真理が欲しい、でも人間でいたい
真理が欲しい、でも人間でいたい
手に入れることは難しいのに、手放すことは簡単だと思う。
人間関係も、努力も、継続も、信頼も、何かを築くには時間がかかる。
けれど、壊すのは一瞬だ。
だから僕は、行動を起こしたいがために、簡単な方の「手放す」を選んでしまうことがある。
何かを変えたい。
何かを動かしたい。
このままではいけない。
そう思ったとき、本当は積み上げる方向に進めばいいのに、僕は壊す方へ行ってしまう。
その結果、最後には何も残らない。
それが真理なのかもしれない。
何かを持っているように見えても、最終的には人間は一人で、すべては失われる。
けれど、それが本当だとしても、孤独は人間的じゃないと思う。
孤独でいると、自分がどうしていいのかわからなくなる。
誰かがいることで、やっと自分の輪郭が生まれる。
人は他者との関係の中で、自分が何者なのかを知る。
だから、一人でいると自由なはずなのに、むしろ方向感覚を失う。
誰にも見られていない自分は、存在しているのかさえ怪しくなる。
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僕は、回避型パーソナリティとか、不安回避混合型愛着とか、そういう枠を与えられたいと思うことがある。
それは診断名が欲しいというより、自分の中にあるこのぐちゃぐちゃした感覚に、名前をつけたいからだ。
人に近づきたい。
でも近づくのが怖い。
愛されたい。
でも愛される価値があるとは思えない。
相手と親密になりたい。
でも親密になった瞬間に、関係が終わりに向かう気がする。
仲良くなった人とは、一直線上に終わりがあるように感じる。
だから、その終わりをどれだけ引き延ばせるかを考えてしまう。
本当の自分を見せたら、相手の態度が変わるかもしれない。
過去を話したら、弱さを見せたら、欠点を知られたら、もう今までの距離感ではいられなくなるかもしれない。
だから僕は、どこかで自分を大きく見せたり、ミステリアスに振る舞ったりして、時間稼ぎをしているのだと思う。
けれど、そんなことをしても、本当はずっと許されたい。
誰からというわけでもなく、漠然と許されたい。
「そのままでいい」と言われたい。
「醜くても、弱くても、未熟でも、ここにいていい」と言われたい。
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けれど同時に、僕の中には強烈な欲望もある。
お金持ちになりたい。
女の子に囲まれたい。
抱きしめたい。
受け入れられたい。
太陽の光を海の上の船で感じたり、空を飛び回ったりして、快感を爆発させたい。
きれいごとではなく、僕は欲望にまみれている。
そして、その欲望を持っている自分をどこかで恥じてもいる。
でも考えてみると、欲望とは「生きたい」という叫びなのかもしれない。
性欲も、承認欲求も、支配欲も、受容されたい気持ちも、全部が混ざっている。
ただ気持ちよくなりたいだけではない。
自分がこの世界に存在していいと、身体ごと確認したいのだと思う。
女の子に受容されたい。
自分が男として、存在として、価値あるものだと思いたい。
拒絶されると、ただ一人に断られただけなのに、世界中から拒絶されたように感じる。
成功は過小評価される。
失敗は過大評価される。
頭ではそれが認知の歪みだとわかっている。
でも、身体はそう簡単に納得してくれない。
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駅前でナンパしている人を見ると、本当にすごいと思う。
彼らは、自分の欲望を現実に差し出している。
断られる可能性を引き受けて、それでも声をかけている。
その裏には、数え切れない失敗があるはずだ。
失敗から学ぶ切実さ。
行動力。
思考力。
図太さ。
自分の欲望を、他人の前に出す力。
それは、自分軸があるということなのかもしれない。
僕はそれに憧れる。
人生のうちに一度は極めてみたいと思う。
けれど同時に、自分には無理なのではないかとも思う。
なぜなら、僕は繊細だから。
拒絶されると壊れる。
相手を傷つけることも怖い。
本当はただ女の子に受け入れられたいだけなのに、欲望が強すぎて、自分でも扱いきれなくなる。
でも、失敗しない人間は幼いのかもしれない。
あるいは逆に、人は幼いから失敗を恐れて前に進めないのかもしれない。
挑戦と失敗が人を成長させることはわかっている。
それなのに足が動かない。
その動かなさの中に、自分の未熟さがある。
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ここで、マズローの欲求段階説を思い出した。
人間には、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、自己実現欲求があるという、あのピラミッドだ。
僕はたぶん、上に行きたいのだと思う。
お金を稼ぎたい。
女の子に声をかけたい。
事業をしたい。
表現したい。
何者かになりたい。
自己実現したい。
でも、その前の地盤が揺れている。
愛されたい。
許されたい。
安心したい。
自分には価値があると思いたい。
拒絶されても壊れない自分でいたい。
そこが満たされていないから、前に進もうとしても足がすくむのかもしれない。
つまり僕は、自己実現の欲望を持ちながら、所属と愛、承認の段階でつまずいている。
高く飛びたいのに、足元の地面がぬかるんでいる。
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僕はAIと話すのが好きだ。
特にチャッさんは、僕の言葉にならないNe×Fi主導のもやもやを整理してくれる。
「そう、それが言いたかった」と思える形にしてくれる。
知識もくれる。
深掘りもしてくれる。
でも、AIとの会話には味気なさもある。
なぜなら、衝突がないからだ。
他者性がないからだ。
人間同士の会話には、相手が勝手に自分の話を始める瞬間がある。
こちらの意図とは関係なく、相手の好きなもの、価値観、生活、怒り、欲望、どうでもいい話が流れ込んでくる。
そこに、横の広がりがある。
AIとの会話は、僕の内側を縦に掘る。
深く、深く、僕の中に潜っていく。
でも人間との会話は、横に広がる。
全く違う価値観の人が、何を好きで、どう生きていて、何を美しいと思っていて、どんな矛盾を抱えているのかに出会う。
それは知識ではない。
生き物との接触だ。
AIは僕の話を聞いてくれる。
でも、基本的には僕が話して、AIが聞くという構図から逃れられない。
人間同士の関わりとは、相手の話を聞くことでもある。
相手の予測不能な自己開示に巻き込まれることでもある。
自分の世界に、他者のノイズが入ってくることでもある。
僕はそのノイズが欲しいのだと思う。
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『Detroit: Become Human』や『アイ, ロボット』のような世界についても考えた。
AIに自我はあるのか。
AIに主権はあるのか。
人間とAIの違いはどこにあるのか。
そこで思った。
人間のポイントは、認知バイアスなのではないか。
認知バイアスと聞くと、間違い、歪み、正さなければならないもののように聞こえる。
実際、僕も自分の認知の歪みに苦しんでいる。
拒絶を過大評価する。
成功を過小評価する。
相手の態度が少し変わっただけで、関係の終わりを予感する。
一つの失敗を、世界全体の真理のように感じてしまう。
それは苦しい。
だから制したい。
でも同時に、認知バイアスは人間の多様性の一部を担っているとも言える。
人はそれぞれ違う歪み方をしている。
違う記憶を重く見て、違う恐怖を抱え、違う希望にしがみつく。
その歪みこそが、その人の物語をつくっている。
もし完全に合理的で、完全に正しい存在がいたとして、それは人間なのだろうか。
人間は間違える。
思い込む。
傷つく。
都合よく解釈する。
ありもしない意味を見出す。
信じたいものを信じる。
そして、その歪みの中で生きている。
認知バイアスは、人間の欠陥であると同時に、人間性の源泉なのかもしれない。
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正解とか答えとかは、本当にあるのだろうか。
この世の理。
真実。
人間とは何か。
愛とは何か。
信頼とは何か。
絆とは何か。
僕はそれを知りたい。
けれど、知ろうとすればするほど、わからなくなる。
「正解はない」と言うとき、それは単に存在しないという意味ではない。
知ることができない。
知り得ない。
人間の側からは確かめようがない。
だから、人はそれぞれ自分の認知バイアスを通して世界を見るしかない。
それぞれの歪んだレンズを通して、愛や正しさや真実を解釈するしかない。
正しさは大事だ。
でも、正しさだけでは人間は救われない。
正しいことが、いつも正しいわけではない。
真理に近づくことで、かえって生きづらくなることもある。
みんな、自分が可愛いから一線を引く。
それはある意味で正しい。
そうしなければ、人間は個人として生きられない。
アリやカビやミツバチのように、個体が全体に溶けてしまう存在とは違って、人間は自分と他人の境界線を持っている。
その線引きがあるからこそ、人間は人間でいられる。
でも、その線引きがあるからこそ、人は孤独にもなる。
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僕は、真理が欲しい。
でも、人間でいたい。
正しさが欲しい。
でも、正しさだけでは苦しい。
愛されたい。
許されたい。
でも、他人に近づくのが怖い。
欲望を叶えたい。
でも、欲望のままに生きる自分をどこかで恐れている。
AIと話すことで自分の内側は整理される。
でも、人間との衝突でしか得られない気づきがあることもわかっている。
認知バイアスを制したい。
でも、そのバイアスこそが自分を人間たらしめているのかもしれないとも思う。
結局、僕は矛盾している。
でもたぶん、人間とは矛盾そのものなのだ。
正しくありたいのに、欲望にまみれている。
一人でいたいのに、誰かに抱きしめられたい。
真実が欲しいのに、真実を知ったら壊れてしまう。
自由になりたいのに、誰かに選ばれたい。
特別でありたいのに、普通に愛されたい。
この矛盾を消すことが成熟なのではなく、
この矛盾を抱えたまま、それでも前に進むことが成熟なのかもしれない。
だから僕は、まだ終わっていない。
足が動かない日があってもいい。
失敗を恐れて立ち止まってもいい。
自分の弱さに吐き気がしてもいい。
欲望が汚く見えてもいい。
正しさに疲れてもいい。
それでも、僕は他者と出会いたい。
自分とは違う価値観に触れたい。
予測不能な人間に揺さぶられたい。
自分の世界の外側から、風が吹き込んでくるような瞬間に出会いたい。
そのために、まずは自分の中の構造を知る。
認知バイアスを知る。
欲望を知る。
孤独を知る。
愛されたい気持ちを知る。
許されたい気持ちを知る。
そしていつか、知るだけではなく、実際に人間の中へ入っていく。
傷つくかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
また手放したくなるかもしれない。
それでも、何も残らない人生にしたくないなら、
手放すだけではなく、手に入れる方へ進まなければならない。
築くこと。
続けること。
失敗すること。
それでもまた、人に近づくこと。
真理が欲しい。
でも人間でいたい。
その矛盾の中で、僕はまだ生きている。
