平安時代の貴族は牛の乗り物をお忍びで使っていた!?牛車の歴史を紐解く🌈
かつて平安時代に、貴族が宮中や恋人のもとへ向かう際に利用していた乗り物があります。
それが、『牛車(ぎっしゃ)』という乗り物。
牛車は、車輪の付いた屋形(車箱や箱とも言う)を牛に牽かせたもので、一般に広まったのは9世紀頃。
もともと、牛車は、朝鮮半島から伝来した技術で、東宮(皇太子)・皇后・太上天皇・内親王と高級女官たちが使用し、その後、男性貴族間へと広まっていきました。
当時、男性の移動手段は騎馬がメインで、(優雅さの観点から)馬に乗って移動する女性が少なかったのが理由と考えられています。
牛車は、今走っている車と同じようにグレードがあり、どの等級の牛車を使用できるかは、それぞれの身分によって決められていました。
格下の貴族が高級牛車に乗ることはできなかったんです。
この高級牛車の中でも、特に最高級品格の牛車を『唐車(からぐるま / 唐庇車)』といいます。
唐車は、上皇・皇后・東宮・親王・摂政・関白など、極めて位の高い貴族用の乗り物。
他にも、『檳榔毛車(びろうげのくるま)』や『糸毛車』、これらよりも少しグレードの低い『網代車』などがあります。
ちなみに、半蔀車(はじとみぐるま)・八葉車・文車(もんのくるま)は、網代車の仲間です。
実は、牛車の中でも特に一般的だったのが、この『網代車』。
大臣以下の公卿が使用を許されていた乗り物です。
一般的と言っても、牛車を所有すると維持費がかかるため、中流貴族では一家に一台がやっと。
所持しているだけでも、名誉なことでした。
「網代車は、極端に高位ではない貴族でも乗ることができる」
そのため、お忍びで外出する際に自分の身分がバレないよう、わざと格下の網代車の牛車に乗って外出する貴族もいました。
この時代にも貴族のお忍び文化はあったようです。
江戸時代に入ると、荷物を運ぶ運送手段が少しずつ変わっていきます。
最初は、牛馬背・人背負・大八車・牛車が使用されていましたが、貴族の乗用車である『牛車』が徐々に衰退していきます。
当時、大津の港に荷揚げされた米などの物資は、牛車で京都まで運ばれていました。
しかし、当時の街道は土道だったため、雨が降ると、牛車の車輪が泥道に埋まり、思うように進むことができませんでした。
そこで、今から約200年前、牛車の車輪がぬかるみにはまらないよう、大津から京都間の3里(約12km)の道に、両輪の幅に合わせて2列に石を敷くという、大規模な土木工事が実施されました。
敷かれた石には、牛車の通行によって擦り減ったU字型の凹みが残されていたそうです。
それが、明治時代に入ると、牛車が完全に消えてなくなってしまいました。
この神宮創建と平安遷都を祝して、明治時代より始まった京都三大祭りの一つに『時代祭(じだいまつり)』があります。
平安神宮の例大祭に匹敵するこの年中行事の中で、当時の牛車を観ることができます。
今年の開催日は、10月22日(木)。
京都市中心部で行われる予定です。
例年どおり、平安神宮の大祭として行われ、明治維新から平安時代までの時代行列が京都を練り歩きます。
こうした歴史は、伝統によって蘇ることで、当時の面影を間近で感じることができます。
皆さんも、ぜひ訪れてみてください😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
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