珍しい姓を名乗ってみて
二十歳から三十一歳で結婚するまでの約十年間、私は母方の姓を名乗っていた。
継がねばならない諸々のややこしい事情があったからであるが、振り返ってみると別に継ごうが継ぐまいがどうでも良かったんじゃないか、という気がしている。
ただ祖父母は大変喜んだので、爺さん婆さん孝行は出来たんだろう。
この姓は非常に珍しい。日本広しと言えど、おそらく親類縁者以外には存在しないと思っている。名乗っている者は多分、両手で十分足りる数であると断言できる。
祖父母から家を継ぐことを打診された時二つ返事で了解したのは、勿論祖父母を喜ばせたい、という気持ちが一番であったが、この珍しい苗字を名乗るのはどんな気分なのだろう、という子供のような興味があったからでもあった。
そしてこんな珍しい姓を名乗った自分を、周囲の人々がどんな風に見て、どんな反応をするのか見てみたい、という浅はかな好奇心を抑えられなかったからでもあった。
いざ名乗ってみて困ったことといえば、なんと言ってもなかなか正確に覚えて頂けないことであった。
大学卒業後は営業の仕事をしていたのだが、取引先に一発で名前を憶えてもらえたためしがなかった。似たような別の姓に間違えられたりすることもしょっちゅうだった。
仕事には名刺が必須だった。初めて作ってもらった名刺にはフリガナがなかった為、初対面では殆どのお客様に
「これ、なんて読むの?」
と訊かれて、ややウンザリした。
あまりにも毎回訊かれるため、ついにフリガナをふって印刷してもらうことになった。
更に非常に難しい字が使ってあったため、自分の姓でありながら書くのに苦労した。
母や叔母は生まれた時からその姓だったから慣れていたのだろうが、二十歳までごく簡単な姓で生きてきた私にとって、この難しい姓は書く度に漢字テストを受けているような気分にさせられる難儀なものだった。
早く慣れよう、自分の苗字を自分がちゃんと正しく書けないなんて恥ずかしい、と毎日時間を作っては色々なものに何度も書いて練習した。画数が多く、バランスを取るのも難しかった為、書道の先生だった祖父にコツを伝授してもらったりもした。
こんな大人になってから、真剣に漢字の書き取り練習をすることになるとは、想像もしていなかった。
結婚が決まった後しばらくして、新しい実印を作ることになった。
その印鑑屋さんが姓名判断をしてくれたのだが、私のフルネームを聞くなり真顔になって、
「アンタ、ホンマに産まれた時からこの名前なん?」
と信じられない、という風に詰め寄られたので、いきさつを話すと
「そうやろうなあ。こんな姓と名前の組み合わせ、最悪や。最初からこれやったらアンタの親、おかしいわ。可哀想に」
と非常に同情?されてしまった。
よほどおかしな姓と名前の組み合わせになっていたらしい。
随分経ってからこのことを母に伝えたら、平謝りされてしまった。知らなかったそうだ。
反対にこの姓で良かったな、と思ったこともある。
先ず、強烈に印象に残るので、得意先に忘れられることがなかった。
間違っても
「えーっとあの人、なんていう人やったかな」
なんてならなかった。
顔は百人並みだから、印象付けたくても出来ない。けれど変わった姓であるというだけで、認知度ではライバルに一歩も二歩もリードしていたように思う。
祖父母との血のつながりをより強く感じられた、ということも大きかった。
それまでの姓は父方のものだった為、どうしても母方の家系には『母が離れた家』というイメージを持ってしまっていた。
けれど戸籍上の手続きだけではあるが、母方の姓になったことで、本当に嫁いだ母の代わりに祖父母のもとに娘として戻ったような、そんな気持ちになることができたのである。
私はこの祖父母が大好きだったし、今でも時折すぐそばに居てくれるような気がすることもあるくらいなので、継いでよかった、と心から思えている。
姓を変える時は色々と煩雑な手続きも多かったし、就活の時には興味本位としか思えない感じで理由を根掘り葉掘り尋ねられて鬱陶しい思いをしたこともあったが、今はあの姓を名乗っていた経験は、私にとって貴重なものだったと感じている。
事実婚、別居婚、夫婦別姓・・・今や色んな家の形がある。
もっと時代が進んでいけば、そのうち『姓を継ぐ』なんてことは歌舞伎だとか茶道だとかの限られたごく一部の家系にだけ、行われるものになっていくのかもしれない。
どこにでもある極めてシンプルな姓になった今、変わった姓の人間として奮闘した日々を、時折懐かしく思い出すことがある。
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