【月曜日は経済・社会】大統領の「ひと言」が金融商品になる日 ——ミリ秒の狂騒と、私たちの時間
「発言」そのものが、売り物になる

先週、少し立ち止まって考えさせられるニュースが飛び込んできました。
トランプ大統領の関連企業が、SNS「Truth Social」への投稿を金融機関向けにいち早く配信する有料サービス「Truth API」を始める、というのです。
8月からの提供が予定され、すでに契約を結んだ顧客もいると報じられています。
狙いは、超高速取引を行うヘッジファンドです。
大統領のひと言が、関税や外交をめぐって世界の株価を数兆ドル規模で揺さぶることは、もはや珍しくありません。
その「市場を動かす言葉」に、ほんの数ミリ秒だけ早く触れる権利が、値札をつけて売られる。
今日はこのニュースを入り口に、少し根っこの話をしてみたいと思います。
なぜ「ミリ秒」が命取りになるのか
人間の感覚では、1ミリ秒も1秒も、大した差には思えません。
ところがウォール街では、天と地ほどの違いになります。
いまの株式市場では、ニュースをAIが自然言語処理で瞬時に読み取り、人間の判断を挟まずに自動で売買する取引が主流になっています。
例えば、「関税」「中国」といった言葉を検出し、市場にプラスかマイナスかを一瞬でスコア化し、大量の注文を叩き込む。
先に動いたプログラムが有利な価格をさらっていき、遅れて「スマホでニュースを見て驚いた」人が動く頃には、株価はもう変わりきっている、これが現在横行している取引の実情です。
そんな状況は、数ミリ秒の優位が、そのまま利益になる世界です。
だからこそ「最速の情報」に高値が付く、というワケです。
資本主義の欠陥—「すべて」に値札がつく

このニュースがざわつかせるのは、単なる金儲けの話だからではありません。
本来は社会の公器であるはずの情報や、公人の発言の重みにまで値札がつけられてしまう、その構造そのものにあると私は思います。
本来は、企業が良い製品をつくって対価を得る。
それが経済の基本のはずでした。
ところが今は、大統領の「関税」「制裁」という言葉の断片をアルゴリズムが読み取り、ミリ秒単位で利ざやを抜いていく。
これは経済への貢献というより、富の吸い上げに近いように感じます。
たしかに資本主義は、あらゆるものを「価格」に換算することを志向してきたかもしれません。
世の中には、価格にできない「価値」があるはずです。
でも、その線引きが、静かに溶けはじめている、私はそんな感覚を覚えてしまいます。
大統領制の欠陥—「性善説」という脆い土台

もうひとつ考えたいのが、世界最強とも言われる米国大統領制が、実は驚くほど個人の「倫理観」に支えられていた、という点です。
歴代の大統領は、国家の利益と自分の利益がぶつからないよう、資産を信託に預けるなどして自主的に一線を引いてきました。
権力で私腹を肥やしてはいけない、それは明文化された鉄壁のルールというより、暗黙の紳士協定、いわば性善説に近いものだった、と今にして思います。
それとは対照的に、今回のニュースは、その前提がいかに脆かったかを浮かび上がらせます。
トランプ米大統領は、同社の筆頭株主でもあり、批判の声も上がっています。
制度がどれだけ強固に見えても、そこに立つ人の在り方が変われば、あっけなく揺らぐ。
これは国家に限らず、あらゆる組織やリーダーに通じる教訓のようにも感じます。
ミリ秒の狂騒と、人間の時間

さて、では政治家ではない私たちに、いったい何ができるのでしょう。
ウォール街では1000分の1秒を奪い合い、言葉が人の手を介さずマネーに変換されていきます。
けれど、私たちの本当の豊かさは、たぶんそこにはありません。
例えば、早朝、まだ暗いうちに起きて、静かに一日の支度を整える時間。
茶道の所作のように、無駄を削ぎ落としながら「今、ここ」の一つひとつの動きに向き合う時間。
あるいは、足元にすり寄ってくる猫の体温を、ただ感じる時間。
そうした時間は、一瞬ではあっても効率とは無縁の、けれど確かに手ざわりのある時間です。
ミリ秒の世界と、この身体感覚の世界。
大事なのは、どちらが速いかではなく、どちらが豊かなのか、ということだと思っています。
私自身は、そのような問いを手放さずにいたいな、とも思います。
静かな抗いとして、書きつづける

情報とスピードに急き立てられる社会のなかで、システムに振り回されず、自分の「静かで確かな営み」を淡々と続けること。
1日1日、自分の頭で考え、言葉を紡ぐこと。
それ自体が、何でも商品化しようとする極端な資本主義への、ささやかな抗い(レジスタンス)になるのではないか——そんなふうに感じています。
抗(あらが)う、という言葉で思い出すのは、世界的な言語学者であり反戦活動家でもあるノーム・チョムスキーさんの言葉です。
彼は、ジャーナリスト浅野健一さんとの共著『抗う勇気』の中で、権力や抑圧に対する抵抗として、人類は何ができるか、という問いに対して、「ただ抗うこと、それ以外には何もありません」と述べたと言います。

たしかに、大きな主語(国家や資本主義)のバグは、簡単には直せません。
でも、自分の時間の流れを取り戻すことは、今日からでもできます。
そうした点を意識するために、まずは自分の腰骨をしっかりと立てて、自己を律して生きていく、そのような一歩が私にとっては大事なのだろう、と思っています。
ちょうど今日、拝聴した円覚寺管長の横田南嶺猊下による『臨済録』の提唱では、そのような「自己の在り方」を大事にしなければいけない教えが説かれていました。
おわりに—あなたに、ひとつの問いを
最後に、ひとつだけ問いを置かせてください。
あなたにとって、「お金には換算できないけれど、手放したくない時間」とは、どんな時間でしょうか。
朝のコーヒーかもしれませんし、家族との何気ない会話かもしれません。
よろしければ、コメントで教えていただけたら嬉しいです。
みなさんの「価格にできない価値」を、ぜひ読ませてください。
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