妻に召集令状が来た…【後編】〜引き裂かれた家族の5年間の想い〜
このお話の後編になります。
まだお読みになってない方はこちらからどうぞ。
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第1章:引き裂かれる日常
「……嘘だろ…」
仕事から帰宅した圭介は、麻里奈あてに招集令状が来たことを伝えると、令状を見つめてながら圭介は、力なくソファに崩れ落ちた。
その手は、怒りと絶望で小刻みに震えている。
「麻里奈は……麻里奈はもう除隊して八年も経ってるんだぞ!? それに、七歳の娘がいる母親だ! 国は、そんな人間まで戦地に引きずり出すつもりか! 正気じゃない……どうかしてる!」

圭介の声がリビングに虚しく響く。彼は立ち上がり、壁を拳で叩いた。その怒りは、愛する妻を奪おうとする理不尽な国家、そしてそれを止められない自分自身に向けられていた。
「圭介、落ち着いて……」
麻里奈は静かに、夫の背中に手を添えた。彼女の瞳には、すでに底知れぬ覚悟が宿っていた。
「令状が来てしまった以上、逃げることはできないわ。拒否すれば、家族にどんな迷惑がかかるか分からない。……もう、受け入れるしかないの。一ヶ月後には入隊しなきゃ。準備を始めないと」
「でも、麻里奈! 陽菜はどうするんだ! まだ七歳だぞ! お母さんが戦争に行くなんて、そんなの……」
圭介の言葉に、麻里奈の表情がわずかに歪んだ。一番の痛みは、そこにある。
陽菜——。
まだ「戦争」という言葉の重みを、死という概念の絶対性を知らない幼い娘。
「……陽菜には、ちゃんと話さなきゃ。嘘をついていなくなるのは、あの子のためにならないわ」
二人はそれから三日間、悩み抜いた。どんな言葉を使えば、七歳の心に傷を残さず、けれど真実を伝えられるのか。夜も眠れず、暗いリビングで肩を寄せ合い、何度も言葉を飲み込んだ。
三日後の日曜日。
窓から差し込む柔らかな光とは対照的に、リビングの空気は重く沈んでいた。
二人は陽菜を呼び、ソファに向かい合わせに座らせた。
「陽菜、大切な、お話があるんだ」
圭介が震える声を押し殺して切り出す。麻里奈は陽菜の小さな手をそっと握りしめた。
「陽菜……お母さんね、しばらく遠くへ行くことになったの。お仕事で、兵隊さんになって、遠い国へ行くの」
陽菜は、丸い大きな瞳で麻里奈を見つめた。
子供の直感だろうか。彼女はニュースで流れる不穏な映像と、両親のここ数日の暗い顔を、自分の中で結びつけていた。
「……戦争、いくの?」
小さな、けれど明瞭な問い。圭介は息を呑み、麻里奈は喉の奥を熱くしながら頷いた。
「ママ……絶対、生きて帰って来れるよね?」

その言葉は、刃のように二人の胸を刺した。七歳の少女が絞り出した切実な願い。圭介は答えられず、視線を床に落とした。しかし、麻里奈は震える心を押し殺し、努めて明るい笑顔を作った。
「もちろんよ。お母さんはね、戦いに行くんじゃないの。困っている人たちを助けにいくの。だから安心して。戦争が終わったら、絶対に、絶対に帰ってくるから。それまでパパとお留守番して、いい子にしてるって、お母さんと約束できる?」
陽菜は麻里奈の目をじっと見つめていた。やがて、その瞳に溜まった涙をこぼさないように大きく一度だけ瞬きをすると、元気よく答えた。
「うん! 約束する! 陽菜、いい子にしてる!」
その健気な返答に、圭介は背中を向けて涙を拭った。
それからの、入隊までの残された一ヶ月。
家族は、まるで消えゆく蝋燭の火を慈しむように、一日一日を大切に過ごした。
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入隊前の最後の週末。
三人は遊園地に出かけた。
陽菜は何度もメリーゴーランドに乗り、麻里奈と圭介に笑顔で手を振った。ソフトクリームを頬張り、風船を手にして嬉しそうに歩く陽菜。その姿を、麻里奈は網膜に焼き付けるように見つめていた。

(この笑顔を、守りたい。何があっても、この場所に戻ってきたい)
陽菜は遊び疲れ、帰りの車の中で眠りに落ちた。
圭介が彼女を抱き上げ、寝室のベッドに横たえる。
嵐の前の静けさのような、薄暗いリビング。
ソファに座る二人の間に、会話はなかった。
テレビの音もなく、ただ時計の刻む音だけが、残された時間の少なさを冷酷に告げている。
麻里奈は、そっと圭介の肩に頭を預けた。
その瞬間、今まで張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
「……圭介」
小さな声が漏れる。
「私……死にたくない。死にたくないよ! 陽菜の成長を見ていたい、圭介の隣にずっといたい……! なんで、どうして私なの……?」

麻里奈は圭介の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らした。
母親として、兵士として強くあろうとした仮面が剥がれ落ち、一人の女性としての、剥き出しの恐怖が溢れ出す。
「陽菜と離れたくない……行きたくないよ、圭介……!」
圭介は、泣き叫ぶ妻を壊れ物を扱うように強く、強く抱きしめた。彼のシャツは、瞬く間に麻里奈の涙で濡れていく。
「大丈夫だ、麻里奈。絶対だ。お前は強い。訓練を耐え抜いたお前なら、絶対に生きて帰ってこれる。俺はずっとここで祈ってる。陽菜と一緒に、お前の場所を守ってるから」
圭介の声もまた、涙に濡れていた。
外では春の風が吹き荒れている。
来週には、家族としての「日常」が終わりを告げることを、二人は痛いほどに自覚していた。
第2章:断髪の朝と決意の旅立ち
入隊を翌日に控えた朝、街は皮肉なほどに輝かしい春の光に包まれていた。
麻里奈は大島家の洗面所の鏡の前に立ち、自分の姿をじっと見つめていた。背中まで届く、艶やかな黒髪。兵役除隊後、圭介との結婚生活の中で、そして陽菜を育てながら、大切に、大切に伸ばしてきた髪だった。
「……今日で最後なんだね」
独り言が、冷たいタイルに跳ね返る。
彼女は、行きつけの美容室へと向かうため、家を出た。圭介と陽菜には「少し準備してくるから」とだけ伝え、一人で歩いた。この儀式だけは、誰にも邪魔されず、自分一人で向き合わなければならない気がしたのだ。
行きつけの美容室、陽菜の七五三のときも、圭介との記念日の前も、いつもここに来た。カランコロンとドアベルが鳴り、麻里奈を担当する女性美容師が顔を出した。
「こんにちは。麻里奈さん。今日はどんな髪型にしますか?」
美容師はいつものように、髪型のリクエストを聞く。そして麻里奈は緊張した面持ちで口にした。
「……坊主に、してください」
「えっ…?」

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