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辛かった挫折。高校時代。

私はこれまでの人生で幸いにも、うつ病になったことはない。
ただ、落ち込むことはかなりあった。試験に落ちたり、メンバーに選ばれなかったり、昇進しなかったり、ノルマで詰められたり。

この記事では高校時代の辛かったことを振り返る。

高校サッカー時代

高校でサッカー部に所属していた頃のことだ。
部員数が150人を超える大所帯で、私は入学してからずっとBチームやCチームにいた。サッカーは好きだったが、周りの選手の方が自分より優れていることはわかっていた。ただ、諦めずAチームでレギュラーになることを目標に練習をしていた。チームの目標は全国大会出場だ。

ただ、一度もAチームに上がることなく、3年生の春のインターハイを迎え、Bチームのメンバーや下級生と一緒に応援席で応援していた。
メンバーに選ばれなかった悔しさもあり、心の底から応援をしていたわけではなかった。(同時に俺が選ばれるべきだとも思ってはいなかった。)

残念ながらチームは初戦敗退。引退となった。
しかし希望者は冬の選手権大会まで活動を続けることができる。Bチームのメンバーで冬まで残る選手は多くない。大学受験の準備があるからだ。
また、監督もAチームのメンバーとは個人面談のようなものをしていたが、Bチームのメンバーとは面談しなかった。

自分は悩んだが、続けることにした。たぶんサッカーが好きだったからだろう。Bチームなのに冬まで残るなんて、プライドが許さなかった人も多かったと思う。
ただ自分は、自分の実力をある意味、現実的に捉えていて、理不尽さや不公平さは感じていなかった。

そして3年生になり冬の選手権に向けて練習していたとき、自分はAチームにいた。(レギュラーメンバーが数人辞めていたことも関係していたはずだ。)Aチームの試合にも何試合か出場していた。

冬の選手権当日。自分はレギュラーでコートに立っていた。150人を超える部員の応援はすさまじい迫力で、さらにインターハイで辞めた仲間やクラスメイト、自分の両親も応援に駆けつけていた。絶対勝ちたい!

結果は、、、、

無惨にも初戦敗退。
会場にいた誰もが私の高校が勝つと思っていたが、格下のリーグにいた高校に負けた。終わった。高校サッカーが終わった。辛かった。試合に出してもらったのに結果が出せなかった。泣いた。

しかし、本当に辛いのはこれからだった。自分は冬の大会直前にAチームに上がり、レギュラーで試合に出ることはできたが、それは、自分にも周りにとってもサプライズだった。大抜擢と言えば聞こえは良いが、それは結果が出たときだ。

初戦負けの結果であれば、誰もが「なぜ負けたのか」を考える。そして原因を特定し、改善する。当然のPDCAサイクルだが、多くの人がサプライズで選出された自分を原因にしていた気がする。

重要なことは「気がする」だけで誰も直接、私にその事は言わなかった。ただ、雰囲気は感じたし、影で言っている人がいることはわかっていた。

自分が高校に入学したときに立てた目標は叶った。目標が叶ったのだから幸せなはずだ。なのになぜ自分はこんなに辛い思いをしているのだろう。

こんなことになるなら、

”レギュラーになんか選ばれないほうが良かった。冬まで続けないほうが良かった。”

本気でそう思った。実は10年経った今でもそう思うことはある。
(そこそこのレベルでそこそこ活躍したほうが幸せじゃんって。)

これはプロの世界でも同じだろう。ワールドカップやWBCなどすべてのスポーツの世界で戦犯探しが行われる。スポーツに限った話ではない。仕事でも同じだ。政治も同じ。誹謗中傷の勢いは増すばかりだ。

話は少しそれたが、自分はこの辛い経験があったから、今があるとも思っていない。

辛い経験は辛い経験のままだ。辛いことは少ないほうが良い。

ただ自分でコントロールできることと、できないことがある。
”結果はコントロールできないから、自分のコントロールできることだけに集中する。”
この考え方を持つようになったのはこの辛い経験がもたらしたかもしれない。

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私の人生、辛かったことはまだまだあるので更新しようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

写真は社会人サッカーの時のものです。なんだかんだサッカーは好きで大学でも銀行員時代も続けていました。

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