※2026年7月18日 6:33時点
弁道生活は順調に流れ、「正法眼蔵」の執筆も進んだ。が、男女や身分による差別を否定する教えに、比叡山の弾圧は日に日に激しくなる。道元はついに京を去って、越前志比庄に下ることを決意。新たに建てた修行道場を、この国に真の仏法が第一歩を記したことを意味する「永平寺」と名づけた。日本曹洞宗の開祖・道元の人間と思想の全貌に迫り、その生涯を描ききった記念碑的大河小説。
※2026年7月15日 12:32時点
宋の天童寺で念願の師・如浄和尚に出会い修行に励んだ道元は、心身脱落の境地を得て嗣書をさずかり印可を受けた。帰朝すると、ひたすら坐禅を行なう只管打坐によって悟りを目指すその教えを慕い、のちに永平寺二世を継ぐ懐奘らが入門してくる。道元は安嘉門院邦子内親王らの援助を得て、京都深草に興聖寺を建立。初めて自らの道場で、多くの弟子や信者を前に説法をするのだった。
※2026年7月26日 18:32時点
源平戦乱の余燼さめやらぬ鎌倉初期、京都の摂関家・藤原基房の娘伊子を母に、村上源氏の流れを汲む名門家の歌人・久我通具を父に生まれた道元は、瞳が二重の「重瞳の子」のため天下人か大聖人になるとの予言を受ける。幼少のうちに母を失い世の無常を身に染みて感じた道元は、真実の道を求めて出家。建仁寺で栄西の弟子・明全に師事したが、正法を求める思い止み難く宋へと向かった。
※2026年7月19日 14:33時点
このようにして私の『道元禅師における問題シリーズ』は、「仏性」究尽を根底と云うか基軸として、「因果」→ 「修証」→はては「仏身の問題」まで発展して、それは遂に本尊論にまで到って熄むことになったのである。 従って、それぞれ掲げた「因果」「修証」「仏身」の題目は、一貫して「仏性」を基軸に、統括されているのを理会して欲しい。
※2026年8月18日 9:31時点
「泉鏡花文学賞・親鸞賞受賞」 日本曹洞宗の開祖・道元は真実の求法の地を求め,ついにその理想の場所を北陸の地に見出す。永平寺建立,『正法眼蔵』大成に至る,記念碑的長編小説完結篇。
※2026年7月16日 7:33時点
「泉鏡花文学賞・親鸞賞受賞」 日本から中国へ,膨大な取材と9年にわたる執筆。これまで至難とされた人間道元の実像と思想の全貌に迫る立松和平渾身の記念碑的作品。
※2026年8月29日 11:33時点
※2026年7月20日 23:32時点
道元禅師の思想を「21世紀の宗教」として現代・未来に生かすことを念願とし,研究と修行に生涯をかけた著者の偉業が,遺稿集刊行後発見された論考五篇の中に甦る。
※2026年8月16日 9:32時点
日本曹洞宗の開祖・道元の伝記には未解明の部分が多い.本書は『永平寺三大尊行状記』『建撕(ぜい)記』など伝記史料を精緻に読みこみ,かつ中世社会の実情を斟酌して,道元の出自や北越行の事情などを大胆に解明する.
※2026年7月26日 18:31時点