修道士たちの祈りと「生命の水」。薬草系リキュールがもたらす癒やしのルーツ | ルーツを食べる。 #10
バーの薄暗いカウンターに座り、バックバー(背面棚)を眺めるのが好きです。
スコッチウイスキーやジンの堂々としたボトルの並びに混じって、ひっそりと、けれど強烈な存在感を放つ色鮮やかなボトルたちがあります。エメラルドグリーンや琥珀色、そして深紅色をした不思議な装飾の小瓶。それらは総じて「薬草系リキュール(ハーブリキュール)」と呼ばれています。
以前、当マガジンの『Alcohol Diary』で、Kさんが薬草系リキュールの強烈な苦味と快楽性について熱く綴られていましたね。「Kさんもついにこの世界に行っていたか」と嬉しくなりつつ、よく見るとKさんはあの記事でフェルネット・ブランカの深淵について語りながら、別の機会にはシャルトリューズの複雑さについても漏らしており、「フェルネットとシャルトリューズ、Kさんどっちも書いてるな」と思わず笑ってしまいました。
Kさんが「大人の階段の上にだけ存在する」と評し、能動的な快楽として向き合ったその奥深い世界。彼のアプローチには遠く及びませんが、私もすっかりその魅力に触発されてしまい、今日は食後の一杯にと、緑色の美しい「シャルトリューズ・ヴェール」を頼んでみたのです。
ハーブやスパイスの複雑な苦味と甘味を持つこの不思議な液体ですが、実はそのルーツを探ると、嗜好品としてのお酒というよりも「お薬」としての深く尊い歴史に行き着くのです。
修道院で生まれた「長寿の霊薬」
薬草系リキュールの歴史は、中世ヨーロッパの修道院にまで遡ります。
当時の修道院は、単なる祈りの場であると同時に、最先端の学問や医学の中心地でもありました。古代ギリシャやローマから伝わる植物学や薬学の文献を正しく読み解けるのは一部の修道士だけであり、彼らは敷地内の薬草園(ハーブガーデン)で多種多様な植物を育てていました。
その目的は、巡礼の途中で倒れた旅人や、病気を抱えた近隣の人々を無償で治療すること。修道院は、地域における「病院」のような役割を果たしていたのです。そこに、中東の錬金術師たちから「蒸留」という高度な技術がもたらされます。
修道士たちは、薬草の有効成分を高アルコールのスピリッツに抽出することで、健康促進や疲労回復のための「生命の水(アクア・ヴィテ)」を作り出しました。これが現代の薬草系リキュールの直接の祖先です。ペストなどの伝染病が猛威を振るい、衛生状態も悪かった時代。ハーブのもつ抗菌作用や消化促進作用が溶け込んだこの液体は、まさに奇跡の薬「長寿の霊薬(エリクサー)」として人々にすがりつかれたことでしょう。
参考:Kräuter Haus(クラウターハウス)「ハーブリキュールのお話」
中世ヨーロッパの修道院では、修道士たちが薬草の知識と蒸留技術を用いて「長寿の霊薬」や万能薬を作り出しました。修道院リキュールの最高峰と言われるフランスの「シャルトリューズ」などは、現在でもその秘伝のレシピが修道士たちによって守られています。(※要約)
守り抜かれる秘密と、祈りのレシピ
薬草系リキュールの中でも最高峰とされる「シャルトリューズ」の歴史は、さらに神秘的です。
1605年にフランスのカルトジオ会修道院に、ある書物が持ち込まれました。そこに記されていたのは「長寿の霊薬」のあまりにも複雑なレシピ。修道士たちは長い年月をかけてこれを解読し、130種類以上ものハーブやスパイスを調合して、ついに至高の液体を完成させました。
驚くべきことに、そのシャルトリューズの完全なレシピ(どのハーブを、どのタイミングで、どれだけ調合するか)は、現在でも世界でたった二人の修道士しか知らないと言われています。彼らが万が一同時に命を落とすことがないよう、決して同じ車や飛行機には乗らないという徹底した秘密主義が貫かれているそうです。
また、1510年にベネディクト派の修道士ベルナルド・ヴィンチェリによって発明された「ベネディクティン」のラベルには、「D.O.M.(Deo Optimo Maximo = 至高にて最大の神へ)」というラテン語の捧げ言葉が刻まれています。
現在、私たちがバーで何気なく飲んでいるこれらの一杯は、もともとは病に苦しむ人々を癒やし、神へ捧げるための「祈りと献身の結晶」だったのですね。
おばあちゃんの戸棚と「養命酒」
「多種多様な薬草をアルコールに漬け込んで、健康を願う」という歴史を聞くと、私には強く思い出す日本の光景があります。
実家の台所、ひんやりとした風が通るおばあちゃん専用の戸棚の奥です。そこには、毎年丁寧に仕込まれる自家製の梅酒や、咳止めに効くというビワの葉酒の大きなビンが並んでいました。そしてその横には決まって、真っ赤な箱に入った「養命酒」が常備されていました。
子供の頃、あの戸棚を開けるたびに漂う、独特の漢方のような香りが少し苦手でした。「なんであんな苦くて薬くさいものを、毎日小さなグラスで大切そうに飲むんだろう?」と不思議で仕方なかったのです。
しかし、大人になり、日々の仕事で心身ともにクタクタに疲れ果てて帰宅した夜。ふと「あの体にじんわりと染み渡るような、薬草の香りが恋しい」と思う瞬間がやってきたのです。
洋の東西を問わず、人々は疲れた体を癒やし、明日も健やかに生きるために、自然の植物の力とお酒の力を借りてきたのだと、今になってようやくおばあちゃんのあの穏やかな習慣の意味が理解できました。
現代の私たちを癒やす、数百年越しの魔法
目の前に置かれた小さなグラス。鮮やかな緑色のシャルトリューズ(ヴェール)にそっと鼻を近づけます。
森の奥深くの朝露を思わせる清涼感のある香りの後に、クローブやシナモンのようなスパイシーで複雑なアロマが幾重にも重なって鼻腔を抜けていきます。
口に含むと、トロリとした強い甘味のすぐ裏に、大自然の根源的な苦味が潜んでいました。アルコール度数は55度と非常に高いのですが、その強いアルコールがハーブの成分を一気に血流に乗せ、強張っていた胃の奥をじんわりと解きほぐしていきます。
不思議と心が鎮まり、深く息を吐き出せるような「癒やし」の感覚。たった一口の中に、130種類のハーブが織りなす圧倒的な森の景色が広がっているようです。
何百年も昔、修道士たちが人々の平穏と健康を深く祈りながらすり潰した薬草の魔法は、長い時を超えて今もボトルの底で静かに生き続けています。
情報と時間に追われ、知らず知らずのうちに「毒」や疲れが溜まってしまう現代社会。たまには甘いカクテルをお休みして、先人たちの祈りが溶け込んだ薬草系のリキュールで、自分自身を優しく労ってみてはいかがでしょうか。
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