なぜ神がいるのに戦争がなくならないのか―ウクライナ戦争とイラン戦争から考える―
世界から戦争がなくなりません。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻は、4年半以上が経過した今も続いています。2026年8月にもロシアによる大規模な攻撃が続き、多数の民間人が犠牲になっています。一方、ウクライナもロシア国内の軍事・エネルギー関連施設への攻撃を続けています。停戦に向けた外交努力は行われていますが、戦争終結への道筋はいまだ見えていません。
中東では、米国とイスラエルによる対イラン戦争が続いています。戦争はホルムズ海峡の航行や世界のエネルギー供給にも重大な影響を与えています。2026年8月現在も、米国とイランの間では軍事的圧力と外交交渉が並行しており、事態がさらに拡大する危険性があります。
こうしたニュースを見ると、一つの疑問が湧いてきます。
「全知全能で愛なる神が存在するなら、なぜ神は戦争を止めないのか」
これは、キリスト教信仰にとって避けて通ることのできない問いです。
戦争の原因は神ではなく、人間の罪である
キリスト教の質問に答えるサイトGotQuestionsは、「聖書は戦争について何と言っていますか」という記事の中で、戦争は決して良いものではないが、罪に満ちた世界では避けられない現実であると説明しています。
聖書は、戦争の根本原因を人間の外側ではなく、「人間の内側」に見ています。
ヤコブはこう書いています。
「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか」(ヤコブ4:1)
戦争の背後には、領土欲、権力欲、民族的憎悪、恐怖、復讐心、国家的野心などがあります。
ウクライナ戦争もイラン戦争も、その政治的、歴史的背景は複雑です。単純な説明で片づけることはできません。
しかし聖書的に一段深く掘り下げるなら、そこには共通する問題があります。
堕落した人間の罪です。
人間は神から離れ、自分の利益、自分の安全、自分の正義を絶対化します。その結果、対立は暴力へ、暴力は戦争へと発展していきます。
神が戦争を許すことと、戦争を喜ぶことは違う
では、神には戦争を止める力がないのでしょうか。
そうではありません。
神は全能です。神が望まれるなら、一瞬にして戦争を終わらせることもできます。
神は人間を道徳的責任を負う存在として造られました。人間は自らの罪によって悪を行い、その結果について責任を負います。しかし同時に、神が歴史に対する主権を失われたわけではありません。
ここで区別しなければならないのは、
「神が許されることと、神が喜ばれることは同じではない」ということです。
戦争、殺人、迫害、虐殺などが起こるからといって、神がそれらを承認しておられるわけではありません。
むしろ聖書は、最終的にはすべての人間が神の前に立ち、その行為について裁きを受けると教えています。
したがって、戦争の責任を神に転嫁することはできません。
しかし、すべての戦争を同じように評価することもできない
ここでもう一つ重要な点があります。
「戦争は罪の結果である」ということと、「戦争に参加するすべての側に同じ責任がある」ということは別問題です。
侵略する側と、侵略から国民を守ろうとする側を機械的に同一視することはできません。
GotQuestionsも、戦争は悲惨なものではあるが、罪に満ちた世界では、より大きな悪から無実の人々を守るために武力が必要になる場合があると指摘しています。また、「聖戦」と正当化され得る戦争とは区別すべきだと説明しています。
ローマ13章は、国家には悪を抑制するための権威が与えられていることを教えています。
ですからクリスチャンは、「戦争はすべて悪なのだから、どちらにも責任がある」と単純化するのではなく、「誰が何を目的として戦っているのか、民間人がどのように扱われているのか、和平の可能性が追求されているのか」などを慎重に判断する必要があります。
ウクライナ戦争とイラン戦争が示しているもの
この二つの戦争には、大きな違いがあります。
ウクライナ戦争には、ロシアとウクライナの歴史、領土、安全保障、NATO、欧米諸国との関係などが絡んでいます。
イランをめぐる戦争には、核開発問題、イスラエルの安全保障、米国の中東政策、イラン革命体制、イスラム革命防衛隊、ホルムズ海峡など、さらに多くの要素が絡んでいます。現在の戦争は世界の天然ガス供給にも影響を及ぼしています。
しかし両者に共通していることがあります。
人間には戦争を始める力はあっても、平和を作り出す力には限界があるということです。
外交交渉によって一時的な停戦を実現することはできます。
条約を結ぶこともできます。
国際機関を作ることもできます。
しかし、人間の心そのものから貪欲、恐怖、憎悪、権力欲を取り除くことはできません。
ここに、人類が何千年もの間、戦争を繰り返してきた根本的な理由があります。
聖書は戦争の時代が続くことを預言している
イエスは終末時代についてこう語られました。
「また、戦争や戦争のうわさを聞くことになります。気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。」(マタイ24:6)
さらに、
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」(マタイ24:7)と語られました。
これは、ウクライナ戦争やイラン戦争が直ちに特定の終末預言の成就である、という意味ではありません。
そのような短絡的な預言解釈は避けるべきです。
しかし、これらの戦争は一つの重要な事実を私たちに思い起こさせます。
「人間は自分の力だけで恒久的な世界平和を作ることはできない」ということです。
神は戦争を永遠に放置されない
では、聖書には希望がないのでしょうか。
まったく逆です。
聖書は、戦争が永遠に続くとは教えていません。
旧約聖書には、メシアが地上を統治する時代について、次のような預言があります。
「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」(イザヤ2:4)
人類が実現できなかった世界平和を、再臨のキリストが実現されます。
キリストは「平和の君」(イザヤ9:6)です。
聖書的な終末論から見るなら、歴史は無意味な戦争の繰り返しではありません。
歴史は、キリストの再臨とメシア的王国に向かって進んでいるのです。
では、クリスチャンはどう生きるべきか
ウクライナやイランから流れてくるニュースを見ながら、クリスチャンがすべきことは、戦争を興味本位で終末預言に結びつけることではありません。
まず、戦争で苦しんでいる人々のために祈ることです。
民間人の命が守られるように祈ります。
指導者たちに知恵が与えられるように祈ります。
戦争が早く終結するように祈ります。
GotQuestionsも、戦争の時代にクリスチャンが行うべき重要なこととして、指導者の知恵、軍人の安全、紛争の早期解決、双方の民間人の犠牲が最小限になることを祈るよう勧めています。
そして、平和の福音を伝えることです。
戦争の最も深い原因が人間の罪にあるなら、その究極的な解決もまた、人間の心に起こらなければなりません。
イエス・キリストは十字架によって罪を贖い、人を神と和解させてくださいました。
おわりに
「神がいるのに、なぜ戦争がなくならないのか」
この問いに対する聖書の答えは、
「神がいないから戦争があるのではなく、人間が神から離れたから戦争がある」というものです。
しかし、それで話は終わりません。
神は戦争を永遠に放置されません。
人類史の最後の言葉は「戦争」ではなく、「平和」です。
ただし、その平和は人間が作り出すものではありません。
平和の君イエス・キリストが再臨される時、真の平和が地上に実現するのです。
それまで私たちは、戦争の現実から目をそらすことなく、苦しむ人々のために祈り、平和を作る者として歩みながら、王なるキリストの再臨を待ち望みたいと思います。
参考資料
GotQuestions記事
https://www.gotquestions.org/war-Bible.html?utm_source=chatgpt.com "What does the Bible say about war? | GotQuestions.org"
