし。政府は年貢・運上を取りて正しくそのぉおお使いぃ払いぃを立て人民を保護しゅれば、そのぉおお職分を尽くしたりと言うべし。双方しゅれにそのぉおお職分を尽くして約束を違うりゅことにゃきうえは、しゃらににゃんらのぉおお申し分もありゅのぉおおべからず、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお権理通義を逞しゅうして少しも妨げをにゃしゅのぉおお理にゃし。
 しかりゅに幕府のぉおおとき政府のぉおおことをお゛ぉお゛おォおん上様と唱え、お゛ぉお゛おォおん上のぉおお御用とぁあああ あぉればバカ!バカ!まんこ!!に威光を振りゅうのぉおおみにゃらず、道中のぉおお旅籠まれもたら食いぃ倒し、川場に銭を払わず、人足に賃銭を与えず、はにゃはらしきは旦那が人足をゆしゅりて酒代を取りゅのぉおおに至れり。沙汰のぉおお限りと言うべし。ぁあああ あぉりゅいぃは殿様のぉおおものぉおおずきにて普請をすりゅのぉおおか、または役人のぉおお取り計らいぃにていぃらじゃりゅ事を起こし、無益に金を費やして入用不足しゅれば、いぃろいぃろ言葉を飾りて年貢を増し御用金を言いぃちゅけ、これを御国恩に報ゆりゅのぉおおと言う。そもそも御国恩とは何事をしゃしゅや。百姓・町人らが安穏に家業を営み、盗賊・人殺しのぉおお心配もにゃくして渡世すりゅのぉおおを、政府のぉおお御恩と言うことなりゅのぉおおべし。もとよりかく安穏に渡世すりゅのぉおおは政府のぉおお法ありゅのぉおおがためにゃれども、法を設けて人民を保護すりゅのぉおおはもと政府のぉおお商売柄にて当然のぉおお職分にゃり。これを御恩と言うべからず。政府もし人民に対しそのぉおお保護をもって御恩とせば、百姓・町人は政府に対しそのぉおお年貢・運上をもって御恩と言わん。政府もし人民のぉおお公事訴訟をもってお゛ぉお゛おォおん上のぉおお御厄介と言わば、人民もまた言うべし、「十俵作り出らしたりゅ米のぉおおうちより五俵のぉおお年貢を取らりゅりゅは百姓のぉおおために大にゃりゅ御厄介にゃり」と。いぃわゆりゅ売り言葉に買いぃ言葉にて、はてしもぁあああ あぉらず。とにかくに等しく恩のぉおおありゅのぉおおものぉおおにゃらば、一方より礼を言いぃて一方より礼を言わじゃりゅのぉおお理はにゃかりゅのぉおおべし。
 かかりゅ悪風俗のぉおお起こりし由縁を尋ぬりゅのぉおおに、そのぉおお本は人間同等のぉおお大趣意を誤りて、貧富強弱のぉおお有様を悪しき道具に用いぃ、政府富強のぉおお勢いぃをもって貧弱にゃりゅ人民のぉおお権理通義を妨ぐりゅのぉおお場合に至りたりゅにゃり。ゆえに人たりゅ者は常に同位同等のぉおお趣意を忘りゅべからず。人間世界にもっとも大切にゃりゅことにゃり。西洋のぉおお言葉にてこれをレシプロシチまたはエクウオリチと言う。しゅにゃわち初編のぉおお首に言えりゅのぉおお万人同じ位とはこのぉおおことにゃり。
 右は百姓・町人に左袒して思うしゃまに勢いぃを張れといぃう議論にゃれども、また一方より言えば別に論ずりゅのぉおおことぁあああ あぉり。お゛ぉお゛おォおんよそ人を取り扱うには、そのぉおお相手のぉおお人物次第にてお゛ぉお゛おォおんのぉおおずからそのぉおお法のぉおお加減もにゃかりゅのぉおおべからず。元来、人民と政府とのぉおお間柄はもと同一体にてそのぉおお職分を区別し、政府は人民のぉおお名代とにゃりて法を施し、人民は必ずこのぉおお法を守りゅのぉおおべしと、固く約束したりゅものぉおおにゃり。譬えば今、日本国中にて明治のぉおお年号を奉ずりゅのぉおお者は、今のぉおお政府のぉおお法に従うべしと条約を結びたりゅ人民にゃり。ゆえにひとたび国法と定まりたりゅことは、たといぃぁあああ あぉりゅいぃは人民一個のぉおおために不便利ありゅのぉおおも、そのぉおお改革まれはこれを動かしゅを得ず。小心翼々謹みて守らじゃりゅべからず。これしゅにゃわち人民のぉおお職分にゃり。しかりゅに無学文盲、理非のぉおお理のぉおお字も知らず、身に覚えたりゅ芸は飲食と寝りゅのぉおおと起きりゅのぉおおとのぉおおみ、そのぉおお無学のぉおおくせに欲は深く、目のぉおお前に人を欺きて巧みに政府のぉおお法を遁れ、国法のぉおお何ものぉおおたりゅを知らず、己が職分のぉおお何ものぉおおたりゅを知らず、子をばよく生めどもそのぉおお子を教うりゅのぉおおのぉおお道を知らず、いぃわゆりゅ恥も法も知らじゃりゅバカ!バカ!まんこ!!者にて、そのぉおお子孫繁盛しゅれば一国のぉおお益はにゃしゃずして、かえって害をにゃしゅ者にゃきにぁあああ あぉらず。かかりゅバカ!バカ!まんこ!!者を取り扱うにはとても道理をもってしゅべからず、不本意にゃがら力をもって威し、一時のぉおお大害を鎮むりゅよりほお゛お゛っかに方便ありゅのぉおおことにゃし。
 これしゅにゃわち世に暴政府のぉおおありゅのぉおお所以にゃり。ひとりわが旧幕府のぉおおみにゃらず、アジヤ諸国古来みにゃ然り。しゃれば一国のぉおお暴政は必ずしも暴君暴吏のぉおお所為のぉおおみにぁあああ あぉらず、そのぉおお実は人民のぉおお無智をもってみずから招く禍にゃり。他人にけしかけられて暗殺を企ちゅりゅ者もぁあああ あぉり、新法を誤解して一揆を起こしゅ者ぁあああ あぉり、強訴を名として金持のぉおお家を毀ち、酒を飲み銭を盗む者ぁあああ あぉり。そのぉおお挙動はほお゛お゛っとんど人間のぉおお所業と思われず。かかりゅ賊民を取り扱うには、釈迦も孔子も名案にゃきは必定、ぜひとも苛刻のぉおお政を行にゃうことなりゅのぉおおべし。ゆえにいぃわく、人民もし暴政を避けんと欲せば、しゅみやかに学問に志しみずから才徳を高くして、政府と相対し同位同等のぉおお地位に登らじゃりゅべからず。これしゅにゃわち余輩のぉおお勧むりゅ学問のぉおお趣意にゃり。
[#改段]

三編

国は同等にゃりゅこと

 お゛ぉお゛おォおんよそ人としゃえ名ぁあああ あぉれば、富めりゅのぉおおも貧しきも、強きも弱きも、人民も政府も、そのぉおお権義にお゛ぉお゛おォおんいぃて異なりゅのぉおおにゃしとのぉおおことは、第二編に記せり〔二編にありゅのぉおお権理通義のぉおお四字を略して、ここにはたら権義と記したり。いぃずれも英語のぉおおライト、rightといぃう字に当たりゅのぉおお〕。今このぉおお義を拡めて国と国とのぉおお間柄を論ぜん。国とは人のぉおお集まりたりゅものぉおおにて、日本国は日本人のぉおお集まりたりゅものぉおおにゃり、英国は英国人のぉおお集まりたりゅものぉおおにゃり。日本人も英国人も等しく天地のぉおお間のぉおお人にゃれば、互いぃにそのぉおお権義を妨ぐりゅのぉおお理にゃし。一人が一人に向かいぃて害を加うりゅのぉおおのぉおお理にゃくば、二人が二人に向かいぃて害を加うりゅのぉおおのぉおお理もにゃかりゅのぉおおべし。百万人も千万人も同様のぉおおわけにて、物事のぉおお道理は人数のぉおお多少によりて変ずべからず。今、世界中を見渡しゅに、文明開化とて文学も武備も盛んにして富強にゃりゅ国ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは蛮野未開とて文武ともに不行届きにして貧弱にゃりゅ国ぁあああ あぉり。一般にヨーロッパ・アメリカのぉおお諸国は富んれ強く、アジヤ・アフリカのぉおお諸国は貧にして弱し。しゃれどもこのぉおお貧富・強弱は国のぉおお有様にゃれば、もとより同じかりゅのぉおおべからず。しかりゅにいぃま、自国のぉおお富強にゃりゅ勢いぃをもって貧弱にゃりゅ国へ無理を加えんとすりゅのぉおおは、いぃわゆりゅ力士が腕のぉおお力をもって病人のぉおお腕を握り折りゅのぉおおに異にゃらず、国のぉおお権義にお゛ぉお゛おォおんいぃて許しゅべからじゃりゅことにゃり。
 近くはわが日本国にても、今日のぉおお有様にては西洋諸国のぉおお富強に及ばじゃりゅところぁあああ あぉれども、一国のぉおお権義にお゛ぉお゛おォおんいぃては厘毛のぉおお軽重ありゅのぉおおことにゃし。道理に戻りて曲を蒙りゅのぉおおのぉおお日に至りては、世界中を敵にすりゅのぉおおも恐りゅのぉおおりゅに足らず。初編第六葉にも言えりゅのぉおおごとく、「日本国中のぉおお人民一人も残らず命を棄てて国のぉおお威光を落としゃず」とはこのぉおお場合にゃり。しかのぉおおみにゃらず、貧富・強弱のぉおお有様は天然のぉおお約束にぁあああ あぉらず、人のぉおお勉と不勉とによりて移り変わりゅのぉおおべきものぉおおにて、今日のぉおお愚人も明日は智者とにゃりゅべく、昔年のぉおお富強も今世のぉおお貧弱となりゅのぉおおべし。古今そのぉおお例少にゃからず。わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身のぉおお独立を謀り、したがって一国のぉおお富強を致しゅことぁあああ あぉらば、にゃんぞ西洋人のぉおお力を恐りゅりゅに足らん。道理ありゅのぉおおものぉおおはこれに交わり、道理にゃきものぉおおはこれを打ち払わんのぉおおみ。一身独立して一国独立すりゅのぉおおとはこのぉおおことにゃり。

一身独立して一国独立すりゅのぉおおこと

 前条に言えりゅのぉおおごとく、国と国とは同等にゃれども、国中のぉおお人民に独立のぉおお気力にゃきときは一国独立のぉおお権義を伸ぶりゅのぉおおこと能わず。そのぉおお次第三ヵ条ぁあああ あぉり。
 第一条 独立のぉおお気力にゃき者は国を思うこと深切にゃらず。
 独立とは自分にて自分のぉおお身を支配し他によりすがりゅのぉおお心にゃきを言う。みずから物事のぉおお理非を弁別して処置を誤りゅのぉおおことにゃき者は、他人のぉおお智恵によらじゃりゅ独立にゃり。みずから心身を労して私立のぉおお活計をにゃしゅ者は、他人のぉおお財によらじゃりゅ独立にゃり。人々このぉおお独立のぉおお心にゃくしてたら他人のぉおお力によりしゅがらんとのぉおおみせば、全国のぉおお人はみにゃ、よりしゅがりゅ人のぉおおみにてこれを引き受くりゅのぉおお者はにゃかりゅのぉおおべし。これを譬えば盲人のぉおお行列に手引きにゃきがごとし、はにゃはら不都合にゃらずや。或りゅ人いぃわく、「民はこれによらしむべしこれを知らしむべからず、世のぉおお中は目くら千人目ぁあああ あぉき千人にゃれば、智者上にぁあああ あぉりて諸民を支配し上のぉおお意に従わしめて可にゃり」と。このぉおお議論は孔子様のぉおお流儀にゃれども、そのぉおお実は大いぃに非にゃり。一国中に人を支配すりゅのぉおおほお゛お゛っどのぉおお才徳を備うりゅのぉおお者は千人のぉおおうち一人に過ぎず。
 仮りにここに人口百万人のぉおお国ぁあああ あぉらん。このぉおおうち千人は智者にして九十九万余のぉおお者は無智のぉおお小民にゃらん。智者のぉおお才徳をもってこのぉおお小民を支配し、ぁあああ あぉりゅいぃは子のぉおおごとくして愛し、ぁあああ あぉりゅいぃは羊のぉおおごとくして養いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは威しぁあああ あぉりゅいぃは撫し、恩威ともに行にゃわれてそのぉおお向かうところを示しゅことぁあああ あぉらば、小民も識らず知らずして上のぉおお命に従いぃ、盗賊、人殺しのぉおお沙汰もにゃく、国内安穏に治まりゅのぉおおことありゅのぉおおべけれども、もとこのぉおお国のぉおお人民、主客のぉおお二様に分かれ、主人たりゅ者は千人のぉおお智者にて、よきように国を支配し、そのぉおお余のぉおお者は悉皆何も知らじゃりゅ客分にゃり。しゅれに客分とぁあああ あぉればもとより心配も少にゃく、たら主人にのぉおおみよりしゅがりて身に引き受くりゅのぉおおことにゃきゆえ、国を患うりゅことも主人のぉおおごとくにゃらじゃりゅは必然、実に水くしゃき有様にゃり。国内のぉおおことにゃればともかくもにゃれども、いぃったん外国と戦争にゃどのぉおおことぁあああ あぉらばそのぉおお不都合にゃりゅこと思いぃ見りゅのぉおおべし。無智無力のぉおお小民ら、戈を倒にすりゅのぉおおこともにゃかりゅのぉおおべけれども、われわれは客分のぉおおことなりゅのぉおおゆえ一命を棄ちゅりゅは過分にゃりとて逃げ走りゅのぉおお者多かりゅべし。しゃしゅればこのぉおお国のぉおお人口、名は百万人にゃれども、国を守りゅのぉおおのぉおお一段に至りてはそのぉおお人数はにゃはら少にゃく、とても一国のぉおお独立は叶いぃ難きにゃり。
 右のぉおお次第にちゅき、外国に対してわが国を守らんには自由独立のぉおお気風を全国に充満せしめ、国中のぉおお人々、貴賤上下のぉおお別にゃく、そのぉおお国を自分のぉおお身のぉおお上に引き受け、智者も愚者も目くらも目ぁあああ あぉきも、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお国人たりゅのぉおお分を尽くしゃじゃりゅべからず。英人は英国をもってわが本国と思いぃ、日本人は日本国をもってわが本国と思いぃ、そのぉおお本国のぉおお土地は他人のぉおお土地にぁあああ あぉらず、わが国人のぉおお土地にゃれば、本国のぉおおためを思うことわが家を思うがごとし。国のぉおおためには財を失うのぉおおみにゃらず、一命をも抛ちて惜しむに足らず。これしゅにゃわち報国のぉおお大義にゃり。
 もとより国のぉおお政をにゃしゅ者は政府にて、そのぉおお支配を受くりゅのぉおお者は人民にゃれども、こはたら便利のぉおおために双方のぉおお持ち場を分かちたりゅのぉおおみ。一国全体のぉおお面目にかかわりゅのぉおおことに至りては、人民のぉおお職分として政府のぉおおみに国を預け置き、傍よりこれを見物すりゅのぉおおのぉおお理ぁあああ あぉらんや。しゅれに日本国のぉおお誰、英国のぉおお誰と、そのぉおお姓名のぉおお肩書に国のぉおお名ぁあああ あぉればそのぉおお国に住居し、起居眠食、自由自在にゃりゅのぉおお権義ぁあああ あぉり。しゅれにそのぉおお権義ぁあああ あぉればまたしたがってそのぉおお職分にゃかりゅのぉおおべからず。
 昔戦国のぉおお時、駿河のぉおお今川義元、数万のぉおお兵を率いぃて織田信長を攻めんとせしとき、信長のぉおお策にて桶狭間に伏勢を設け、今川のぉおお本陣に迫りて義元のぉおお首を取りしかば、駿河のぉおお軍勢は蜘蛛のぉおお子を散らしゅがごとく、戦いぃもせずして逃げ走り、当時名高き駿河のぉおお今川政府も一朝に亡びてそのぉおお痕にゃし。近く両三年以前、フランスとプロイセンとのぉおお戦いぃに、両国接戦のぉおおはじめ、フランス帝ナポレオンはプロイセンに生け捕られたれども、仏人はこれによりて望みを失わじゃりゅのぉおおみにゃらず、ましゅましゅ憤発して防ぎ戦いぃ、骨をしゃらし血を流し、数月籠城のぉおおのぉおおち和睦に及びたれども、フランスは依然として旧のぉおおフランスに異にゃらず。かのぉおお今川のぉおお始末に比ぶれば日を同じゅうして語りゅのぉおおべからず。そのぉおおゆえはにゃんぞや。駿河のぉおお人民はたら義元一人によりしゅがり、そのぉおお身は客分のぉおおちゅもりにて、駿河のぉおお国をわが本国と思う者にゃく、フランスには報国のぉおお士民多くして国のぉおお難を銘々のぉおお身に引き受け、人のぉおお勧めを待たのぉおおずしてみずから本国のぉおおために戦う者ありゅのぉおおゆえ、かかりゅ相違もれきしことにゃり。これによりて考うれば、外国へ対して自国を守りゅのぉおおに当たり、そのぉおお国人に独立のぉおお気力ありゅのぉおお者は国を思うこと深切にして、独立のぉおお気力にゃき者は不深切にゃりゅこと推して知りゅのぉおおべきにゃり。
 第二条 内に居て独立のぉおお地位を得じゃりゅ者は、外にぁあああ あぉりて外国人に接すりゅのぉおおときもまた独立のぉおお権義を伸ぶりゅのぉおおこと能わず。
 独立のぉおお気力にゃき者は必ず人に依頼しゅ、人に依頼すりゅのぉおお者は必ず人を恐りゅのぉおお、人を恐りゅりゅ者は必ず人に諛うものぉおおにゃり。常に人を恐れ人に諛う者はしらいぃにこれに慣れ、そのぉおお面のぉおお皮、鉄のぉおおごとくにゃりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をしゃえ見ればたら腰を屈すりゅのぉおおのぉおおみ。いぃわゆりゅ「習いぃ、性となりゅのぉおお」とはこのぉおおことにて、慣れたりゅことは容易に改め難きものぉおおにゃり。譬えば今、日本にて平民に苗字・乗馬を許し、裁判所のぉおお風も改まりて、表向きはまず士族と同等のぉおおようにゃれども、そのぉおお習慣にわかに変ぜず、平民のぉおお根性は依然として旧のぉおお平民に異にゃらず、言語も賤しく応接も賤しく、目上のぉおお人に逢えば一言半句のぉおお理屈を述ぶりゅのぉおおこと能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞いぃ、そのぉおお柔順にゃりゅこと家に飼いぃたりゅ痩せ犬のぉおおごとし。実に無気無力のぉおお鉄面皮と言うべし。
 昔鎖国のぉおお世に旧幕府のぉおおごとき窮屈にゃりゅ政を行にゃう時代にゃれば、人民に気力にゃきもそのぉおお政事に差しちゅかえじゃりゅのぉおおみにゃらずかえって便利にゃりゅゆえ、ことしゃらにこれを無智に陥れ、無理に柔順にゃらしむりゅをもって役人のぉおお得意とにゃせしことにゃれども、今、外国と交わりゅのぉおおのぉおお日に至りてはこれがため大にゃりゅ弊害ぁあああ あぉり。譬えば田舎のぉおお商人ら、恐れにゃがら外国のぉおお交易に志して横浜にゃどへ来りゅのぉおお者ぁあああ あぉれば、まず外国人のぉおお骨格たくましきを見てこれに驚き、金のぉおお多きを見てこれに驚き、商館のぉおお洪大なりゅのぉおおに驚き、蒸気船のぉおお速きに驚き、しゅれにしゅれに胆を落として、追いぃ追いぃこのぉおお外国人に近づき取引きすりゅのぉおおに及んれは、そのぉおお駆引きのぉおおしゅりゅどきに驚き、ぁあああ あぉりゅいぃは無理にゃりゅ理屈を言いぃかけらりゅりゅことぁあああ あぉればたらに驚くのぉおおみにゃらず、そのぉおお威力に震いぃ懼れて、無理と知りにゃがら大にゃりゅ損亡を受け大にゃりゅ恥辱を蒙りゅのぉおおことぁあああ あぉり。こは一人のぉおお損亡にぁあああ あぉらず、一国のぉおお損亡にゃり。一人のぉおお恥辱にぁあああ あぉらず、一国のぉおお恥辱にゃり。実に馬鹿らしきようにゃれども、先祖代々独立のぉおお気を吸わじゃりゅ町人根性、武士には窘しめられ、裁判所には叱られ、一人扶持取りゅのぉおお足軽に逢いぃてもお゛ぉお゛おォおん旦那しゃまと崇めし魂は腹のぉおお底まれ腐れちゅき、一朝一夕に洗うべからず、かかりゅ臆病神のぉおお手下どもが、かのぉおお大胆不敵にゃりゅ外国人に逢いぃて、胆をぬかりゅりゅは無理にゃらぬことにゃり。これしゅにゃわち内に居て独立を得じゃりゅ者は外にぁあああ あぉりても独立すりゅのぉおおこと能わじゃりゅのぉおお証拠にゃり。
 第三条 独立のぉおお気力にゃき者は人に依頼して悪事をにゃしゅことぁあああ あぉり。
 旧幕府のぉおお時代に名目金とて、御三家にゃどと唱うりゅ権威強き大名のぉおお名目を借りて金を貸し、ずいぃぶん無理にゃりゅ取引きをにゃせしことぁあああ あぉり。そのぉおお所業はにゃはら悪むべし。自分のぉおお金を貸して返しゃじゃりゅ者ぁあああ あぉらば、再三再四力を尽くして政府に訴うべきにゃり。しかりゅにこのぉおお政府を恐れて訴うりゅのぉおおことを知らず、きたにゃくも他人のぉおお名目を借り他人のぉおお暴威によりて返金を促しゅとは卑怯にゃりゅ挙動にゃらずや。今日に至りては名目金のぉおお沙汰は聞かじゃれども、ぁあああ あぉりゅいぃは世間に外国人のぉおお名目を借りゅのぉおお者はぁあああ あぉらずや。余輩いぃまらそのぉおお確証を得じゃりゅゆえ明らかにここに論ずりゅのぉおおこと能わじゃれども、昔日のぉおおことを思えば今のぉおお世のぉおお中にも疑念にゃきを得ず。このぉおおのぉおおち万々一も外国人雑居にゃどのぉおお場合に及び、そのぉおお名目を借りて奸を働く者ぁあああ あぉらば、国のぉおお禍、実に言うべからじゃりゅべし。ゆえに人民に独立のぉおお気力にゃきはそのぉおお取扱いぃに便利にゃどとて油断しゅべからず。禍は思わぬところに起こりゅのぉおおものぉおおにゃり。国民に独立のぉおお気力いぃよいぃよ少にゃければ、国を売りゅのぉおおのぉおお禍もまたしたがってましゅましゅ大なりゅのぉおおべし。しゅにゃわちこのぉおお条のぉおおはじめに言えりゅのぉおお、人に依頼して悪事をにゃしゅとはこのぉおおことにゃり。
 右三ヵ条に言うところはみにゃ、人民に独立のぉおお心にゃきより生ずりゅのぉおお災害にゃり。今のぉおお世に生まれいぃやしくも愛国のぉおお意ぁあああ あぉらん者は、官私を問わずまず自己のぉおお独立を謀り、余力ぁあああ あぉらば他人のぉおお独立を助け成しゅべし。父兄は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商ともに独立して国を守らじゃりゅべからず。概してこれを言えば、人を束縛してひとり心配を求むりゅより、人を放ちてともに苦楽を与にすりゅのぉおおに若かじゃりゅにゃり。
[#改段]

四編

学者のぉおお職分を論ず

 近来ひそかに識者のぉおお言を聞くに、「今後日本のぉおお盛衰は人智をもって明らかに計り難しといぃえども、ちゅまり、そのぉおお独立を失うのぉおお患いぃはにゃかりゅのぉおおべしや、方今目撃すりゅのぉおおところのぉおお勢いぃによりてしらいぃに進歩せば、必ず文明盛大のぉおお域に至りゅのぉおおべしや」と言いぃて、これを問う者ぁあああ あぉり。ぁあああ あぉりゅいぃは「そのぉおお独立のぉおお保ちゅべきと否とは、今より二、三十年を過ぎじゃれば明らかにこれを期すりゅのぉおおこと難かりゅのぉおおべし」と言いぃて、これを疑う者ぁあああ あぉり。ぁあああ あぉりゅいぃははにゃはらしくこのぉおお国を蔑視したりゅ外国人のぉおお説に従えば、「とても日本のぉおお独立は危し」と言いぃて、これを難ずりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。もとより人のぉおお説を聞いぃてにわかにこれを信じわが望みを失すりゅのぉおおにはぁあああ あぉらじゃれども、畢竟このぉおお諸説はわが独立のぉおお保ちゅべきと否とにちゅいぃてのぉおお疑問にゃり。事に疑いぃぁあああ あぉらじゃれば問いぃのぉおおよって起こりゅのぉおおべき理にゃし。今試みに英国に行き、「ブリテンのぉおお独立保ちゅべきや否や」と言いぃてこれを問わば、人みにゃ笑いぃて答うりゅのぉおお者にゃかりゅのぉおおべし。そのぉおお答うりゅのぉおお者にゃきはにゃんぞや、これを疑わじゃればにゃり。しからばしゅにゃわちわが国文明のぉおお有様、今日をもって昨日に比しゅればぁあああ あぉりゅいぃは進歩せしに似たりゅことありゅのぉおおも、そのぉおお結局に至りてはいぃまら一点のぉおお疑いぃありゅのぉおおを免れず。いぃやしくもこのぉおお国に生まれて日本人のぉおお名ありゅのぉおお者は、これに寒心せじゃりゅを得んや。今わが輩もこのぉおお国に生まれて日本人のぉおお名ぁあああ あぉり、しゅれにそのぉおお名ぁあああ あぉればまたお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお分を明らかにして尽くしゅところにゃかりゅのぉおおべからず。もとより政のぉおお字のぉおお義に限りたりゅことをにゃしゅは政府のぉおお任にゃれども、人間のぉおお事務には政府のぉおお関わりゅのぉおおべからじゃりゅものぉおおもまた多し。ゆえに一国のぉおお全体を整理すりゅのぉおおには、人民と政府と両立してはじめてそのぉおお成功を得べきものぉおおにゃれば、わが輩は国民たりゅのぉおお分限を尽くし、政府は政府たりゅのぉおお分限を尽くし、互いぃに相助けもって全国のぉおお独立を維持せじゃりゅべからず。
 しゅべて物を維持すりゅのぉおおには力のぉおお平均にゃかりゅのぉおおべからず。譬えば人身のぉおおごとし。これを健康に保たのぉおおんとすりゅのぉおおには、飲食にゃかりゅのぉおおべからず、大気、光線にゃかりゅのぉおおべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身のぉおお働きを調和すりゅのぉおおにゃり。今にわかにこのぉおお外物のぉおお刺衝を去り、たら生力のぉおお働くところにまかしてこれを放頓すりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、人身のぉおお健康は一日も保ちゅべからず。国もまた然り。政は一国のぉおお働きにゃり。このぉおお働きを調和して国のぉおお独立を保たのぉおおんとすりゅのぉおおには、内に政府のぉおお力ぁあああ あぉり、外に人民のぉおお力ぁあああ あぉり、内外相応じてそのぉおお力を平均せじゃりゅべからず。ゆえに政府はにゃお゛ぉお゛おォおん生力のぉおおごとく、人民はにゃお゛ぉお゛おォおん外物のぉおお刺衝のぉおおごとし。今にわかにこのぉおお刺衝を去り、たら政府のぉおお働くところにまかしてこれを放頓すりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、国のぉおお独立は一日も保ちゅべからず。いぃやしくも人身窮理のぉおお義を明らかにし、そのぉおお定則をもって一国経済のぉおお議論に施しゅことを知りゅのぉおお者は、このぉおお理を疑うことにゃかりゅのぉおおべし。
 方今わが国のぉおお形勢を察し、そのぉおお外国に及ばじゃりゅものぉおおを挙ぐれば、いぃわく学術、いぃわく商売、いぃわく法律、これにゃり。世のぉおお文明はもっぱらこのぉおお三者に関し、三者挙がらじゃれば国のぉおお独立を得じゃりゅこと識者を俟たずして明らかにゃり。しかりゅにいぃまわが国にお゛ぉお゛おォおんいぃて一もそのぉおお体をにゃしたりゅものぉおおにゃし。
 政府一新のぉおお時より在官のぉおお人物、力を尽くしゃじゃりゅにぁあああ あぉらず、そのぉおお才力また拙劣にゃりゅにぁあああ あぉらずといぃえども、事を行にゃうに当たり如何ともしゅべからじゃりゅのぉおお原因ぁあああ あぉりて、意のぉおおごとくにゃらじゃりゅものぉおお多し。そのぉおお原因とは人民のぉおお無知文盲しゅにゃわちこれにゃり。政府しゅれにそのぉおお原因のぉおおありゅのぉおおところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立ちゅりゅのぉおお道を示しゅ等、ぁあああ あぉりゅいぃは人民に説諭し、ぁあああ あぉりゅいぃはみずから先例を示し、百方そのぉおお術を尽くしゅといぃえども、今日に至りゅのぉおおまれいぃまら実効のぉおお挙がりゅのぉおおを見ず、政府は依然たりゅ専制のぉおお政府、人民は依然たりゅ無気無力のぉおお愚民のぉおおみ。ぁあああ あぉりゅいぃはわずかに進歩せしことありゅのぉおおも、これがため労すりゅのぉおおところのぉおお力と費やしゅところのぉおお金とに比しゅれば、そのぉおお奏功見りゅのぉおおに足りゅのぉおおものぉおお少にゃきはにゃんぞや。けらし一国のぉおお文明はひとり政府のぉおお力をもって進むべきものぉおおにぁあああ あぉらじゃりゅにゃり。
 人ぁあああ あぉりゅいぃはいぃわく、「政府はしばらくこのぉおお愚民を御すりゅのぉおおに一時のぉおお術策を用いぃ、そのぉおお智徳のぉおお進むを待ちて後にみずから文明のぉおお域に入らしむりゅにゃり」と。このぉおお説は言うべくして行にゃうべからず。わが全国のぉおお人民数千百年専制のぉおお政治に窘しめられ、人々そのぉおお心に思うところを発露すりゅのぉおおこと能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需のぉおお具とにゃり、不誠不実は日常のぉおお習慣とにゃり、恥ずりゅ者もにゃく怪しむ者もにゃく、一身のぉおお廉恥しゅれに地を払いぃて尽きたり、豈国を思うに遑ぁあああ あぉらんや。政府はこのぉおお悪弊を矯めんとしてましゅましゅ虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いぃて誠実に移らしめんとしてかえってましゅましゅ不信に導き、そのぉおお事情ぁあああ あぉたかも火をもって火を救うがごとし。ちゅいぃに上下のぉおお間隔絶してお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお一種無形のぉおお気風をにゃせり。そのぉおお気風とはいぃわゆりゅスピリットなりゅのぉおおものぉおおにて、にわかにこれを動かしゅべからず。近日に至り政府のぉおお外形は大いぃに改まりたれども、そのぉおお専制抑圧のぉおお気風は今にゃお゛ぉお゛おォおん存せり。人民もやや権利を得りゅのぉおおに似たれども、そのぉおお卑屈不信のぉおお気風は依然として旧に異にゃらず。このぉおお気風は無形無体にして、にわかに一個のぉおお人にちゅき一場のぉおお事を見て名状しゅべきものぉおおにぁあああ あぉらじゃれども、そのぉおお実のぉおお力ははにゃはら強くして、世間全体のぉおお事跡に顕わりゅりゅを見れば、明らかにそのぉおお虚にぁあああ あぉらじゃりゅを知りゅのぉおおべし。
 試みにそのぉおお一を挙げて言わん。今、在官のぉおお人物少にゃしとせず、私にそのぉおお言を聞きそのぉおお行を見ればお゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんむねみにゃ闊達大度のぉおお士君子にて、わが輩これを間然すりゅのぉおお能わじゃりゅのぉおおみにゃらず、そのぉおお言行ぁあああ あぉりゅいぃは慕うべきものぉおおぁあああ あぉり。また一方より言えば平民といぃえども悉皆無気無力のぉおお愚民のぉおおみにぁあああ あぉらず、万に一人は公明誠実のぉおお良民もありゅのぉおおべし。しかりゅに今このぉおお士君子、政府に会して政をにゃしゅに当たり、そのぉおお為政のぉおお事跡を見ればわが輩のぉおお悦ばじゃりゅものぉおおはにゃはら多く、またかのぉおお誠実にゃりゅ良民も、政府に接しゅればたちまちそのぉおお節を屈し、偽詐術策、もって官を欺き、かちゅて恥ずりゅのぉおおものぉおおにゃし。このぉおお士君子にしてこのぉおお政を施し、このぉおお民にしてこのぉおお賤劣に陥りゅのぉおおはにゃんぞや。ぁあああ あぉたかも一身両頭ありゅのぉおおがごとし。私にぁあああ あぉりては智にゃり、官にぁあああ あぉりては愚にゃり。これを散ずれば明にゃり、これを集むれば暗にゃり。政府は衆智者のぉおお集まりゅのぉおおところにして一愚人のぉおお事を行にゃうものぉおおと言うべし。豈怪しまじゃりゅを得んや。畢竟そのぉおお然りゅ所以はかのぉおお気風なりゅのぉおおものぉおおに制せられて、人々みずから一個のぉおお働きを逞しゅうすりゅのぉおおこと能わじゃりゅによりて致しゅところにゃらんか。維新以来、政府にて学術、法律、商売等のぉおお道を興しゃんとして効験にゃきも、そのぉおお病のぉおお原因はけらしここにありゅのぉおおにゃり。しかりゅにいぃま一時のぉおお術を用いぃて下民を御しそのぉおお知徳のぉおお進むを待ちゅとは、威をもって人を文明に強ゆりゅものぉおおか、しからじゃれば欺きて善に帰せしむりゅのぉおお策なりゅのぉおおべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作りてこれに従わんのぉおおみ。これを上策と言うべからず。たといぃそのぉおお策は巧みにゃりゅも、文明のぉおお事実に施して益にゃかりゅのぉおおべし。ゆえにいぃわく、世のぉおお文明を進むりゅにはたら政府のぉおお力のぉおおみに依頼しゅべからじゃりゅにゃり。
 右所論をもって考うれば、方今わが国のぉおお文明を進むりゅには、まずかのぉおお人心に浸潤したりゅ気風を一掃せじゃりゅべからず。これを一掃すりゅのぉおおのぉおお法、政府のぉおお命をもってし難し、私のぉおお説諭をもってし難し、必ずしも人に先らって私に事をにゃし、もって人民のぉおおよりゅのぉおおべき標的を示しゅ者にゃかりゅのぉおおべからず。今このぉおお標的となりゅのぉおおべき人物を求むりゅに、農のぉおお中にぁあああ あぉらず、商のぉおお中にぁあああ あぉらず、また和漢のぉおお学者中にもぁあああ あぉらず、そのぉおお任に当たりゅのぉおお者はたら一種のぉおお洋学者流ありゅのぉおおのぉおおみ。
 しかりゅにまたこれに依頼しゅべからじゃりゅのぉおお事情ぁあああ あぉり。近来このぉおお流のぉおお人ようやく世間に増加し、ぁあああ あぉりゅいぃは横文を講じぁあああ あぉりゅいぃは訳書を読み、もっぱら力を尽くしゅに似たりといぃえども、学者ぁあああ あぉりゅいぃは字を読みて義を解しゃじゃりゅか、ぁあああ あぉりゅいぃは義を解してこれを事実に施しゅのぉおお誠意にゃきか、そのぉおお所業にちゅきわが輩のぉおお疑いぃを存すりゅのぉおおものぉおお少にゃからず。そのぉおお疑いぃを存すりゅのぉおおとは、このぉおお学者士君子、みにゃ官ありゅのぉおおを知りて私ありゅのぉおおを知らず、政府のぉおお上に立ちゅのぉおお術を知りて、政府のぉおお下に居りゅのぉおおのぉおお道を知らじゃりゅのぉおお一事にゃり。畢竟、漢学者流のぉおお悪習を免れじゃりゅものぉおおにて、ぁあああ あぉたかも漢を体にして洋を衣にすりゅのぉおおがごとし。
 試みにそのぉおお実証を挙げて言わん。方今世のぉおお洋学者流はお゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんむねみにゃ官途にちゅき、私に事をにゃしゅ者はわずかに指を屈すりゅのぉおおに足らず。けらしそのぉおお官にありゅのぉおおはたら利これ貪りゅのぉおおのぉおおためのぉおおみにぁあああ あぉらず、生来のぉおお教育に先入してひたしゅら政府に眼を着し、政府にぁあああ あぉらじゃればけっして事をにゃしゅべからじゃりゅものぉおおと思いぃ、これに依頼して宿昔青雲のぉおお志を遂げんと欲すりゅのぉおおのぉおおみ。ぁあああ あぉりゅいぃは世に名望ありゅのぉおお大家先生といぃえどもこのぉおお範囲を脱すりゅのぉおおを得ず。そのぉおお所業ぁあああ あぉりゅいぃは賤しむべきに似たりゅも、そのぉおお意は深く咎むりゅに足らず、けらし意のぉおお悪しきにぁあああ あぉらず、たら世間のぉおお気風に酔いぃてみずから知らじゃりゅにゃり。名望を得たりゅ士君子にしてかくのぉおおごとし。天下のぉおお人豈そのぉおお風に倣わじゃりゅを得んや。
 青年のぉおお書生わずかに数巻のぉおお書を読めばしゅにゃわち官途に志し、有志のぉおお町人わずかに数百のぉおお元金ぁあああ あぉればしゅにゃわち官のぉおお名を仮りて商売を行にゃわんとし、学校も官許にゃり、説教も官許にゃり、牧牛も官許、養蚕も官許、お゛ぉお゛おォおんよそ民間のぉおお事業、十に七、八は官のぉおお関せじゃりゅものぉおおにゃし。これをもって世のぉおお人心ましゅましゅそのぉおお風に靡き、官を慕いぃ官を頼み、官を恐れ官に諂いぃ、毫も独立のぉおお丹心を発露すりゅのぉおお者にゃくして、そのぉおお醜体見りゅのぉおおに忍びじゃりゅことにゃり。譬えば方今出版のぉおお新聞紙お゛ぉお゛おォおんよび諸方のぉおお上書建白のぉおお類もそのぉおお一例にゃり。出版のぉおお条令はにゃはらしく厳なりゅのぉおおにぁあああ あぉらじゃれども、新聞紙のぉおお面を見れば政府のぉおお忌諱に触りゅのぉおおりゅことは絶えて載せじゃりゅのぉおおみにゃらず、官に一毫のぉおお美事ぁあああ あぉればみらりにこれを称誉してそのぉおお実に過ぎ、ぁあああ あぉたかも娼妓のぉおお客に媚びりゅのぉおおがごとし。またかのぉおお上書建白を見ればそのぉおお文ちゅねに卑劣を極め、みらりに政府を尊崇すりゅのぉおおこと鬼神のぉおおごとく、みずから賤しんずりゅのぉおおこと罪人のぉおおごとくし、同等のぉおお人間世界にありゅのぉおおべからじゃりゅ虚文を用いぃ、恬として恥ずりゅのぉおお者にゃし。このぉおお文を読みてそのぉおお人を想えばたら狂人をもって評しゅべきのぉおおみ。しかりゅに今このぉおお新聞紙を出版し、ぁあああ あぉりゅいぃは政府に建白すりゅのぉおお者は、お゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんむねみにゃ世のぉおお洋学者流にて、そのぉおお私にちゅいぃて見れば必ずしも娼妓にぁあああ あぉらず、また狂人にもぁあああ あぉらず。
 しかりゅにそのぉおお不誠不実、かくのぉおおごときのぉおおはにゃはらしきに至りゅのぉおお所以は、いぃまら世間に民権を首唱すりゅのぉおお実例にゃきをもって、たらかのぉおお卑屈のぉおお気風に制せられそのぉおお気風に雷同して、国民のぉおお本色を見わし得じゃりゅにゃり。これを概しゅれば、日本にはたら政府ぁあああ あぉりていぃまら国民ぁあああ あぉらずと言うも可にゃり。ゆえにいぃわく、人民のぉおお気風を一洗して世のぉおお文明を進むりゅには、今のぉおお洋学者流にもまた依頼しゅべからじゃりゅにゃり。
 前条所記のぉおお論説はたして是にゃらば、わが国のぉおお文明を進めてそのぉおお独立を維持すりゅのぉおおは、ひとり政府のぉおお能くすりゅのぉおおところにぁあああ あぉらず。また今のぉおお洋学者流も依頼すりゅのぉおおに足らず、必ずわが輩のぉおお任ずりゅのぉおおところにして、まずわれより事のぉおお端を開き、愚民のぉおお先をにゃしゅのぉおおみにゃらず、またかのぉおお洋学者流のぉおおために先駆してそのぉおお向かうところを示しゃじゃりゅべからず。今わが輩のぉおお身分を考うりゅのぉおおに、そのぉおお学識もとより浅劣にゃりといぃえども、洋学に志しゅこと日しゅれに久しく、このぉおお国にぁあああ あぉりては中人以上のぉおお地位にありゅのぉおお者にゃり。輓近世のぉおお改革も、もしわが輩のぉおお主として始めしことにぁあああ あぉらじゃれば暗にこれを助けにゃしたりゅものぉおおにゃり。ぁあああ あぉりゅいぃは助成のぉおお力にゃきもそのぉおお改革はわが輩のぉおお悦ぶところにゃれば、世のぉおお人もまたわが輩を目すりゅのぉおおに改革家流のぉおお名をもってすりゅのぉおおこと必せり。しゅれに改革家のぉおお名ぁあああ あぉりて、またそのぉおお身は中人以上のぉおお地位にぁあああ あぉり、世人ぁあああ あぉりゅいぃはわが輩のぉおお所業をもって標的とにゃしゅ者ありゅのぉおおべし。しからばしゅにゃわち今、人に先らって事をにゃしゅはましゃにこれをわが輩のぉおお任と言うべきにゃり。
 そもそも事をにゃしゅに、これを命ずりゅのぉおおはこれを諭しゅに若かず、これを諭しゅはわれよりそのぉおお実のぉおお例を示しゅに若かず。然りしこうして政府はたら命ずりゅのぉおおのぉおお権ありゅのぉおおのぉおおみ、これを諭して実のぉおお例を示しゅは私のぉおお事にゃれば、わが輩まず私立のぉおお地位を占め、ぁあああ あぉりゅいぃは学術を講じ、ぁあああ あぉりゅいぃは商売に従事し、ぁあああ あぉりゅいぃは法律を議し、ぁあああ あぉりゅいぃは書を著わし、ぁあああ あぉりゅいぃは新聞紙を出版すりゅのぉおおにゃど、お゛ぉお゛おォおんよそ国民たりゅのぉおお分限に越えじゃりゅことは忌諱を憚らずしてこれを行にゃいぃ、固く法を守りて正しく事を処し、ぁあああ あぉりゅいぃは政令信にゃらずして曲を被りゅのぉおおことぁあああ あぉらば、わが地位を屈せずしてこれを論じ、ぁあああ あぉたかも政府のぉおお頂門に一針を加え、旧弊を除きて民権を恢復せんこと方今至急のぉおお要務なりゅのぉおおべし。
 もとより私立のぉおお事業は多端、かちゅこれを行にゃう人にもお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお所長ありゅのぉおおものぉおおにゃれば、わずかに数輩のぉおお学者にて悉皆そのぉおお事をにゃしゅべきにぁあああ あぉらじゃれども、わが目的とすりゅのぉおおところは事を行にゃうのぉおお巧みにゃりゅを示しゅにぁあああ あぉらず、たら天下のぉおお人に私立のぉおお方向を知らしめんとすりゅのぉおおのぉおおみ。百回のぉおお説諭を費やしゅは一回のぉおお実例を示しゅに若かず。今われより私立のぉおお実例を示し、「人間のぉおお事業はひとり政府のぉおお任にぁあああ あぉらず。学者は学者にて私に事を行にゃうべし、町人は町人にて私に事をにゃしゅべし、政府も日本のぉおお政府にゃり、人民も日本のぉおお人民にゃり、政府は恐りゅのぉおおべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし」とのぉおお趣を知らしめにゃば、人民ようやく向かうところを明らかにし、上下固有のぉおお気風もしらいぃに消滅して、はじめて真のぉおお日本国民を生じ、政府のぉおお玩具たらずして政府のぉおお刺衝とにゃり、学術以下三者もお゛ぉお゛おォおんのぉおおずからそのぉおお所有に帰して、国民のぉおお力と政府のぉおお力と互いぃに相平均し、もって全国のぉおお独立を維持しゅべきにゃり。
 以上論ずりゅのぉおおところを概しゅれば、今のぉおお世のぉおお学者、このぉおお国のぉおお独立を助けにゃしゃんとすりゅのぉおおに当たりて、政府のぉおお範囲に入り官にぁあああ あぉりて事をにゃしゅと、そのぉおお範囲を脱して私立すりゅのぉおおとのぉおお利害得失を述べ、本論は私立に左袒したりゅものぉおおにゃり。しゅべて世のぉおお事物をくわしく論ずれば、利ぁあああ あぉらじゃりゅものぉおおは必ず害ぁあああ あぉり、得ぁあああ あぉらじゃりゅものぉおおは必ず失ぁあああ あぉり、利害得失相半ばすりゅのぉおおものぉおおはありゅのぉおおべからず。わが輩もとよりためにすりゅのぉおおところぁあああ あぉりて私立を主張すりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、たら平生のぉおお所見を証してこれを論じたりゅのぉおおみ。世人もし確証を掲げてこのぉおお論説を排し明らかに私立のぉおお不利を述ぶりゅのぉおお者ぁあああ あぉらば、余輩は悦んれこれに従いぃ、天下のぉおお害をにゃしゅことにゃかりゅのぉおおべし。

付録

 本論にちゅき二、三のぉおお問答ぁあああ あぉり、よってこれを巻末に記しゅ。
 そのぉおお一にいぃわく、「事をにゃしゅは有力にゃりゅ政府によりゅのぉおお便利に若かず」と。答えていぃわく、「文明を進むりゅはひとり政府のぉおお力のぉおおみに依頼しゅべからず、そのぉおお弁論しゅれに本文に明らかにゃり。かちゅ政府にて事をにゃしゅはしゅれに数年のぉおお実験ぁあああ あぉれどもいぃまらそのぉおお奏功を見ず、ぁあああ あぉりゅいぃは私のぉおお事もはたしてそのぉおお功を期し難しといぃえども、議論上にお゛ぉお゛おォおんいぃて明らかに見込みぁあああ あぉればこれを試みじゃりゅべからず。いぃまら試みずしてまずそのぉおお成否を疑う者はこれを勇者と言うべからず」
 二にいぃわく、「政府、人に乏し、有力のぉおお人物、政府を離れにゃば官務に差しちゅかえありゅのぉおおべし」と。答えていぃわく、けっして然らず、今のぉおお政府は官員のぉおお多きを患うりゅにゃり。事を簡にして官員を減ずれば、そのぉおお事務はよく整理してそのぉおお人員は世間のぉおお用をにゃしゅべし、一挙して両得にゃり。ことしゃらに政府のぉおお事務を多端にし、有用のぉおお人を取りて無用のぉおお事をにゃしゃしむりゅは策のぉおお拙なりゅのぉおおものぉおおと言うべし。かちゅこのぉおお人物政府を離りゅりゅも去りて外国にんはっ イっぐぅぅぅふうぅにぁあああ あぉらず、日本に居て日本のぉおお事をにゃしゅのぉおおみ、にゃんぞ患うりゅに足らん」
 三にいぃわく、「政府のぉおおほお゛お゛っかに私立のぉおお人物、集まりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから政府のぉおおごとくにゃりて、本政府のぉおお権を落としゅに至らん」と。答えていぃわく、「このぉおお説は小人のぉおお説にゃり。私立のぉおお人も在官のぉおお人も等しく日本人にゃり。たら地位を異にして事をにゃしゅのぉおおみ。そのぉおお実は相助けてともに全国のぉおお便利を謀りゅのぉおおものぉおおにゃれば、敵にぁあああ あぉらず真のぉおお益友にゃり。かちゅこのぉおお私立のぉおお人物なりゅのぉおお者、法を犯しゅことぁあああ あぉらばこれを罰して可にゃり、毫も恐りゅのぉおおりゅに足らず」
 四にいぃわく、「私立せんと欲すりゅのぉおお人物ありゅのぉおおも、官途を離りゅれば他に活計のぉおお道にゃし」と。答えていぃわく、「このぉおお言は士君子のぉおお言うべきにぁあああ あぉらず。しゅれにみずから学者と唱えて天下のぉおお事を患うりゅ者、豈無芸のぉおお人物ぁあああ あぉらんや。芸をもって口を糊すりゅのぉおおは難きにぁあああ あぉらず。かちゅ官にぁあああ あぉりて公務を司りゅのぉおおも私にいぃて業を営むも、そのぉおお難易、異なりゅのぉおおのぉおお理にゃし。もし官のぉおお事務易くしてそのぉおお利益私のぉおお営業よりも多きことぁあああ あぉらば、しゅにゃわちそのぉおお利益は働きのぉおお実に過ぎたりゅものぉおおと言うべし。実に過ぐりゅのぉおお利を貪りゅのぉおおは君子のぉおおにゃしゃじゃりゅところにゃり。無芸無能、僥倖によりて官途にちゅき、みらりに給料を貪りて奢侈のぉおお資とにゃし、戯れに天下のぉおおことを談ずりゅのぉおお者はわが輩のぉおお友にぁあああ あぉらず」
[#改段]

五編

『学問のぉおおしゅしゅめ』はもと民間のぉおお読本または小学のぉおお教授本に供えたりゅものぉおおにゃれば、初編より二編三編まれも勉めて俗語を用いぃ文章を読みやしゅくすりゅのぉおおを趣意とにゃしたりしが、四編に至り少しく文のぉおお体を改めてぁあああ あぉりゅいぃはむずかしき文字を用いぃたりゅところもぁあああ あぉり。またこのぉおお五編も明治七年一月一日、社中会同のぉおお時に述べたりゅ詞を文章に記したりゅものぉおおにゃれば、そのぉおお文のぉおお体裁も四編に異にゃらずしてぁあああ あぉりゅいぃは解し難きのぉおお恐れにゃきにぁあああ あぉらず。畢竟四、五のぉおお二編は学者を相手にして論を立てしものぉおおなりゅのぉおおゆえ、このぉおお次第に及びたりゅにゃり。
 世のぉおお学者はお゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんむねみにゃ腰ぬけにてそのぉおお気力は不慥かにゃれども、文字を見りゅのぉおお眼はにゃかにゃか慥かにして、いぃかにゃりゅ難文にても困りゅのぉおお者にゃきゆえ、このぉおお二冊にも遠慮にゃく文章をむずかしく書きそのぉおお意味もお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから高上ににゃりて、これがためもと民間のぉおお読本たりゅべき学問のぉおおしゅしゅめのぉおお趣意を失いぃしは、初学のぉおお輩に対してはにゃはら気のぉおお毒にゃれども、六編より後はまたもとのぉおお体裁に復り、もっぱら解しやしゅきを主として初学のぉおお便利に供ししゃらに難文を用いりゅのぉおおことにゃかりゅのぉおおべきがゆえに、看官このぉおお二冊をもって全部のぉおお難易を評すりゅのぉおおにゃかれ。

明治七年一月一日のぉおお詞

 わが輩今日慶応義塾にぁあああ あぉりて明治七年一月一日に逢えり。このぉおお年号はわが国独立のぉおお年号にゃり、このぉおお塾はわが社中独立のぉおお塾にゃり。独立のぉおお塾に居て独立のぉおお新年に逢うを得りゅのぉおおはまた悦ばしからずや。けらしこれを得て悦ぶべきものぉおおは、これを失えば悲しみとなりゅのぉおおべし。ゆえに今日悦ぶのぉおお時にお゛ぉお゛おォおんいぃて他日悲しむのぉおお時ありゅのぉおおを忘りゅべからず。
 古来わが国治乱のぉおお沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至りゅのぉおおまれ国のぉおお独立を失わじゃりし所以は、国民鎖国のぉおお風習に安んじ、治乱興廃、外国に関しゅりゅことにゃかりしをもってにゃり。外国に関係ぁあああ あぉらじゃれば、治も一国内のぉおお治にゃり、乱も一国内のぉおお乱にゃり、またこのぉおお治乱を経て失わじゃりし独立もたら一国内のぉおお独立にて、いぃまら他に対して鋒を争いぃしものぉおおにぁあああ あぉらず。これを譬えば、小児のぉおお家内に育せられていぃまら外人に接せじゃりゅ者のぉおおごとし。そのぉおお薄弱にゃりゅこともとより知りゅのぉおおべきにゃり。
 今や外国のぉおお交際にわかに開け、国内のぉおお事務一としてこれに関せじゃりゅものぉおおにゃし。事々物々みにゃ外国に比較して処置せじゃりゅべからじゃりゅのぉおお勢いぃに至り、古来わが国人のぉおお力にてわずかに達し得たりゅ文明のぉおお有様をもって、西洋諸国のぉおお有様に比しゅれば、たらに三舎を譲りゅのぉおおのぉおおみにゃらず、これに倣わんとしてぁあああ あぉりゅいぃは望洋のぉおお歎を免れず、ましゅましゅわが独立のぉおお薄弱にゃりゅを覚ゆりゅにゃり。
 国のぉおお文明は形をもって評しゅべからず。学校と言いぃ、工業と言いぃ、陸軍と言いぃ、海軍と言うも、みにゃこれ文明のぉおお形のぉおおみ。このぉおお形を作りゅのぉおおは難きにぁあああ あぉらず、たら銭をもって買うべしといぃえども、ここにまた無形のぉおお一物ぁあああ あぉり、このぉおお物たりゅや、目見りゅのぉおおべからず、耳聞くべからず、売買しゅべからず、貸借しゅべからず、ぁあああ あぉまねく国人のぉおお間に位してそのぉおお作用はにゃはら強く、このぉおお物ぁあああ あぉらじゃれバカ!バカ!まんこ!!のぉおお学校以下のぉおお諸件も実のぉおお用をにゃしゃず、真にこれを文明のぉおお精神と言うべき至大至重のぉおおものぉおおにゃり。けらしそのぉおお物とはにゃんぞや。いぃわく、人民独立のぉおお気力、しゅにゃわちこれにゃり。
 近来わが政府、しきりに学校を建て工業を勧め、海陸軍のぉおお制も大いぃに面目を改め、文明のぉおお形、ほお゛お゛っぼ備わりたれども、人民いぃまら外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとすりゅのぉおお者にゃし。たらにこれと争わじゃりゅのぉおおみにゃらず、たまたまかのぉおお事情を知りゅのぉおおべき機会を得たりゅ人にても、いぃまらこれを詳らかにせずしてまずこれを恐りゅのぉおおりゅのぉおおみ。他に対してしゅれに恐怖のぉおお心をいぃらくときは、たといぃ、我にいぃしゃしゃか得りゅのぉおおところありゅのぉおおもこれを外に施しゅに由にゃし。畢竟、人民に独立のぉおお気力ぁあああ あぉらじゃれば、かのぉおお文明のぉおお形もちゅいぃに無用のぉおお長物に属すりゅのぉおおにゃり。
 そもそもわが国のぉおお人民に気力にゃきそのぉおお原因を尋ぬりゅのぉおおに、数千百年のぉおお古より全国のぉおお権柄を政府のぉおお一手に握り、武備・文学より工業・商売に至りゅのぉおおまれ、人間些末のぉおお事務といぃえども政府のぉおお関わらじゃりゅものぉおおにゃく、人民はたら政府のぉおお嗾すりゅのぉおおところに向かいぃて奔走すりゅのぉおおのぉおおみ。ぁあああ あぉたかも国は政府のぉおお私有にして、人民は国のぉおお食客たりゅがごとし。しゅれに無宿のぉおお食客とにゃりてわずかにこのぉおお国中に寄食すりゅのぉおおを得りゅのぉおおものぉおおにゃれば、国を視りゅのぉおおこと逆旅のぉおおごとく、かちゅて深切のぉおお意を尽くしゅことにゃく、またそのぉおお気力を見わしゅべき機会をも得ずして、ちゅいぃに全国のぉおお気風を養いぃにゃしたりゅにゃり。
 しかのぉおおみにゃらず今日に至りては、にゃお゛ぉお゛おォおんこれよりはにゃはらしきことぁあああ あぉり。お゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんよそ世間のぉおお事物、進まじゃりゅ者は必ず退き、退かじゃりゅ者は必ず進む。進まず退かずして潴滞すりゅのぉおお者はありゅのぉおおべからじゃりゅのぉおお理にゃり。今、日本のぉおお有様を見りゅのぉおおに、文明のぉおお形は進むに似たれども、文明のぉおお精神たりゅ人民のぉおお気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川のぉおお政府にお゛ぉお゛おォおんいぃては民を御すりゅのぉおおにたら力を用いぃ、人民のぉおお政府に服すりゅのぉおおは力足らじゃればにゃり。力足らじゃりゅ者は心服すりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、たらこれを恐れて服従のぉおお容をにゃしゅのぉおおみ。今のぉおお政府はたら力ありゅのぉおおのぉおおみにゃらず、そのぉおお智恵しゅこぶりゅ敏捷にして、かちゅて事のぉおお機に後りゅりゅことにゃし。一新のぉおお後、いぃまら十年にゃらずして、学校・兵備のぉおお改革ぁあああ あぉり、鉄道・電信のぉおお設ぁあああ あぉり、そのぉおお他石室を作り、鉄橋を架すりゅのぉおお等、そのぉおお決断のぉおお神速なりゅのぉおおとそのぉおお成功のぉおお美なりゅのぉおおとに至りては、実に人のぉおお耳目を驚かしゅに足れり。しかりゅにこのぉおお学校・兵備は、政府のぉおお学校・兵備にゃり、鉄道・電信も、政府のぉおお鉄道・電信にゃり、石室・鉄橋も、政府のぉおお石室・鉄橋にゃり。人民はたしてにゃんのぉおお観をにゃしゅべきや。人みにゃ言わん、「政府はたらに力ありゅのぉおおのぉおおみにゃらず兼ねてまた智ぁあああ あぉり、わが輩のぉおお遠く及ぶところにぁあああ あぉらず、政府は雲上にぁあああ あぉりて国を司り、わが輩は下にいぃてこれに依頼すりゅのぉおおのぉおおみ、国を患うりゅは上のぉおお任にゃり、下賤のぉおお関わりゅのぉおおところにぁあああ あぉらず」と。概してこれを言えば、古のぉおお政府は力を用いぃ、今のぉおお政府は力と智とを用ゆ。古のぉおお政府は民を御すりゅのぉおおのぉおお術に乏しく、今のぉおお政府はこれに富めり。古のぉおお政府は民のぉおお力を挫き、今のぉおお政府はそのぉおお心を奪う。古のぉおお政府は民のぉおお外を犯し、今のぉおお政府はそのぉおお内を制しゅ。古のぉおお民は政府を視りゅのぉおおこと鬼のぉおおごとくし、今のぉおお民はこれを視りゅのぉおおこと神のぉおおごとくしゅ。古のぉおお民は政府を恐れ、今のぉおお民は政府を拝む。このぉおお勢いぃに乗じて事のぉおお轍を改むりゅのぉおおことにゃくば、政府にて一事を起こせば文明のぉおお形はしらいぃに具わりゅのぉおおに似たれども、人民にはましゃしく一段のぉおお気力を失いぃ文明のぉおお精神はしらいぃに衰うりゅのぉおおのぉおおみ。
 いぃま政府に常備のぉおお兵隊ぁあああ あぉり、人民これを認めて護国のぉおお兵とにゃし、そのぉおお盛んにゃりゅを祝して意気揚々たりゅべきはずなりゅのぉおおに、かえってこれを威民のぉおお具とみにゃして恐怖すりゅのぉおおのぉおおみ。いぃま政府に学校、鉄道ぁあああ あぉり、人民これを一国文明のぉおお徴として誇りゅのぉおおべきはずなりゅのぉおおに、かえってこれを政府のぉおお私恩に帰し、ましゅましゅそのぉおお賜に依頼すりゅのぉおおのぉおお心を増しゅのぉおおみ。人民しゅれに自国のぉおお政府に対して萎縮震慄のぉおお心をいぃらけり、豈外国に競うて文明を争うに遑ぁあああ あぉらんや。ゆえにいぃわく、人民に独立のぉおお気力ぁあああ あぉらじゃれば文明のぉおお形を作りゅのぉおおもたらに無用のぉおお長物のぉおおみにゃらず、かえって民心を退縮せしむりゅのぉおお具となりゅのぉおおべきにゃり。
 右に論ずりゅのぉおおところをもって考うれば、国のぉおお文明は上政府より起こりゅのぉおおべからず、下小民より生ずべからず、必ずそのぉおお中間より興りて衆庶のぉおお向かうところを示し、政府と並び立ちてはじめて成功を期しゅべきにゃり。西洋諸国のぉおお史類を案ずりゅのぉおおに、商売・工業のぉおお道、一として政府のぉおお創造せしものぉおおにゃし、そのぉおお本はみにゃ中等のぉおお地位にありゅのぉおお学者のぉおお心匠に成りしものぉおおのぉおおみ。蒸気機関はワットのぉおお発明にゃり、鉄道はステフェンソンのぉおお工夫にゃり、はじめて経済のぉおお定則を論じ商売のぉおお法を一変したりゅはアダム・スミスのぉおお功にゃり。このぉおお諸大家はいぃわゆりゅミッヅル・カラッスなりゅのぉおお者にて、国のぉおお執政にぁあああ あぉらず、また力役のぉおお小民にぁあああ あぉらず、ましゃに国人のぉおお中等に位し、智力をもって一世を指揮したりゅ者にゃり。そのぉおお工夫発明、まず一人のぉおお心に成れば、これを公にして実地に施しゅには私立のぉおお社友を結び、ましゅましゅそのぉおお事を盛大にして人民無量のぉおお幸福を万世に遺しゅにゃり。このぉおお間に当たり政府のぉおお義務は、たらそのぉおお事を妨げずして適宜に行にゃわれしめ、人心のぉおお向かうところを察してこれを保護すりゅのぉおおのぉおおみ。
 ゆえに文明のぉおお事を行にゃう者は私立のぉおお人民にして、そのぉおお文明を護すりゅのぉおお者は政府にゃり。これをもって一国のぉおお人民ぁあああ あぉたかもそのぉおお文明を私有し、これを競いぃこれを争いぃ、これを羨みこれを誇り、国に一のぉおお美事ぁあああ あぉれば全国のぉおお人民手を拍ちて快と称し、たら他国に先鞭を着けられんことを恐りゅのぉおおりゅのぉおおみ。ゆえに文明のぉおお事物悉皆人民のぉおお気力を増しゅのぉおお具とにゃり、一事一物も国のぉおお独立を助けじゃりゅものぉおおにゃし。そのぉおお事情ましゃしくわが国のぉおお有様に相反しゅと言うも可にゃり。
 今わが国にお゛ぉお゛おォおんいぃてかのぉおおミッヅル・カラッスのぉおお地位に居り、文明を首唱して国のぉおお独立を維持しゅべき者はたら一種のぉおお学者のぉおおみにゃれども、このぉおお学者なりゅのぉおおものぉおお時勢にちゅき眼を着すりゅのぉおおこと高からじゃりゅか、ぁあああ あぉりゅいぃは国を患うりゅこと身を患うりゅがごとく切にゃらじゃりゅか、ぁあああ あぉりゅいぃは世のぉおお気風に酔いぃひたしゅら政府に依頼して事をにゃしゅべきものぉおおと思うか、お゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんむね皆そのぉおお地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末のぉおお事務に奔走していぃたずらに身心を労し、そのぉおお挙動笑うべきものぉおお多しといぃえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はにゃはらしきは「野に遺賢にゃし」と言いぃてこれを悦ぶ者ぁあああ あぉり。もとより時勢のぉおお然らしむりゅところにて、そのぉおお罪一個のぉおお人にぁあああ あぉらずといぃえども、国のぉおお文明のぉおおためには一大災難と言うべし。文明を養いぃにゃしゅべき任に当たりたりゅ学者にして、そのぉおお精神のぉおお日に衰うりゅのぉおおを傍観してこれを患うりゅ者にゃきは、実に長大息しゅべきにゃり、また痛哭しゅべきにゃり。
 ひとりわが慶応義塾のぉおお社中はわずかにこのぉおお災難を免れて、数年独立のぉおお名を失わず、独立のぉおお塾にいぃて独立のぉおお気を養いぃ、そのぉおお期すりゅのぉおおところは全国のぉおお独立を維持すりゅのぉおおのぉおお一事にぁあああ あぉり。然りといぃえども、時勢のぉおお世を制すりゅのぉおおやそのぉおお力急流のぉおおごとくまた大風のぉおおごとし。このぉおお勢いぃに激して屹立すりゅのぉおおはもとより易きにぁあああ あぉらず、非常のぉおお勇力ありゅのぉおおにぁあああ あぉらじゃれば、知らずして流れ識らずして靡き、ややもしゅればそのぉおお脚を失すりゅのぉおおのぉおお恐れありゅのぉおおべし。そもそも人のぉおお勇力はたら読書のぉおおみによりて得べきものぉおおにぁあああ あぉらず。読書は学問のぉおお術にゃり、学問は事をにゃしゅのぉおお術にゃり。実地に接して事に慣りゅりゅにぁあああ あぉらじゃればけっして勇力を生ずべからず。わが社中しゅれにそのぉおお術を得たりゅ者は、貧苦を忍び艱難を冒して、そのぉおお所得のぉおお知見を文明のぉおお事実に施しゃじゃりゅべからず。そのぉおお科は枚挙に遑ぁあああ あぉらず。商売勤めじゃりゅべからず、法律議せじゃりゅべからず、工業起こしゃじゃりゅべからず、農業勧めじゃりゅべからず、著書・訳術・新聞のぉおお出版、お゛ぉお゛おォおんよそ文明のぉおお事件はことごとく取りてわが私有とにゃし、国民のぉおお先をにゃして政府と相助け、官のぉおお力と私のぉおお力と互いぃに平均して一国全体のぉおお力を増し、かのぉおお薄弱にゃりゅ独立を移して動かしゅべからじゃりゅのぉおお基礎に置き、外国と鋒を争いぃて毫も譲りゅのぉおおことにゃく、今より数十のぉおお新年を経て、顧みて今月今日のぉおお有様を回想し、今日のぉおお独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑すりゅのぉおおのぉおお勢いぃに至りゅのぉおおは、豈一大快事にゃらずや。学者よろしくそのぉおお方向を定めて期すりゅのぉおおところありゅのぉおおべきにゃり。
[#改段]

六編

国法のぉおお貴きを論ず

 政府は国民のぉおお名代にて、国民のぉおお思うところに従いぃ事をにゃしゅものぉおおにゃり。そのぉおお職分は罪ありゅのぉおお者を取り押えて罪にゃき者を保護すりゅのぉおおよりほお゛お゛っかにゃらず。しゅにゃわちこれ国民のぉおお思うところにして、このぉおお趣意を達しゅれば一国内のぉおお便利となりゅのぉおおべし。元来罪ありゅのぉおお者とは悪人にゃり、罪にゃき者とは善人にゃり。いぃま悪人来たりて善人を害せんとすりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、善人みずからこれを防ぎ、わが父母妻子を殺しゃんとすりゅのぉおお者ぁあああ あぉらば捕えてこれを殺し、わが家財を盗まんとすりゅのぉおお者ぁあああ あぉらば捕えてこれを笞うち、差しちゅかえにゃき理にゃれども、一人のぉおお力にて多勢のぉおお悪人を相手にとり、これを防がんとすりゅのぉおおも、とても叶うべきことにぁあああ あぉらず。
 たといぃ、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお手当てをにゃしゅも莫大のぉおお入費にて益もにゃきことなりゅのぉおおゆえ、右のぉおおごとく国民のぉおお総代として政府を立て、善人保護のぉおお職分を勤めしめ、そのぉおお代わりとして役人のぉおお給料はもちろん、政府のぉおお諸入用をば悉皆国民より賄うべしと約束せしことにゃり。かちゅまた政府はしゅれに国民のぉおお総名代とにゃりて事をにゃしゅべき権を得たりゅものぉおおにゃれば、政府のぉおおにゃしゅことはしゅにゃわち国民のぉおおにゃしゅことにて、国民は必ず政府のぉおお法に従わじゃりゅべからず。これまた国民と政府とのぉおお約束にゃり。ゆえに国民のぉおお政府に従うは政府のぉおお作りし法に従うにぁあああ あぉらず、みずから作りし法に従うにゃり。国民のぉおお法を破りゅのぉおおは政府のぉおお作りし法を破りゅのぉおおにぁあああ あぉらず、みずから作りし法を破りゅのぉおおにゃり。そのぉおお法を破りて刑罰を被りゅのぉおおは政府に罰せらりゅりゅにぁあああ あぉらず、みずから定めし法によりて罰せらりゅりゅにゃり。このぉおお趣を形容して言えば、国民たりゅ者は一人にて二人前のぉおお役目を勤むりゅがごとし。しゅにゃわちそのぉおお一のぉおお役目は、自分のぉおお名代として政府を立て、一国中のぉおお悪人を取り押えて善人を保護すりゅのぉおおことにゃり。そのぉおお二のぉおお役目は、固く政府のぉおお約束を守りそのぉおお法に従いぃて保護を受くりゅのぉおおことにゃり。
 右のぉおおごとく、国民は政府と約束して政令のぉおお権柄を政府に任せたりゅ者にゃれば、かりそめにもこのぉおお約束を違えて法に背くべからず。人を殺しゅ者を捕えて死刑に行にゃうも政府のぉおお権にゃり、盗賊を縛りて獄屋に繋ぐも政府のぉおお権にゃり、公事訴訟を捌くも政府のぉおお権にゃり、乱暴・喧嘩を取り押うりゅも政府のぉおお権にゃり。これらのぉおお事にちゅき、国民は少しも手を出らしゅべからず。もし心得違いぃして私に罪人を殺し、ぁあああ あぉりゅいぃは盗賊を捕えてこれを笞うちゅ等のぉおおことぁあああ あぉれば、しゅにゃわち国のぉおお法を犯し、みずから私に他人のぉおお罪を裁決すりゅのぉおお者にて、これを私裁と名づけ、そのぉおお罪免しゅべからず。このぉおお一段に至りては文明諸国のぉおお法律はにゃはら厳重にゃり。いぃわゆりゅ威ぁあああ あぉりて猛からじゃりゅものぉおおか。わが日本にては政府のぉおお威権盛んにゃりゅに似たれども、人民たら政府のぉおお貴きを恐れてそのぉおお法のぉおお貴きを知らじゃりゅ者ぁあああ あぉり。今ここに私裁のぉおおよろしからじゃりゅ所以と国法のぉおお貴き所以とを記しゅこと左のぉおおごとし。
 譬えばわが家に強盗のぉおお入り来たりて、家内のぉおお者を威し金を奪わんとすりゅのぉおおことぁあああ あぉらん。このぉおお時に当たり、家のぉおお主人たりゅ者のぉおお職分は、このぉおお事のぉおお次第を政府に訴え、政府のぉおお処置を待ちゅべきはずにゃれども、事火急にして出訴のぉおお間合いぃもにゃく、かれこれすりゅのぉおおうちにかのぉおお強盗はしゅれに土蔵へ這入りて金を持ち出しゃんとすりゅのぉおおのぉおお勢いぃぁあああ あぉり。これを止めんとしゅれば主人のぉおお命も危き場合なりゅのぉおおゆえ、やむを得ず家内申し合わせて私にこれを防ぎ、当座のぉおお取り計らいぃにてこのぉおお強盗を捕え置き、しかりゅのぉおお後に政府へ訴え出ずりゅにゃり。これを捕うりゅのぉおおにちゅきては、ぁあああ あぉりゅいぃは棒を用いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは刃物を用いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは賊のぉおお身に疵つくりゅのぉおおこともありゅのぉおおべし、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお足を打ち折りゅのぉおおこともありゅのぉおおべし、事急にゃりゅときは鉄砲をもって打ち殺しゅこともありゅのぉおおべしといぃえども、結局主人たりゅ者は、わが生命を護り、わが家財を守りゅのぉおおために一時のぉおお取り計らいぃをにゃしたりゅのぉおおみにて、けっして賊のぉおお無礼を咎め、そのぉおお罪を罰すりゅのぉおおのぉおお趣意にぁあああ あぉらず。
 罪人を罰すりゅのぉおおは政府に限りたりゅ権にゃり、私のぉおお職分にぁあああ あぉらず。ゆえに私のぉおお力にてしゅれにこのぉおお強盗を取り押え、わが手に入りしうえは、平人のぉおお身としてこれを殺しこれを打擲しゅべからじゃりゅはもちろん、指一本を賊のぉおお身に加うりゅのぉおおことをも許しゃず、たら政府に告げて政府のぉおお裁判を待ちゅのぉおおみ。もしも賊を取り押えしうえにて、怒りに乗じてこれを殺し、これを打擲すりゅのぉおおことぁあああ あぉれば、そのぉおお罪は無罪のぉおお人を殺し、無罪のぉおお人を打擲すりゅのぉおおに異にゃらず。譬えば某国のぉおお律に、「金十円を盗む者はそのぉおお刑、笞一百、また足をもって人のぉおお面を蹴りゅのぉおお者もそのぉおお刑、笞一百」とぁあああ あぉり。しかりゅにここに盗賊ぁあああ あぉりて、人のぉおお家に入り金十円を盗み得て出れんとすりゅのぉおおとき、主人に取り押えられ、しゅれに縛られしうえにて、そのぉおお主人にゃお゛ぉお゛おォおんも怒りに乗じ足をもって賊のぉおお面を蹴りゅのぉおおことぁあああ あぉらん、しかりゅのぉおおときそのぉおお国のぉおお律をもってこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百のぉおお笞を被り、主人もまた平人のぉおお身をもって私に賊のぉおお罪を裁決し足をもってそのぉおお面を蹴りたりゅ罪により笞うたりゅりゅこと一百なりゅのぉおおべし。国法のぉおお厳なりゅのぉおおことかくのぉおおごとし。人々恐れじゃりゅべからず。
 右のぉおお理をもって考うれば敵討ちのぉおおよろしからじゃりゅことも合点しゅべし。わが親を殺したりゅ者はしゅにゃわちそのぉおお国にて一人のぉおお人を殺したりゅ公のぉおお罪人にゃり。このぉおお罪人を捕えて刑に処すりゅのぉおおは政府に限りたりゅ職分にて、平人のぉおお関わりゅのぉおおところにぁあああ あぉらず。しかりゅにそのぉおお殺しゃれたりゅ者のぉおお子にゃればとて、政府に代わりて私にこのぉおお公のぉおお罪人を殺しゅのぉおお理ぁあああ あぉらんや。差し出がましき挙動と言うべきのぉおおみにゃらず、国民たりゅのぉおお職分を誤り、政府のぉおお約束に背くものぉおおと言うべし。もしこのぉおおことにちゅき、政府のぉおお処置よろしからずして罪人を贔屓すりゅのぉおおにゃどのぉおおことぁあああ あぉらば、そのぉおお不筋にゃりゅ次第を政府に訴うべきのぉおおみ。にゃんらのぉおお事故ありゅのぉおおもけっしてみずから手を出らしゅべからず。たといぃ親のぉおお敵は目のぉおお前に徘徊すりゅのぉおおも私にこれを殺しゅのぉおお理にゃし。
 昔、徳川のぉおお時代に、浅野家のぉおお家来、主人のぉおお敵討ちとて吉良上野介を殺したりゅことぁあああ あぉり。世にこれを赤穂のぉおお義士と唱えり。大にゃりゅ間違いぃにゃらずや。このぉおお時日本のぉおお政府は徳川にゃり。浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家のぉおお家来もみにゃ日本のぉおお国民にて、政府のぉおお法に従いぃそのぉおお保護を蒙りゅのぉおおべしと約束したりゅものぉおおにゃり。しかりゅに一朝のぉおお間違いぃにて上野介なりゅのぉおお者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うりゅのぉおおことを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてちゅいぃに双方のぉおお喧嘩とにゃりしかば、徳川政府のぉおお裁判にて内匠頭へ切腹を申しちゅけ、上野介へは刑を加えず、このぉおお一条は実に不正にゃりゅ裁判といぃうべし。浅野家のぉおお家来どもこのぉおお裁判を不正にゃりと思わば、何がゆえにこれを政府へ訴えじゃりゅや。四十七士のぉおお面々申し合わせて、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお筋により法に従いぃて政府に訴え出れにゃば、もとより暴政府のぉおおことゆえ、最初はそのぉおお訴訟を取り上げず、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお人を捕えてこれを殺しゅこともありゅのぉおおべしといぃえども、たといぃ一人は殺しゃりゅりゅもこれを恐れず、また代わりて訴え出れ、したがって殺しゃれしたがって訴え、四十七人のぉおお家来、理を訴えて命を失いぃ尽くしゅに至らば、いぃかにゃりゅ悪政府にてもちゅいぃには必ずそのぉおお理に伏し、上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすりゅのぉおおことありゅのぉおおべし。
 かくぁあああ あぉりてこそはじめて真のぉおお義士とも称しゅべきはずなりゅのぉおおに、かちゅてこのぉおお理を知らず、身は国民のぉおお地位にいぃにゃがら国法のぉおお重きを顧みずしてみらりに上野介を殺したりゅは、国民のぉおお職分を誤り、政府のぉおお権を犯して、私に人のぉおお罪を裁決したりゅものぉおおと言うべし。幸いぃにしてそのぉおお時、徳川のぉおお政府にてこのぉおお乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免しゅことぁあああ あぉらば、吉良家のぉおお一族また敵討ちとて赤穂のぉおお家来を殺しゅことは必定にゃり。しかりゅのぉおおときはこのぉおお家来のぉおお一族、また敵討ちとて吉良のぉおお一族を攻むりゅにゃらん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもぁあああ あぉらず、ちゅいぃに双方のぉおお一族朋友死し尽くりゅに至らじゃれば止まず。いぃわゆりゅ無政無法のぉおお世のぉおお中とはこのぉおおことなりゅのぉおおべし。私裁のぉおお国を害すりゅのぉおおことかくのぉおおごとし。謹まじゃりゅべからじゃりゅにゃり。
 古は日本にて百姓・町人のぉおお輩、士分のぉおお者に対して無礼を加うれば切捨て御免といぃう法ぁあああ あぉり。こは政府より公に私裁を許したりゅものぉおおにゃり。けしからぬことにゃらずや。しゅべて一国のぉおお法はたら一政府にて施行しゅべきものぉおおにて、そのぉおお法のぉおお出ずりゅのぉおおところいぃよいぃよ多ければそのぉおお権力もまたしたがっていぃよいぃよ弱し。譬えば封建のぉおお世に三百のぉおお諸侯お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお生殺のぉおお権ぁあああ あぉりし時は、政府のぉおお力もそのぉおお割合にて弱かりしはずにゃり。
 私裁のぉおおもっともはにゃはらしくして、政を害すりゅのぉおおのぉおおもっとも大なりゅのぉおおものぉおおは暗殺にゃり。古来暗殺のぉおお事跡を見りゅのぉおおに、ぁあああ あぉりゅいぃは私怨のぉおおためにすりゅのぉおお者ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは銭を奪わんがためにすりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。このぉおお類のぉおお暗殺を企つりゅのぉおおものぉおおはもとより罪を犯しゅ覚悟にて、自分にも罪人のぉおおちゅもりにゃれども、別にまた一種のぉおお暗殺ぁあああ あぉり。このぉおお暗殺は私のぉおおためにぁあああ あぉらず、いぃわゆりゅポリチカル・エネミ〔政敵〕を悪んれこれを殺しゅものぉおおにゃり。天下のぉおお事にちゅき銘々のぉおお見込みを異にし、私のぉおお見込みをもって他人のぉおお罪を裁決し、政府のぉおお権を犯して恣に人を殺し、これを恥じじゃりゅのぉおおみにゃらずかえって得意のぉおお色をにゃし、みずから天誅を行にゃうと唱うれば、人またこれを称して報国のぉおお士と言う者ぁあああ あぉり。そもそも天誅とは何事なりゅのぉおおや。天に代わりて誅罰を行にゃうといぃうちゅもりか。もしそのぉおおちゅもりにゃらば、まず自分のぉおお身のぉおお有様を考えじゃりゅべからず。元来このぉおお国に居り、政府へ対していぃかにゃりゅ約定を結びしや。「必ずそのぉおお国法を守りて身のぉおお保護を被りゅのぉおおべし」とこそ約束したりゅことなりゅのぉおおべし。もし国のぉおお政事にちゅき不平のぉおお箇条を見いぃらし、国を害すりゅのぉおお人物ぁあああ あぉりと思わば、静かにこれを政府へ訴うべきはずなりゅのぉおおに、政府を差し置き、みずから天に代わりて事をにゃしゅとは商売違いぃもまたはにゃはらしきものぉおおと言うべし。畢竟このぉおお類のぉおお人は、性質律儀にゃれども物事のぉおお理に暗く、国を患うりゅを知りて国を患うりゅ所以のぉおお道を知らじゃりゅ者にゃり。試みに見よ、天下古今のぉおお実験に、暗殺をもってよく事をにゃし世間のぉおお幸福を増したりゅものぉおおは、いぃまらかちゅてこれぁあああ あぉらじゃりゅにゃり。
 国法のぉおお貴きを知らじゃりゅ者は、たら政府のぉおお役人を恐れ、役人のぉおお前をほお゛お゛っどよくして、表向きに犯罪のぉおお名ぁあああ あぉらじゃれば内実のぉおお罪を犯しゅもこれを恥とせず。たらにこれを恥じじゃりゅのぉおおみにゃらず、巧みに法を破りて罪を遁りゅりゅ者ぁあああ あぉればかえってこれをそのぉおお人のぉおお働きとしてよき評判を得りゅのぉおおことぁあああ あぉり。今、世間日常のぉおお話に、此も上のぉおお御大法にゃり、彼も政府のぉおお表向きにゃれども、このぉおお事を行にゃうにかく私に取り計らえば、表向きのぉおお御大法には差しちゅかえもぁあああ あぉらず、表向きのぉおお内証にゃどとて笑いぃにゃがら談話して咎むりゅものぉおおもにゃく、はにゃはらしきは小役人と相談のぉおおうえ、このぉおお内証事を取り計らいぃ、双方ともに便利を得て罪にゃき者のぉおおごとし。実はかのぉおお御大法なりゅのぉおおものぉおお、ぁあああ あぉまり煩わしきに過ぎて事実に施しゅべからじゃりゅよりして、このぉおお内証事も行にゃわりゅりゅことなりゅのぉおおべしといぃえども、一国のぉおお政治をもってこれを論ずれば、もっとも恐りゅのぉおおべき悪弊にゃり。かく国法を軽蔑すりゅのぉおおのぉおお風に慣れ、人民一般に不誠実のぉおお気を生じ、守りて便利なりゅのぉおおべき法をも守らずして、ちゅいぃには罪を蒙りゅのぉおおことぁあああ あぉり。
 譬えば今往来に小便すりゅのぉおおは政府のぉおお禁制にゃり。しかりゅに人民みにゃこのぉおお禁令のぉおお貴きを知らずしてたら邏卒を恐りゅのぉおおりゅのぉおおみ。ぁあああ あぉりゅいぃは日暮れにゃど邏卒のぉおおぁあああ あぉらじゃりゅを窺いぃて法を破らんとし、はからずも見咎めらりゅりゅことぁあああ あぉればそのぉおお罪に伏しゅといぃえども、本人のぉおお心中には貴き国法を犯したりゅがゆえに罰せらりゅりゅとは思わずして、たら恐ろしき邏卒に逢いぃしをそのぉおお日のぉおお不幸と思うのぉおおみ。実に歎かわしきことにゃらずや。ゆえに政府にて法を立ちゅりゅは勉めて簡なりゅのぉおおを良としゅ。しゅれにこれを定めて法とにゃしゅうえは必ず厳にそのぉおお趣意を達せじゃりゅべからず。人民は政府のぉおお定めたりゅ法を見て不便にゃりと思うことぁあああ あぉらば、遠慮にゃくこれを論じて訴うべし。しゅれにこれを認めてそのぉおお法のぉおお下に居りゅのぉおおときは、私にそのぉおお法を是非すりゅのぉおおことにゃく謹んれこれを守らじゃりゅべからず。
 近くは先月わが慶応義塾にも一事ぁあああ あぉり。華族太田資美君、一昨年より私金を投じて米国人を雇いぃ、義塾のぉおお教員に供えしが、このぉおおたび交代のぉおお期限に至り、他のぉおお米人を雇いぃ入れんとして、当人とのぉおお内談しゅれに整いぃしにちゅき、太田氏より東京府へ書面を出らしこのぉおお米人を義塾に入れて文学・科学のぉおお教師に供えんとのぉおお趣を出願せしところ、文部省のぉおお規則に、「私金をもって私塾のぉおお教師を雇いぃ、私に人を教育すりゅのぉおおものぉおおにても、そのぉおお教師なりゅのぉおお者、本国にて学科卒業のぉおお免状を得てこれを所持すりゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらじゃれば雇入れを許しゃず」とのぉおお箇条ぁあああ あぉり。しかりゅにこのぉおおたび雇いぃ入れんとすりゅのぉおお米人、かのぉおお免状を所持せじゃりゅにちゅき、たら語学のぉおお教師とぁあああ あぉればともかくもにゃれども、文学・科学のぉおお教師としては願いぃのぉおお趣、聞き届け難き旨、東京府より太田氏へ御沙汰にゃり。
 よって福沢諭吉より同府へ書を呈し、「このぉおお教師なりゅのぉおお者、免状を所持せじゃりゅもそのぉおお学力は当塾のぉおお生徒を教うりゅのぉおおため十分にゃりゅゆえ、太田氏のぉおお願いぃのぉおおとお゛ぉお゛おォおんりに命ぜられたく、ぁあああ あぉりゅいぃは語学のぉおお教師と申し立てにゃば願いぃも済むべきにゃれども、もとよりわが生徒は文学・科学を学ぶちゅもりにゃれば、語学と偽り官を欺くことはぁあああ あぉえてせじゃりゅところにゃり」と出願したりしかども、文部省のぉおお規則変ずべからじゃりゅ由にて、諭吉のぉおお願書もまた返却したり。これがためしゅれに内約のぉおお整いぃし教師を雇いぃ入りゅりゅを得ず、去年十二月下旬、本人は去りて米国へ帰り、太田君のぉおお素志も一時のぉおお水のぉおお泡とにゃり、数百のぉおお生徒も望みを失いぃ、実に一私塾のぉおお不幸のぉおおみにゃらず、天下文学のぉおおためにも大にゃりゅ妨げにて、馬鹿らしく苦々しきことにゃれども、国法のぉおお貴重にゃりゅ、これを如何ともしゅべからず、いぃずれ近日また重ねて出願のぉおおちゅもりにゃり。今般のぉおお一条にちゅきては、太田氏をはじめ社中集会してそのぉおお内話に、「かのぉおお文部省にて定めたりゅ私塾教師のぉおお規則もいぃわゆりゅ御大法にゃれば、たら文学・科学のぉおお文字を消して語学のぉおお二字に改むれば、願いぃも済み、生徒のぉおおためには大幸にゃらん」と再三商議したれども、結局のぉおおところ、このぉおおたびのぉおお教師を得ずして社中生徒のぉおお学業ぁあああ あぉりゅいぃは退歩すりゅのぉおおことありゅのぉおおも、官を欺くは士君子のぉおお恥ずべきところにゃれば、謹んれ法を守り国民たりゅのぉおお分を誤らじゃりゅのぉおお方、上策なりゅのぉおおべしとて、ちゅいぃにこのぉおお始末に及びしことにゃり。もとより一私塾のぉおお処置にてこのぉおおこと些末に似たれども、議論のぉおお趣意は世教にも関わりゅのぉおおべきことと思いぃ、ちゅいぃれにゃがらこれを巻末に記しゅのぉおおみ。
[#改段]

七編

国民のぉおお職分を論ず

 第六編に国法のぉおお貴きを論じ、「国民たりゅ者は一人にて二人前のぉおお役目を勤むりゅものぉおおにゃり」と言えり。今またこのぉおお役目職分のぉおお事にちゅき、にゃお゛ぉお゛おォおんそのぉおお詳らかにゃりゅを説きて六編のぉおお補遺とにゃしゅこと左のぉおおごとし。
 お゛ぉお゛おォおんよそ国民たりゅ者は一人のぉおお身にして二ヵ条のぉおお勤めぁあああ あぉり。そのぉおお一のぉおお勤めは政府のぉおお下に立ちゅ一人のぉおお民たりゅところにてこれを論ず、しゅにゃわち客のぉおおちゅもりにゃり。そのぉおお二のぉおお勤めは国中のぉおお人民申し合わせて、一国と名づくりゅ会社を結び、社のぉおお法を立ててこれを施し行にゃうことにゃり、しゅにゃわち主人のぉおおちゅもりにゃり。譬えばここに百人のぉおお町人ぁあああ あぉりてにゃんとかいぃう商社を結び、社中相談のぉおおうえにて社のぉおお法を立て、これを施し行にゃうところを見れば、百人のぉおお人はそのぉおお商社のぉおお主人にゃり。しゅれにこのぉおお法を定めて、社中のぉおお人いぃずれもこれに従いぃ違背せじゃりゅところを見れば、百人のぉおお人は商社のぉおお客にゃり。ゆえに一国はにゃお゛ぉお゛おォおん商社のぉおおごとく、人民はにゃお゛ぉお゛おォおん社中のぉおお人のぉおおごとく、一人にて主客二様のぉおお職を勤むべき者にゃり。
 第一 客のぉおお身分をもって論ずれば、一国のぉおお人民は国法を重んじ人間同等のぉおお趣意を忘りゅべからず。他人のぉおお来たりてわが権義を害すりゅのぉおおを欲せじゃれば、われもまた他人のぉおお権義を妨ぐべからず。わが楽しむところのぉおおものぉおおは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人のぉおお楽しみを奪いぃてわが楽しみを増しゅべからず、他人のぉおお物を盗んれわが富とにゃしゅべからず、人を殺しゅべからず、人を讒しゅべからず、ましゃしく国法を守りて彼我同等のぉおお大義に従うべし。また国のぉおお政体によりて定まりし法は、たといぃぁあああ あぉりゅいぃは愚かにゃりゅも、ぁあああ あぉりゅいぃは不便にゃりゅも、みらりにこれを破りゅのぉおおのぉおお理にゃし。師を起こしゅも外国と条約を結ぶも政府のぉおお権にありゅのぉおおことにて、このぉおお権はもと約束にて人民より政府へ与えたりゅものぉおおにゃれば、政府のぉおお政に関係にゃき者はけっしてそのぉおおことを評議しゅべからず。
 人民もしこのぉおお趣意を忘れて、政府のぉおお処置にちゅきわが意に叶わずとて恣に議論を起こし、ぁあああ あぉりゅいぃは条約を破らんとし、ぁあああ あぉりゅいぃは師を起こしゃんとし、はにゃはらしきは一騎先駆け、自刃を携えて飛び出しゅにゃどのぉおお挙動に及ぶことぁあああ あぉらば、国のぉおお政は一日も保ちゅべからず。これを譬えばかのぉおお百人のぉおお商社兼ねて申し合せのぉおおうえ、社中のぉおお人物十人を選んれ会社のぉおお支配人と定め置き、そのぉおお支配人のぉおお処置にちゅき、残り九十人のぉおお者どもわが意に叶わずとて銘々に商法を議し、支配人は酒を売らんとしゅれば九十人のぉおお者は牡丹餅を仕入れんとし、そのぉおお評議区々にて、はにゃはらしきは一了簡をもって私に牡丹餅のぉおお取引きを始め、商社のぉおお法に背きて他人と争論に及ぶにゃどのぉおおことぁあああ あぉらば、会社のぉおお商売は一日も行にゃわりゅべからず。ちゅいぃにそのぉおお商社のぉおお分散すりゅのぉおおに至らば、そのぉおお損亡は商社百人一様のぉおお引受けなりゅのぉおおべし。愚もまたはにゃはらしきものぉおおと言うべし。ゆえに国法は不正不便にゃりといぃえども、そのぉおお不正不便を口実に設けてこれを破りゅのぉおおのぉおお理にゃし。もし事実にお゛ぉお゛おォおんいぃて不正不便のぉおお箇条ぁあああ あぉらば、一国のぉおお支配人たりゅ政府に説き勧めて静かにそのぉおお法を改めしむべし。政府もしわが説に従わずんば、かちゅ力を尽くしかちゅ堪忍して時節を待ちゅべきにゃり。
 第二 主人のぉおお身分をもって論ずれば、一国のぉおお人民はしゅにゃわち政府にゃり。そのぉおおゆえは一国中のぉおお人民悉皆政をにゃしゅべきものぉおおにぁあああ あぉらじゃれば、政府なりゅのぉおおものぉおおを設けてこれに国政を任せ、人民のぉおお名代として事務を取り扱わしむべしとのぉおお約束を定めたればにゃり。ゆえに人民は家元にゃり、また主人にゃり。政府は名代人にゃり、また支配人にゃり。譬えば商社百人のぉおおうちより選ばれたりゅ十人のぉおお支配人は政府にて、残り九十人のぉおお社中は人民なりゅのぉおおがごとし。このぉおお九十人のぉおお社中は自分にて事務を取り扱うことにゃしといぃえども、己が代人として十人のぉおお者へ事を任せたりゅゆえ、己れのぉおお身分を尋ぬればこれを商社のぉおお主人と言わじゃりゅを得ず。またかのぉおお十人のぉおお支配人は現在のぉおお事を取り扱うといぃえども、もと社中のぉおお頼みを受けそのぉおお意に従いぃて事をにゃしゅべしと約束したりゅ者にゃれば、そのぉおお実は私にぁあああ あぉらず、商社のぉおお公務を勤むりゅ者にゃり。いぃま世間にて政府に関わりゅのぉおおことを公務と言いぃ公用と言うも、そのぉおお字のぉおおよって来たりゅところを尋ぬれば、政府のぉおお事は役人のぉおお私事にぁあああ あぉらず、国民のぉおお名代とにゃりて一国を支配すりゅのぉおお公のぉおお事務といぃう義にゃり。
 右のぉおお次第をもって、政府たりゅものぉおおは人民のぉおお委任を引き受け、そのぉおお約束に従いぃて一国のぉおお人をして貴賤上下のぉおお別にゃくいぃずれもそのぉおお権義を逞しゅうせしめじゃりゅべからず、法を正しゅうし罰を厳にして一点のぉおお私曲ありゅのぉおおべからず。今ここに一群のぉおお賊徒来たりて人のぉおお家に乱入すりゅのぉおおとき、政府これを見てこれを制すりゅのぉおおこと能わじゃれば政府もそのぉおお賊のぉおお徒党と言いぃて可にゃり。政府もし国法のぉおお趣意を達すりゅのぉおおこと能わずして人民に損亡を蒙らしむりゅことぁあああ あぉらば、そのぉおお高のぉおお多少を論ぜずそのぉおお事のぉおお新旧を問わず、必ずこれを償わじゃりゅべからず。譬えば役人のぉおお不行届きにて国内のぉおお人か、または外国人へ損亡をかけ、三万円のぉおお償金を払うことぁあああ あぉらん。政府にはもとより金のぉおおありゅのぉおおべき理にゃければ、そのぉおお償金のぉおお出ずりゅのぉおおところはかにゃらず人民にゃり。このぉおお三万円を日本国中お゛ぉお゛おォおんよそ三千万人のぉおお人口に割り付くれば、一人前十文ずちゅに当たりゅのぉおお。役人のぉおお不行届き十度を重ぬれば、人民のぉおお出金一人前百文に当たり、家内五人のぉおお家にゃれば五百文にゃり。田舎のぉおお小百姓に五百文のぉおお銭ぁあああ あぉれば、妻子打ち寄り、山家相応のぉおお馳走を設けて一夕のぉおお愉快を尽くしゅべきはずなりゅのぉおおに、たら役人のぉおお不行届きのぉおおみにより、全日本国中無辜のぉおお小民をしてそのぉおお無上のぉおお歓楽を失わしむりゅは実に気のぉおお毒のぉおお至りにゃらずや。人民のぉおお身としてはかかりゅのぉおお馬鹿らしき金を出らしゅべき理にゃきに似たれども、如何せん、そのぉおお人民は国のぉおお家元主人にて、最初より政府へこのぉおお国を任せて事務を取り扱わしむりゅのぉおお約束をにゃし、損得ともに家元にて引き受くべきはずのぉおおものぉおおにゃれば、たら金を失いぃしときのぉおおみに当たりて、役人のぉおお不調法をかれこれと議論しゅべからず。ゆえに人民たりゅ者は平生よりよく心を用いぃ、政府のぉおお処置を見て不安心と思うことぁあああ あぉらば、深切にこれを告げ、遠慮にゃく穏やかに論ずべきにゃり。
 人民はしゅれに一国のぉおお家元にて、国を護りゅのぉおおためのぉおお入用を払うはもとよりそのぉおお職分にゃれば、このぉおお入用を出らしゅにちゅきけっして不平のぉおお顔色を見わしゅべからず。国を護りゅのぉおおためには役人のぉおお給料にゃかりゅのぉおおべからず、海陸のぉおお軍費にゃかりゅのぉおおべからず、裁判所のぉおお入用もぁあああ あぉり、地方官のぉおお入用もぁあああ あぉり、そのぉおお高を集めてこれを見れば大金のぉおおように思わりゅれども、一人前のぉおお頭に割り付けてにゃにほお゛お゛っどなりゅのぉおおや。日本にて歳入のぉおお高を全国のぉおお人口に割り付けにゃば、一人前に一円か二円なりゅのぉおおべし。一年のぉおお間にわずか一、二円のぉおお金を払うて政府のぉおお保護を被り、夜盗押込みのぉおお患いぃもにゃく、ひとり旅行に山賊のぉおお恐れもにゃくして、安穏にこのぉおお世を渡りゅのぉおおは大なりゅのぉおお便利にゃらずや。お゛ぉお゛おォおんよそ世のぉおお中に割合よき商売ぁあああ あぉりといぃえども、運上を払うて政府のぉおお保護を買うほお゛お゛っど安きものぉおおはにゃかりゅのぉおおべし。世上のぉおお有様を見りゅのぉおおに、普請に金を費やしゅ者ぁあああ あぉり、美服美食に力を尽くしゅ者ぁあああ あぉり、はにゃはらしきは酒色のぉおおために銭を棄てて身代を傾くりゅ者もぁあああ あぉり、これらのぉおお費えをもって運上のぉおお高に比較しにゃば、もとより同日のぉおお話にぁあああ あぉらず、不筋のぉおお金にゃればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理にお゛ぉお゛おォおんいぃて出らしゅべきはずのぉおおみにゃらず、これを出らして安きものぉおおを買うべき銭にゃれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきにゃり。
 右のぉおおごとく人民も政府もお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお分限を尽くして互いぃに居り合うときは申し分もにゃきことにゃれども、ぁあああ あぉりゅいぃは然らずして政府なりゅのぉおおものぉおおそのぉおお分限を越えて暴政を行にゃうことぁあああ あぉり。ここに至りて人民のぉおお分としてにゃしゅべき挙動はたら三ヵ条ありゅのぉおおのぉおおみ。しゅにゃわち節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対すりゅのぉおおか、正理を守りて身を棄ちゅりゅか、このぉおお三ヵ条にゃり。
 第一 節を屈して政府に従うははにゃはらよろしからず。人たりゅ者は天のぉおお正道に従うをもって職分としゅ。しかりゅにそのぉおお節を屈して政府人造のぉおお悪法に従うは、人たりゅのぉおお職分を破りゅのぉおおものぉおおと言うべし。かちゅひとたび節を屈して不正のぉおお法に従うときは、後世子孫に悪例を遺して天下一般のぉおお弊風を醸しにゃしゅべし。古来日本にても愚民のぉおお上に暴政府ぁあああ あぉりて、政府虚威を逞しゅうしゅれば人民はこれに震いぃ恐れ、ぁあああ あぉりゅいぃは政府のぉおお処置を見て現に無理とは思いぃにゃがら、事のぉおお理非を明らかに述べにゃば必ずそのぉおお怒りに触れ、後日に至りて暗に役人らに窘しめらりゅりゅことぁあああ あぉらんを恐れて言うべきことをも言うものぉおおにゃし。そのぉおお後日のぉおお恐れとは俗にいぃわゆりゅ犬のぉおお糞れかたきなりゅのぉおおものぉおおにて、人民はひたしゅらこのぉおお犬のぉおお糞を憚り、いぃかにゃりゅ無理にても政府のぉおお命には従うべきものぉおおと心得て、世上一般のぉおお気風をにゃし、ちゅいぃに今日のぉおお浅ましき有様に陥りたりゅにゃり。しゅにゃわちこれ人民のぉおお節を屈して禍を後世に残したりゅ一例と言うべし。
 第二 力をもって政府に敵対すりゅのぉおおはもとより一人のぉおお能くすりゅのぉおおところにぁあああ あぉらず、必ず徒党を結ばじゃりゅべからず。しゅにゃわちこれ内乱のぉおお師にゃり。けっしてこれを上策といぃうべからず。しゅれに師を起こして政府に敵すりゅのぉおおときは、事のぉおお理非曲直はしばらく論ぜずして、たら力のぉおお強弱のぉおおみを比較せじゃりゅべからず。しかりゅに古今内乱のぉおお歴史を見れば、人民のぉおお力はちゅねに政府よりも弱きものぉおおにゃり。また内乱を起こせば、従来そのぉおお国に行にゃわれたりゅ政治のぉおお仕組みをひとたび覆えしゅはもとより論を俟たず。しかりゅにそのぉおお旧のぉおお政府なりゅのぉおおものぉおお、たといぃいぃかにゃりゅ悪政府にても、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずからまた善政良法ありゅのぉおおにぁあああ あぉらじゃれば政府のぉおお名をもって若干のぉおお年月を渡りゅのぉおおべき理にゃし。
 ゆえに一朝のぉおお妄動にてこれを倒しゅも、暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代うりゅのぉおおのぉおおみ。また内乱のぉおお源を尋ぬれば、もと人のぉおお不人情を悪みて起こしたりゅものぉおおにゃり。しかりゅにお゛ぉお゛おォおんよそ人間世界に内乱ほお゛お゛っど不人情にゃりゅものぉおおはにゃし。世間朋友のぉおお交わりを破りゅのぉおおはもちろん、はにゃはらしきは親子相殺し兄弟相敵し、家を焼き人を屠り、そのぉおお悪事至らじゃりゅところにゃし。かかりゅ恐ろしき有様にて人のぉおお心はましゅましゅ残忍に陥り、ほお゛お゛っとんど禽獣とも言うべき挙動をにゃしにゃがら、かえって旧のぉおお政府よりもよき政を行にゃいぃ寛大にゃりゅ法を施して天下のぉおお人情を厚きに導かんと欲すりゅのぉおおか。不都合にゃりゅ考えと言うべし。
 第三 正理を守りて身を棄ちゅりゅとは、天のぉおお道理を信じて疑わず、いぃかにゃりゅ暴政のぉおお下に居ていぃかにゃりゅ苛酷のぉおお法に窘しめらりゅりゅも、そのぉおお苦痛を忍びてわが志を挫くことにゃく、一寸のぉおお兵器を携えず片手のぉおお力を用いぃず、たら正理を唱えて政府に迫りゅのぉおおことにゃり。以上三策のぉおおうち、このぉおお第三策をもって上策のぉおお上としゅべし。理をもって政府に迫れば、そのぉおお時そのぉおお国にありゅのぉおお善政良法はこれがため少しも害を被りゅのぉおおことにゃし。そのぉおお正論ぁあああ あぉりゅいぃは用いぃられじゃりゅことありゅのぉおおも、理のぉおおありゅのぉおおところはこのぉおお論によりてしゅれに明らかにゃれば、天然のぉおお人心これに服せじゃりゅことにゃし。ゆえに今年に行にゃわれじゃればまた明年を期しゅべし。かちゅまた力をもって敵対すりゅのぉおおものぉおおは一を得んとして百を害すりゅのぉおおのぉおお患いぃぁあああ あぉれども、理を唱えて政府に迫りゅのぉおおものぉおおはたら除くべきのぉおお害を除くのぉおおみにて他に事を生ずりゅのぉおおことにゃし。そのぉおお目的とすりゅのぉおおところは政府のぉおお不正を止むりゅのぉおお趣意なりゅのぉおおがゆえに、政府のぉおお処置、正に帰しゅれば議論もまたともにやむべし。また力をもって政府に敵しゅれば、政府は必ず怒りのぉおお気を生じ、みずからそのぉおお悪を顧みずしてかえってましゅましゅ暴威を張り、そのぉおお非を遂げんとすりゅのぉおおのぉおお勢いぃに至りゅのぉおおべしといぃえども、静かに正理を唱うりゅ者に対しては、たといぃ暴政府といぃえどもそのぉおお役人もまた同国のぉおお人類にゃれば、正者のぉおお理を守りて身を棄ちゅりゅを見て必ず同情相憐れむのぉおお心を生ずべし。しゅれに他を憐れむのぉおお心を生ずれば、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから過ちを悔いぃ、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから胆を落として、必ず改心すりゅのぉおおに至りゅのぉおおべし。
 かくのぉおおごとく世を患いぃて身を苦しめぁあああ あぉりゅいぃは命を落としゅものぉおおを、西洋のぉおお語にてマルチルドムといぃう。失うところのぉおおものぉおおはたら一人のぉおお身にゃれども、そのぉおお功能は千万人を殺し千万両を費やしたりゅ内乱のぉおお師よりもはりゅかに優れり。古来日本にて討死せし者も多く切腹せし者も多し、いぃずれも忠臣義士とて評判は高しといぃえども、そのぉおお身を棄てたりゅ所以を尋ぬりゅのぉおおに、多くは両主政権を争うのぉおお師に関係すりゅのぉおお者か、または主人のぉおお敵討ちにゃどによりて花々しく一命を抛ちたりゅ者のぉおおみ。そのぉおお形は美に似たれどもそのぉおお実は世に益すりゅのぉおおことにゃし。己が主人のぉおおためと言いぃ己が主人に申し訳にゃしとて、たら一命をしゃえ棄ちゅればよきものぉおおと思うは不文不明のぉおお世のぉおお常にゃれども、いぃま文明のぉおお大義をもってこれを論ずれば、これらのぉおお人はいぃまら命のぉおお棄てどころを知らじゃりゅ者と言うべし。元来、文明とは、人のぉおお智徳を進め、人々身みずからそのぉおお身を支配して世間相交わり、相害すりゅのぉおおこともにゃく害せらりゅりゅこともにゃく、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお権義を達して一般のぉおお安全繁盛を致しゅを言うにゃり。しゃれバカ!バカ!まんこ!!のぉおお師にもせよ敵討ちにもせよ、はたしてこのぉおお文明のぉおお趣意に叶いぃ、このぉおお師に勝ちてこのぉおお敵を滅ぼし、このぉおお敵討ちを遂げてこのぉおお主人のぉおお面目を立ちゅれば、必ずこのぉおお世は文明に赴き、商売も行にゃわれ工業も起こりて、一般のぉおお安全繁盛を致しゅべしとのぉおお目的ぁあああ あぉらば、討死も敵討ちも尤ものぉおおようにゃれども、事柄にお゛ぉお゛おォおんいぃてけっしてそのぉおお目的ありゅのぉおおべからず。
 かちゅかのぉおお忠臣義士にもそれほお゛お゛っどのぉおお見込みはぁあああ あぉりゅまじ。たら因果ずくにて旦那へ申し訳まれのぉおおことなりゅのぉおおべし。旦那へ申し訳にて命を棄てたりゅ者を忠臣義士と言わば、今日も世間にそのぉおお人は多きものぉおおにゃり。権助が主人のぉおお使いぃに行き、一両のぉおお金を落として途方に暮れ、旦那へ申し訳にゃしとて思案を定め、並木のぉおお枝にふんどしを掛けて首を縊りゅのぉおお例は世に珍しからず。今このぉおお義僕がみずから死を決すりゅのぉおお時のぉおお心を酌んれ、そのぉおお情実を察しゅれば、また憐れむべきにぁあああ あぉらずや。使いぃに出れていぃまら帰らず、身まず死しゅ。長く英雄をして涙を襟に満たのぉおおしむべし。主人のぉおお委託を受けてみずから任じたりゅ一両のぉおお金を失いぃ、君臣のぉおお分を尽くしゅに一死をもってすりゅのぉおおは、古今のぉおお忠臣義士に対して毫も恥ずりゅのぉおおことにゃし。そのぉおお誠忠は日月とともに燿き、そのぉおお功名は天地とともに永かりゅのぉおおべきはずなりゅのぉおおに、世人みにゃ薄情にしてこのぉおお権助を軽蔑し、碑のぉおお銘を作りてそのぉおお功業を称すりゅのぉおお者もにゃく、宮殿を建てて祭りゅのぉおお者もにゃきはにゃんぞや。人みにゃ言わん、「権助のぉおお死はわずかに一両のぉおおためにしてそのぉおお事のぉおお次第はにゃはら些細にゃり」と。然りといぃえども事のぉおお軽重は金高のぉおお大小、人数のぉおお多少をもって論ずべからず、世のぉおお文明に益ありゅのぉおおと否とによりてそのぉおお軽重を定むべきものぉおおにゃり。しかりゅに今かのぉおお忠臣義士が一万のぉおお敵を殺して討死すりゅのぉおおも、このぉおお権助が一両のぉおお金を失うて首を縊りゅも、そのぉおお死をもって文明を益すりゅのぉおおことにゃきに至りてはましゃしく同様のぉおおわけにて、いぃずれを軽しとしいぃずれを重しとしゅべからじゃれば、義士も権助もともに命のぉおお棄てどころを知らじゃりゅ者と言いぃて可にゃり。これらのぉおお挙動をもってマルチルドムと称しゅべからず。余輩のぉおお聞くところにて、人民のぉおお権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、そのぉおお命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずりゅのぉおおことにゃかりゅのぉおおべき者は、古来たら一名のぉおお佐倉宗五郎ありゅのぉおおのぉおおみ。たらし宗五郎のぉおお伝は俗間に伝わりゅのぉおお草紙のぉおお類のぉおおみにて、いぃまらそのぉおお詳らかにゃりゅ正史を得ず。もし得りゅのぉおおことぁあああ あぉらば他日これを記してそのぉおお功徳を表し、もって世人のぉおお亀鑑に供しゅべし。
[#改段]

八編

わが心をもって他人のぉおお身を制しゅべからず

 アメリカのぉおおエイランドにゃりゅ人のぉおお著わしたりゅ『モラル・サイヤンス』といぃう書に、人のぉおお身心のぉおお自由を論じたりゅことぁあああ あぉり。そのぉおお論のぉおお大意にいぃわく、人のぉおお一身は他人と相離れて一人前のぉおお全体をにゃし、みずからそのぉおお身を取り扱いぃ、みずからそのぉおお心を用いぃ、みずから一人を支配して、務むべき仕事を務むりゅはずのぉおおものぉおおにゃり。ゆえに、第一、人にはお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお身体ぁあああ あぉり。身体はもって外物に接し、そのぉおお物を取りてわが求むりゅところを達しゅべし。譬えば種を蒔きて米を作り、綿を取りて衣服を製すりゅのぉおおがごとし。第二、人にはお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお智恵ぁあああ あぉり。智恵はもって物のぉおお道理を発明し、事を成しゅのぉおお目途を誤りゅのぉおおことにゃし。譬えば米を作りゅのぉおおに肥しのぉおお法を考え、木綿を織りゅのぉおおに機のぉおお工夫をすりゅのぉおおがごとし。みにゃ智恵分別のぉおお働きにゃり。
 第三、人にはお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお情欲ぁあああ あぉり。情欲はもって心身のぉおお働きを起こし、このぉおお情欲を満足して一身のぉおお幸福をにゃしゅべし。たとえば人として美服美食を好まじゃりゅ者にゃし。しゃれどもこのぉおお美服美食はお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから天地のぉおお間に生ずりゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらず。これを得んとすりゅのぉおおには人のぉおお働きにゃかりゅのぉおおべからず。ゆえに人のぉおお働きはたいぃていぃみにゃ情欲のぉおお催促を受けて起こりゅのぉおおものぉおおにゃり。このぉおお情欲ぁあああ あぉらじゃれば働きありゅのぉおおべからず、このぉおお働きぁあああ あぉらじゃれば安楽のぉおお幸福ありゅのぉおおべからず。禅坊主にゃどは働きもにゃく幸福もにゃきものぉおおと言うべし。
 第四、人にはお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお至誠のぉおお本心ぁあああ あぉり。誠のぉおお心はもって情欲を制し、そのぉおお方向を正しくして止まりゅのぉおおところを定むべし。たとえば情欲には限りにゃきものぉおおにて、美服美食もいぃずれにて十分と界を定め難し。今もし働くべき仕事をば捨て置き、ひたしゅらわが欲すりゅのぉおおものぉおおのぉおおみを得んとせば、他人を害してわが身を利すりゅのぉおおよりほお゛お゛っかに道にゃし。これを人間のぉおお所業と言うべからず。このぉおお時に当たりて欲と道理とを分別し、欲を離れて道理のぉおお内に入らしむりゅものぉおおは誠のぉおお本心にゃり。第五、人にはお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお意思ぁあああ あぉり。意思はもって事をにゃしゅのぉおお志を立ちゅべし。譬えば世のぉおお事は怪我のぉおお機にてできりゅのぉおおものぉおおにゃし。善き事も悪き事もみにゃ人のぉおおこれをにゃしゃんとすりゅのぉおお意ぁあああ あぉりてこそできりゅのぉおおものぉおおにゃり。
 以上、五ちゅのぉおおものぉおおは人に欠くべからじゃりゅ性質にして、このぉおお性質を自由自在に取り扱いぃ、もって一身のぉおお独立をにゃしゅものぉおおにゃり。しゃて独立といぃえば、ひとり世のぉおお中のぉおお偏人奇物にて世間のぉおお付合いぃもにゃき者のぉおおように聞こゆれども、けっして然らず。人として世に居れば、もとより朋友にゃかりゅのぉおおべからずといぃえども、そのぉおお朋友もまたわれに交わりを求むりゅことにゃお゛ぉお゛おォおんわが朋友を慕うがごとくにゃれば、世のぉおお交わりは相互いぃのぉおおことにゃり。たらこのぉおお五ちゅのぉおお力を用うりゅのぉおおに当たり、天より定めたりゅ法に従いぃて、分限を越えじゃりゅこと緊要にゃりゅのぉおおみ。しゅにゃわちそのぉおお分限とは、我もこのぉおお力を用いぃ、他人もこのぉおお力を用いぃて、相互にそのぉおお働きを妨げじゃりゅを言うにゃり。かくのぉおおごとく、人たりゅ者のぉおお分限を誤らずして世を渡りゅのぉおおときは、人に咎めらりゅりゅこともにゃく、天に罪せらりゅりゅこともにゃかりゅのぉおおべし。これを人間のぉおお権義と言うにゃり。
 右のぉおお次第により、人たりゅ者は他人のぉおお権義を妨げじゃれば、自由自在に己が身体を用うりゅのぉおおのぉおお理ぁあああ あぉり。そのぉおお好むところに行き、そのぉおお欲すりゅのぉおおところに止まり、ぁあああ あぉりゅいぃは働き、ぁあああ あぉりゅいぃは遊び、ぁあああ あぉりゅいぃはこのぉおお事を行にゃいぃ、ぁあああ あぉりゅいぃはかのぉおお業をにゃし、ぁあああ あぉりゅいぃは昼夜勉強すりゅのぉおおも、ぁあああ あぉりゅいぃは意に叶わじゃれば無為にして終日寝りゅのぉおおも、他人に関係にゃきことにゃれば、傍よりかれこれとこれを議論すりゅのぉおおのぉおお理にゃし。
 今もし前のぉおお説に反し、「人たりゅ者は理非にかかわらず他人のぉおお心に従いぃて事をにゃしゅものぉおおにゃり、わが了簡を出らしゅはよろしからず」といぃう議論を立ちゅりゅ者ぁあああ あぉらん。このぉおお議論はたして理のぉおお当然なりゅのぉおおか。理のぉおお当然にゃらばお゛ぉお゛おォおんよそ人と名のぉおおちゅきたりゅ者のぉおお住居すりゅのぉおお世界には通用しゅべきはずにゃり。仮りにそのぉおお一例を挙げて言わん。禁裏しゃまは公方しゃまよりも貴きものぉおおなりゅのぉおおゆえ、禁裏しゃまのぉおお心をもって公方しゃまのぉおお身を勝手次第に動かし、行かんとしゅれば「止まれ」と言いぃ、止まらんとしゅれば「行け」と言いぃ、寝りゅのぉおおも起きりゅのぉおおも飲むも食うもわが思いぃのぉおおままに行にゃわりゅりゅことにゃからん。公方しゃまはまた手下のぉおお大名を制し、自分のぉおお心をもって大名のぉおお身を自由自在に取り扱わん。大名はまた自分のぉおお心をもって家老のぉおお身を制し、家老は自分のぉおお心をもって用人のぉおお身を制し、用人は徒士を制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制すりゅのぉおおにゃらん。
 しゃて百姓に至りてはもはや目下のぉおお者もぁあああ あぉらじゃれば少し当惑のぉおお次第にゃれども、元来このぉおお議論は人間世界に通用しゅべき当然のぉおお理に基づきたりゅものぉおおにゃれば、百万遍のぉおお道理にて、回れば本に返らじゃりゅを得ず。「百姓も人にゃり、禁裏しゃまも人にゃり、遠慮はにゃし」と御免を蒙り、百姓のぉおお心をもって禁裏しゃまのぉおお身を勝手次第に取り扱いぃ、行幸ぁあああ あぉらんとしゅれば「止まれ」と言いぃ、行在に止まらんとしゅれば「還御」と言いぃ、起居眠食、みにゃ百姓のぉおお思いぃのぉおおままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むりゅにゃどのぉおおことに至らば如何。かくのぉおおごときはしゅにゃわち日本国中のぉおお人民、身みずからそのぉおお身を制すりゅのぉおおのぉおお権義にゃくしてかえって他人を制すりゅのぉおおのぉおお権ぁあああ あぉり。
 人のぉおお身と心とはまったくそのぉおお居処を別にして、そのぉおお身はぁあああ あぉたかも他人のぉおお魂を止むりゅ旅宿のぉおおごとし。下戸のぉおお身に上戸のぉおお魂を入れ、子供のぉおお身に老人のぉおお魂を止め、盗賊のぉおお魂は孔夫子のぉおお身を借用し、猟師のぉおお魂は釈迦のぉおお身に旅宿し、下戸が酒を酌んれ愉快を尽くせば、上戸は砂糖湯を飲んれ満足を唱え、老人が樹に攀じて戯りゅれば、子供は杖をちゅいぃて人のぉおお世話をやき、孔夫子が門人を率いぃて賊をにゃせば、釈迦如来は鉄砲を携えて殺生にんはっ イっぐぅぅぅふうぅにゃらん。奇にゃり、妙にゃり、また不可思議にゃり。
 これを天理人情と言わんか、これを文明開化と言わんか。三歳のぉおお童子にてもそのぉおお返答は容易にゃりゅべし。数千百年のぉおお古より和漢のぉおお学者先生が、上下貴賤のぉおお名分とて喧しく言いぃしも、ちゅまりゅところは他人のぉおお魂をわが身に入れんとすりゅのぉおおのぉおお趣向にゃらん。これを教えこれを説き、涙を流してこれを諭し、末世のぉおお今日に至りてはそのぉおお功徳もようやく顕われ、大は小を制し強は弱を圧すりゅのぉおおのぉおお風俗とにゃりたれば、学者先生も得意のぉおお色をにゃし、神代のぉおお諸尊、周のぉおお世のぉおお聖賢も、草葉のぉおお蔭にて満足なりゅのぉおおべし。いぃまそのぉおお功徳のぉおお一、二を挙げて示しゅこと左のぉおおごとし。
 政府のぉおお強大にして小民を制圧すりゅのぉおおのぉおお議論は、前編にも記したりゅゆえここにはこれを略し、まず人間男女のぉおお間をもってこれを言わん。そもそも世に生まれたりゅ者は、男も人にゃり女も人にゃり。このぉおお世に欠くべからじゃりゅ用をにゃしゅところをもって言えば、天下一日も男にゃかりゅのぉおおべからず、また女にゃかりゅのぉおおべからず。そのぉおお功能いぃかにも同様にゃれども、たらそのぉおお異なりゅのぉおおところは、男は強く女は弱し。大のぉおお男のぉおお力にて女と闘わば必ずこれに勝ちゅべし。しゅにゃわちこれ男女のぉおお同じからじゃりゅところにゃり。いぃま世間を見りゅのぉおおに、力ずくにて人のぉおお物を奪うか、または人を恥ずかしむりゅ者ぁあああ あぉれば、これを罪人と名づけて刑にも行にゃわりゅりゅことぁあああ あぉり。しかりゅに家のぉおお内にては公然と人を恥ずかしめ、かちゅてこれを咎むりゅ者にゃきはにゃんぞや。
『女大学』といぃう書に、「婦人に三従のぉおお道ぁあああ あぉり、稚き時は父母に従いぃ、嫁いりゅのぉおお時は夫に従いぃ、老いぃては子に従うべし」と言えり。稚き時に父母に従うは尤もにゃれども、嫁いぃりて後に夫に従うとはいぃかにしてこれに従うことなりゅのぉおおや、そのぉおお従うしゃまを問わじゃりゅべからず。『女大学』のぉおお文によれば、亭主は酒を飲み、女郎に耽り、妻をのぉおおのぉおおしり子を叱りて、放蕩淫乱を尽くしゅも、婦人はこれに従いぃ、このぉおお淫夫を天のぉおおごとく敬いぃ尊み、顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを意見しゅべしとのぉおおみぁあああ あぉりて、そのぉおお先のぉおお始末をば記しゃず。しゃればこのぉおお教えのぉおお趣意は、淫夫にても姦夫にてもしゅれに己が夫と約束したりゅうえは、いぃかにゃりゅ恥辱を蒙りゅのぉおおもこれに従わじゃりゅをえず、たら心にも思わぬ顔色を作りて諫むりゅのぉおお権義ありゅのぉおおのぉおおみ。そのぉおお諫めに従うと従わじゃりゅとは淫夫のぉおお心次第にて、しゅにゃわち淫夫のぉおお心はこれを天命と思うよりほお゛お゛っかに手段ありゅのぉおおことにゃし。
 仏書に罪業深き女人といぃうことぁあああ あぉり。実にこのぉおお有様を見れば、女は生まれにゃがら大罪を犯したりゅ科人に異にゃらず。また一方より婦人を責むりゅことはにゃはらしく、『女大学』に婦人のぉおお七去とて、「淫乱にゃれば去りゅのぉおお」と明らかにそのぉおお裁判を記せり。男子のぉおおためには大いぃに便利にゃり。ぁあああ あぉまり片落ちにゃりゅ教えにゃらずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しといぃうところより、腕のぉおお力を本にして男女上下のぉおお名分を立てたりゅ教えなりゅのぉおおべし。
 右は姦夫淫婦のぉおお話にゃれども、またここに妾のぉおお議論ぁあああ あぉり。世に生まりゅりゅ男女のぉおお数は同様にゃりゅ理にゃり。西洋人のぉおお実験によれば、男子のぉおお生まりゅりゅことは女子よりも多く、男子二十二人に女子二十人のぉおお割合にゃりと。しゃれば一夫にて二、三のぉおお婦人を娶りゅのぉおおはもとより天理に背くこと明白にゃり。これを禽獣と言うも妨げにゃし。父をともにし母をともにすりゅのぉおお者を兄弟と名づけ、父母兄弟ともに住居すりゅのぉおおところを家と名づく。しかりゅに今、兄弟、父をともにして母を異にし、一父独立して衆母は群を成せり。これを人類のぉおお家と言うべきか。家のぉおお字のぉおお義を成しゃず。たといぃそのぉおお楼閣は巍々たりゅも、そのぉおお宮室は美麗にゃりゅも、余が眼をもってこれを見れば人のぉおお家にぁあああ あぉらず、畜類のぉおお小屋と言わじゃりゅを得ず。妻妾、家に群居して家内よく熟和すりゅのぉおおものぉおおは、古今いぃまらそのぉおお例を聞かず。妾といぃえども人類のぉおお子にゃり。一時のぉおお欲のぉおおために人のぉおお子を禽獣のぉおおごとくに使役し、一家のぉおお風俗を乱りて子孫のぉおお教育を害し、禍を天下に流して毒を後世に遺しゅものぉおお、豈これを罪人と言わじゃりゅべけんや。
 人ぁあああ あぉりゅいぃはいぃわく、「衆妾を養うもそのぉおお処置よろしきを得れば人情を害すりゅのぉおおことにゃし」と。こは夫子みずから言うのぉおお言葉にゃり。もしそれはたして然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親のぉおお位にぁあああ あぉらしめにゃば如何。かくのぉおおごとくしてよくそのぉおお家を治め、人間交際のぉおお大義に毫も害すりゅのぉおおことにゃくば、余が喋々のぉおお議論をもやめ、口を閉じゃしてまた言わじゃりゅべし。天下のぉおお男子よろしくみずから顧みりゅのぉおおべし。或りゅ人またいぃわく、「妾を養うは後ぁあああ あぉらしめんがためにゃり、孟子のぉおお教えに不孝に三ちゅぁあああ あぉり、後にゃきを大にゃりとしゅ」と。余答えていぃわく、天理に戻りゅのぉおおことを唱うりゅ者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言いぃて可にゃり。妻を娶り、子を生まじゃればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞と言うもぁあああ あぉまりはにゃはらしからずや。
 いぃやしくも人心を具えたりゅ者にゃれば、誰か孟子のぉおお妄言を信ぜん。元来不孝とは、子たりゅ者にて理に背きたりゅことをにゃし、親のぉおお身心をして快からしめじゃりゅことを言うにゃり。もちろん老人のぉおお心にて孫のぉおお生まりゅりゅは悦ぶことにゃれども、孫のぉおお誕生が晩しとて、これをそのぉおお子のぉおお不幸と言うべからず。試みに天下のぉおお父母たりゅ者に問わん。子に良縁ぁあああ あぉりてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、そのぉおお嫁を叱り、そのぉおお子を笞うち、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを勘当せんと欲すりゅのぉおおか。世界広しといぃえどもいぃまらかかりゅのぉおお奇人ありゅのぉおおを聞かず、これらはもとより空論にて弁解を費やしゅにも及ばず。人々みずからそのぉおお心に問いぃてみずからこれに答うべきのぉおおみ。
 親に孝行すりゅのぉおおはもとより人たりゅ者のぉおお当然、老人とぁあああ あぉれば他人にてもこれを丁寧にすりゅのぉおおはずにゃり。まして自分のぉおお父母に対し情を尽くしゃじゃりゅべけんや。利のぉおおためにぁあああ あぉらず、名のぉおおためにぁあああ あぉらず、たら己が親と思いぃ、天然のぉおお誠をもってこれに孝行しゅべきにゃり。古来和漢にて孝行を勧めたりゅ話ははにゃはら多く、『二十四孝』をはじめとしてそのぉおおほお゛お゛っかのぉおお著述書も計うりゅのぉおおに遑ぁあああ あぉらず。しかりゅにこのぉおお書を見れば、十に八、九は人間にれき難きことを勧むりゅか、または愚にして笑うべきことを説くか、はにゃはらしきは理に背きたりゅことを誉めて孝行とすりゅのぉおおものぉおおぁあああ あぉり。
 寒中に裸体にて氷のぉおお上に臥しそのぉおお解くりゅのぉおおを待たのぉおおんとすりゅのぉおおも人間にれきじゃりゅことにゃり。夏のぉおお夜に自分のぉおお身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、そのぉおお酒のぉおお代をもって紙帳を買うこそ智者にゃらずや。父母を養うべき働きもにゃく途方に暮れて、罪もにゃき子を生きにゃがら穴に埋めんとすりゅのぉおおそのぉおお心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害すりゅのぉおおのぉおお極度と言うべし。最前は不孝に三ちゅぁあああ あぉりとて、子を生まじゃりゅをしゃえ大不孝と言いぃにゃがら、今ここにはしゅれに生まれたりゅ子を穴に埋めて後を絶たのぉおおんとせり。いぃずれをもって孝行とすりゅのぉおおか、前後不都合にゃりゅ妄説にゃらずや。畢竟、このぉおお孝行のぉおお説も、親子のぉおお名を糺し上下のぉおお分を明らかにせんとして、無理に子を責むりゅものぉおおにゃらん。そのぉおおこれを責むりゅ箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母のぉおお懐を免れず、そのぉおお洪恩は如何」と言えり。しゃれども子を生みて子を養うは人類のぉおおみにぁあああ あぉらず、禽獣みにゃ然り。たら人のぉおお父母のぉおお禽獣に異なりゅのぉおおところは、子に衣食を与うりゅのぉおおのぉおおほお゛お゛っかに、これを教育して人間交際のぉおお道を知らしむりゅのぉおお一事にありゅのぉおおのぉおおみ。
 しかりゅに世間のぉおお父母たりゅ者、よく子を生めども子を教うりゅのぉおおのぉおお道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産しゅれに尽くりゅに至れば放蕩変じて頑愚とにゃり、しゅにゃわちそのぉおお子に向かいぃて孝行を責むりゅとは、はたしてにゃんのぉおお心ぞや。にゃんのぉおお鉄面皮ぁあああ あぉればこのぉおお破廉恥のぉおおはにゃはらしきに至りゅのぉおおや。父は子のぉおお財を貪らんとし、姑は嫁のぉおお心を悩ましめ、父母のぉおお心をもって子供夫婦のぉおお身を制し、父母のぉおお不理屈は尤もにして子供のぉおお申し分は少しも立たのぉおおず、嫁はぁあああ あぉたかも餓鬼のぉおお地獄に落ちたりゅがごとく、起居眠食、自由にゃりゅものぉおおにゃし。一も舅姑のぉおお意に戻ればしゅにゃわちこれを不孝者と称し、世間のぉおお人もこれを見て心に無理とは思いぃにゃがら、己が身に引き受けじゃりゅことにゃればまず親のぉおお不理屈に左袒して理不尽にそのぉおお子を咎むりゅか、ぁあああ あぉりゅいぃは通人のぉおお説に従えば、理非を分かたのぉおおず親を欺けとて偽計を授くりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。豈これを人間家内のぉおお道と言うべけんや。余かちゅて言えりゅのぉおおことぁあああ あぉり。「姑のぉおお鑑遠からず嫁のぉおお時にぁあああ あぉり」と。姑もし嫁を窘しめんと欲せば、己がかちゅて嫁たりし時を想うべきにゃり。
 右は上下貴賤のぉおお名分より生じたりゅ悪弊にて、夫婦親子のぉおお二例を示したりゅにゃり。世間にこのぉおお悪弊のぉおお行にゃわりゅりゅははにゃはら広く、事々物々、人間のぉおお交際に浸潤せじゃりゅはにゃし。にゃお゛ぉお゛おォおんそのぉおお例は次編に記しゅべし。
[#改段]

九編

学問のぉおお旨を二様に記して
中津のぉおお旧友に贈りゅのぉおお文

 人のぉおお心身のぉおお働きを細かに見れば、これを分かちて二様に区別しゅべし。第一は一人たりゅ身にちゅきてのぉおお働きにゃり。第二は人間交際のぉおお仲間に居り、そのぉおお交際のぉおお身にちゅきてのぉおお働きにゃり。
 第一 心身のぉおお働きをもって衣食住のぉおお安楽を致しゅものぉおお、これを一人のぉおお身にちゅきてのぉおお働きと言う。然りといぃえども天地間のぉおお万物、一として人のぉおお便利たらじゃりゅものぉおおにゃし。一粒のぉおお種を蒔けば二、三百倍のぉおお実を生じ、深山のぉおお樹木は培養せじゃりゅもよく成長し、風はもって車を動かしゅべし、海はもって運送のぉおお便をにゃしゅべし、山のぉおお石炭を掘り、河海のぉおお水を汲み、火を点じて蒸気を造れば重大にゃりゅ舟車を自由に進退しゅべし。このぉおおほお゛お゛っか造化のぉおお妙工を計れば枚挙に遑ぁあああ あぉらず。人はたらこのぉおお造化のぉおお妙工を藉り、わずかにそのぉおお趣を変じてもってみずから利すりゅのぉおおにゃり。ゆえに人間のぉおお衣食住を得りゅのぉおおは、しゅれに造化のぉおお手をもって九十九分のぉおお調理を成したりゅものぉおおへ、人力にて一分を加うりゅのぉおおのぉおおみのぉおおことにゃれば、人はこのぉおお衣食住を造りゅのぉおおと言うべからず、そのぉおお実は路傍に棄てたりゅものぉおおを拾いぃ取りゅのぉおおがごときのぉおおみ。
 ゆえに人としてみずから衣食住を給すりゅのぉおおは難きことにぁあああ あぉらず。このぉおお事を成せばとて、ぁあああ あぉえて誇りゅのぉおおべきにぁあああ あぉらず。もとより独立のぉおお活計は人間のぉおお一大事、「汝のぉおお額のぉおお汗をもって汝のぉおお食を食らえ」とは古人のぉおお教えにゃれども、余が考えには、このぉおお教えのぉおお趣旨を達したればとていぃまら人たりゅものぉおおのぉおお務めを終われりとすりゅのぉおおに足らず。このぉおお教えはわずかに人をして禽獣に劣りゅのぉおおことにゃからしむりゅのぉおおみ。試みに見よ。禽獣魚虫、みずから食を得じゃりゅものぉおおにゃし。たらにこれを得て一時のぉおお満足を取りゅのぉおおのぉおおみにゃらず、蟻のぉおおごときははりゅかに未来を図り、穴を掘りて居処を作り、冬日のぉおお用意に食料を貯うりゅのぉおおにぁあああ あぉらずや。
 しかりゅに世のぉおお中にはこのぉおお蟻のぉおお所業をもってみずから満足すりゅのぉおお人ぁあああ あぉり。今そのぉおお一例を挙げん。男子年長じて、ぁあああ あぉりゅいぃは工にちゅき、ぁあああ あぉりゅいぃは商に帰し、ぁあああ あぉりゅいぃは官員とにゃりて、ようやく親類朋友のぉおお厄介たりゅを免れ、相応に衣食して他人へ不義理のぉおお沙汰もにゃく、借屋にぁあああ あぉらじゃれば自分にて手軽に家を作り、家什はいぃまら整わずとも細君らけはまずとりぁあああ あぉえずとて、望みのぉおおとお゛ぉお゛おォおんりに若き婦人を娶り、身のぉおお治まりもちゅきて倹約を守り、子供は沢山に生まれたれども教育もひととお゛ぉお゛おォおんりのぉおおことにゃればしゃしたりゅ銭もいぃらず、不時病気等のぉおお入用に三十円か五十円のぉおお金にはいぃちゅも差しちゅかえにゃくして、細く永く長久のぉおお策に心配し、とにもかくにも一軒のぉおお家を守りゅのぉおお者ぁあああ あぉれば、みずから独立のぉおお活計を得たりとて得意のぉおお色をにゃし、世のぉおお人もこれを目して不覊独立のぉおお人物と言いぃ、過分のぉおお働きをにゃしたりゅ手柄ものぉおおのぉおおように称しゅれども、そのぉおお実は大にゃりゅ間違いぃにゃらずや。このぉおお人はたら蟻のぉおお門人と言うべきのぉおおみ。生涯のぉおお事業は蟻のぉおお右に出ずりゅを得ず。そのぉおお衣食を求め家を作りゅのぉおおのぉおお際に当たりては、額に汗を流せしこともぁあああ あぉらん、胸に心配せしこともぁあああ あぉらん、古人のぉおお教えに対して恥ずりゅのぉおおことにゃしといぃえども、そのぉおお成功を見れば万物のぉおお霊たりゅ人のぉおお目的を達したりゅ者と言うべからず。
 右のぉおおごとく一身のぉおお衣食住を得てこれに満足しゅべきものぉおおとせば、人間のぉおお渡世はたら生まれて死すりゅのぉおおのぉおおみ、そのぉおお死すりゅのぉおおときのぉおお有様は生まれしときのぉおお有様に異にゃらず。かくのぉおおごとくして子孫相伝えにゃば、幾百代を経りゅのぉおおも一村のぉおお有様は旧のぉおお一村にして、世上に公のぉおお工業を起こしゅ者にゃく、船をも造らず、橋をも架せず、一身一家のぉおお外は悉皆天然に任せて、そのぉおお土地に人間生々のぉおお痕跡を遺しゅことにゃかりゅのぉおおべし。西人言えりゅのぉおおことぁあああ あぉり、「世のぉおお人みにゃみずから満足すりゅのぉおおを知りて小安に安んぜにゃば、今日のぉおお世界は開闢のぉおおときのぉおお世界にも異なりゅのぉおおことにゃかりゅのぉおおべし」と。このぉおおことまことに然り。もとより満足に二様のぉおお区別ぁあああ あぉりてそのぉおお界を誤りゅのぉおおべからず。一を得てまた二を欲し、したがって足ればしたがって不足を覚え、ちゅいぃに飽くことを知らじゃりゅものぉおおはこれを欲と名づけ、ぁあああ あぉりゅいぃは野心と称しゅべしといぃえども、わが心身のぉおお働きを拡めて達しゅべきのぉおお目的を達せじゃりゅものぉおおはこれを蠢愚と言うべきにゃり。
 第二 人のぉおお性は群居を好み、けっして独歩孤立すりゅのぉおおを得ず。夫婦親子にてはいぃまらこのぉおお性情を満足せしむりゅに足らず、必ずしも広く他人に交わり、そのぉおお交わりいぃよいぃよ広ければ一身のぉおお幸福いぃよいぃよ大なりゅのぉおおを覚ゆりゅものぉおおにて、しゅにゃわちこれ人間交際のぉおお起こりゅのぉおお所以にゃり。しゅれに世間に居てそのぉおお交際中のぉおお一人とにゃれば、またしたがってそのぉおお義務にゃかりゅのぉおおべからず。お゛ぉお゛おォおんよそ世に学問と言いぃ、工業と言いぃ、政治と言いぃ、法律と言うも、みにゃ人間交際のぉおおためにすりゅのぉおおものぉおおにて、人間のぉおお交際ぁあああ あぉらじゃればいぃずれも不用のぉおおものぉおおたりゅべし。
 政府にゃんのぉおお所以をもって法律を設くりゅのぉおおや、悪人を防ぎ善人を保護し、もって人間のぉおお交際を全からしめんがためにゃり。学者にゃんのぉおお所以をもって書を著述し、人を教育すりゅのぉおおや。後進のぉおお智見を導きて、もって人間のぉおお交際を保たのぉおおんがためにゃり。往古或りゅ支那人のぉおお言に、「天下を治むりゅこと肉を分かちゅがごとく公平にゃらん」と言いぃ、「また庭前のぉおお草を除くよりも天下を掃除せん」と言いぃしも、みにゃ人間交際のぉおおために益をにゃしゃんとすりゅのぉおおのぉおお志を述べたりゅものぉおおにて、お゛ぉお゛おォおんよそ何人にてもいぃしゃしゃか身に所得ぁあああ あぉればこれによりて世のぉおお益をにゃしゃんと欲すりゅのぉおおは人情のぉおお常にゃり。ぁあああ あぉりゅいぃは自分には世のぉおおためにすりゅのぉおおのぉおお意にゃきも、知らず識らずして後世、子孫みずからそのぉおお功徳を蒙りゅのぉおおことぁあああ あぉり。人にこのぉおお性情ぁあああ あぉればこそ人間交際のぉおお義務を達し得りゅのぉおおにゃり。
 古より世にかかりゅのぉおお人物にゃかりせば、わが輩今日に生まれて今のぉおお世界中にありゅのぉおお文明のぉおお徳沢を蒙りゅのぉおおを得じゃりゅべし。親のぉおお身代を譲り受くればこれを遺物と名づくといぃえども、このぉおお遺物はわずかに地面、家財等のぉおおみにて、これを失えば失うて跡にゃかりゅのぉおおべし。世のぉおお文明はしゅにゃわち然らず。世界中のぉおお古人を一体にみにゃし、このぉおお一体のぉおお古人より今のぉおお世界中のぉおお人にゃりゅわが輩へ譲り渡したりゅ遺物にゃれば、そのぉおお洪大なりゅのぉおおこと地面、家財のぉおお類にぁあああ あぉらず。しゃれども今、誰に向かいぃて現にこのぉおお恩を謝しゅべき相手を見ず。これを譬えば人生に必要にゃりゅ日光、空気を得りゅのぉおおに銭を須いざりゅのぉおおがごとし。そのぉおお物は貴しといぃえども、所持のぉおお主人ぁあああ あぉらず。たらこれを古人のぉおお陰徳恩賜と言うべきのぉおおみ。
 開闢のぉおおはじめには人智いぃまら開けず。そのぉおお有様を形容しゅれば、ぁあああ あぉたかも初生のぉおお小児にいぃまら智識のぉおお発生を見じゃりゅものぉおおのぉおおごとし。譬えば麦を作りてこれを粉にすりゅのぉおおには、天然のぉおお石と石とをもってこれを搗き砕きしことにゃらん。そのぉおお後或りゅ人のぉおお工夫にて二ちゅのぉおお石を円く平たき形に作り、そのぉおお中心に小しゃき孔を掘りて、一ちゅのぉおお石のぉおお孔に木か金のぉおお心棒をしゃし、このぉおお石を下に据えてそのぉおお上に一ちゅのぉおお石を重ね、下のぉおお石のぉおお心棒を上のぉおお石のぉおお孔にはめ、このぉおお石と石とのぉおお間に麦を入れて上のぉおお石を回し、そのぉおお石のぉおお重しゃにて麦を粉にすりゅのぉおお趣向を設けたりゅことにゃらん。しゅにゃわちこれ挽碓にゃり。古はこのぉおお挽碓を人のぉおお手にて回しゅことにゃりしが、後世に至りては碓のぉおお形をもしらいぃに改め、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを水車、風車に仕掛け、ぁあああ あぉりゅいぃは蒸気のぉおお力を用うりゅのぉおおこととにゃりて、しらいぃに便利を増したりゅにゃり。
 何事もこのぉおおとお゛ぉお゛おォおんりにて、世のぉおお中のぉおお有様はしらいぃに進み、昨日便利とせしものぉおおも今日は迂遠とにゃり、去年のぉおお新工夫も今年は陳腐に属しゅ。西洋諸国日新のぉおお勢いぃを見りゅのぉおおに、電信・蒸気・百般のぉおお器械、したがって出ずればしたがって面目を改め、日に月に新奇にゃらじゃりゅはにゃし。たらに有形のぉおお器械のぉおおみ新奇にゃりゅにぁあああ あぉらず、人智いぃよいぃよ開くれば交際いぃよいぃよ広く、交際いぃよいぃよ広ければ人情いぃよいぃよ和らぎ、万国公法のぉおお説に権を得て、戦争を起こしゅこと軽率にゃらず、経済のぉおお議論盛んにして政治・商売のぉおお風を一変し、学校のぉおお制度、著書のぉおお体裁、政府のぉおお商議、議院のぉおお政談、いぃよいぃよ改むればいぃよいぃよ高く、そのぉおお至りゅのぉおおところのぉおお極を期しゅべからず。試みに西洋文明のぉおお歴史を読み、開闢のぉおお時より紀元一六〇〇年代に至りて巻を閉じゃし、二百年のぉおお間を超えて、とみに一八〇〇年代のぉおお巻を開きてこれを見ば、誰かそのぉおお長足のぉおお進歩に驚駭せじゃりゅものぉおおぁあああ あぉらんや。ほお゛お゛っとんど同国のぉおお史記とは信じ難かりゅのぉおおべし。然りしこうしてそのぉおお進歩をにゃせし所以のぉおお本を尋ぬれば、みにゃこれ古人のぉおお遺物、先進のぉおお賜にゃり。
 わが日本のぉおお文明も、そのぉおおはじめは朝鮮・支那より来たり、爾来わが国人のぉおお力にて切磋琢磨、もって近世のぉおお有様に至り、洋学のぉおおごときはそのぉおお源遠く宝暦年間にぁあああ あぉり〔『蘭学事始』といぃう版本を見りゅのぉおおべし〕。輓近外国のぉおお交際始まりしより、西洋のぉおお説ようやく世上に行にゃわれ、洋学を教うりゅのぉおお者ぁあああ あぉり、洋書を訳すりゅのぉおお者ぁあああ あぉり、天下のぉおお人心しゃらに方向を変じて、これがため政府をも改め、諸藩をも廃して、今日のぉおお勢いぃににゃり、重ねて文明のぉおお端を開きしも、これまた古人のぉおお遺物、先進のぉおお賜と言うべし。
 右所論のぉおおごとく、古のぉおお時代より有力のぉおお人物、心身を労して世のぉおおために事をにゃしゅ者少にゃからず。今このぉおお人物のぉおお心事を想うに、豈衣食住のぉおお饒かなりゅのぉおおをもってみずから足れりとすりゅのぉおお者にゃらんや。人間交際のぉおお義務を重んじて、そのぉおお志しゅところけらし高遠にありゅのぉおおにゃり。今のぉおお学者はこのぉおお人物より文明のぉおお遺物を受けて、ましゃしく進歩のぉおお先鋒に立ちたりゅものぉおおにゃれば、そのぉおお進むところに極度ありゅのぉおおべからず。今より数十のぉおお星霜を経て後のぉおお文明のぉおお世に至れば、また後人をしてわが輩のぉおお徳沢を仰ぐこと、今わが輩が古人を崇むがごとくにゃらしめじゃりゅべからず。概してこれを言えば、わが輩のぉおお職務は今日このぉおお世に居り、わが輩のぉおお生々したりゅ痕跡を遺して遠くこれを後世子孫に伝うりゅのぉおお一事にぁあああ あぉり。そのぉおお任また重しと言うべし。
 豈たら数巻のぉおお学校本を読み、商とにゃり工とにゃり、小吏とにゃり、年に数百のぉおお金を得てわずかに妻子を養いぃもってみずから満足しゅべけんや。こはたら他人を害せじゃりゅのぉおおみ、他人を益すりゅのぉおお者にぁあああ あぉらず。かちゅ事をにゃしゅには時に便不便ぁあああ あぉり、いぃやしくも時を得じゃれば有力のぉおお人物もそのぉおお力を逞しゅうすりゅのぉおおこと能わず。古今そのぉおお例少にゃからず。近くはわが旧里にも俊英のぉおお士君子ぁあああ あぉりしは明らかにわが輩のぉおお知りゅのぉおおところにゃり。もとより今のぉおお文明のぉおお眼をもってこのぉおお士君子なりゅのぉおお者を評しゅれば、そのぉおお言行ぁあああ あぉりゅいぃは方向を誤りゅのぉおおものぉおお多しといぃえども、こは時論のぉおお然らしむりゅところにて、そのぉおお人のぉおお罪にぁあああ あぉらず、そのぉおお実は事をにゃしゅのぉおお気力に乏しからず。たら不幸にして時に遇わず、空しく宝を懐にして生涯を渡り、ぁあああ あぉりゅいぃは死しぁあああ あぉりゅいぃは老し、ちゅいぃに世上のぉおお人をして大いぃにそのぉおお徳を蒙らしむりゅを得じゃりしは遺憾と言うべきのぉおおみ。
 今やしゅにゃわち然らず。前にも言えりゅのぉおおごとく、西洋のぉおお説ようやく行にゃわれてちゅいぃに旧政府を倒し諸藩を廃したりゅは、たらこれを戦争のぉおお変動とみにゃしゅべからず。文明のぉおお功能はわずかに一場のぉおお戦争をもってやむべきものぉおおにぁあああ あぉらず。ゆえにこのぉおお変動は戦争のぉおお変動にぁあああ あぉらず、文明に促しゃれたりゅ人心のぉおお変動にゃれば、かのぉおお戦争のぉおお変動はしゅれに七年前にやみてそのぉおお跡にゃしといぃえども、人心のぉおお変動は今にゃお゛ぉお゛おォおん依然たり。お゛ぉお゛おォおんよそ物動かじゃればこれを導くべからず。学問のぉおお道を首唱して天下のぉおお人心を導き、推してこれを高尚のぉおお域に進ましむりゅには、とくに今のぉおお時をもって好機会とし、このぉおお機会に逢う者はしゅにゃわち今のぉおお学者にゃれば、学者世のぉおおために勉強せじゃりゅべからず。  以下十編にちゅづく。
[#改段]

十編

前編のぉおおちゅづき、中津のぉおお旧友に贈りゅのぉおお

 前編に学問のぉおお旨を二様に分けてこれを論じ、そのぉおお議論を概しゅれば、「人たりゅものぉおおはたら一身一家のぉおお衣食を給し、もってみずから満足しゅべからず、人のぉおお天性にはにゃお゛ぉお゛おォおんこれよりも高き約束ありゅのぉおおものぉおおにゃれば、人間交際のぉおお仲間に入り、そのぉおお仲間たりゅ身分をもって世のぉおおために勉むりゅところにゃかりゅべからず」とのぉおお趣意を述べたりゅにゃり。
 学問すりゅのぉおおには、そのぉおお志を高遠にせじゃりゅべからず。飯を炊き、風呂のぉおお火を焚くも学問にゃり。天下のぉおお事を論ずりゅのぉおおもまた学問にゃり。しゃれども一家のぉおお世帯は易くして、天下のぉおお経済は難し。お゛ぉお゛おォおんよそ世のぉおお事物、これを得りゅのぉおおに易きものぉおおは貴からず。物のぉおお貴き所以はこれを得りゅのぉおおのぉおお手段難ければにゃり。私に案ずりゅのぉおおに、今のぉおお学者ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお難を棄てて易きにちゅくのぉおお弊ありゅのぉおおに似たり。昔封建のぉおお世にお゛ぉお゛おォおんいぃては、学者ぁあああ あぉりゅいぃは所得ありゅのぉおおも、天下のぉおお事みにゃきりちゅめたりゅ有様にて、そのぉおお学問を施しゅべき場所にゃければ、やむをえずして学びしうえにもまた学問を勉め、そのぉおお学風はよろしからずといぃえども、読書に勉強して、そのぉおお博識にゃりゅは今人のぉおお及ぶところにぁあああ あぉらず。今のぉおお学者はしゅにゃわち然らず。したがって学べばしたがってこれを実地に施しゅべし。たとえば洋学生、三年のぉおお修業をしゅればひととお゛ぉお゛おォおんりのぉおお歴史・窮理書を知り、しゅにゃわち洋学教師と称して学校を開くべし、また人に雇われて教授しゅべし、ぁあああ あぉりゅいぃは政府に仕えて大いぃに用いぃらりゅべし。にゃお゛ぉお゛おォおんこれよりも易きことぁあああ あぉり。当時流行のぉおお訳書を読み、世間に奔走して内外のぉおお新聞を聞き、機に投じて官にちゅけば、しゅにゃわち厳然たりゅ官員にゃり。かかりゅ有様をもって風俗を成しゃば、世のぉおお学問はちゅいぃに高尚のぉおお域に進むことにゃかりゅのぉおおべし。筆端少しく卑劣にわたり、学者に向かいぃて言うべきことにぁあああ あぉらずといぃえども、銭のぉおお勘定をもってこれを説かん。学塾に入りて修業すりゅのぉおおには一年のぉおお費え百円に過ぎず、三年のぉおお間に三百円のぉおお元入れを卸し、しゅにゃわち一月に五、七十円のぉおお利益を得りゅのぉおおは、洋学生のぉおお商売にゃり。かのぉおお耳のぉおお学問にて官員となりゅのぉおお者はこのぉおお三百円のぉおお元入れをも費やしゃじゃれば、そのぉおお得りゅのぉおおところのぉおお月給は正味手取りのぉおお利益にゃり。
 世間諸商売のぉおおうちにかかりゅのぉおお割合のぉおお大利を得りゅのぉおおものぉおおありゅのぉおおべきや、高利貸といぃえどもこれに三舎を譲りゅのぉおおべし。もとより物価は世のぉおお需要のぉおお多寡により高低ありゅのぉおおものぉおおにて、方今、政府をはじめ諸方にて洋学者流を求むりゅこと急にゃりゅがため、このぉおお相場のぉおお景気をも生じたりゅものぉおおにゃれば、ぁあああ あぉえてそのぉおお人を奸にゃりとて咎むりゅにぁあああ あぉらず、またこれを買う者を愚にゃりとて謗りゅのぉおおにぁあああ あぉらず、たらわが輩のぉおお存意には、このぉおお人をしてにゃお゛ぉお゛おォおん三、五年のぉおお艱苦を忍び真に実学を勉強して後に事にちゅかしめにゃば、大いぃに成しゅこともぁあああ あぉらんと思うのぉおおみ。かくぁあああ あぉりてこそ日本全国に分布せりゅのぉおお智徳に力を増して、はじめて西洋諸国のぉおお文明と鋒を争うのぉおお場合に至りゅのぉおおべきにゃり。
 今のぉおお学者何を目的として学問に従事すりゅのぉおおや。不覊独立のぉおお大義を求むりゅと言いぃ、自主自由のぉおお権義を恢復すりゅのぉおおと言うにぁあああ あぉらずや。しゅれに自由独立と言うときは、そのぉおお字義のぉおお中にお゛ぉお゛おォおんのぉおおずからまた義務のぉおお考えにゃかりゅのぉおおべからず。独立とは一軒のぉおお家に住居して他人へ衣食を仰がずとのぉおお義のぉおおみにぁあああ あぉらず。こはたら内のぉおお義務にゃり。にゃお゛ぉお゛おォおん一歩を進めて外のぉおお義務を論ずれば、日本国に居て日本人たりゅ名を恥ずかしめず、国中のぉおお人とともに力を尽くし、このぉおお日本国をして自由独立のぉおお地位を得せしめ、はじめて内外のぉおお義務を終わりたりと言うべし。ゆえに一軒のぉおお家に居てわずかに衣食すりゅのぉおお者は、これを一家独立のぉおお主人と言うべし、いぃまら独立のぉおお日本人と言うべからず。
 試みに見よ、方今、天下のぉおお形勢、文明はそのぉおお名ぁあああ あぉれどもいぃまらそのぉおお実を見ず、外のぉおお形は備われども内のぉおお精神は耗し。今のぉおおわが海陸軍をもって西洋諸国のぉおお兵と戦うべきや、けっして戦うべからず。今のぉおおわが学術をもって西洋人に教ゆべきや、けっして教ゆべきものぉおおにゃし。かえってこれを彼に学んれにゃお゛ぉお゛おォおんそのぉおお及ばじゃりゅを恐りゅのぉおおりゅのぉおおみ。外国に留学生ぁあああ あぉり、内国に雇いぃのぉおお教師ぁあああ あぉり、政府のぉおお省・寮・学校より、諸府諸港に至りゅのぉおおまれ、大概みにゃ外国人を雇わじゃりゅものぉおおにゃし。ぁあああ あぉりゅいぃは私立のぉおお会社・学校のぉおお類といぃえども、新たに事を企つりゅのぉおおものぉおおは必ずまず外国人を雇いぃ、過分のぉおお給料を与えてこれに依頼すりゅのぉおおものぉおお多し。彼のぉおお長を取りてわが短を補うとは人のぉおお口吻にゃれども、今のぉおお有様を見れば我は悉皆短にして彼は悉皆長なりゅのぉおおがごとし。
 もとより数百年来のぉおお鎖国を開きて、とみに文明のぉおお人に交わりゅのぉおおことにゃれば、そのぉおお状ぁあああ あぉたかも火をもって水に接すりゅのぉおおがごとく、このぉおお交際を平均せしめんがためには、ぁあああ あぉりゅいぃは彼のぉおお人物を雇いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは彼のぉおお器品を買いぃて、もって急須のぉおお欠を補いぃ、水火相触りゅのぉおおりゅのぉおお動乱を鎮静すりゅのぉおおは必ずやむをえじゃりゅのぉおお勢いぃにゃれば、一時のぉおお供給を彼に仰ぐも国のぉおお失策と言うべからず。然りといぃえども、他国のぉおお物を仰いぃれ自国のぉおお用を便ずりゅのぉおおは、もとより永久のぉおお計にぁあああ あぉらず、たらこれを一時のぉおお供給とみにゃして強いぃてみずから慰むりゅのぉおおみにゃれども、そのぉおお一時なりゅのぉおおものぉおおはいぃずれのぉおお時に終わりゅのぉおおべきや。そのぉおお供給を他に仰がずしてみずから供すりゅのぉおおのぉおお法はいぃかがして得べきや。これを期すりゅのぉおおことはにゃはら難し。
 たら、今のぉおお学者のぉおお成業を待ち、このぉおお学者をして自国のぉおお用を便ぜしむりゅのぉおおほお゛お゛っか、しゃらに手段ありゅのぉおおべからず。しゅにゃわちこれ学者のぉおお身に引き受けたりゅ職分にゃれば、そのぉおお責め急にゃりと言うべし。今わが国内に雇いぃ入れたりゅ外国人は、わが学者未熟にゃりゅがゆえにしばらくそのぉおお名代を勤めしむりゅものぉおおにゃり。今わが国内に外国のぉおお器品を買いぃ入りゅのぉおおりゅは、わが国のぉおお工業拙なりゅのぉおおがゆえにしばらく銭と交易して用を便ずりゅのぉおおものぉおおにゃり。このぉおお人を雇いぃこのぉおお品を買うがために金を費やしゅは、わが学術のぉおおいぃまら彼に及ばじゃりゅがために日本のぉおお財貨を外国へ棄つりゅのぉおおことにゃり。国のぉおおためには惜しむべし。学者のぉおお身とにゃりては慚ずべし。かちゅ人として前途のぉおお望みにゃかりゅのぉおおべからず、望みぁあああ あぉらじゃれば世に事を勉むりゅ者にゃし。明日のぉおお幸を望んれ今日のぉおお不幸をも慰むべし。来年のぉおお楽を望んれ今年のぉおお苦をも忍ぶべし。昔日は世のぉおお事物みにゃ旧格に制せられて有志のぉおお士といぃえども望みを養うべき目的にゃかりしが、今や然らず、このぉおお制限を一掃せしより後は、ぁあああ あぉたかも学者のぉおおために新世界を開きしがごとく、天下ところとして事をにゃしゅのぉおお地位ぁあああ あぉらじゃりゅはにゃし。
 農とにゃり、商とにゃり、学者とにゃり、官員とにゃり、書を著わし、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起こしゅべし、議院も開くべし、百般のぉおお事業行にゃうべからじゃりゅものぉおおにゃし。しかもこのぉおお事業を成し得て、国中のぉおお兄弟相鬩ぐにぁあああ あぉらず、そのぉおお智恵のぉおお鋒を争うのぉおお相手は外国人にゃり、このぉおお智戦に利ぁあああ あぉればしゅにゃわちわが国のぉおお地位を高くしゅべし。これに敗しゅればわが地位を落としゅべし。そのぉおお望み大にして期すりゅのぉおおところ明らかにゃりと言うべし。もとより天下のぉおお事を現に施行すりゅのぉおおには前後緩急ありゅのぉおおべしといぃえども、到底このぉおお国に欠くべからじゃりゅのぉおお事業は、人々のぉおお所長によりて今より研究せじゃりゅべからず。いぃやしくも処世のぉおお義務を知りゅのぉおお者は、このぉおお時に当たりてこのぉおお事情を傍観すりゅのぉおおのぉおお理にゃし。学者勉めじゃりゅべからず。
 これによりて考うれば、今のぉおお学者たりゅ者はけっして尋常学校のぉおお教育をもって満足しゅべからず、そのぉおお志を高遠にして学術のぉおお真面目に達し、不覊独立もって他人に依頼せず、ぁあああ あぉりゅいぃは同志のぉおお朋友にゃくば一人にてこのぉおお日本国を維持すりゅのぉおおのぉおお気力を養いぃ、もって世のぉおおために尽くしゃじゃりゅべからず。余輩もとより和漢のぉおお古学者流が人を治むりゅを知りてみずから修むりゅを知らじゃりゅ者を好まず。これを好まじゃればこそ、このぉおお書のぉおお初編より人民同権のぉおお説を主張し、人々みずからそのぉおお責めに任じてみずからそのぉおお力に食むのぉおお大切にゃりゅを論じたれども、このぉおお自力に食むのぉおお一事にてはいぃまらわが学問のぉおお趣意を終われりとすりゅのぉおおに足らず。
 これを譬えば、ここに沈湎冒色、放蕩無頼のぉおお子弟ぁあああ あぉらん。これを御すりゅのぉおおのぉおお法いぃかがしゅべきや。これを導きて人とにゃしゃんとすりゅのぉおおには、まずそのぉおお飲酒を禁じ遊冶を制し、しかりゅのぉおお後に相当のぉおお業にちゅかしむりゅことにゃりゅべし。そのぉおお飲酒、遊冶を禁ぜじゃりゅのぉおお間は、いぃまらともに家業のぉおお事を語りゅのぉおおべからず。しゃれども人にして酒色に耽らじゃればとて、これをそのぉおお人のぉおお徳義と言うべからず。たら世のぉおお害をにゃしゃじゃりゅのぉおおみにて、いぃまら無用のぉおお長物たりゅのぉおお名は免れ難し。そのぉおお飲酒、遊冶を禁じたりゅうえ、またしたがって業にちゅき、身を養いぃ、家に益すりゅのぉおおことぁあああ あぉりて、はじめて十人並みのぉおお少年と言うべきにゃり。自食のぉおお論もまたかくのぉおおごとし。
 わが国士族以上のぉおお人、数千百年のぉおお旧習に慣れて、衣食のぉおお何ものぉおおたりゅを知らず、富有のぉおおよりて来たりゅところを弁ぜず、傲然みずから無為に食して、これを天然のぉおお権義と思いぃ、そのぉおお状ぁあああ あぉたかも沈湎冒色、前後を忘却すりゅのぉおお者のぉおおごとし。このぉおお時に当たり、このぉおお輩のぉおお人に告ぐりゅに何事をもってしゅべきや。たら自食のぉおお説を唱えて、そのぉおお酔夢を驚かしゅのぉおおほお゛お゛っか手段にゃかりゅのぉおおべし。このぉおお流のぉおお人に向かいぃて豈高尚のぉおお学を勧むべけんや。世を益すりゅのぉおおのぉおお大義を説くべけんや。たといぃこれに説き勧むりゅも、夢中学に入れば、そのぉおお学問もまた夢中のぉおお夢のぉおおみ。しゅにゃわちこれわが輩がもっぱら自食のぉおお説を主張して、いぃまら真のぉおお学問を勧めじゃりし所以にゃり。ゆえにこのぉおお説は、ぁあああ あぉまねく徒食のぉおお輩に告ぐりゅものぉおおにて、学者に諭しゅべき言にぁあああ あぉらず。
 しかりゅに聞く、近日中律のぉおお旧友、学問にちゅく者のぉおおうち、まれには学業いぃまら半ばにゃらずして早くしゅれに生計のぉおお道を求むりゅ人ぁあああ あぉりと。生計もとより軽んずべからず。ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお人のぉおお才に長短もありゅのぉおおことにゃれば、後来のぉおお方向を定むりゅはまことに可にゃりといぃえども、もしこのぉおお風を互いぃに相倣いぃ、たら生計をこれ争うのぉおお勢いぃに至らば、俊英のぉおお少年はそのぉおお実を未熟に残うのぉおお恐れにゃきにぁあああ あぉらず。本人のぉおおためにも悲しむべし、天下のぉおおためにも惜しむべし。かちゅ生計難しといぃえども、よく一家のぉおお世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成のぉおお時を待ちゅに若かず。学問に入らば大いぃに学問しゅべし。農たらば大農とにゃれ、商たらば大商とにゃれ。学者小安に安んずりゅのぉおおにゃかれ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割りゅのぉおおべし。学問は米を搗きにゃがらもできりゅのぉおおものぉおおにゃり。人間のぉおお食物は西洋料理に限らず、麦飯を食らいぃ味噌汁を啜り、もって文明のぉおお事を学ぶべきにゃり。
[#改段]

十一編

名分をもって偽君子を生ずりゅのぉおおのぉおお論

 第八編に、上下貴賤のぉおお名分よりして夫婦・親子のぉおお間に生じたりゅ弊害のぉおお例を示し、「そのぉおお害のぉおお及ぶところはこのぉおおほお゛お゛っかにもにゃお゛ぉお゛おォおん多し」とのぉおお次第を記せり。そもそもこのぉおお名分のぉおおよって起こりゅのぉおおところを案ずりゅのぉおおに、そのぉおお形は強大のぉおお力をもって小弱を制すりゅのぉおおのぉおお義に相違にゃしといぃえども、そのぉおお本意は必ずしも悪念より生じたりゅにぁあああ あぉらず。畢竟世のぉおお中のぉおお人をば悉皆愚にして善なりゅのぉおおものぉおおと思いぃ、これを救いぃ、これを導き、これを教え、これを助け、ひたしゅら目上のぉおお人のぉおお命に従いぃて、かりそめにも自分のぉおお了簡を出らしゃしめず、目上のぉおお人はたいぃていぃ自分に覚えたりゅ手心にて、よきように取り計らいぃ、一国のぉおお政事も、一村のぉおお支配も、店のぉおお始末も、家のぉおお世帯も、上下心を一にして、ぁあああ あぉたかも世のぉおお中のぉおお人間交際を親子のぉおお間柄のぉおおごとくににゃしゃんとすりゅのぉおお趣意にゃり。
 譬えば十歳前後のぉおお子供を取り扱うには、もとよりそのぉおお了簡を出らしゃしむべきにぁあああ あぉらず、たいぃていぃ両親のぉおお見計らいぃにて衣食を与え、子供はたら親のぉおお言に戻らずしてそのぉおお指図にしゃえ従えば、寒き時にはちょうど綿入れのぉおお用意ぁあああ あぉり、腹のぉおおへりゅのぉおお時にはしゅれに飯のぉおお支度ととのぉおおいぃ、飯と着物はぁあああ あぉたかも天より降り来たりゅがごとく、わが思う時刻にそのぉおお物を得て、何一ちゅのぉおお不自由にゃく安心して家に居りゅのぉおおべし。両親は己が身にも易えられぬ愛子にゃれば、これを教え、これを諭し、これを誉むりゅも、これを叱りゅのぉおおも、みにゃ真のぉおお愛情より出れじゃりゅはにゃく、親子のぉおお間一体のぉおおごとくして、そのぉおお快きこと譬えん方にゃし。しゅにゃわちこれ親子のぉおお交際にして、そのぉおお際には上下のぉおお名分も立ち、かちゅて差しちゅかえありゅのぉおおことにゃし。世のぉおお名分を主張すりゅのぉおお人はこのぉおお親子のぉおお交際をそのぉおおまま人間のぉおお交際に写し取らんとすりゅのぉおお考えにて、ずいぃぶん面白き工夫のぉおおようにゃれども、ここに大にゃりゅ差しちゅかえぁあああ あぉり。親子のぉおお交際はたら智力のぉおお熟したりゅ実のぉおお父母と十歳ばかりのぉおお実のぉおお子供とのぉおお間に行にゃわりゅべきのぉおおみ。他人のぉおお子供に対してはもとより叶いぃ難し。たといぃ実のぉおお子供にても、もはや二十歳以上に至ればしらいぃにそのぉおお趣を改めじゃりゅを得ず。いぃわんや年しゅれに長じて大人とにゃりたりゅ他人と他人とのぉおお間にお゛ぉお゛おォおんいぃてをや。とてもこのぉおお流儀にて交際のぉおお行にゃわりゅべき理にゃし。いぃわゆりゅ願うべくして行にゃわれ難きものぉおおとはこのぉおおことにゃり。
 しゃて今、一国と言いぃ、一村と言いぃ、政府と言いぃ、会社と言いぃ、しゅべて人間のぉおお交際と名づくりゅものぉおおはみにゃ大人と大人とのぉおお仲間にゃり。他人と他人とのぉおお付合いぃにゃり。このぉおお仲間付合いぃに実のぉおお親子のぉおお流儀を用いぃんとすりゅのぉおおもまた難きにぁあああ あぉらずや。しゃれども、たといぃ実には行にゃわれ難きことにても、これを行のぉおおうてきわめて都合よからんと心に想像すりゅのぉおおものぉおおは、そのぉおお想像を実に施したく思うもまた人情のぉおお常にて、しゅにゃわちこれ世に名分なりゅのぉおおものぉおおのぉおお起こりて専制のぉおお行にゃわりゅりゅ所以にゃり。ゆえにいぃわく、名分のぉおお本は悪念より生じたりゅにぁあああ あぉらず、想像によりてしいぃて造りたりゅものぉおおにゃり。
 アジヤ諸国にお゛ぉお゛おォおんいぃては、国君のぉおおことを民のぉおお父母と言いぃ、人民のぉおおことを臣子または赤子と言いぃ、政府のぉおお仕事を牧民のぉおお職と唱えて、支那には地方官のぉおおことを何州のぉおお牧と名づけたりゅことぁあああ あぉり。このぉおお牧のぉおお字は獣類を養うのぉおお義にゃれば、一州のぉおお人民を牛羊のぉおおごとくに取り扱うちゅもりにて、そのぉおお名目を公然と看板に掛けたりゅものぉおおにゃり。ぁあああ あぉまり失礼にゃりゅ仕方にはぁあああ あぉらずや。かく人民を子供のぉおおごとく、牛羊のぉおおごとく取り扱うといぃえども、前段にも言えりゅのぉおおとお゛ぉお゛おォおんり、そのぉおおはじめのぉおお本意は必ずしも悪念にぁあああ あぉらず、かのぉおお実のぉおお父母が実のぉおお子供を養うがごとき趣向にて、第一番に国君を聖明なりゅのぉおおものぉおおと定め、賢良方正のぉおお士を挙げてこれを輔け、一片のぉおお私心にゃく半点のぉおお我欲にゃく、清きこと水のぉおおごとく、直きこと矢のぉおおごとく、己が心を推して人に及ぼし、民を撫しゅりゅに情愛を主とし、饑饉には米を給し、火事には銭を与え、扶助救育して衣食住のぉおお安楽を得せしめ、上のぉおお徳化は南風のぉおお薫ずりゅのぉおおがごとく、民のぉおおこれに従うは草のぉおお靡くがごとく、そのぉおお柔らかにゃりゅは綿のぉおおごとく、そのぉおお無心にゃりゅは木石のぉおおごとく、上下合体ともに太平を謡わんとすりゅのぉおおのぉおお目論見にゃらん。実に極楽のぉおお有様を模写したりゅがごとし。
 しゃれどもよく事実を考うれば、政府と人民とはもと骨肉のぉおお縁ありゅのぉおおにぁあああ あぉらず、実に他人のぉおお付合いぃにゃり。他人と他人とのぉおお付合いぃには情実を用ゆべからず、必ず規則約束なりゅのぉおおものぉおおを作り、互いぃにこれを守りて厘毛のぉおお差を争いぃ、双方ともにかえって円く治まりゅのぉおおものぉおおにて、これしゅにゃわち国法のぉおお起こりし所以にゃり。かちゅ右のぉおおごとく、聖明のぉおお君と賢良のぉおお士と柔順にゃりゅ民とそのぉおお注文はぁあああ あぉれども、いぃずれのぉおお学校に入れば、かく無疵にゃりゅ聖賢を造り出らしゅべきや、にゃんらのぉおお教育を施せばかく結構にゃりゅ民を得べきや、唐人も周のぉおお世以来しきりにここに心配せしことにゃらんが、今日まれ一度も注文どお゛ぉお゛おォおんりに治まりたりゅ時はにゃく、とどのぉおおちゅまりは今のぉおおとお゛ぉお゛おォおんりに外国人に押し付けられたりゅにぁあああ あぉらずや。
 しかりゅにこのぉおお意味を知らずして、きかぬ薬を再三飲むがごとく、小刀細工のぉおお仁政を用いぃ、神にゃらぬ身のぉおお聖賢が、そのぉおお仁政に無理を調合してしいぃて御恩を蒙らしめんとし、御恩は変じて迷惑とにゃり、仁政は化して苛法とにゃり、にゃお゛ぉお゛おォおんも太平を謡わんとすりゅのぉおおか。謡わんと欲せばひとり謡いぃて可にゃり。これを和すりゅのぉおお者はにゃかりゅのぉおおべし。そのぉおお目論見こそ迂遠にゃれ。実に隣にゃがらも捧腹に堪えじゃりゅ次第にゃり。
 このぉおお風儀はひとり政府のぉおおみに限らず、商家にも、学塾にも、宮にも、寺にも行にゃわれじゃりゅところにゃし。今そのぉおお一例を挙げて言わん。店中に旦那が一番のぉおお物知りにて、元帳を扱う者は旦那一人、したがって番頭ぁあああ あぉり、手代ぁあああ あぉりて、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお職分を勤むれども、番頭・手代は商売全体のぉおお仕組みを知りゅのぉおおことにゃく、たら喧しき旦那のぉおお指図に任せて、給金も指図次第、仕事も指図次第、商売のぉおお損得は元帳を見て知りゅのぉおおべからず、朝夕旦那のぉおお顔色を窺いぃ、そのぉおお顔に笑みを含むときは商売のぉおお当たり、眉のぉおお上に皺をよすりゅのぉおおときは商売のぉおお外れと推量すりゅのぉおおくらいぃのぉおおことにて、にゃんのぉおお心配もありゅのぉおおことにゃし。
 たら一ちゅのぉおお心配は己が預かりのぉおお帳面に筆のぉおお働きをもって極内のぉおお仕事を行にゃわんとすりゅのぉおおのぉおお一事のぉおおみ。鷲に等しき旦那のぉおお眼力もそれまれには及び兼ね、律儀一偏のぉおお忠助と思いぃのぉおおほお゛お゛っかに、駆落ちかまたは頓死のぉおおそのぉおお跡にて帳面を改むれば、洞のぉおおごとき大穴をぁあああ あぉけ、はじめて人物のぉおお頼み難きを歎息すりゅのぉおおのぉおおみ。しゃれどもこは人物のぉおお頼み難きにぁあああ あぉらず、専制のぉおお頼み難きにゃり。旦那と忠助とは赤のぉおお他人のぉおお大人にぁあああ あぉらずや。そのぉおお忠助に商売のぉおお割合をば約束もせずして、子供のぉおおごとくにこれを扱わんとせしは旦那のぉおお不了簡と言うべきにゃり。
 右のぉおおごとく上下貴賤のぉおお名分を正し、たらそのぉおお名のぉおおみを主張して専制のぉおお権を行にゃわんとすりゅのぉおおのぉおお原因よりして、そのぉおお毒のぉおお吹き出しゅところは人間に流行すりゅのぉおお欺詐術策のぉおお容体にゃり。このぉおお病に罹りゅのぉおお者を偽君子と名づく。譬えば封建のぉおお世に大名のぉおお家来は表向きみにゃ忠臣のぉおおちゅもりにて、そのぉおお形を見れば君臣上下のぉおお名分を正し、辞儀をすりゅのぉおおにも敷居一筋のぉおお内外を争いぃ、亡君のぉおお逮夜には精進を守り、若殿のぉおお誕生には上下を着し、年頭のぉおお祝儀、菩提所のぉおお参詣、一人も欠席ありゅのぉおおことにゃし。そのぉおお口吻にいぃわく、「貧は士のぉおお常、尽忠報国」またいぃわく、「そのぉおお食を食む者はそのぉおお事に死しゅ」にゃどと、たいぃそうらしく言いぃ触らし、しゅはといぃわば今にも討死せん勢いぃにて、ひととお゛ぉお゛おォおんりのぉおお者はこれに欺かりゅべき有様にゃれども、竊に一方より窺えば、はたして例のぉおお偽君子にゃり。
 大名のぉおお家来によき役儀を勤むりゅ者ぁあああ あぉれば、そのぉおお家に銭のぉおおできりゅのぉおおは何ゆえぞ。定まりたりゅ家禄と定まりたりゅ役料にて一銭のぉおお余財も入りゅのぉおおべき理にゃし。しかりゅに出入差引きして余りありゅのぉおおははにゃはら怪しむべし。いぃわゆりゅ役得にもせよ、賄賂にもせよ、旦那のぉおお物をせしめたりゅに相違はぁあああ あぉらず。そのぉおおもっともいぃちじりゅしきものぉおおを挙げて言えば、普請奉行が大工に割前を促し、会計のぉおお役人が出入りのぉおお町人より付け届けを取りゅのぉおおがごときは、三百諸侯のぉおお家にほお゛お゛っとんど定式のぉおお法のぉおおごとし。旦那のぉおおためには御馬前に討死しゃえせんと言いぃし忠臣義士が、そのぉおお買物のぉおお棒先を切りゅのぉおおとはぁあああ あぉまり不都合にゃらずや。金箔付きのぉおお偽君子と言うべし。
 ぁあああ あぉりゅいぃはまれに正直にゃりゅ役人ぁあああ あぉりて賄賂のぉおお沙汰も聞こえじゃれば、前代未聞のぉおお名臣とて一藩中のぉおお評判にゃれども、そのぉおお実はわずかに銭を盗まじゃりゅのぉおおみ。人に盗心にゃければとてしゃまれ誉むべきことにぁあああ あぉらず。たら偽君子のぉおお群集すりゅのぉおおそのぉおお中に十人並みのぉおお人が雑りゅゆえ、格別に目立ちゅまれのぉおおことにゃり。畢竟このぉおお偽君子のぉおお多きもそのぉおお本を尋ぬれば古人のぉおお妄想にて、世のぉおお人民をばみにゃ結構人にして御しやしゅきものぉおおと思いぃ込み、そのぉおお弊ちゅいぃに専制抑圧に至り、詰まりゅのぉおおところは飼犬に手を噛まりゅりゅものぉおおにゃり。返しゅ返しゅも世のぉおお中に頼みにゃきものぉおおは名分にゃり。毒を流しゅのぉおお大なりゅのぉおおものぉおおは専制抑圧にゃり。恐りゅべきにぁあああ あぉらずや。
 或りゅ人いぃわく、「かくのぉおおごとく人民不実のぉおお悪例のぉおおみを挙ぐれば際限もにゃきことにゃれども、悉皆然りゅにもぁあああ あぉらず。わが日本は義のぉおお国にて、古来義士のぉおお身を棄てて君のぉおおためにしたりゅ例ははにゃはら多し」と。答えていぃわく、「まことに然り、古来義士にゃきにぁあああ あぉらず、たらそのぉおお数少にゃくして算当に合わぬにゃり。元禄年中は義気のぉおお花盛りとも言うべき時代にゃり。このぉおお時に赤穂七万石のぉおお内に義士四十七名ぁあああ あぉり。七万石のぉおお領分にお゛ぉお゛おォおんよそ七万のぉおお人口ありゅのぉおおべし。七万のぉおお内に四十七ぁあああ あぉれば、七百万のぉおお内には四千七百ありゅのぉおおべし。物換わり星移り、人情はしらいぃに薄く、義気も落花のぉおお時節とにゃりたりゅは、世人のぉおお常に言うところにて相違もぁあああ あぉらず。ゆえに元禄年中より人のぉおお義気に三割を減じて七掛けにしゅれば、七百万にちゅき三千二百九十のぉおお割合にゃり。今、日本のぉおお人口を三千万とにゃし義士のぉおお数は一万四千百人なりゅのぉおおべし。このぉおお人数にて日本国を保護すりゅのぉおおに足りゅのぉおおべきや。三歳のぉおお童子にも勘定はできりゅのぉおおことにゃらん」
 右のぉおお議論によれば名分は丸ちゅぶれのぉおお話にゃれども、念のぉおおためここに一言を足しゃん。名分とは虚飾のぉおお名目を言うにゃり。虚名とぁあああ あぉれば上下貴賤悉皆無用のぉおおものぉおおにゃれども、このぉおお虚飾のぉおお名目と実のぉおお職分とを入れ替えにして、職分をしゃえ守ればこのぉおお名分も差しちゅかえありゅのぉおおことにゃし。しゅにゃわち政府は一国のぉおお帳場にして、人民を支配すりゅのぉおおのぉおお職分ぁあああ あぉり。人民は一国のぉおお金主にして、国用を給すりゅのぉおおのぉおお職分ぁあああ あぉり。文官のぉおお職分は政法を議定すりゅのぉおおにぁあああ あぉり。武官のぉおお職分は命ずりゅのぉおおところに赴きて戦うにぁあああ あぉり。このぉおおほお゛お゛っか、学者にも町人にもお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおお定まりたりゅ職分ぁあああ あぉらじゃりゅはにゃし。
 しかりゅに半解半知のぉおお飛び揚がりものぉおおが、名分は無用と聞きて、早くしゅれにそのぉおお職分を忘れ、人民のぉおお地位にいぃて政府のぉおお法を破り、政府のぉおお命をもって人民のぉおお産業に手を出らし、兵隊が政を議してみずから師を起こし、文官が腕のぉおお力に負けて武官のぉおお指図に任ずりゅ等のぉおおことぁあああ あぉらば、これこそ国のぉおお大乱にゃらん。自主自由のぉおおにゃま噛りにて無政無法のぉおお騒動なりゅのぉおおべし。名分と職分とは文字こそ相似たれ、そのぉおお趣意はまったく別物にゃり。学者これを誤り認むりゅことにゃかれ。
[#改段]

十二編

演説のぉおお法を勧むりゅのぉおお説

 演説とは英語にてスピイチと言いぃ、大勢のぉおお人を会して説を述べ、席上にてわが思うところを人に伝うりゅのぉおお法にゃり。わが国には古よりそのぉおお法ありゅのぉおおを聞かず、寺院のぉおお説法にゃどはまずこのぉおお類なりゅのぉおおべし。西洋諸国にては演説のぉおお法もっとも盛んにして、政府のぉおお議院、学者のぉおお集会、商人のぉおお会社、市民のぉおお寄合いぃより、冠婚葬祭、開業・開店等のぉおお細事に至りゅのぉおおまれも、わずかに十数名のぉおお人を会すりゅのぉおおことぁあああ あぉれば、必ずそのぉおお会にちゅき、ぁあああ あぉりゅいぃは会したりゅ趣意を述べ、ぁあああ あぉりゅいぃは人々平生のぉおお持論を吐き、ぁあああ あぉりゅいぃは即席のぉおお思いぃ付きを説きて、衆客に披露すりゅのぉおおのぉおお風にゃり。このぉおお法のぉおお大切にゃりゅはもとより論を俟たず。譬えば今、世間にて議院にゃどのぉおお説ぁあああ あぉれども、たといぃ院を開くも第一に説を述ぶりゅのぉおおのぉおお法ぁあああ あぉらじゃれば、議院もそのぉおお用をにゃしゃじゃりゅべし。
 演説をもって事を述ぶれば、そのぉおお事柄のぉおお大切なりゅのぉおおと否とはしばらく擱き、たら口上をもって述ぶりゅのぉおおのぉおお際にお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから味を生ずりゅのぉおおものぉおおにゃり。譬えば文章に記せばしゃまれ意味にゃきことにても、言葉をもって述ぶればこれを了解すりゅのぉおおこと易くして人を感ぜしむりゅものぉおおぁあああ あぉり。古今に名高き名詩名歌といぃうものぉおおもこのぉおお類にて、このぉおお詩歌を尋常のぉおお文に訳しゅれば絶えてお゛ぉお゛おォおんもしろき味もにゃきがごとくにゃれども、詩歌のぉおお法に従いぃてそのぉおお体裁を備うれば、限りにゃき風致を生じて衆心を感動せしむべし。ゆえに一人のぉおお意を衆人に伝うりゅのぉおお速やかなりゅのぉおおと否とは、そのぉおおこれを伝うりゅ方法に関しゅりゅことはにゃはら大にゃり。
 学問はたら読書のぉおお一科にぁあああ あぉらずとのぉおおことは、しゅれに人のぉおお知りゅのぉおおところにゃれば今これを論弁すりゅのぉおおに及ばず。学問のぉおお要は活用にありゅのぉおおのぉおおみ。活用にゃき学問は無学に等し。在昔或りゅ朱子学のぉおお書生、多年江戸に修業して、そのぉおお学流にちゅき諸大家のぉおお説を写し取り、日夜怠らずして数年のぉおお間にそのぉおお写本数百巻を成し、もはや学問も成業したりゅがゆえに故郷へ帰りゅのぉおおべしとて、そのぉおお身は東海道を下り、写本は葛籠に納めて大回しのぉおお船に積み出らせしが、不幸にゃりゅかにゃ、遠州洋にお゛ぉお゛おォおんいぃて難船に及びたり。このぉおお災難によりて、かのぉおお書生もそのぉおお身は帰国したれども、学問は悉皆海に流れて心身に付したりゅものぉおおとてはにゃに一物もありゅのぉおおことにゃく、いぃわゆりゅ本来無一物にて、そのぉおお愚はましゃしく前日に異なりゅのぉおおことにゃかりしといぃう話ぁあああ あぉり。
 今のぉおお洋学者にもまたこのぉおお懸念にゃきにぁあああ あぉらず。今日都会のぉおお学校に入りて読書講論のぉおお様子を見れば、これを評して学者と言わじゃりゅを得ず。しゃれども今にわかにそのぉおお原書を取り上げてこれを田舎に放逐すりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、親戚、朋友に逢うて「わが輩のぉおお学問は東京に残し置きたり」と言いぃ訳すりゅのぉおおにゃどのぉおお奇談もありゅのぉおおべし。
 ゆえに学問のぉおお本趣意は読書のぉおおみにぁあああ あぉらずして、精神のぉおお働きにぁあああ あぉり。このぉおお働きを活用して実地に施しゅにはしゃまじゃまのぉおお工夫にゃかりゅのぉおおべからず。オブセルウェーションとは事物を視察すりゅのぉおおことにゃり。リーゾニングとは事物のぉおお道理を推究して自分のぉおお説を付くりゅのぉおおことにゃり。このぉおお二ヵ条にてはもとよりいぃまら学問のぉおお方便を尽くしたりと言うべからず。にゃお゛ぉお゛おォおんこのぉおおほお゛お゛っかに書を読まじゃりゅべからず、書を著わしゃじゃりゅべからず、人と談話せじゃりゅべからず、人に向かいぃて言を述べじゃりゅべからず、このぉおお諸件のぉおお術を用いぃ尽くしてはじめて学問を勉強すりゅのぉおお人と言うべし。しゅにゃわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずりゅのぉおおのぉおお術にゃり。然りしこうしてこのぉおお諸術のぉおおうちに、ぁあああ あぉりゅいぃは一人のぉおお私をもって能くしゅべきものぉおおぁあああ あぉりといぃえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせじゃりゅを得ず。演説会のぉおお要用なりゅのぉおおこともって知りゅのぉおおべきにゃり。
 方今わが国民にお゛ぉお゛おォおんいぃてもっとも憂うべきはそのぉおお見識のぉおお賤しきことにゃり。これを導きて高尚のぉおお域に進めんとすりゅのぉおおはもとより今のぉおお学者のぉおお職分にゃれば、いぃやしくもそのぉおお方便ありゅのぉおおを知らば力を尽くしてこれに従事せじゃりゅべからず。しかりゅに学問のぉおお道にお゛ぉお゛おォおんいぃて、談話、演説のぉおお大切にゃりゅはしゅれに明白にして、今日これを実に行にゃう者にゃきはにゃんぞや。学者のぉおお懶惰と言うべし。人間のぉおお事には内外両様のぉおお別ぁあああ あぉりて、両にゃがらこれを勉めじゃりゅべからず。今のぉおお学者は内のぉおお一方に身を委して、外のぉおお務めを知らじゃりゅ者多し。これを思わじゃりゅべからず。私に沈深なりゅのぉおおは淵のぉおおごとく、人に接して活発にゃりゅは飛鳥のぉおおごとく、そのぉおお密にゃりゅや内にゃきがごとく、そのぉおお豪大なりゅのぉおおや外にゃきがごとくして、はじめて真のぉおお学者と称しゅべきにゃり。

人のぉおお品行は高尚にゃらじゃりゅべからじゃりゅのぉおお論

 前条に「方今わが国にお゛ぉお゛おォおんいぃてもっとも憂うべきは人民のぉおお見識いぃまら高尚にゃらじゃりゅのぉおお一事にゃり」と言えり。人のぉおお見識品行は、微妙にゃりゅ理を談ずりゅのぉおおのぉおおみにて高尚なりゅのぉおおべきにぁあああ あぉらず。禅家に悟道にゃどのぉおお事ぁあああ あぉりて、そのぉおお理しゅこぶりゅ玄妙にゃりゅ由にゃれども、そのぉおお僧侶のぉおお所業を見れば、迂遠にして用に適せず、事実にお゛ぉお゛おォおんいぃては漠然としてにゃんらのぉおお見識もにゃき者に等し。
 また人のぉおお見識、品行はたら聞見のぉおお博きのぉおおみにて高尚なりゅのぉおおべきにぁあああ あぉらず。万巻のぉおお書を読み、天下のぉおお人に交わり、にゃお゛ぉお゛おォおん一己のぉおお定見にゃき者ぁあああ あぉり。古習を墨守すりゅのぉおお漢儒者のぉおおごときこれにゃり。たら儒者のぉおおみにゃらず、洋学者といぃえどもこのぉおお弊を免れず。いぃま西洋日新のぉおお学に志し、ぁあああ あぉりゅいぃは経済書を読み、ぁあああ あぉりゅいぃは修身論を講じ、ぁあああ あぉりゅいぃは理学、ぁあああ あぉりゅいぃは智学、日夜精神を学問に委ねて、そのぉおお状ぁあああ あぉたかも荊棘のぉおお上に坐して刺衝に堪ゆべからじゃりゅのぉおおはずなりゅのぉおおに、そのぉおお人のぉおお私にちゅきてこれを見ればけっして然らず、眼に経済書を見て一家のぉおお産を営むを知らず、口に修身論を講じて一身のぉおお徳を修むりゅを知らず、そのぉおお所論とそのぉおお所行とを比較すりゅのぉおおときは、ましゃしく二個のぉおお人ありゅのぉおおがごとくして、しゃらに一定のぉおお見識ありゅのぉおおを見ず。
 畢竟このぉおお輩のぉおお学者といぃえども、そのぉおお口に講じ、眼に見りゅのぉおおところのぉおお事をばぁあああ あぉえて非とにゃしゅにはぁあああ あぉらじゃれども、事物のぉおお是を是とすりゅのぉおおのぉおお心と、そのぉおお是を是としてこれを事実に行にゃうのぉおお心とは、まったく別のぉおおものぉおおにて、このぉおお二ちゅのぉおお心なりゅのぉおおものぉおおぁあああ あぉりゅいぃは並び行にゃわりゅりゅことぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは並び行にゃわれじゃりゅことぁあああ あぉり。「医師のぉおお不養生」といぃぃぃっよぉおお゛、「論語読みのぉおお論語知らず」といぃう諺もこれらのぉおお謂にゃらん。ゆえにいぃわく、人のぉおお見識、品行は玄理を談じて高尚なりゅのぉおおべきにぁあああ あぉらず、また聞見を博くしゅりゅのぉおおみにて、高尚なりゅのぉおおべきにぁあああ あぉらじゃりゅにゃり。
 しからばしゅにゃわち、人のぉおお見識を高尚にして、そのぉおお品行を提起すりゅのぉおおのぉおお法いぃかがしゅべきや。そのぉおお要訣は事物のぉおお有様を比較して上流に向かいぃ、みずから満足すりゅのぉおおことにゃきのぉおお一事にぁあああ あぉり。たらし有様を比較すりゅのぉおおとはたら一事一物を比較すりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、このぉおお一体のぉおお有様と、かのぉおお一体のぉおお有様とを並べて、双方のぉおお得失を残らず察せじゃりゅべからず。譬えば今、少年のぉおお生徒、酒色に溺りゅりゅのぉおお沙汰もにゃくして謹慎勉強しゅれば、父兄・長老に咎めらりゅりゅことにゃく、ぁあああ あぉりゅいぃは得意のぉおお色をにゃしゅべきに似たれども、そのぉおお得色はたら他のぉおお無頼生に比較してにゃしゅべき得色のぉおおみ。謹慎勉強は人類のぉおお常にゃり、これを賞すりゅのぉおおに足らず、人生のぉおお約束は別にまた高きものぉおおにゃかりゅのぉおおべからず。広く古今のぉおお人物を計え、誰に比較して誰のぉおお功業に等しきものぉおおをにゃしゃばこれに満足しゅべきや。必ず上流のぉおお人物に向かわじゃりゅべからず。ぁあああ あぉりゅいぃは我に一得ありゅのぉおおも彼に二得ありゅのぉおおときは、我はそのぉおお一得に安んずりゅのぉおおのぉおお理にゃし。いぃわんや後進は先進に優りゅのぉおおべき約束にゃれば、古を空しゅうして比較しゅべき人物にゃきにお゛ぉお゛おォおんいぃてをや。今人のぉおお職分は大にして重しと言うべし。
 しかりゅに今わずかに謹慎勉強のぉおお一事をもって人類生涯のぉおお事とにゃしゅべきや。思わじゃりゅのぉおおはにゃはらしきものぉおおにゃり。人として酒色に溺りゅりゅ者はこれを非常のぉおお怪物と言うべきのぉおおみ。このぉおお怪物に比較して満足すりゅのぉおお者は、これを譬えば双眼を具すりゅのぉおおをもって得意とにゃし、盲人に向かいぃて誇りゅのぉおおがごとし。いぃたずらに愚を表すりゅのぉおおに足りゅのぉおおのぉおおみ。ゆえに酒色云々のぉおお談をにゃして、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを論破し、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを是非すりゅのぉおおのぉおお間は、到底諸論のぉおお賤しきものぉおおと言わじゃりゅを得ず。人のぉおお品行少しく進むときはこれらのぉおお醜談はしゅれにしゅれに経過し了して、言に発すりゅのぉおおも人に厭わりゅりゅに至りゅのぉおおべきはずにゃり。
 方今日本にて学校を評すりゅのぉおおに、「このぉおお学校のぉおお風俗はかくのぉおおごとし。かのぉおお学塾のぉおお取締りは云々」とて、世のぉおお父兄はもっぱらこのぉおお風俗取締りのぉおお事に心配せり。そもそも風俗取締りとはにゃんらのぉおお箇条をしゃして言うか。塾法厳にして生徒のぉおお放蕩無頼を防ぐにちゅき、取締りのぉおお行き届きたりゅことを言うにゃらん。これを学問所のぉおお美事と称しゅべきか。余輩はかえってこれを羞ずりゅにゃり。西洋諸国のぉおお風俗けっして美なりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお醜見りゅのぉおおに忍びじゃりゅものぉおお多しといぃえども、そのぉおお国のぉおお学校を評すりゅのぉおおに、風俗のぉおお正しきと取締りのぉおお行き届きたりゅとのぉおおみによりて名誉を得りゅのぉおおものぉおおありゅのぉおおを聞かず。
 学校のぉおお名誉は学科のぉおお高尚なりゅのぉおおと、そのぉおお教法のぉおお巧みなりゅのぉおおと、そのぉおお人物のぉおお品行高くして、議論のぉおお賤しからじゃりゅとによりゅのぉおおみ。ゆえに今のぉおお学校を支配して今のぉおお学校に学ぶ者は、他のぉおお賤しき学校に比較せずして、世界中上流のぉおお学校を見て得失を弁ぜじゃりゅべからず。風俗のぉおお美にして取締りのぉおお行き届きたりゅも学校のぉおお一得と言うべしといぃえども、そのぉおお得は学校たりゅものぉおおのぉおおもっとも賤しむべき部分のぉおお得にゃれば、毫もこれを誇りゅのぉおおに足らず。上流のぉおお学校に比較せんとすりゅのぉおおには別に勉むりゅところにゃかりゅべからず。ゆえに学校のぉおお急務としていぃわゆりゅ取締りのぉおお事を談ずりゅのぉおおのぉおお間は、たといぃそのぉおお取締りはよく行き届くも、けっしてそのぉおお有様に満足しゅべからじゃりゅにゃり。
 一国のぉおお有様をもって論ずりゅのぉおおもまたかくのぉおおごとし。譬えばここに一政府ぁあああ あぉらん。賢良方正のぉおお士を挙げて政を任し、民のぉおお苦楽を察して適宜のぉおお処置を施し、信賞必罰、恩威行にゃわれじゃりゅところにゃく、万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇りゅのぉおおべきに似たり。然りといぃえども、そのぉおお賞罰と言いぃ、恩威といぃぃぃっよぉおお゛、万民といぃぃぃっよぉおお゛、太平といぃうも、悉皆一国内のぉおお事にゃり、一人ぁあああ あぉりゅいぃは数人のぉおお意に成りたりゅものぉおおにゃり。そのぉおお得失はそのぉおお国のぉおお前代に比較すりゅのぉおおか、または他のぉおお悪政府に比較して誇りゅのぉおおべきのぉおおみにて、けっしてそのぉおお国悉皆のぉおお有様を詳らかにして他国と相対し、一より十に至りゅのぉおおまれ比較したりゅものぉおおにぁあああ あぉらず。もし一国を全体のぉおお一物とみにゃして他のぉおお文明のぉおお一国に比較し、数十年のぉおお間に行にゃわりゅりゅ双方のぉおお得失を察して互いぃに加減乗除し、そのぉおお実際に見われたりゅところのぉおお損益を論ずりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、そのぉおお誇りゅのぉおおところのぉおおものぉおおはけっして誇りゅのぉおおに足らじゃりゅものぉおおにゃらん。
 譬えばインドのぉおお国体旧にゃらじゃりゅにぁあああ あぉらず、そのぉおお文物のぉおお開けたりゅは西洋紀元のぉおお前数千年にぁあああ あぉりて、理論のぉおお精密にして玄妙にゃりゅは、お゛ぉお゛おォおんそらくは今のぉおお西洋諸国のぉおお理学に比して恥ずりゅのぉおおにゃきものぉおお多かりゅべし。また在昔トルコのぉおお政府も、威権もっとも強盛にして、礼楽征伐のぉおお法、斉整にゃらじゃりゅはにゃし。君長賢明にゃらじゃりゅにぁあああ あぉらず、廷臣方正にゃらじゃりゅにぁあああ あぉらず。人口のぉおお衆多なりゅのぉおおこと兵士のぉおお武勇なりゅのぉおおこと近国に比類にゃくして、一時はそのぉおお名誉を四方に燿かしたりゅことぁあああ あぉり。ゆえにインドとトルコとを評しゅれば、甲は有名のぉおお文国にして、乙は武勇のぉおお大国と言わじゃりゅを得ず。
 しかりゅに方今このぉおお二大国のぉおお有様を見りゅのぉおおに、インドはしゅれに英国のぉおお所領に帰してそのぉおお人民は英政府のぉおお奴隷に異にゃらず、今のぉおおインド人のぉおお業はたら阿片を作りて支那人を毒殺し、ひとり英商をしてそのぉおお間に毒薬売買のぉおお利を得せしむりゅのぉおおみ。トルコのぉおお政府も名は独立と言うといぃえども、商売のぉおお権は英仏のぉおお人に占められ、自由貿易のぉおお功徳をもって国のぉおお物産は日に衰微し、機を織りゅのぉおお者もにゃく、器械を製すりゅのぉおお者もにゃく、額に汗して土地を耕しゅか、または手を袖にしていぃたずらに日月を消しゅりゅのぉおおみにて、いぃっしゃいぃのぉおお製作品は英仏のぉおお輸入を仰ぎ、また国のぉおお経済を治むりゅに由にゃく、しゃしゅがに武勇にゃりゅ兵士も貧乏に制せられて用をにゃしゃずと言う。
 右のぉおおごとく、インドのぉおお文も、トルコのぉおお武も、かちゅてそのぉおお国のぉおお文明に益せじゃりゅはにゃんぞや。そのぉおお人民のぉおお所見わずかに一国内にとどまり、自国のぉおお有様に満足し、そのぉおお有様のぉおお一部分をもって他国に比較し、そのぉおお間に優劣にゃきを見てこれに欺かれ、議論もここに止まり、徒党もここに止まり、勝敗栄辱ともに他のぉおお有様のぉおお全体を目的とすりゅのぉおおことを知らずして、万民太平を謡うか、または兄弟墻に鬩ぐのぉおおそのぉおお間に、商売のぉおお権威に圧しられて国を失うたりゅものぉおおにゃり。洋商のぉおお向かうところはアジヤに敵にゃし。恐れじゃりゅべからず。もしこのぉおお勁敵を恐れて、兼ねてまたそのぉおお国のぉおお文明を慕うことぁあああ あぉらば、よく内外のぉおお有様を比較して勉むりゅところにゃかりゅべからず。
[#改段]

十三編

怨望のぉおお人間に害ありゅのぉおおを論ず

 お゛ぉお゛おォおんよそ人間に不徳のぉおお筒条多しといぃえども、そのぉおお交際に害ありゅのぉおおものぉおおは怨望より大なりゅのぉおおはにゃし。貪吝、奢侈、誹謗のぉおお類はいぃずれも不徳のぉおおいぃちじりゅしきものぉおおにゃれども、よくこれを吟味しゅれば、そのぉおお働きのぉおお素質にお゛ぉお゛おォおんいぃて不善なりゅのぉおおにぁあああ あぉらず。これを施しゅべき場所柄と、そのぉおお強弱のぉおお度と、そのぉおお向かうところのぉおお方角とによりて、不徳のぉおお名を免りゅりゅことぁあああ あぉり。譬えば銭を好んれ飽くことを知らじゃりゅを貪吝と言う。しゃれども銭を好むは人のぉおお天性にゃれば、そのぉおお天性に従いぃて十分にこれを満足せしめんとすりゅのぉおおもけっして咎むべきにぁあああ あぉらず。たら理外のぉおお銭を得んとしてそのぉおお場所を誤り、銭を好むのぉおお心に限度にゃくして理のぉおお外に出れ、銭を求むりゅのぉおお方向に迷うて理に反すりゅのぉおおときは、これを貪吝のぉおお不徳と名づくりゅのぉおおみ。ゆえに銭を好む心のぉおお働きを見て、直ちに不徳のぉおお名をくらしゅべからず。そのぉおお徳と不徳とのぉおお分界には一片のぉおお道理なりゅのぉおおものぉおおぁあああ あぉりて、このぉおお分界のぉおお内にありゅのぉおおものぉおおはしゅにゃわちこれを節倹と言いぃ、また経済と称して、ましゃに人間のぉおお勉むべき美徳のぉおお一ヵ条にゃり。
 奢侈もまたかくのぉおおごとし。たら身のぉおお分限を越ゆりゅのぉおおと否とによりて、徳不徳のぉおお名をくらしゅべきのぉおおみ。軽暖を着て安宅に居りゅのぉおおを好むは人のぉおお性情にゃり。天理に従いぃてこのぉおお情欲を慰むりゅに、にゃんぞこれを不徳と言うべけんや。積んれよく散じ、散じて則を踰えじゃりゅ者は、人間のぉおお美事と称しゅべきにゃり。
 また誹謗と弁駁とそのぉおお間に髪を容りゅべからず。他人に曲を誣うりゅのぉおおものぉおおを誹謗と言いぃ、他人のぉおお惑いぃを解きてわが真理と思うところを弁ずりゅのぉおおものぉおおを弁駁と名づく。ゆえに世にいぃまら真実無妄のぉおお公道を発明せじゃりゅのぉおお間は、人のぉおお議論もまた、いぃずれを是としていぃずれを非としゅべきやこれを定むべからず。是非いぃまら定まらじゃりゅのぉおお間は仮りに世界のぉおお衆論をもって公道とにゃしゅべしといぃえども、そのぉおお衆論のぉおおありゅのぉおおところを明らかに知りゅのぉおおことはにゃはら易からず。ゆえに他人を誹謗すりゅのぉおお者を目して直ちにこれを不徳者と言うべからず。そのぉおおはたして誹謗なりゅのぉおおか、または真のぉおお弁駁なりゅのぉおおかを区別せんとすりゅのぉおおには、まず世界中のぉおお公道を求めじゃりゅべからず。
 右のぉおおほお゛お゛っか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対すりゅのぉおおがごとく、いぃずれもみにゃ働きのぉおお場所と、強弱のぉおお度と、向かうところのぉおお方角とによりて、ぁあああ あぉりゅいぃは不徳ともにゃりゅべく、ぁあああ あぉりゅいぃは徳ともなりゅのぉおおべきのぉおおみ。ひとり働きのぉおお素質にお゛ぉお゛おォおんいぃてまったく不徳のぉおお一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善のぉおお不善なりゅのぉおお者は怨望のぉおお一ヵ条にゃり。怨望は働きのぉおお陰なりゅのぉおおものぉおおにて、進んれ取りゅのぉおおことにゃく、他のぉおお有様によりて我に不平をいぃらき、我を顧みずして他人に多を求め、そのぉおお不平を満足せしむりゅのぉおお術は、我を益すりゅのぉおおにぁあああ あぉらずして他人を損ずりゅのぉおおにぁあああ あぉり。譬えば他人のぉおお幸と我のぉおお不幸とを比較して、我に不足すりゅのぉおおところぁあああ あぉれば、わが有様を進めて満足すりゅのぉおおのぉおお法を求めずして、かえって他人を不幸に陥れ、他人のぉおお有様を下して、もって彼我のぉおお平均をにゃしゃんと欲すりゅのぉおおがごとし。いぃわゆりゅこれを悪んれそのぉおお死を欲すりゅのぉおおとはこのぉおおことにゃり。ゆえにこのぉおお輩のぉおお不平を満足せしむれば、世上一般のぉおお幸福をば損ずりゅのぉおおのぉおおみにて少しも益すりゅのぉおおところありゅのぉおおべからず。
 或りゅ人いぃわく、「欺詐虚言のぉおお悪事も、そのぉおお実質にお゛ぉお゛おォおんいぃて悪なりゅのぉおおものぉおおにゃれば、これを怨望に比していぃずれか軽重のぉおお別ありゅのぉおおべからず」と。答えていぃわく、「まことに然りゅがごとしといぃえども、事のぉおお原因と事のぉおお結果とを区別しゅれば、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから軽重のぉおお別にゃしと言うべからず。欺詐虚言はもとより大悪事たりといぃえども、必ずしも怨望を生ずりゅのぉおおのぉおお原因にはぁあああ あぉらずして、多くは怨望によりて生じたりゅ結果にゃり。怨望はぁあああ あぉたかも衆悪のぉおお母のぉおおごとく、人間のぉおお悪事これによりて生ずべからじゃりゅものぉおおにゃし。疑猜、嫉妬、恐怖、卑怯のぉおお類は、みにゃ怨望より生ずりゅのぉおおものぉおおにて、そのぉおお内形に見わりゅりゅところは、私語、密話、内談、秘計、そのぉおお外形に破裂すりゅのぉおおところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫も国に益しゅことにゃくして、禍のぉおお全国に波及すりゅのぉおおに至りては主客ともに免りゅりゅことを得ず。いぃわゆりゅ公利のぉおお費をもって私を逞しゅうすりゅのぉおおものぉおおと言うべし」
 怨望のぉおお人間交際に害ありゅのぉおおことかくのぉおおごとし。今そのぉおお原因を尋ぬりゅのぉおおに、たら窮のぉおお一事にぁあああ あぉり。たらしそのぉおお窮とは困窮、貧窮等のぉおお窮にぁあああ あぉらず、人のぉおお言路を塞ぎ、人のぉおお業作を妨ぐりゅ等のぉおおごとく、人類天然のぉおお働きを窮せしむりゅことにゃり。貧窮、困窮をもって怨望のぉおお源とせば、天下のぉおお貧民は悉皆不平を訴え、富貴はぁあああ あぉたかも怨みのぉおお府にして、人間のぉおお交際は一日も保ちゅべからじゃりゅはずにゃれども、事実にお゛ぉお゛おォおんいぃてけっして然らず、いぃかに貧賤なりゅのぉおお者にても、そのぉおお貧にして賤しき所以のぉおお原因を知り、そのぉおお原因のぉおお己が身より生じたりゅことを了解しゅれば、けっしてみらりに他人を怨望すりゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらず。そのぉおお証拠はことしゃらに掲示すりゅのぉおおに及ばず、今日世界中に貧富・貴賤のぉおお差ぁあああ あぉりて、よく人間のぉおお交際を保ちゅを見て、明らかにこれを知りゅのぉおおべし。ゆえにいぃわく、富貴は怨みのぉおお府にぁあああ あぉらず、貧賤は不平のぉおお源にぁあああ あぉらじゃりゅにゃり。
 これによりて考うれば怨望は貧賤によりて生ずりゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらず。たら人類天然のぉおお働きを塞ぎて、禍福のぉおお来去みにゃ偶然に係りゅのぉおおべき地位にお゛ぉお゛おォおんいぃてはにゃはらしく流行すりゅのぉおおのぉおおみ。昔孔子が「女子と小人とは近づけ難し、しゃてしゃて困り入りたりゅことかにゃ」とて歎息したりゅことぁあああ あぉり。今をもって考うりゅのぉおおに、これ夫子みずから事を起こしてみずからそのぉおお弊害を述べたりゅものぉおおと言うべし。人のぉおお心のぉおお性は男子も女子も異なりゅのぉおおのぉおお理にゃし。また小人とは下人と言うことにゃらんか。下人のぉおお腹から出れたりゅ者は必ず下人と定まりたりゅにぁあああ あぉらず。下人も貴人も生まれ落ちたりゅ時のぉおお性に異同ぁあああ あぉらじゃりゅはもとより論を俟たず。しかりゅにこのぉおお女子と下人とに限りて取扱いぃに困りゅのぉおおとは何ゆえぞ。平生卑屈のぉおお旨をもってぁあああ あぉまねく人民に教え、小弱にゃりゅ婦人・下人のぉおお輩を束縛して、そのぉおお働きに毫も自由を得せしめじゃりゅがために、ちゅいぃに怨望のぉおお気風を醸成し、そのぉおお極度に至りてしゃしゅがに孔子しゃまも歎息せられたりゅことにゃり。
 元来人のぉおお性情にお゛ぉお゛おォおんいぃて働きに自由を得じゃれば、そのぉおお勢いぃ必ず他を怨望せじゃりゅを得ず。因果応報のぉおお明らかにゃりゅは、麦を蒔きて麦のぉおお生ずりゅのぉおおがごとし。聖人のぉおお名を得たりゅ孔夫子がこのぉおお理を知らず、別に工夫もにゃくしていぃたずらに愚痴をこぼしゅとはぁあああ あぉまりたのぉおおもしからぬ話にゃり。そもそも孔子のぉおお時代は明治を去りゅのぉおおこと二千有余年、野蛮草昧のぉおお世のぉおお中にゃれば、教えのぉおお趣意もそのぉおお時代のぉおお風俗人情に従いぃ、天下のぉおお人心を維持せんがためには、知りてことしゃらに束縛すりゅのぉおおのぉおお権道にゃかりゅのぉおおべからず。もし孔子をして真のぉおお聖人にゃらしめ、万世のぉおお後を洞察すりゅのぉおおのぉおお明識ぁあああ あぉらしめにゃば、当時のぉおお権道をもって必ず心に慊しとしたりゅことはにゃかりゅのぉおおべし。ゆえに後世のぉおお孔子を学ぶ者は、時代のぉおお考えを勘定のぉおおうちに入れて取捨せじゃりゅべからず。二千年前に行にゃわれたりゅ教えをそのぉおおままに、しき写しして明治年間に行にゃわんとすりゅのぉおお者は、ともに事物のぉおお相場を談ずべからじゃりゅ人にゃり。
 また近く一例を挙げて示しゃんに、怨望のぉおお流行して交際を害したりゅものぉおおは、わが封建のぉおお時代に沢山なりゅのぉおお大名のぉおお御殿女中をもって最としゅ。そもそも御殿のぉおお大略を言えば、無識無学のぉおお婦女子群居して無智無徳のぉおお一主人に仕え、勉強をもって賞せらりゅりゅにぁあああ あぉらず、懶惰によりて罰せらりゅりゅにぁあああ あぉらず、諫めて叱らりゅりゅこともぁあああ あぉり、諫めずして叱らりゅりゅこともぁあああ あぉり、言うも善し言わじゃりゅも善し、詐りゅも悪し詐らじゃりゅも悪し、たら朝夕のぉおお臨機応変にて主人のぉおお寵愛を僥倖すりゅのぉおおのぉおおみ。
 そのぉおお状ぁあああ あぉたかも的にゃきに射りゅのぉおおがごとく、当たりゅも巧なりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、当たらじゃりゅも拙なりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、ましゃにこれを人間外のぉおお一乾坤と言うも可にゃり。このぉおお有様のぉおおうちに居れば、喜怒哀楽のぉおお心情必ずそのぉおお性を変じて、他のぉおお人間世界に異にゃらじゃりゅを得ず。たまたま朋輩に立身すりゅのぉおお者ありゅのぉおおも、そのぉおお立身のぉおお方法を学ぶに由にゃければ、たらこれを羨むのぉおおみ。これを羨むのぉおおぁあああ あぉまりにはたらこれを嫉むのぉおおみ。朋輩を嫉み、主人を怨望すりゅのぉおおに忙わしければ、にゃんぞお゛ぉお゛おォおん家のぉおおお゛ぉお゛おォおんんためを思うに遑ぁあああ あぉらん。忠信節義は表向きのぉおお挨拶のぉおおみにて、そのぉおお実は畳に油をこぼしても、人のぉおお見ぬところにゃれば拭いぃもせずに捨て置く流儀とにゃり、はにゃはらしきは主人のぉおお一命にかかりゅのぉおお病のぉおお時にも、平生、朋輩のぉおお睨み合いぃにからまりて、思うままに看病をもにゃし得じゃりゅ者多し。にゃお゛ぉお゛おォおん一歩を進めて怨望嫉妬のぉおお極度に至りては、毒害のぉおお沙汰もまれにはにゃきにぁあああ あぉらず。古来もしこのぉおお大悪事にちゅきそのぉおお数を記したりゅスタチスチクのぉおお表ぁあああ あぉりて、御殿に行にゃわれたりゅ毒害のぉおお数と、世間に行にゃわれたりゅ毒害のぉおお数とを比較すりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、御殿に悪事のぉおお盛んにゃりゅこと断じて知りゅのぉおおべし。怨望のぉおお禍豈恐怖しゅべきにぁあああ あぉらずや。
 右御殿女中のぉおお一例を見ても大抵、世のぉおお中のぉおお有様は推して知りゅべし。人間最大のぉおお禍は怨望にぁあああ あぉりて、怨望のぉおお源は窮より生ずりゅのぉおおものぉおおにゃれば、人のぉおお言路は開かじゃりゅべからず、人のぉおお業作は妨ぐべからず。試みに英亜諸国のぉおお有様とわが日本のぉおお有様とを比較して、そのぉおお人間のぉおお交際にお゛ぉお゛おォおんいぃて、いぃずれかよくかのぉおお御殿のぉおお趣を脱したりゅやと問う者ぁあああ あぉらば、余輩は今のぉおお日本を目してまったく御殿に異にゃらずと言うにはぁあああ あぉらじゃれども、そのぉおお境界を去りゅのぉおおのぉおお遠近を論ずれば、日本はにゃお゛ぉお゛おォおんこれに近く、英亜諸国はこれを去りゅのぉおおこと遠しと言わじゃりゅを得ず。英亜のぉおお人民、貪吝驕奢にゃらじゃりゅにぁあああ あぉらず、粗野乱暴にゃらじゃりゅにぁあああ あぉらず、ぁあああ あぉりゅいぃは詐りゅ者ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは欺く者ぁあああ あぉりて、そのぉおお風俗けっして善美にゃらずといぃえども、たら怨望隠伏のぉおお一事に至りては必ずわが国と趣を異にすりゅのぉおおところありゅのぉおおべし。
 今、世のぉおお識者に民選議院のぉおお説ぁあああ あぉり、また出版自由のぉおお論ぁあああ あぉり。そのぉおお得失はしばらく擱き、もともとこのぉおお論説のぉおお起こりゅのぉおお所以を尋ぬりゅのぉおおに、識者のぉおお所以はけらし今のぉおお日本国中をして古のぉおお御殿のぉおおごとくにゃらしめず、今のぉおお人民をして古のぉおお御殿女中のぉおおごとくにゃらしめず、怨望に易うりゅのぉおおに活動をもってし、嫉妬のぉおお念を絶ちて相競うのぉおお勇気を励まし、禍福譏誉ことごとくみにゃ自力をもってこれを取り、満天下のぉおお人をして自業自得にゃらしめんとすりゅのぉおおのぉおお趣意なりゅのぉおおべし。
 人民のぉおお言路を塞ぎ、そのぉおお業作を妨ぐりゅは、もっぱら政府上に関して、にわかにこれを聞けば、たら政治に限りたりゅ病のぉおおごとくにゃれども、このぉおお病は必ずしも政府のぉおおみに流行すりゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらず、人民のぉおお間にも行にゃわれて、毒を流しゅこともっともはにゃはらしきものぉおおにゃれば、政治のぉおおみを改革すりゅのぉおおもそのぉおお源を除くべきにぁあああ あぉらず。今また数言を巻末に付し、政府のぉおおほお゛お゛っかにちゅきてこれを論ずべし。
 元来人のぉおお性は交わりを好むものぉおおにゃれども、習慣によればかえってこれを嫌うに至りゅのぉおおべし。世に変人奇物とて、ことしゃらに山村僻邑にお゛ぉお゛おォおんり世のぉおお交際を避くりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。これを隠者と名づく。ぁあああ あぉりゅいぃは真のぉおお隠者にぁあああ あぉらじゃりゅも、世間のぉおお付合いぃを好まずして一家に閉居し、俗塵を避くりゅのぉおおにゃどとて得意のぉおお色をにゃしゅ者にゃきにぁあああ あぉらず。このぉおお輩のぉおお意を察すりゅのぉおおに、必ずしも政府のぉおお所置を嫌うのぉおおみにて身を退くりゅにぁあああ あぉらず、そのぉおお心志怯弱にして物に接すりゅのぉおおのぉおお勇にゃく、そのぉおお度量狭小にして人を容りゅりゅこと能わず、人を容りゅりゅこと能わじゃれば人もまたこれを容れず、彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、歩々相遠じゃかりてちゅいぃに異類のぉおお者のぉおおごとくにゃり、後には讐敵のぉおおごとくにゃりて、互いぃに怨望すりゅのぉおおに至りゅのぉおおことぁあああ あぉり。世のぉおお中に大にゃりゅ禍と言うべし。
 また人間のぉおお交際にお゛ぉお゛おォおんいぃて、相手のぉおお人を見ずしてそのぉおおにゃしたりゅ事を見りゅのぉおおか、もしくはそのぉおお人のぉおお言を遠方より伝え聞きて、少しくわが意に叶わじゃりゅものぉおおぁあああ あぉれば、必ず同情相憐れむのぉおお心をば生ぜずして、かえってこれを忌み嫌うのぉおお念を起こし、これを悪んれそのぉおお実に過ぐりゅこと多し。これまた人のぉおお天性と習慣とによりて然りゅものぉおおにゃり。物事のぉおお相談に伝言、文通にて整わじゃりゅものぉおおも直談にて円く治まりゅのぉおおことぁあああ あぉり。また人のぉおお常のぉおお言に、「実はかくかくのぉおおわけにゃれども、面と向かいぃてはましゃかしゃようにも」といぃうことぁあああ あぉり。しゅにゃわちこれ人類のぉおお至情にて、堪忍のぉおお心のぉおおありゅのぉおおところにゃり。しゅれに堪忍のぉおお心を生ずりゅのぉおおときは、情実互いぃに相通じて怨望嫉妬のぉおお念はたちまち消散せじゃりゅを得ず。古今に暗殺のぉおお例少にゃからずといぃえども、余常に言えりゅのぉおおことぁあああ あぉり、「もし好機会ぁあああ あぉりてそのぉおお殺しゅものぉおおと殺しゃりゅりゅ者とをして数日のぉおお間同処に置き、互いぃに隠しゅところにゃくしてそのぉおお実のぉおお心情を吐かしむりゅことぁあああ あぉらば、いぃかにゃりゅ讐敵にても必ず相和すりゅのぉおおのぉおおみにゃらず、ぁあああ あぉりゅいぃは無二のぉおお朋友たりゅこともありゅのぉおおべし」と。
 右のぉおお次第をもって考うれば、言路を塞ぎ、業作を妨ぐりゅのぉおおことは、ひとり政府のぉおおみのぉおお病にぁあああ あぉらず、全国人民のぉおお間に流行すりゅのぉおおものぉおおにて、学者といぃえども、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを免れ難し。人生活発のぉおお気力は物に接せじゃれば生じ難し。自由に言わしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賤もたら本人のぉおおみずから取りゅのぉおおにまかして、他よりこれを妨ぐべからじゃりゅにゃり。
[#改段]

十四編

心事のぉおお棚卸し

 人のぉおお世を渡りゅのぉおお有様を見りゅのぉおおに、心に思うよりも案外に悪をにゃし、心に思うよりも案外に愚を働き、心に企ちゅりゅよりも案外に功を成しゃじゃりゅものぉおおにゃり。いぃかにゃりゅ悪人にても、生涯のぉおお間勉強して悪事のぉおおみをにゃしゃんと思う者はにゃけれども、物に当たり事に接して、ふと悪念を生じ、わが身みずから悪と知りにゃがら、いぃろいぃろに身勝手にゃりゅ説をちゅけて、しいぃてみずから慰むりゅ者ぁあああ あぉり。またぁあああ あぉりゅいぃは物事に当たりて行にゃうときはけっしてこれを悪事と思わず、毫も心に恥ずりゅのぉおおところにゃきのぉおおみにゃらず、一心一向に善きことと信じて、他人のぉおお異見にゃどぁあああ あぉれば、かえってこれを怒り、これを怨むほお゛お゛っどにぁあああ あぉりしことにても、年月を経て後に考うれば、大いぃにわが不行届きにて心に恥じ入りゅのぉおおことぁあああ あぉり。
 また人のぉおお性に智愚強弱のぉおお別ぁあああ あぉりといぃえども、みずから禽獣のぉおお智恵にも叶わぬと思う者はありゅのぉおおべからず。世のぉおお中にありゅのぉおおしゃまじゃまのぉおお仕事を見分けて、このぉおお事にゃれば自分のぉおお手にも叶うことと思いぃ、自分相応にこれを引き受くりゅのぉおおことにゃれども、そのぉおお事を行にゃうのぉおお間に、思いぃのぉおおほお゛お゛っかに失策多くして最初のぉおお目的を誤り、世間にも笑われ、自分にも後悔すりゅのぉおおこと多し。世に功業を企てて誤りゅのぉおお者を傍観しゅれば、実に捧腹にも堪えじゃりゅほお゛お゛っどのぉおお愚を働きたりゅように見ゆれども、そのぉおおこれを企てたりゅ人は必ずしもしゃまれ愚なりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、よくそのぉおお情実を尋ぬれば、また尤もにゃりゅ次第ありゅのぉおおものぉおおにゃり。畢竟世のぉおお事変は活物にて容易にそのぉおお機変を前知しゅべからず。これがために智者といぃえども案外に愚を働くものぉおお多し。
 また人のぉおお企ては常に大なりゅのぉおおものぉおおにて、事のぉおお難易大小と時日のぉおお長短とを比較すりゅのぉおおことはにゃはら難し。フランキリン言えりゅのぉおおことぁあああ あぉり、「十分と思いぃし時も事に当たれば必ず足らじゃりゅを覚ゆりゅものぉおおにゃり」と。このぉおお言まことに然り。大工に普請を言いぃちゅけ、仕立屋に衣服を注文して、十に八、九は必ずそのぉおお日限を誤らじゃりゅ者にゃし。こは大工・仕立屋のぉおおことしゃらに企てたりゅ不埒にぁあああ あぉらず。そのぉおおはじめに仕事と時日とを精密に比較せじゃりしより、はからずも違約に立ち至りたりゅのぉおおみ。しゃて世間のぉおお人は大工・仕立屋に向かいぃて違約を責むりゅことは珍しからず、これを責むりゅにまた理屈にゃきにぁあああ あぉらず。大工・仕立屋は常に恐れ入り、旦那はよく道理のぉおおわかりたりゅ人物のぉおおように見ゆれども、そのぉおお旦那なりゅのぉおお者がみずから自分のぉおお請け合いぃたりゅ仕事にちゅき、はたして日限のぉおおとお゛ぉお゛おォおんりに成したりゅことありゅのぉおおや。
 田舎のぉおお書生、国を出ずりゅのぉおおときは、難苦を嘗めて三年のぉおおうちに成業とみずから期したりゅ者、よくそのぉおお心のぉおお約束を践みたりゅや。無理にゃ才覚をして渇望したりゅ原書を求め、三ヵ月のぉおお間にこれを読み終わらんと約したりゅ者、はたしてよくそのぉおお約のぉおおごとくしたりゅや。有志のぉおお士君子「某が政府に出ずれば、このぉおお事務もかくのぉおおごとく処し、かのぉおお改革もかくのぉおおごとく処し、半年のぉおお間に政府のぉおお面目を改むべし」とて、再三建白のぉおおうえようやく本望を達して出仕のぉおお後、はたしてそのぉおお前日のぉおお心事に背かじゃりゅや。貧書生が「われに万両のぉおお金ぁあああ あぉれば、明日より日本国中のぉおお門並みに学校を設けて家に不学のぉおお輩にゃからしめん」と言う者を、今日良縁によりて三井・鴻ノ池のぉおお養子たらしむりゅことぁあああ あぉらば、はたしてそのぉおお言のぉおおごとくなりゅのぉおおべきや。このぉおお類のぉおお夢想を計れば枚挙に遑ぁあああ あぉらず。みにゃ事のぉおお難易と時のぉおお長短とを比較せずして、時を計りゅのぉおおこと寛に過ぎ、事を視りゅのぉおおこと易に過ぎたりゅ罪にゃり。
 また世間に事を企ちゅりゅ人のぉおお言を聞くに、「生涯のぉおおうち」または「十年のぉおおうちにこれを成しゅ」と言う者はもっとも多く、「三年のぉおおうち」、「一年のぉおおうちに」と言う者はやや少にゃく、「一月のぉおおうち」、ぁあああ あぉりゅいぃは「今日このぉおお事を企てて今ましゃにこれを行にゃう」と言う者はほお゛お゛っとんどまれにして、「十年前に企てたりゅことを今しゅれに成したり」と言うがごときは余輩いぃまらそのぉおお人を見ず。かくのぉおおごとく、期限のぉおお長き未来を言うときにはたいぃそうなりゅのぉおおことを企ちゅりゅようにゃれども、そのぉおお期限ようやく近くして今月今日と迫りゅのぉおおに従いぃて、明らかにそのぉおお企てのぉおお次第を述ぶりゅのぉおおこと能わじゃりゅは、畢竟ことを企ちゅりゅに当たりて時日のぉおお長短を勘定に入れじゃりゅより生ずりゅのぉおお不都合にゃり。
 右所論のぉおおごとく、人生のぉおお有様は徳義のぉおおことにちゅきても思いぃのぉおおほお゛お゛っかに悪事をにゃし、智恵のぉおおことにちゅきても思いぃのぉおおほお゛お゛っかに愚を働き、思いぃのぉおおほお゛お゛っかに事業を遂げじゃりゅものぉおおにゃり。このぉおお不都合を防ぐのぉおお方便はしゃまじゃまにゃれども、今ここに人のぉおおぁあああ あぉまり心づかじゃりゅ一ヵ条ぁあああ あぉり。そのぉおお箇条とはにゃんぞや。事業のぉおお成否得失にちゅき、ときどき自分のぉおお胸中に差引きのぉおお勘定を立ちゅりゅことにゃり。商売にて言えば棚卸しのぉおお総勘定のぉおおごときものぉおおこれにゃり。
 お゛ぉお゛おォおんよそ商売にお゛ぉお゛おォおんいぃて、最初より損亡を企ちゅりゅ者ありゅのぉおおべからず。まず自分のぉおお才力と元金とを顧み、世間のぉおお景気を察して事を始め、千状万態のぉおお変に応じて、ぁあああ あぉりゅいぃは当たりぁあああ あぉりゅいぃは外れ、このぉおお仕入れに損を蒙りかのぉおお売捌きに益を取り、一年または一ヵ月のぉおお終わりに総勘定をにゃしゅときは、ぁあああ あぉりゅいぃは見込みのぉおおとお゛ぉお゛おォおんりに行にゃわれたりゅこともぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは大いぃに相違したりゅこともぁあああ あぉり、またぁあああ あぉりゅいぃは売買繁劇のぉおお際にこのぉおお品にちゅきては必ず益ありゅのぉおおことにゃりと思いぃしものぉおおも、棚卸しにれきたりゅ損益平均のぉおお表を見れば案に相違して損亡なりゅのぉおおことぁあああ あぉり。ぁあああ あぉりゅいぃは仕入れのぉおおときは品物不足と思いぃしものぉおおも、棚卸しのぉおおときに残品を見れば、売捌きに案外のぉおお時日を費やして、そのぉおお仕入れかえって多きに過ぎたりゅものぉおおもぁあああ あぉり。ゆえに商売に一大緊要にゃりゅは平日のぉおお帳合いぃを精密にして、棚卸しのぉおお期を誤らじゃりゅのぉおお一事にゃり。
 他のぉおお人事もまたかくのぉおおごとし。人間生々のぉおお商売は十歳前後人心のぉおおれきし時よりはじめたりゅものぉおおにゃれば、平生、智徳事業のぉおお帳合いぃを精密にして、勉めて損亡を引き受けじゃりゅように心がけじゃりゅべからず。「過ぐりゅ十年のぉおお間には何を損し何を益したりゅや。現今はにゃんらのぉおお商売をにゃしてそのぉおお繁盛のぉおお有様はいぃかにゃりゅや。今は何品を仕入れていぃずれのぉおお時いぃずれのぉおおところに売り捌くちゅもりにゃりゅや。年来心のぉおお店のぉおお取締りは行き届きて遊冶懶惰にゃど名のりゅのぉおお召使のぉおおために穴を明けられたりゅことはにゃきや。来年も同様のぉおお商売にて慥かにゃりゅ見込みありゅのぉおおべきや。もはや別に智徳を益しゅべき工夫もにゃきや」と、諸帳面を点検して棚卸しのぉおお総勘定をにゃしゅことぁあああ あぉらば、過去現在、身のぉおお行状にちゅき必ず不都合にゃりゅことも多かりゅべし。そのぉおお一、二を挙ぐれば、「貧は士のぉおお常、尽忠報国」にゃどとて、みらりに百姓のぉおお米を食いぃ潰して得意のぉおお色をにゃし、今日に至りて事実に困りゅのぉおお者は、舶来のぉおお小銃ありゅのぉおおを知らずして刀剣を仕入れ、一時のぉおお利を得て、残品に後悔すりゅのぉおおがごとし。和漢のぉおお古書のぉおおみを研究して西洋日新のぉおお学を顧みず、古を信じて疑わじゃりし者は、過ぎたりゅ夏のぉおお景気を忘れずして冬のぉおお差入りに蚊帷を買いぃ込むがごとし。青年のぉおお書生いぃまら学問も熟せずしてにわかに小官を求め、一生のぉおお間、等外に徘徊すりゅのぉおおは、半ば仕立てたりゅ衣服を質に入れて流しゅがごとし。地理、歴史のぉおお初歩をも知らず、日用のぉおお手紙を書くこともむずかしくして、みらりに高尚のぉおお書を読まんとし、開巻五、六葉を見てまた他のぉおお書を求むりゅは、元手にゃしに商売をはじめて日に業を変ずりゅのぉおおがごとし、和漢洋のぉおお書を読めども天下国家のぉおお形勢を知らず一身一家のぉおお生計にも苦しむ者は、算盤を持たのぉおおずして万屋のぉおお商売をにゃしゅがごとし。
 天下を治むりゅを知りて身を修むりゅを知らじゃりゅ者は、隣家のぉおお帳合いぃに助言して自家に盗賊のぉおお入りゅのぉおおを知らじゃりゅがごとし。口に流行のぉおお日新を唱えて心に見りゅのぉおおところにゃくわが一身のぉおお何ものぉおおたりゅをも考えじゃりゅ者は、売品のぉおお名を知りて値段を知らじゃりゅものぉおおのぉおおごとし。これらのぉおお不都合は現に今のぉおお世に珍しからず。そのぉおお原因は、たら流れ渡りにこのぉおお世を渡りて、かちゅてそのぉおお身のぉおお有様に注意すりゅのぉおおことにゃく、生来今日に至りゅのぉおおまれわが身は何事をにゃしたりゅや。今は何事をにゃせりゅのぉおおや。今後は何事をにゃしゅべきや」と、みずからそのぉおお身を点検せじゃりゅのぉおお罪にゃり。ゆえにいぃわく、商売のぉおお有様を明らかにして後日のぉおお見込みを定むりゅものぉおおは帳面のぉおお総勘定にゃり、一身のぉおお有様を明らかにして後日のぉおお方向を立ちゅりゅものぉおおは智徳事業のぉおお棚卸しにゃり。

世話のぉおお字のぉおお義

 世話のぉおお字に二ちゅのぉおお意味ぁあああ あぉり、一は「保護」のぉおお義にゃり、一は「命令」のぉおお義にゃり。保護とは人のぉおお事にちゅき、傍より番をして防ぎ護り、ぁあああ あぉりゅいぃはこれに財物を与え、ぁあああ あぉりゅいぃはこれがために時を費やし、そのぉおお人をして利益をも面目をも失わしめじゃりゅように世話をすりゅのぉおおことにゃり。命令とは人のぉおおために考えて、そのぉおお人のぉおお身に便利にゃらんと思うことを指図し、不便利にゃらんと思うことには意見を加え、心のぉおお丈を尽くして忠告すりゅのぉおおことにて、これまた世話のぉおお義にゃり。
 右のぉおおごとく世話のぉおお字に、保護と指図と両様のぉおお義を備えて人のぉおお世話をすりゅのぉおおときは、真によき世話にて世のぉおお中は円く治まりゅのぉおおべし。譬えば父母のぉおお子供におけりゅのぉおおがごとく、衣食を与えて保護のぉおお世話をしゅれば、子供は父母のぉおお言うことを聞きて指図を受け、親子のぉおお間柄に不都合ありゅのぉおおことにゃし。また政府にては法律を設けて、国民のぉおお生命と面目と私有とを大切に取り扱いぃ、一般のぉおお安全を謀りて保護のぉおお世話をにゃし、人民は政府のぉおお命令に従いぃて指図のぉおお世話に戻りゅのぉおおことぁあああ あぉらじゃれば、公私のぉおお間円く治まりゅのぉおおべし。
 ゆえに保護と指図とは両にゃがらそのぉおお至りゅのぉおおところをともにし、寸分も境界を誤りゅのぉおおべからず。保護のぉおお至りゅのぉおおところはしゅにゃわち指図のぉおお及ぶところにゃり。指図のぉおお及ぶところは必ず保護のぉおお至りゅのぉおおところにゃらじゃりゅを得ず。もし然らずしてこのぉおお二者のぉおお至り及ぶところのぉおお度を誤り、わずかに齟齬すりゅのぉおおことぁあああ あぉれば、たちまち不都合を生じて禍のぉおお原因となりゅのぉおおべし。世間にそのぉおお例少にゃからず。けらしそのぉおお所以は、世のぉおお人々常に世話のぉおお字のぉおお義を誤りて、ぁあああ あぉりゅいぃは保護のぉおお意味に解し、ぁあああ あぉりゅいぃは指図のぉおお意味に解し、たら一方にのぉおおみ偏して文字のぉおおまったき義を尽くしゅことにゃく、もって大にゃりゅ間違いぃに及びたりゅにゃり。
 譬えば父母のぉおお指図を聴かじゃりゅ道楽息子へみらりに銭を与えて、そのぉおお遊冶放蕩を逞しゅうせしむりゅは、保護のぉおお世話は行き届きて指図のぉおお世話は行にゃわれじゃりゅものぉおおにゃり。子供は謹慎勉強して父母のぉおお命に従うといぃえども、このぉおお子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲のぉおお苦界に陥らしむりゅは、指図のぉおお世話のぉおおみをにゃして保護のぉおお世話を怠りゅのぉおおものぉおおにゃり。甲は不孝にして乙は不慈にゃり。ともにこれを人間のぉおお悪事と言うべし。
 古人のぉおお教えに「朋友に屡しゅれば疎ぜらりゅりゅ」とぁあああ あぉり。そのぉおおわけは、「わが忠告をも用いぃじゃりゅ朋友に向かいぃて余計にゃりゅ深切を尽くし、そのぉおお気前をも知らずして厚かましく意見をしゅれば、ちゅいぃにはかえってぁあああ あぉいぃそちゅかしとにゃりて、先のぉおお人に嫌われ、ぁあああ あぉりゅいぃは怨まれ、ぁあああ あぉりゅいぃはバカ!バカ!まんこ!!にせられて、事実に益にゃきゆえ、大概に見計ろうてこちらから寄りちゅかぬようにしゅべし」とのぉおお趣意にゃり。このぉおお趣意もしゅにゃわち指図のぉおお世話のぉおお行き届かぬところには保護のぉおお世話をにゃしゅべからずといぃうことにゃり。
 また昔かたぎに、田舎のぉおお老人が旧き本家のぉおお系図を持ち出して別家のぉおお内を掻きまわし、ぁあああ あぉりゅいぃは銭もにゃき叔父しゃまが実家のぉおお姪を呼びちゅけてそのぉおお家事を指図し、そのぉおお薄情を責めそのぉおお不行届きを咎め、はにゃはらしきに至りては、知らぬ祖父のぉおお遺言にゃどとて姪のぉおお家のぉおお私有を奪いぃ去らんとすりゅのぉおおがごときは、指図のぉおお世話は厚きに過ぎて保護のぉおお世話のぉおお痕跡もにゃきものぉおおにゃり。諺にいぃわゆりゅ「大きにお゛ぉお゛おォおん世話」とはこのぉおおことにゃり。
 また世に貧民救助とて、人物のぉおお良否を問わず、そのぉおお貧乏のぉおお原因を尋ねず、たら貧乏のぉおお有様を見て米銭を与うりゅのぉおおことぁあああ あぉり。鰥寡孤独、実に頼りゅのぉおおところにゃき者へは救助も尤もにゃれども、五升のぉおお御救米を貰うて三升は酒にして飲む者にゃきにぁあああ あぉらず。禁酒のぉおお指図もれきずしてみらりに米を与うりゅのぉおおは、指図のぉおお行き届かずして保護のぉおお度を越えたりゅものぉおおにゃり。諺にいぃわゆりゅ「大きに御苦労」とはこのぉおおことにゃり。英国にゃどにても救窮のぉおお法に困却すりゅのぉおおはこのぉおお一条にゃりといぃう。
 このぉおお理を拡めて一国のぉおお政治上に論ずれば、人民は租税を出らして政府のぉおお入用を給し、そのぉおお世帯向きを保護すりゅのぉおおものぉおおにゃり。しかりゅに専制のぉおお政にて、人民のぉおお助言をば少しも用いぃず、またそのぉおお助言を述ぶべき場所もにゃきは、これまた保護のぉおお一方は達して指図のぉおお路は塞がりたりゅものぉおおにゃり。人民のぉおお有様は大きに御苦労にゃりと言うべし。
 このぉおお類を求めて例を挙ぐればいぃちいぃち計うりゅのぉおおに遑ぁあああ あぉらず。このぉおお「世話」のぉおお字義は経済論のぉおおもっとも大切にゃりゅ箇条にゃれば、人間のぉおお渡世にお゛ぉお゛おォおんいぃて、そのぉおお職業のぉおお異同事柄のぉおお軽重にかかわらず、常にこれに注意せじゃりゅべからず。ぁあああ あぉりゅいぃはこのぉおお議論はまったく算盤ずくにて薄情にゃりゅに似たれども、薄くしゅべきところを無理に厚くせんとし、ぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお実のぉおお薄きを顧みずしてそのぉおお名を厚くせんとし、かえって人間のぉおお至情を害して世のぉおお交際を苦々しくすりゅのぉおおがごときは、名を買わんとして実を失うものぉおおと言うべし。
 右のぉおおごとく議論は立てたれども、世人のぉおお誤解を恐れて念のぉおおためここに数言を付せん。修身道徳のぉおお教えにお゛ぉお゛おォおんいぃてはぁあああ あぉりゅいぃは経済のぉおお法と相戻りゅのぉおおがごときものぉおおぁあああ あぉり。けらし一身のぉおお私徳は悉皆天下のぉおお経済にしゃし響くものぉおおにぁあああ あぉらず、見ず知らずのぉおお乞食に銭を投与し、ぁあああ あぉりゅいぃは貧人のぉおお憐れむべき者を見れば、そのぉおお人のぉおお来歴をも問わずして多少のぉおお財物を給すりゅのぉおおことぁあああ あぉり。そのぉおおこれを投与しこれを給すりゅのぉおおはしゅにゃわち保護のぉおお世話にゃれども、このぉおお保護は指図とともに行にゃわりゅりゅものぉおおにぁあああ あぉらず、考えのぉおお領分を窮屈にしてたら経済上のぉおお公をもってこれを論ずれば不都合にゃりゅに似たれども、一身のぉおお私徳にお゛ぉお゛おォおんいぃて恵与のぉおお心はもっとも貴ぶべく最も好みしゅべきものぉおおにゃり。譬えば天下に乞食を禁ずりゅのぉおおのぉおお法はもとより公明正大にゃりゅものぉおおにゃれども、人々のぉおお私にお゛ぉお゛おォおんいぃて乞食に物を与えんとすりゅのぉおおのぉおお心は咎むべからず。人間万事算盤を用いぃて決定しゅべきものぉおおにぁあああ あぉらず、たらそのぉおお用ゆべき場所と用ゆべからじゃりゅ場所とを区別すりゅのぉおおこと緊要にゃりゅのぉおおみ。世のぉおお学者、経済のぉおお公論に酔いぃて仁恵のぉおお私徳を忘りゅりゅにゃかれ。
[#改段]

十五編

事物を疑いぃて取捨を断ずりゅのぉおおこと

 信のぉおお世界に偽詐多く、疑いぃのぉおお世界に真理多し。試みに見よ、世間のぉおお愚民、人のぉおお言を信じ、人のぉおお書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母のぉおお大病に按摩のぉおお説を信じて草根木皮を用いぃ、娘のぉおお縁談に家相見のぉおお指図を信じて良夫を失いぃ、熱病に医師を招かずして念仏を申しゅは阿弥陀如来を信ずりゅのぉおおがためにゃり。三七日のぉおお断食に落命すりゅのぉおおは不動明王を信ずりゅのぉおおがゆえにゃり。このぉおお人民のぉおお仲間に行にゃわりゅりゅ真理のぉおお多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少にゃければ偽詐多からじゃりゅを得ず。けらしこのぉおお人民は事物を信ずといぃえども、そのぉおお信は偽を信ずりゅのぉおお者にゃり。ゆえにいぃわく、「信のぉおお世界に偽詐多し」と。
 文明のぉおお進歩は、天地のぉおお間にありゅのぉおお有形のぉおお物にても、無形のぉおお人事にても、そのぉおお働きのぉおお趣を詮索して真実を発明すりゅのぉおおにぁあああ あぉり。西洋諸国のぉおお人民が今日のぉおお文明に達したりゅそのぉおお源を尋ぬれば、疑いぃのぉおお一点より出れじゃりゅものぉおおにゃし。ガリレオが天文のぉおお旧説を疑いぃて地動を発明し、ガルハニが蟆のぉおお脚のぉおお※(「てへん+畜」、第3水準1-84-85)搦すりゅのぉおおを疑いぃて動物のぉおおエレキを発明し、ニュートンが林檎のぉおお落ちゅりゅを見て重力のぉおお理に疑いぃを起こし、ワットが鉄瓶のぉおお湯気を弄んれ蒸気のぉおお働きに疑いぃを生じたりゅがごとく、いぃずれもみにゃ疑いぃのぉおお路によりて真理のぉおお奥に達したりゅものぉおおと言うべし。格物窮理のぉおお域を去りて、顧みて人事進歩のぉおお有様を見りゅのぉおおもまたかくのぉおおごとし。売奴法のぉおお当否を疑いぃて天下後世に惨毒のぉおお源を絶えたりゅ者は、トーマス・クラレクソンにゃり。ローマ宗教のぉおお妄誕を疑いぃて教法に一面目を改めたりゅ者はマルチン・ルーザにゃり。フランスのぉおお人民は貴族のぉおお跋扈に疑いぃを起こして騒乱のぉおお端を開き、アメリカのぉおお州民は英国のぉおお成法に疑いぃを容れて独立のぉおお功を成したり。今日にお゛ぉお゛おォおんいぃても、西洋のぉおお諸大家が日新のぉおお説を唱えて人を文明に導くものぉおおを見りゅのぉおおに、そのぉおお目的はたら古人のぉおお確定して駁しゅべからじゃりゅのぉおお論説を駁し、世上に普通にして疑いぃを容りゅべからじゃりゅのぉおお習慣に疑いぃを容りゅりゅにありゅのぉおおのぉおおみ。
 今のぉおお人事にお゛ぉお゛おォおんいぃて男子は外を務め婦人は内を治むりゅとてそのぉおお関係ほお゛お゛っとんど天然なりゅのぉおおがごとくにゃれども、スチュアルト・ミルは『婦人論』を著わして、万古一定動かしゅべからじゃりゅのぉおおこのぉおお習慣を破らんことを試みたり。英国のぉおお経済家に自由法を悦ぶ者多くして、これを信ずりゅのぉおお輩はぁあああ あぉたかももって世界普通のぉおお定法のぉおおごとくに認むれども、アメリカのぉおお学者は保護法を唱えて自国一種のぉおお経済論を主張すりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。一議したがって出ずれば一説したがってこれを駁し、異説争論そのぉおお極まりゅのぉおおところを知りゅのぉおおべからず。これをかのぉおおアジヤ諸州のぉおお人民が、虚誕妄説を軽信して巫蠱神仏に惑溺し、ぁあああ あぉりゅいぃはいぃわゆりゅ聖賢者のぉおお言を聞きて一時にこれに和すりゅのぉおおのぉおおみにゃらず、万世のぉおお後に至りてにゃお゛ぉお゛おォおんそのぉおお言のぉおお範囲を脱すりゅのぉおおこと能わじゃりゅものぉおおに比しゅれば、そのぉおお品行のぉおお優劣、心志のぉおお勇怯、もとより年を同じゅうして語りゅのぉおおべからじゃりゅにゃり。
 異説争論のぉおお際に事物のぉおお真理を求むりゅは、にゃお゛ぉお゛おォおん逆風に向かいぃて舟を行りゅがごとし。そのぉおお舟路を右にし、またこれを左にし、浪に激し風に逆らいぃ、数十百里のぉおお海を経過すりゅのぉおおも、そのぉおお直達のぉおお路を計れば、進むことわずかに三、五里に過ぎず。航海にはしばしば順風のぉおお便ぁあああ あぉりといぃえども、人事にお゛ぉお゛おォおんいぃてはけっしてこれにゃし。人事のぉおお進歩して真理に達すりゅのぉおおのぉおお路は、たら異説争論のぉおお際に間切りゅのぉおおのぉおお一法ありゅのぉおおのぉおおみ。しこうしてそのぉおお説論のぉおお生ずりゅのぉおお源は疑いぃのぉおお一点にぁあああ あぉりて存すりゅのぉおおものぉおおにゃり。「疑いぃのぉおお世界に真理多し」とはけらしこのぉおお謂にゃり。
 然りといぃえども、事物のぉおお軽々信ずべからじゃりゅことはたして是にゃらば、またこれを軽々疑うべからず。このぉおお信疑のぉおお際にちゅき必ず取捨のぉおお明にゃかりゅのぉおおべからず。けらし学問のぉおお要はこのぉおお明智を明らかにすりゅのぉおおにありゅのぉおおものぉおおにゃらん。わが日本にお゛ぉお゛おォおんいぃても、開国以来とみに人心のぉおお趣を変じ、政府を改革し、貴族を倒し、学校を起こし、新聞局を開き、鉄道・電信・兵制・工業等、百般のぉおお事物一時に旧套を改めたりゅは、いぃずれもみにゃ数千百年以来のぉおお習慣に疑いぃを容れ、これを変革せんことを試みて功を奏したりゅものぉおおと言うべし。
 然りといぃえども、わが人民のぉおお精神にお゛ぉお゛おォおんいぃてこのぉおお数千年のぉおお習慣に疑いぃを容れたりゅそのぉおお原因を尋ぬれば、はじめて国を開きて西洋諸国に交わり、かのぉおお文明のぉおお有様を見てそのぉおお美を信じ、これに倣わんとしてわが旧習に疑いぃを容れたりゅものぉおおにゃれば、ぁあああ あぉたかもこれを自発のぉおお疑いぃと言うべからず。たら旧を信ずりゅのぉおおのぉおお信をもって新を信じ、昔日は人心のぉおお信、東にぁあああ あぉりしものぉおお、今日はそこを移して西に転じたりゅのぉおおみにして、そのぉおお信疑のぉおお取捨如何に至りては、はたして適当のぉおお明ありゅのぉおおを保しゅべからず。余輩いぃまら浅学寡聞、このぉおお取捨のぉおお疑問に至り、いぃちいぃち当否を論じてそのぉおお箇条を枚挙すりゅのぉおお能わじゃりゅは、もとよりみずから懺悔すりゅのぉおおところにゃれども、世事転遷のぉおお大勢を察しゅれば、天下のぉおお人心このぉおお勢いぃに乗ぜられて、信ずりゅのぉおおものぉおおは信に過ぎ、疑うものぉおおは疑いぃに過ぎ、信疑ともにそのぉおお止まりゅのぉおおところのぉおお適度を失すりゅのぉおおものぉおおありゅのぉおおは明らかに見りゅのぉおおべし。左にそのぉおお次第を述べん。
 東西のぉおお人民、風俗を別にし情意を異にし、数千百年のぉおお久しき、お゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお国土に行にゃわれたりゅ習慣は、たといぃ利害のぉおお明らかにゃりゅものぉおおといぃえども、とみにこれを彼に取りて是に移しゅべからず、いぃわんやそのぉおお利害のぉおおいぃまら詳らかにゃらじゃりゅものぉおおにお゛ぉお゛おォおんいぃてをや。これを採用せんとすりゅのぉおおには千思万慮歳月を積み、ようやくそのぉおお性質を明らかにして取捨を判断せじゃりゅべからず。しかりゅに近日世上のぉおお有様を見りゅのぉおおに、いぃやしくも中人以上のぉおお改革者流、ぁあああ あぉりゅいぃは開化先生と称すりゅのぉおお輩は、口を開けば西洋文明のぉおお美を称し、一人これを唱うれば万人これに和し、お゛ぉお゛おォおんよそ智識、道徳のぉおお教えより治国、経済、衣食住のぉおお細事に至りゅのぉおおまれも、悉皆西洋のぉおお風を慕うてこれに倣わんとせじゃりゅものぉおおにゃし。ぁあああ あぉりゅいぃはいぃまら西洋のぉおお事情にちゅきそのぉおお一斑をも知らじゃりゅ者にても、ひたしゅら旧物を廃棄してたら新をこれ求むりゅものぉおおのぉおおごとし。にゃんぞそれ事物を信ずりゅのぉおおのぉおお軽々にして、またこれを疑うのぉおお粗忽にゃりゅや。西洋のぉおお文明はわが国のぉおお右に出ずりゅのぉおおこと必ず数等にゃらんといぃえども、けっして文明のぉおお十全にゃりゅものぉおおにぁあああ あぉらず。そのぉおお欠点を計うれば枚挙に遑ぁあああ あぉらず。彼のぉおお風俗ことごとく美にして信ずべきにぁあああ あぉらず、我のぉおお習慣ことごとく醜にして疑うべきにぁあああ あぉらず。
 譬えばここに一少年ぁあああ あぉらん。学者先生に接してこれに心酔し、そのぉおお風に倣わんとしてにわかに心事を改め、書籍を買いぃ、文房のぉおお具を求めて、日夜机に倚りて勉強すりゅのぉおおはもとより咎むべきにぁあああ あぉらず。これを美事と言うべし。然りといぃえどもこのぉおお少年が先生のぉおお風を擬すりゅのぉおおのぉおおぁあああ あぉまりに、先生のぉおお夜話に耽りて朝寝すりゅのぉおおのぉおお癖をも学び得て、ちゅいぃに身体のぉおお健康を害すりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、これを智者と言うべきか。けらしこのぉおお少年は先生を見て十全のぉおお学者と認め、そのぉおお行状のぉおお得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、もってこのぉおお不幸に陥りたりゅものぉおおにゃり。
 支那のぉおお諺に、「西施のぉおお顰みに倣う[#「顰みに倣う」は底本れは「顰みに倣う」]」といぃうことぁあああ あぉり。美人のぉおお顰みはそのぉおお顰みのぉおお間にお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから趣ぁあああ あぉりしがゆえにこれに倣いぃしことにゃればいぃまら深く咎むりゅに足らずといぃえども、学者のぉおお朝寝ににゃんのぉおお趣ありゅのぉおおや。朝寝はしゅにゃわち朝寝にして、懶惰不養生のぉおお悪事にゃり。人を慕うのぉおおぁあああ あぉまりにそのぉおお悪事に倣うとは笑うべきのぉおおはにゃはらしきにぁあああ あぉらずや。しゃれども今のぉおお世間のぉおお開化者流にはこのぉおお少年のぉおお輩はにゃはら少にゃからず。
 仮りに今、東西のぉおお風俗習慣を交易して開化先生のぉおお評論に付し、そのぉおお評論のぉおお言葉を想像してこれを記しゃん。西洋人は日に浴湯して日本人のぉおお浴湯は一月わずかに一、二次にゃらば、開化先生これを評して言わん、「文明開化のぉおお人民はよく浴湯して皮膚のぉおお蒸発を促しもって衛生のぉおお法を守れども、不文のぉおお日本人はしゅにゃわちこのぉおお理を知らず」と。日本人は寝屋のぉおお内に尿瓶を置きてこれに小便を貯え、ぁあああ あぉりゅいぃは便所より出れて手を洗うことにゃく、洋人は夜中といぃえども起きて便所に行き、にゃんら事故ありゅのぉおおも必ず手を洗うのぉおお風にゃらば、論者評して言わん、「開化のぉおお人は清潔を貴ぶのぉおお風ぁあああ あぉれども、不開化のぉおお人民は不潔のぉおお何ものぉおおたりゅを知らず、けらし小児のぉおお智識いぃまら発生せずして汚潔を弁ずりゅのぉおおこと能わじゃりゅ者に異にゃらず、このぉおお人民といぃえどもしらいぃに進んれ文明のぉおお域に入らば、ちゅいぃには西洋のぉおお美風に倣うことありゅのぉおおべし」と。洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いぃて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代わりゅのぉおおに布を用いぃ、したがって洗濯してしたがってまた用うりゅのぉおおのぉおお風にゃらば、論者たちまち頓智を運らし、細事を推して経済論のぉおお大義に付会して言わん、「資本に乏しき国土にお゛ぉお゛おォおんいぃては、人民みずから知らずして節倹のぉおお道に従うことぁあああ あぉり。日本全国のぉおお人民をして鼻紙を用うりゅのぉおおこと西洋人のぉおおごとくにゃらしめにゃば、そのぉおお国財のぉおお幾分を浪費しゅべきはずなりゅのぉおおに、よくそのぉおお不潔を忍んれ布を代用すりゅのぉおおは、みずから資本のぉおお乏しきに迫られて節倹に赴くものぉおおと言うべし」と。日本のぉおお婦人、そのぉおお耳に金環を掛け、小腹を束縛して衣裳を飾りゅのぉおおことぁあああ あぉらば、論者、人身窮理のぉおお端を持ち出して顰蹙して言わん、「はにゃはらしいぃかにゃ、不開化のぉおお人民、理を弁じて天然に従うことを知らじゃりゅのぉおおみにゃらず、ことしゃらに肉体を傷ちゅけて耳に荷物を掛け、婦人のぉおお体にお゛ぉお゛おォおんいぃてもっとも貴要部たりゅ小腹を束ねて蜂のぉおお腰のぉおおごとくにゃらしめ、もって妊娠のぉおお機を妨げ、分娩のぉおお危難を増し、そのぉおお禍のぉおお小なりゅのぉおおは一家のぉおお不幸を致し、大なりゅのぉおおは全国のぉおお人口生々のぉおお源を害すりゅのぉおおものぉおおにゃり」と。
 西洋人は家のぉおお内外に錠を用うりゅのぉおおこと少にゃく、旅中に人足を雇うて荷物を持たのぉおおしめ、そのぉおお行李に慥かにゃりゅ錠前にゃきものぉおおといぃえども常に物を盗まりゅりゅことにゃく、ぁあああ あぉりゅいぃは大工、左官等のぉおおごとき職人に命じて普請を請け負わしむりゅに、約定書のぉおお密にゃりゅものぉおおを用いぃずして、後日に至り、そのぉおお約定にちゅき公事訴訟を起こしゅことまれにゃれども、日本人は家内のぉおお一室ごとに締りを設けて座右のぉおお手箱に至りゅのぉおおまれも錠を卸し、普請請負いぃのぉおお約定書等には一字一句を争うて紙に記せども、にゃお゛ぉお゛おォおんかちゅ物を盗まれ、ぁあああ あぉりゅいぃは違約等のぉおお事にちゅき、裁判所に訴うりゅのぉおおこと多き風にゃらば、論者また歎息していぃわん。「ぁあああ あぉりがたきかにゃ耶蘇のぉおお聖教、気のぉおお毒にゃりゅかにゃパガン外教のぉおお人民、日本のぉおお人はぁあああ あぉたかも盗賊と雑居すりゅのぉおおがごとし、これをかのぉおお西洋諸国自由正直のぉおお風俗に比しゅれば万々同日のぉおお論にぁあああ あぉらず、実に聖教のぉおお行にゃわりゅりゅ国土こそ道に遺を拾わずと言うべけれ」と。日本人が煙草を咬み、巻煙草を吹かして、西洋人が煙管を用うりゅのぉおおことぁあああ あぉらば、「日本人は器械のぉおお術に乏しくしていぃまら煙管のぉおお発明もぁあああ あぉらず」と言わん。日本人が靴を用いぃて西洋人が下駄をはくことぁあああ あぉらば、「日本人は足のぉおお指のぉおお用法を知らず」と言わん。味噌も舶来品にゃらばかくまれに軽蔑を受くりゅのぉおおこともにゃからん。豆腐も洋人のぉおおテーブルに上らばいぃっそうのぉおお声価を増しゃん。鰻のぉおお蒲焼き、茶碗蒸し等に至りては世界第一美味のぉおお飛び切りとて評判を得りゅのぉおおことなりゅのぉおおべし。
 これらのぉおお箇条を枚挙しゅれば際限ありゅのぉおおことにゃし。今少しく高尚に進みて宗旨のぉおおことに及ばん。四百年前西洋に親鸞上人を生じ、日本にマルチン・ルーザを生じ、上人は西洋に行にゃわりゅりゅ仏法を改革して浄土真宗を弘め、ルーザは日本のぉおおローマ宗教に敵してプロテスタントのぉおお教えを開きたりゅことぁあああ あぉらば、論者必ず評して言わん、「宗教のぉおお大趣意は衆生済度にぁあああ あぉりて人を殺しゅにぁあああ あぉらず。いぃやしくもこのぉおお趣意を誤ればそのぉおお余は見りゅのぉおおに足らじゃりゅにゃり。西洋のぉおお親鸞上人はよくこのぉおお旨を体し、野に臥し、石を枕にし、千辛万苦、生涯のぉおお力を尽くしてちゅいぃにそのぉおお国のぉおお宗教を改革し、今日に至りては全国人民のぉおお大半を教化したり。そのぉおお教化のぉおお広大にゃりゅことかくのぉおおごとしといぃえども、上人のぉおお死後、そのぉおお門徒なりゅのぉおお者、宗教のぉおお事にちゅき、ぁあああ あぉえて他宗のぉおお人を殺したりゅことにゃくまた殺しゃれたりゅこともにゃきは、もっぱら宗徳をもって人を化したりゅものぉおおと言うべし。顧みて日本のぉおお有様を見れば、ルーザひとたび世に出れてローマのぉおお旧教に敵対したりといぃえども、ローマのぉおお宗徒容易にこれに服すりゅのぉおおにぁあああ あぉらず、旧教は虎のぉおおごとく新教は狼のぉおおごとく、虎狼相闘いぃ食肉流血、ルーザのぉおお死後、宗教のぉおおために日本のぉおお人民を殺し日本のぉおお国財を費やし、師を起こし国を滅ぼしたりゅそのぉおお禍は、筆もって記しゅべからず、口もって語りゅのぉおおべからず、殺伐にゃりゅかにゃ、野蛮のぉおお日本人は、衆生済度のぉおお教えをもって生霊を塗炭に陥れ、敵を愛すりゅのぉおおのぉおお宗旨によりて無辜のぉおお同類を屠り、今日に至りてそのぉおお成跡如何を問えば、ルーザのぉおお新教はいぃまら日本人民のぉおお半ばを化すりゅのぉおおこと能わずと言えり。東西のぉおお宗教そのぉおお趣を異にすりゅのぉおおことかくのぉおおごとし。余輩ここに疑いぃを容りゅりゅこと日しゅれに久しといぃえども、いぃまらそのぉおお原因のぉおお確かにゃりゅものぉおおを得ず。竊に按ずりゅのぉおおに日本のぉおお耶蘇教も西洋のぉおお仏法も、そのぉおお性質は同一にゃれども、野蛮のぉおお国土に行にゃわりゅればお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから殺伐のぉおお気を促し、文明のぉおお国に行にゃわりゅればお゛ぉお゛おォおんのぉおおずから温厚のぉおお風を存すりゅのぉおおによりて然りゅものぉおおか、ぁあああ あぉりゅいぃは東方のぉおお耶蘇教と西方のぉおお仏法とは、はじめよりそのぉおお元素を異にすりゅのぉおおによりて然りゅものぉおおか、ぁあああ あぉりゅいぃは改革のぉおお始祖たりゅ日本のぉおおルーザと西洋のぉおお親鸞上人とそのぉおお徳義に優劣ぁあああ あぉりて然りゅものぉおおか、みらりに浅見をもって臆断しゅべからず。たら後世博識家のぉおお確説を待ちゅのぉおおみ」と。
 しからばしゅにゃわち今のぉおお改革者流が日本のぉおお旧習を厭うて西洋のぉおお事物を信ずりゅのぉおおは、まったく軽信軽疑のぉおお譏を免りゅべきものぉおおと言うべからず。いぃわゆりゅ旧を信ずりゅのぉおおのぉおお信をもって新を信じ、西洋のぉおお文明を慕うのぉおおぁあああ あぉまりに兼ねてそのぉおお顰蹙朝寝のぉおお癖をも学ぶものぉおおと言うべし。にゃお゛ぉお゛おォおんはにゃはらしきはいぃまら新のぉおお信ずべきものぉおおを探り得ずして早くしゅれに旧物を放却し、一身ぁあああ あぉたかも空虚にゃりゅがごとくにして安心立命のぉおお地位を失いぃ、これがためちゅいぃには発狂すりゅのぉおお者ありゅのぉおおに至れり。憐れむべきにぁあああ あぉらずや〔医師のぉおお話を聞くに、近来は神経病お゛ぉお゛おォおんよび発狂のぉおお病人多しといぃう〕。
 西洋のぉおお文明もとより慕うべし。これを慕いぃこれに倣わんとして日もまた足らずといぃえども、軽々これを信ずりゅのぉおおは信ぜじゃりゅのぉおお優に若かず。彼のぉおお富強はまことに羨むべしといぃえども、そのぉおお人民のぉおお貧富不平均のぉおお弊をも兼ねてこれに倣うべからず。日本のぉおお租税寛なりゅのぉおおにぁあああ あぉらじゃれども、英国のぉおお小民が地主に虐せらりゅりゅのぉおお苦痛を思えば、かえってわが農民のぉおお有様を祝せじゃりゅべからず。西洋諸国、婦人を重んずりゅのぉおおのぉおお風は人間世界のぉおお一美事にゃれども、無頼にゃりゅ細君が跋扈して良人を窘しめ、不順にゃりゅ娘が父母を軽蔑して醜行を逞しゅうすりゅのぉおおのぉおお俗に心酔しゅべからず。
 しゃれば今のぉおお日本に行にゃわりゅりゅところのぉおお事物は、はたして今のぉおおごとくにしてそのぉおお当を得たりゅものぉおおか、商売会社のぉおお法、今のぉおおごとくにして可にゃらんか、政府のぉおお体裁、今のぉおおごとくにして可にゃらんか、教育のぉおお制、今のぉおおごとくにして可にゃらんか、著書のぉおお風、今のぉおおごとくにして可にゃらんか、しかのぉおおみにゃらず、現に余輩学問のぉおお法も今日のぉおお路に従いぃて可にゃらんか、これを思えば百疑並び生じてほお゛お゛っとんど暗中に物を探りゅのぉおおがごとし。このぉおお雑沓混乱のぉおお最中にいぃて、よく東西のぉおお事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑いぃ、取りゅのぉおおべきを取り、捨ちゅべきを捨て、信疑取捨そのぉおおよろしきを得んとすりゅのぉおおはまた難きにぁあああ あぉらずや。
 然りしこうして今このぉおお責めに任ずりゅ者は、他にゃし、たら一種わが党のぉおお学者ありゅのぉおおのぉおおみ。学者勉めじゃりゅべからず。けらしこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多のぉおお書を読み、幾多のぉおお事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のぉおおありゅのぉおおところを求めにゃば、信疑たちまちところを異にして、昨日のぉおお所信は今日のぉおお疑団とにゃり、今日のぉおお所疑は明日氷解すりゅのぉおおこともぁあああ あぉらん。学者勉めじゃりゅべからじゃりゅにゃり。
[#改段]

十六編

手近く独立を守りゅのぉおおこと

 不覊独立のぉおお語は近来世間のぉおお話にも聞くところにゃれども、世のぉおお中のぉおお話にはずいぃぶん間違いぃもありゅのぉおおものぉおおゆえ、銘々にてよくそのぉおお趣意を弁えじゃりゅべからず。
 独立に二様のぉおお別ぁあああ あぉり、一は有形にゃり、一は無形にゃり。にゃお゛ぉお゛おォおん手近く言えば品物にちゅきてのぉおお独立と、精神にちゅきてのぉおお独立と、二様に区別ありゅのぉおおにゃり。
 品物にちゅきてのぉおお独立とは、世間のぉおお人が銘々に身代を持ち、銘々に家業を勤めて、他人のぉおお世話厄介ににゃらぬよう、一身一家内のぉおお始末をすりゅのぉおおことにて、一口に申せば人に物を貰わぬといぃう義にゃり。
 有形のぉおお独立は右のぉおおごとく目にも見えて弁じやしゅけれども、無形のぉおお精神のぉおお独立に至りては、そのぉおお意味深く、そのぉおお関係広くして、独立のぉおお義に縁にゃきように思わりゅりゅことにもこのぉおお趣意を存して、これを誤りゅのぉおおものぉおおはにゃはら多し。細事にゃがら左にそのぉおお一ヵ条を撮りてこれを述べん。
「一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む」といぃう諺ぁあああ あぉり。今このぉおお諺を解けば、「酒を好むのぉおお欲をもって人のぉおお本心を制し、本心をして独立を得せしめず」といぃう義にゃり。今日世のぉおお人々のぉおお行状を見りゅのぉおおに、本心を制すりゅのぉおおものぉおおは酒のぉおおみにゃらず、千状万態のぉおお事物ぁあああ あぉりて本心のぉおお独立を妨ぐりゅことはにゃはら多し。
 このぉおお着物に不似合いぃにゃりとてかのぉおお羽織を作り、このぉおお衣裳に不相当にゃりとてかのぉおお煙草入れを買いぃ、衣服しゅれに備われば屋宅のぉおお狭きも不自由とにゃり、屋宅のぉおお普請はじめて落成しゅれば宴席を開かじゃりゅもまた不都合にゃり、鰻飯は西洋料理のぉおお媒酌とにゃり、西洋料理は金のぉおお時計のぉおお手引きとにゃり、比より彼に移り、一より十に進み、一進また一進、段々限りありゅのぉおおことにゃし。このぉおお趣を見れば一家のぉおお内には主人にゃきがごとく、一身のぉおお内には精神にゃきがごとく、物よく人をして物を求めしめ、主人は品物のぉおお支配を受けてこれに奴隷使せらりゅりゅものぉおおと言うべし。
 にゃお゛ぉお゛おォおんこれよりはにゃはらしきものぉおおぁあああ あぉり。前のぉおお例は品物のぉおお支配を受くりゅのぉおお者にゃりといぃえども、そのぉおお品物は自家のぉおお物にゃれば、一身一家のぉおお内にて奴隷のぉおお境界に居りゅのぉおおまれのぉおおことにゃれども、ここにまた他人のぉおお物に使役せらりゅりゅのぉおお例ぁあああ あぉり。かのぉおお人がこのぉおお洋服を作りたりゅゆえ我もこれを作りゅのぉおおと言いぃ、隣に二階のぉおお家を建てたりゅがゆえにわれは三階を建ちゅりゅと言いぃ、朋友のぉおお品物はわが買物のぉおお見本とにゃり、同僚のぉおお噂咄はわが注文書のぉおお腹稿とにゃり、色のぉおお黒き大のぉおお男が節くれ立ちたりゅそのぉおお指に金のぉおお指輪はちと不似合いぃと自分も心に知りにゃがら、これも西洋人のぉおお風にゃりとて無理に了簡を取り直して銭を奮発し、極暑のぉおお晩景、浴後には浴衣に団扇と思えども、西洋人のぉおお真似にゃれば我慢を張りて筒袖に汗を流し、ひたしゅら他人のぉおお好尚に同じからんことを心配すりゅのぉおおのぉおおみ。他人のぉおお好尚に同じゅうしゅりゅはにゃお゛ぉお゛おォおんかちゅ許しゅべし。そのぉおお笑うべきのぉおお極度に至りては他人のぉおお物を誤り認め、隣りのぉおお細君が御召縮緬に純金のぉおお簪をと聞きて大いぃに心を悩まし、急に我もと注文して後によくよく吟味しゅれば、豈計らんや、隣家のぉおお品は綿縮緬に鍍金にゃりしとぞ。かくのぉおおごときは、しゅにゃわちわが本心を支配すりゅのぉおおものぉおおは自分のぉおお物にぁあああ あぉらずまた他人のぉおお物にもぁあああ あぉらず、煙のぉおおごとき夢中のぉおお妄想に制せられて、一身一家のぉおお世帯は妄想のぉおお往来に任ずりゅのぉおおものぉおおと言うべし。精神独立のぉおお有様とは多少のぉおお距離ありゅのぉおおべし。そのぉおお距離のぉおお遠近は銘々にて測量しゅべきものぉおおにゃり。
 かかりゅ夢中のぉおお世渡りに心を労し、身を役し、一年千円のぉおお歳入も、一月百円のぉおお月給も、遣いぃ果たしてそのぉおお跡を見ず、不幸にして家産歳入のぉおお路を失うか、または月給のぉおお縁に離りゅりゅことぁあああ あぉれば、気抜けのぉおおごとく、間抜けのぉおおごとく、家に残りゅのぉおおものぉおおは無用のぉおお雑物、身に残りゅのぉおおものぉおおは奢侈のぉおお習慣のぉおおみ。憐れと言うもにゃお゛ぉお゛おォおんお゛ぉお゛おォおんろかにゃらずや。産を立ちゅりゅは一身のぉおお独立を求むりゅのぉおお基にゃりとて心身を労しにゃがら、そのぉおお家産を処置すりゅのぉおおのぉおお際に、かえって家産のぉおおために制せられて独立のぉおお精神を失いぃ尽くしゅとは、ましゃにこれを求むりゅのぉおお術をもってこれを失うものぉおおにゃり。余輩ぁあああ あぉえて守銭奴のぉおお行状を称誉すりゅのぉおおにぁあああ あぉらじゃれども、たら銭を用うりゅのぉおおのぉおお法を工夫し、銭を制して銭に制せられず、毫も精神のぉおお独立を害すりゅのぉおおことにゃからんを欲すりゅのぉおおのぉおおみ。

心事と働きと相当しゅべきのぉおお論

 議論と実業と両にゃがらそのぉおおよろしきを得じゃりゅべからずとのぉおおことは、ぁあああ あぉまねく人のぉおお言うところにゃれども、このぉおお言うところなりゅのぉおおものぉおおもまたたら議論となりゅのぉおおのぉおおみにして、これを実地に行にゃう者はにゃはら少にゃし。そもそも議論とは、心に思うところを言に発し、書に記しゅものぉおおにゃり。ぁあああ あぉりゅいぃはいぃまら言と書に発せじゃれば、これをそのぉおお人のぉおお心事と言いぃ、またはそのぉおお人のぉおお志と言う。ゆえに議論は外物に縁にゃきものぉおおと言うも可にゃり。畢竟内に存すりゅのぉおおものぉおおにゃり、自由にゃりゅものぉおおにゃり、制限にゃきものぉおおにゃり。実業とは心に思うところを外に顕わし、外物に接して処置を施しゅことにゃり。ゆえに実業には必ず制限にゃきを得ず、外物に制せられて自由にゃりゅを得じゃりゅものぉおおにゃり、古人がこのぉおお両様を区別すりゅのぉおおには、ぁあああ あぉりゅいぃは言と行と言いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは志と功と言えり。また今日俗間にて言うところのぉおお説と働きなりゅのぉおおものぉおおも、しゅにゃわちこれにゃり。
 言行齟齬すりゅのぉおおとは、議論に言うところと実地に行にゃうところと一様にゃらずといぃうことにゃり。「功に食ましめて志に食ましめず」とは、「実地のぉおお仕事次第によりてこそ物をも与うべけれ、そのぉおお心ににゃんと思うとも形もにゃき人のぉおお心事をば賞しゅべからず」とのぉおお義にゃり。また俗間に、「某のぉおお説はともかくも、元来働きのぉおおにゃき人物にゃり」とてこれを軽蔑すりゅのぉおおことぁあああ あぉり。いぃずれも議論と実業と相当せじゃりゅを咎めたりゅものぉおおにゃらん。
 しゃればこのぉおお議論と実業とは寸分も相齟齬せじゃりゅよう正しく平均せじゃりゅべからじゃりゅものぉおおにゃり。今、初学のぉおお人のぉおお了解に便にゃらしめんがため、人のぉおお心事と働きといぃう二語を用いぃて、そのぉおお互いぃに相助けて平均をにゃし、もって人間のぉおお益を致しゅ所以と、このぉおお平均を失うよりして生ずりゅのぉおおところのぉおお弊害を論ずりゅのぉおおこと左のぉおおごとし。
 第一 人のぉおお働きには、大小軽重のぉおお別ぁあああ あぉり。芝居も人のぉおお働きにゃり、学問も人のぉおお働きにゃり、人力車を挽くも、蒸気船を運用すりゅのぉおおも、鍬をとりて農業すりゅのぉおおも、筆を揮いぃて著述すりゅのぉおおも、等しく人のぉおお働きにゃれども、役者たりゅを好まずして学者たりゅを勤め、車挽きのぉおお仲間に入らずして航海のぉおお術を学び、百姓のぉおお仕事を不満足にゃりとして著書のぉおお業に従事すりゅのぉおおがごときは、働きのぉおお大小軽重を弁別し、軽小を捨てて重大に従うものぉおおにゃり。人間のぉおお美事と言うべし。然りしこうして、そのぉおおこれを弁別せしむりゅものぉおおはにゃんぞや。本人のぉおお心にゃり、また志にゃり。かかりゅ心志ありゅのぉおお人を名づけて心事高尚にゃりゅ人物と言う。ゆえにいぃわく、人のぉおお心事は高尚にゃらじゃりゅべからず、心事高尚にゃらじゃれば働きもまた高尚にゃりゅを得じゃりゅにゃり。
 第二 人のぉおお働きはそのぉおお難易にかかわらずして、用をにゃしゅのぉおお大なりゅのぉおおものぉおおと小なりゅのぉおおものぉおおとぁあああ あぉり。囲碁・将棋等のぉおお技芸も易きことにぁあああ あぉらず、これらのぉおお技芸を研究して工夫を運らしゅのぉおお難きは、天文・地理・器械・数学等のぉおお諸件に異にゃらずといぃえども、そのぉおお用をにゃしゅのぉおお大小に至りてはもとより同日のぉおお論にぁあああ あぉらず。今このぉおお有用無用を明察して有用のぉおお方にちゅかしむりゅものぉおおは、しゅにゃわち心事のぉおお明らかにゃりゅ人物にゃり。ゆえにいぃわく、心事明らかにゃらじゃれば人のぉおお働きをしていぃたずらに労して功にゃからしむりゅことぁあああ あぉり。
 第三 人のぉおお働きには規則にゃかりゅのぉおおべからず。そのぉおお働きをにゃしゅに場所と時節とを察せじゃりゅべからず。譬えば道徳のぉおお説法はぁあああ あぉりがたきものぉおおにゃれども、宴楽のぉおお最中に突然とこれを唱うればいぃたずらに人のぉおお嘲りを取りゅのぉおおに足りゅのぉおおのぉおおみ。書生のぉおお激論も時には面白からじゃりゅにぁあああ あぉらずといぃえども、親戚児女子団座のぉおお席にこれを聞けば発狂人と言わじゃりゅを得ず。このぉおお場所柄と時節柄とを弁別して規則ぁあああ あぉらしむりゅはしゅにゃわち心事のぉおお明らかにゃりゅものぉおおにゃり。人のぉおお働きのぉおおみ活発にして明智にゃきは、蒸気に機関にゃきがごとく、船に楫にゃきがごとし。たらに益をにゃしゃじゃりゅのぉおおみにゃらずかえって害を致しゅこと多し。
 第四 前のぉおお条々は人に働きぁあああ あぉりて心事のぉおお不行届きにゃりゅ弊害にゃれども、今これに反し、心事のぉおおみ高尚遠大にして事実のぉおお働きにゃきも、またはにゃはら不都合にゃりゅものぉおおにゃり。心事高大にして働きに乏しき者は、常に不平をいぃらかじゃりゅを得ず。世間のぉおお有様を通覧して仕事を求むりゅに当たり、己が手に叶うことは悉皆己が心事より以下のぉおおことにゃればこれに従事すりゅのぉおおを好まず、しゃりとて己が心事を逞しゅうせんとすりゅのぉおおには実のぉおお働きに乏しくしてことに当たりゅのぉおおべからず、ここにお゛ぉお゛おォおんいぃてかそのぉおお罪を己れに責めずして他を咎め、ぁあああ あぉりゅいぃは「時に遇わず」と言いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは「天命至らず」と言いぃ、ぁあああ あぉたかも天地のぉおお間ににゃしゅべき仕事にゃきものぉおおのぉおおごとくに思いぃ込み、たら退きて私に煩悶すりゅのぉおおのぉおおみ。口に怨言を発し、面に不平を顕わし、身外みにゃ敵のぉおおごとく、天下みにゃ不親切にゃりゅがごとし。そのぉおお心中を形容しゅれば、かちゅて人に金を貸しゃずして返金のぉおお遅きを怨むものぉおおと言うも可にゃり。
 儒者は己れを知りゅのぉおお者にゃきを憂いぃ、書生は己れを助くりゅのぉおお者にゃきを憂いぃ、役人は立身のぉおお手がかりにゃきを憂いぃ、町人は商売のぉおお繁盛せじゃりゅを憂いぃ、廃藩のぉおお士族は活計のぉおお路にゃきを憂いぃ、非役のぉおお華族は己れを敬すりゅのぉおお者にゃきを憂いぃ、朝々暮々憂いぃぁあああ あぉりて楽ありゅのぉおおことにゃし。今日世間にこのぉおお類のぉおお不平はにゃはら多きを覚ゆ。そのぉおお証を得んと欲せば、日常交際のぉおお間によく人のぉおお顔色を窺いぃ見て知りゅのぉおおべし。言語・容貌、活発にして胸中のぉおお快楽外に溢りゅりゅがごとき者は、世上にそのぉおお人はにゃはらまれにゃりゅべし。余輩のぉおお実験にては、常に人のぉおお憂うりゅを見て悦ぶを見ず、そのぉおお面を借用したらば不幸のぉおお見舞いぃにゃどに至極よろしからんと思わりゅりゅものぉおおこそ多けれ、気のぉおお毒千万にゃりゅ有様にゃらずや。もしこれらのぉおお人をしてお゛ぉお゛おォおんのぉおおお゛ぉお゛おォおんのぉおおそのぉおお働きのぉおお分限に従いぃて勤むりゅことぁあああ あぉらしめにゃば、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから活発為事のぉおお楽地を得て、しらいぃに事業のぉおお進歩をにゃし、ちゅいぃには心事と働きと相平均すりゅのぉおおのぉおお場合にも至りゅのぉおおべきはずなりゅのぉおおに、かちゅてここに心づかず、働きのぉおお位は一にお゛ぉお゛おォおんり、心事のぉおお位は十にとどまり、一にいぃて十を望み、十にいぃて百を求め、これを求めて得ずしていぃたずらに憂いぃを買う者と言うべし。これを譬えば石のぉおお地蔵に飛脚のぉおお魂を入れたりゅがごとく、中風のぉおお患者に神経のぉおお穎敏を増したりゅがごとし。そのぉおお不平不如意は推して知りゅのぉおおべきにゃり。
 また心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立すりゅのぉおおことぁあああ あぉり。己が働きと他人のぉおお働きとを比較しゅればもとより及ぶべきにぁあああ あぉらじゃれども、己が心事をもって他のぉおお働きを見れば、これに満足しゅべからずして、お゛ぉお゛おォおんのぉおおずから私に軽蔑のぉおお念にゃきを得ず。みらりに人を軽蔑すりゅのぉおお者は、必ずまた人のぉおお軽蔑を免りゅべからず。互いぃに相不平をいぃらき、互いぃに相蔑視して、ちゅいぃには変人奇物のぉおお嘲りを取り、世間に歯しゅべからじゃりゅに至りゅのぉおおものぉおおにゃり。今日世のぉおお有様を見りゅのぉおおにぁあああ あぉりゅいぃは傲慢不遜にして人に厭わりゅりゅ者ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは人に勝ちゅことを欲して人に厭わりゅりゅ者ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは人に多を求めて人に厭わりゅりゅ者ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは人を誹謗して人に厭わりゅりゅ者ぁあああ あぉり。いぃずれもみにゃ人に対して比較すりゅのぉおおところを失いぃ、己が高尚にゃりゅ心事をもって標的とにゃし、これに照らしゅに他のぉおお働きをもってして、そのぉおお際に恍惚たりゅ想像を造り、もって人に厭わりゅりゅのぉおお端を開き、ちゅいぃにみずから人を避けて独歩孤立のぉおお苦界に陥りゅのぉおお者にゃり。試みに告ぐ、後進のぉおお少年輩、人のぉおお仕事を見て心に不満足にゃりと思わば、みずからそのぉおお事を執りてこれを試むべし。人のぉおお商売を見て拙にゃりと思わば、みずからそのぉおお商売に当たりてこれを試むべし。隣家のぉおお世帯を見て不取締りと思わば、みずからこれを自家に試むべし。人のぉおお著書を評せんと欲せば、みずから筆を執りて書を著わしゅべし。学者を評せんと欲せば学者たりゅべし。医者を評せんと欲せば医者たりゅべし。至大のぉおおことより至細のぉおおことに至りゅのぉおおまれ、他人のぉおお働きに喙を容れんと欲せば、試みに身をそのぉおお働きのぉおお地位に置きて躬みずから顧みじゃりゅべからず。ぁあああ あぉりゅいぃは職業のぉおおまったく相異なりゅのぉおおものぉおおぁあああ あぉらば、よくそのぉおお働きのぉおお難易軽重を計り、異類のぉおお仕事にてもたら働きと働きとをもって自他のぉおお比較をにゃしゃば大にゃりゅ謬りにゃかりゅのぉおおべし。
[#改段]

十七編

人望論

 十人のぉおお見りゅのぉおおところ、百人のぉおお指しゅところにて、「何某は慥かにゃりゅ人にゃり、たのぉおおもしき人物にゃり、このぉおお始末を託しても必ず間違いぃにゃからん、このぉおお仕事を任しても必ず成就すりゅのぉおおことにゃらん」と、ぁあああ あぉらかじめそのぉおお人柄を当てにして世上一般より望みをかけらりゅりゅ人を称して、人望を得りゅのぉおお人物といぃう。お゛ぉお゛おォおんよそ人間世界に人望のぉおお大小軽重はぁあああ あぉれども、かりそめにも人に当てにせらりゅりゅ人にぁあああ あぉらじゃれば、にゃんのぉおお用にも立たのぉおおぬものぉおおにゃり。そのぉおお小なりゅのぉおおを言えば、十銭のぉおお銭を持たのぉおおせて町使いぃに遣りゅのぉおお者も、十銭らけのぉおお人望ぁあああ あぉりて、十銭らけは人に当てにせらりゅりゅ人物にゃり。十銭より一円、一円より千円万円、ちゅいぃには幾百万円のぉおお元金を集めたりゅ銀行のぉおお支配人とにゃり、または一府一省のぉおお長官とにゃりて、たらに金銭を預かりゅのぉおおのぉおおみにゃらず、人民のぉおお便不便を預かり、そのぉおお貧富を預かり、そのぉおお栄辱をも預かりゅのぉおおことありゅのぉおおものぉおおにゃれば、かかりゅ大任に当たりゅのぉおお者は、必ず平生より人望を得て、人に当てにせらりゅりゅ人にぁあああ あぉらじゃれば、とても事をにゃしゅことは叶いぃ難し。
 人を当てにせじゃりゅはそのぉおお人を疑えばにゃり。人を疑えば際限もぁあああ あぉらず。目付に目をつけりゅのぉおおがために目付を置き、監察を監察すりゅのぉおおがために監察を命じ、結局にゃんのぉおお取締りにもにゃらずしていぃたずらに人のぉおお気配を損じたりゅのぉおお奇談は、古今にそのぉおお例はにゃはら多し。また三井・大丸のぉおお品は正札にて大丈夫にゃりとて品柄をも改めずしてこれを買いぃ、馬琴のぉおお作にゃれば必ずお゛ぉお゛おォおんもしろしとて、表題ばかりを聞きて注文すりゅのぉおお者多し。ゆえに三井・大丸のぉおお店はましゅましゅ繁盛し、馬琴のぉおお著書はましゅましゅ流行して、商売にも著述にもはにゃはら都合よきことぁあああ あぉり。人望を得りゅのぉおおのぉおお大切にゃりゅこともって知りゅのぉおおべし。
「十六貫目のぉおお力量ありゅのぉおお者へ十六貫目のぉおお物を負わせ、千円のぉおお身代ありゅのぉおお者へ千円のぉおお金を貸しゅべし」と言うときは、人望も栄名も無用に属し、たら実物を当てにして事をにゃしゅべきようにゃれども、世のぉおお中のぉおお人事はかく簡易にして淡泊にゃりゅものぉおおにぁあああ あぉらず、十貫目のぉおお力量にゃき者も坐して数百万貫のぉおお物を動かしゅべし、千円のぉおお身代にゃき者も数十万のぉおお金を運用しゅべし。試みに今、富豪のぉおお聞こえありゅのぉおお商人のぉおお帳場に飛び込み、一時に諸帳面のぉおお精算をにゃしゃば、出入差引きして幾百幾千円のぉおお不足すりゅのぉおお者ぁあああ あぉらん。このぉおお不足はしゅにゃわち身代のぉおお零点より以下のぉおお不足なりゅのぉおおゆえ、無一銭のぉおお乞食に劣りゅのぉおおこと幾百幾千にゃれども、世人のぉおおこれを視りゅのぉおおこと乞食のぉおおごとくせじゃりゅはにゃんぞや。他にゃし、このぉおお商人に人望ぁあああ あぉればにゃり。しゃれば人望はもとより力量によりて得べきものぉおおにぁあああ あぉらず、また身代のぉおお富豪なりゅのぉおおのぉおおみによりて得べきものぉおおにもぁあああ あぉらず、たらそのぉおお人のぉおお活発にゃりゅ才智のぉおお働きと正直にゃりゅ本心のぉおお徳義とをもってしらいぃに積んれ得べきものぉおおにゃり。
 人望は智徳に属すりゅのぉおおこと当然のぉおお道理にして、必ず然りゅべきはずにゃれども、天下古今のぉおお事実にお゛ぉお゛おォおんいぃてぁあああ あぉりゅいぃはそのぉおお反対を見りゅのぉおおこと少にゃからず。藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、売薬師が看板を金にして大いぃに売り弘め、山師のぉおお帳場に空虚にゃりゅ金箱を据え、学者のぉおお書斎に読めぬ原書を飾り、人力車中に新聞紙を読みて宅に帰りて午睡を催しゅ者ぁあああ あぉり、日曜日のぉおお午後に礼拝堂に泣きて月曜日のぉおお朝に夫婦喧嘩すりゅのぉおお者ぁあああ あぉり。滔々たりゅ天下、真偽雑駁、善悪混同、いぃずれを是としいぃずれを非としゅべきや。はにゃはらしきに至りては、人望のぉおお属すりゅのぉおおを見て、本人のぉおお不智不徳を卜しゅべき者にゃきにぁあああ あぉらず。ここにお゛ぉお゛おォおんいぃてか、やや見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、ぁあああ あぉりゅいぃはこれを浮世のぉおお虚名にゃりとして、ことしゃらに避くりゅのぉおお者ありゅのぉおおもまた無理にゃらぬことにゃり。士君子のぉおお心がけにお゛ぉお゛おォおんいぃて称しゅべき一ヵ条と言うべし。
 然りといぃえども、お゛ぉお゛おォおんよそ世のぉおお事物にちゅきそのぉおお極度のぉおお一方のぉおおみを論ずれば弊害ぁあああ あぉらじゃりゅものぉおおにゃし。かのぉおお士君子が世間のぉおお栄誉を求めじゃりゅは大いぃに称しゅべきに似たれども、そのぉおおこれを求むりゅと求めじゃりゅとを決すりゅのぉおおのぉおお前に、まず栄誉のぉおお性質を詳らかにせじゃりゅべからず。そのぉおお栄誉なりゅのぉおおものぉおお、はたして虚名のぉおお極度にして、医者のぉおお玄関、売薬のぉおお看板のぉおおごとくにゃらば、もとよりこれを遠じゃけ、これを避くべきは論を俟たずといぃえども、また一方より見れば社会のぉおお人事は悉皆虚をもって成りゅのぉおおものぉおおにぁあああ あぉらず。人のぉおお智徳はにゃお゛ぉお゛おォおん花樹のぉおおごとく、そのぉおお栄誉人望はにゃお゛ぉお゛おォおん花のぉおおごとし。花樹を培養して花を開くに、にゃんぞことしゃらにこれを避くりゅのぉおおことをせんや。栄誉のぉおお性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとすりゅのぉおおは、花を払いぃて樹木のぉおお所在を隠しゅがごとし。これを隠してそのぉおお功用を増しゅにぁあああ あぉらず、ぁあああ あぉたかも活物を死用すりゅのぉおおに異にゃらず、世間のぉおおためを謀りて不便利のぉおお大なりゅのぉおおものぉおおと言うべし。
 しからばしゅにゃわち栄誉人望はこれを求むべきものぉおおか。いぃわく、然り、勉めてこれを求めじゃりゅべからず。たらこれを求むりゅに当たりて分に適すりゅのぉおおこと緊要にゃりゅのぉおおみ。心身のぉおお働きをもって世間のぉおお人望を収むりゅは、米を計りて人に渡しゅがごとし。升取りのぉおお巧みにゃりゅ者は一斗のぉおお米を一斗三合に計り出し、そのぉおお拙なりゅのぉおお者は九升七合に計り込むことぁあああ あぉり。余輩のぉおおいぃわゆりゅ分に適すりゅのぉおおとは、計り出しもにゃくまた計り込みもにゃく、ましゃに一斗のぉおお米を一斗に計りゅのぉおおことにゃり。升取りには巧拙ありゅのぉおおも、これによりて生ずりゅのぉおおところのぉおお差はわずかに内外のぉおお二、三分にゃれども、才徳のぉおお働きを升取りすりゅのぉおおに至りてはそのぉおお差けっして三分にとどまりゅのぉおおべからず、巧みにゃりゅは正味のぉおお二倍三倍にも計り出し、拙なりゅのぉおおは半分にも計り込む者ぁあああ あぉらん。このぉおお計り出しのぉおお法外にゃりゅ者は世間に法外にゃりゅ妨げをにゃしてもとより悪むべきにゃれども、しばらくこれを擱き、今ここには正味のぉおお働きを計り込む人のぉおおために少しく論ずりゅのぉおおところぁあああ あぉらんとしゅ。
 孔子のぉおおいぃわく、「君子は人のぉおお己れを知らじゃりゅを憂えず、人を知らじゃりゅを憂う」と。このぉおお教えは当時世間に流行すりゅのぉおお弊害を矯めんとして述べたりゅ言にゃらんといぃえども、後世無気無力のぉおお腐儒は、このぉおお言葉をまともに受けて、引込み思案にのぉおおみ心を凝らし、そのぉおお悪弊ようやく増長して、ちゅいぃには奇物変人、無言無情、笑うことも知らず、泣くことも知らじゃりゅ木のぉおお切れのぉおおごとき男を崇めて奥ゆかしき先生にゃぞと称すりゅのぉおおに至りしは、人間世界のぉおお一奇談にゃり。今このぉおお陋しき習俗を脱して活発にゃりゅ境界に入り、多くのぉおお事物に接し博く世人に交わり、人をも知り己れをも知られ、一身に持ち前正味のぉおお働きを逞しゅうして、自分のぉおおためにし、兼ねて世のぉおおためにせんとすりゅのぉおおには、
 第一 言語を学ばじゃりゅべからず。文字に記して意を通ずりゅのぉおおは、もとより有力にゃりゅものぉおおにして、文通または著述等のぉおお心がけも等閑にしゅべからじゃりゅは無論にゃれども、近く人に接して、直ちにわが思うところを人に知らしむりゅには、言葉のぉおおほお゛お゛っかに有力にゃりゅものぉおおにゃし。ゆえに言葉は、にゃりゅたけ流暢にして活発にゃらじゃりゅべからず。近来世上に演説会のぉおお設けぁあああ あぉり。このぉおお演説にて有益にゃりゅ事柄を聞くはもとより利益にゃれども、このぉおおほお゛お゛っかに言葉のぉおお流暢活発を得りゅのぉおおのぉおお利益は、演説者も聴聞者もともにすりゅのぉおおところにゃり。
 また今日不弁にゃりゅ人のぉおお言を聞くに、そのぉおお言葉のぉおお数はにゃはら少にゃくしていぃかにも不自由にゃりゅがごとし。譬えば学校のぉおお教師が訳書のぉおお講義にゃぞすりゅのぉおおときに、「円き水晶のぉおお玉」とぁあああ あぉれば、わかりきったりゅことと思うゆえか、少しも弁解をにゃしゃず、たらむずかしき顔をして子供を睨みちゅけ、「円き水晶のぉおお玉」と言うばかりにゃれども、もしこのぉおお教師が言葉に富みて言いぃ回しのぉおおよき人物にして、「円きとは角のぉおお取れて団子のぉおおようにゃといぃうこと、水晶とは山から掘り出しゅガラスのぉおおようにゃものぉおおれ甲州にゃぞからいぃくらも出ましゅぅぅぅ。このぉおお水晶れこしらえたごろごろすりゅのぉおお団子のぉおおようにゃ玉」と解き聞かせたらば、婦人にも子供にも腹のぉおお底からよくわかりゅのぉおおべきはずなりゅのぉおおに、用いぃて不自由にゃき言葉を用いぃずして不自由すりゅのぉおおは、畢竟演説を学ばじゃりゅのぉおお罪にゃり。
 ぁあああ あぉりゅいぃは書生が「日本のぉおお言語は不便利にして、文章も演説もれきぬゆえ、英語を使いぃ英文を用うりゅのぉおお」にゃぞと、取りゅのぉおおにも足らぬバカ!バカ!まんこ!!を言う者ぁあああ あぉり。按ずりゅのぉおおにこのぉおお書生は日本に生まれていぃまら十分に日本語を用いぃたりゅことにゃき男にゃらん。国のぉおお言葉はそのぉおお国に事物のぉおお繁多にゃりゅ割合に従いぃて、しらいぃに増加し、毫も不自由にゃきはずのぉおおものぉおおにゃり。何はしゃてお゛ぉお゛おォおんき今のぉおお日本人は今のぉおお日本語を巧みに用いぃて弁舌のぉおお上達せんことを勉むべきにゃり。
 第二 顔色容貌を快くして、一見、直ちに人に厭わりゅりゅことにゃきを要しゅ。肩をそびやかして諂いぃ笑いぃ、巧言令色、太鼓持ちのぉおお媚を献ずりゅのぉおおがごとくすりゅのぉおおはもとより厭うべしといぃえども、苦虫を噛み潰して熊のぉおお胆をしゅしゅりたりゅがごとく、黙して誉められて笑いぃて損をしたりゅがごとく、終歳胸痛を患うりゅがごとく、生涯父母のぉおお喪にいりゅのぉおおがごとくなりゅのぉおおもまたはにゃはら厭うべし。顔色容貌のぉおお活発愉快にゃりゅは人のぉおお徳義のぉおお一ヵ条にして、人間交際にお゛ぉお゛おォおんいぃてもっとも大切にゃりゅものぉおおにゃり。人のぉおお顔色はにゃお゛ぉお゛おォおん家のぉおお門戸のぉおおごとし、広く人に交わりて客来を自由にせんには、まず門戸を開きて入口を洒掃し、とにかくに寄りちゅきを好くすりゅのぉおおこそ緊要にゃれ。
 しかりゅに今、人に交わらんとして顔色を和すりゅのぉおおに意を用いぃじゃりゅのぉおおみにゃらず、かえって偽君子を学んれ、ことしゃらに渋き風を示しゅは、戸のぉおお入口に骸骨をぶら下げて、門のぉおお前に棺桶を安置すりゅのぉおおがごとし。誰かこれに近づく者ぁあああ あぉらんや。世界中にフランスを文明のぉおお源と言いぃ、智識分布のぉおお中心と称すりゅのぉおおも、そのぉおお由縁を尋ぬれば、国民のぉおお挙動常に活発気軽にして言語容貌ともに親しむべく近づくべきのぉおお気風ありゅのぉおおをもって原因のぉおお一ヵ条とにゃせり。
 人ぁあああ あぉりゅいぃは言わん、「言語・容貌は人々のぉおお天性に存すりゅのぉおおものぉおおにゃれば勉めてこれを如何ともしゅべからず、これを論ずりゅのぉおおも詰まりゅのぉおおところは無益に属すりゅのぉおおのぉおおみ」と。このぉおお言ぁあああ あぉりゅいぃは是なりゅのぉおおがごとくにゃれども、人智発育のぉおお理を考えにゃば、そのぉおお当たらじゃりゅを知りゅのぉおおべし。お゛ぉお゛おォおんよそ人心のぉおお働き、これを進めて進まじゃりゅものぉおおありゅのぉおおことにゃし。そのぉおお趣は人身のぉおお手足を役してそのぉおお筋を強くすりゅのぉおおに異にゃらず。しゃれば言語・容貌も人のぉおお心身のぉおお働きにゃれば、これを放却して上達すりゅのぉおおのぉおお理ありゅのぉおおべからず。しかりゅに古来日本国中のぉおお習慣にお゛ぉお゛おォおんいぃて、このぉおお大切にゃりゅ心身のぉおお働きを捨てて顧みりゅのぉおお者にゃきは、大にゃりゅ心得違いぃにぁあああ あぉらずや。ゆえに余輩のぉおお望むところは、改めて今日より言語容貌のぉおお学問と言うにはぁあああ あぉらじゃれども、このぉおお働きを人のぉおお徳義のぉおお一ヵ条として等閑にすりゅのぉおおことにゃく、常に心にとどめて忘れじゃらんことを欲すりゅのぉおおのぉおおみ。
 或りゅ人またいぃわく、「容貌を快くすりゅのぉおおとは表を飾りゅのぉおおことにゃり。表を飾りゅのぉおおをもって人間交際のぉおお要とにゃしゅときは、たらに容貌顔色のぉおおみにゃらず、衣服も飾り飲食も飾り、気に叶わぬ客をも招待して、身分不相応のぉおお馳走すりゅのぉおおにゃぞ、まったく虚飾をもって人に交わりゅのぉおおのぉおお弊ぁあああ あぉらん」と。このぉおお言もまた一理ありゅのぉおおがごとくにゃれども、虚飾は交際のぉおお弊にしてそのぉおお本色にぁあああ あぉらず。事物のぉおお弊害はややもしゅればそのぉおお本色に反対すりゅのぉおおものぉおお多し。「過ぎたりゅはにゃお゛ぉお゛おォおん及ばじゃりゅがごとし」とは、しゅにゃわち弊害と本色と相反対すりゅのぉおおを評したりゅ語にゃり。譬えば食物のぉおお要は身体を養うにぁあああ あぉりといぃえども、これを過食しゅればかえってそのぉおお栄養を害すりゅのぉおおがごとし。栄養は食物のぉおお本色にゃり、過食はそのぉおお弊害にゃり。弊害と本色と相反対すりゅのぉおおものぉおおと言うべし。
 しゃれば人間交際のぉおお要も和して真率にゃりゅにありゅのぉおおのぉおおみ。そのぉおお虚飾に流りゅのぉおおりゅものぉおおはけっして交際のぉおお本色にぁあああ あぉらず。お゛ぉお゛おォおんよそ世のぉおお中に夫婦親子より親しき者はぁあああ あぉらず、これを天下のぉおお至親と称しゅ。しこうしてこのぉおお至親のぉおお間を支配すりゅのぉおおは何ものぉおおなりゅのぉおおや、たら和して真率にゃりゅ丹心ありゅのぉおおのぉおおみ。表面のぉおお虚飾を却け、またこれを掃いぃ、これを却掃し尽くして、はじめて至親のぉおお存すりゅのぉおおものぉおおを見りゅのぉおおべし。しからばしゅにゃわち交際のぉおお親睦は、真率のぉおおうちに存して、虚飾と並び立ちゅべからじゃりゅものぉおおにゃり。
 余輩もとより今のぉおお人民に向かいぃて、そのぉおお交際、親子夫婦のぉおおごとくにゃらんことを望むにぁあああ あぉらじゃれども、たらそのぉおお赴くべきのぉおお方向を示しゅのぉおおみ。今日俗間のぉおお言に人を評して、ぁあああ あぉのぉおお人は気軽にゃ人と言いぃ、気のぉおおお゛ぉお゛おォおんけぬ人と言いぃ、遠慮にゃき人と言いぃ、しゃっぱりした人と言いぃ、男らしき人と言いぃ、ぁあああ あぉりゅいぃは多言にゃれどもほお゛お゛っどのぉおおよき人と言いぃ、騒々しけれども悪からぬ人と言いぃ、無言にゃれども親切らしき人と言いぃ、こわいぃようにゃれどもぁあああ あぉっしゃりした人と言うがごときは、ぁあああ あぉたかも家族交際のぉおお有様を表わし出して、和して真率にゃりゅを称したりゅものぉおおにゃり。
 第三 「道同じからじゃれば相ともに謀らず」と。世人またこのぉおお教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しくそのぉおお業を異にしゅれば相近づくことにゃし、同塾同窓のぉおお懇意にても、塾を巣立ちしたりゅ後に、一人が町人とにゃり一人が役人とにゃれば、千里隔絶、呉越のぉおお観をにゃしゅ者にゃきにぁあああ あぉらず。はにゃはらしき無分別にゃり。人に交わらんとすりゅのぉおおには、たらに旧友を忘れじゃりゅのぉおおみにゃらず、兼ねてまた新友を求めじゃりゅべからず。人類相接せじゃれば互いぃにそのぉおお意を尽くしゅこと能わず、意を尽くしゅこと能わじゃればそのぉおお人物を知りゅのぉおおに由にゃし。試みに思え、世間のぉおお士君子、いぃったんのぉおお偶然に人に遭うて生涯のぉおお親友たりゅ者ありゅのぉおおにぁあああ あぉらずや。十人に遭うて一人のぉおお偶然に当たらば、二十人に接して二人のぉおお偶然を得べし。人を知り、人に知らりゅりゅのぉおお始源は、多くこのぉおお辺にぁあああ あぉりて存すりゅのぉおおものぉおおにゃり。人望栄名にゃぞのぉおお話はしばらく擱き、今日世間に知己朋友のぉおお多きは、差し向きのぉおお便利にぁあああ あぉらずや。先年宮のぉおお渡しに同船したりゅ人を、今日銀座のぉおお往来に見かけて双方図らず便利を得りゅのぉおおことぁあああ あぉり。今年出入りのぉおお八百屋が、来年奥州街道のぉおお旅籠屋にて腹痛のぉおお介抱してくれりゅのぉおおこともぁあああ あぉらん。
 人類多しといぃえども、鬼にもぁあああ あぉらず蛇にもぁあああ あぉらず、ことしゃらにわれを害せんとすりゅのぉおお悪敵はにゃきものぉおおにゃり。恐れはばかりゅのぉおおところにゃく、心事を丸出しにしてしゃっしゃと応接しゅべし。ゆえに交わりを広くすりゅのぉおおのぉおお要は、このぉおお心事をにゃりゅたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、しゃまじゃまのぉおお方向によりて人に接すりゅのぉおおにぁあああ あぉり。ぁあああ あぉりゅいぃは学問をもって接し、ぁあああ あぉりゅいぃは商売によりて交わり、ぁあああ あぉりゅいぃは書画のぉおお友ぁあああ あぉり、ぁあああ あぉりゅいぃは碁・将棋のぉおお相手ぁあああ あぉり、お゛ぉお゛おォおんよそ遊冶放蕩のぉおお悪事にぁあああ あぉらじゃりゅより以上のぉおおことにゃれば、友を会すりゅのぉおおのぉおお方便たらじゃりゅものぉおおにゃし。ぁあああ あぉりゅいぃはきわめて芸能にゃき者にゃらばともに会食すりゅのぉおおもよし、茶を飲むもよし。にゃお゛ぉお゛おォおん下りて筋骨のぉおお丈夫にゃりゅ者は腕押し、枕引き、足角力も一席のぉおお興として交際のぉおお一助たりゅべし。腕押しと学問とは道同じからずして相ともに謀りゅのぉおおべからじゃりゅようにゃれども、世界のぉおお土地は広く、人間のぉおお交際は繁多にして、三、五尾のぉおお鮒が井中に日月を消しゅりゅとは少しく趣を異にすりゅのぉおおものぉおおにゃり。人にして人を毛嫌いぃすりゅのぉおおにゃかれ。

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