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『緩和ケアにやりがいなんて、あるんですか?』読了しました。

https://note.com/right_crane6872/n/nd3f0fdcec467?sub_rt=share_sb

読了いたしました。
感想文です。

この本を読んでる間、自身の記憶と交差して、心が辛くなることが幾度かありました。

曾祖母、祖母、義理の母、義理の父、父。
5回、身内としてお医者様の「〇時〇〇分、ご臨終です。」という言葉を聞きました。

この本の著者は、数限りなくこの言葉を繰り返してこられた方です。

一方でご自身の壮絶ともいえる、希死念慮と向き合ってこられた日々、ご自身の癌体験までも赤裸々過ぎるぐらい赤裸々に語られています。

 読みながら幾度もハラハラしながら「この方は自身の宗教を持っていないのだろうか?」という疑問が浮かびました。
 特定の宗教に入信するという意味ではなく、精神の骨格としての宗教を持たぬまま、歩んでこられたのだろうか?という疑問です。

 その答えともいえる文章に触れた時に、涙が溢れました。


終盤になり、ヴィクトール・フランクルへの言及があります。この前後の文章に著者の精神の挌闘の爪痕が見えます。そして、フランクルを超えるその先に、いえ、その奥に見た答えに、戦慄ともいえる凄みを垣間見た思いがしました。


その深淵をぜひ一人でも多くの方に読んでいただきたくて、レビューを書くことにしました。

私ごとを少し書きます。
 父を見送ってまだ3年になりません。
 父は介護施設で倒れ、救急搬送されICUで3か月すごしましたが、療養型病院への移管となり、受け入れ先の療養型病院で亡くなりました。
 意識も無く、自発呼吸もできず、様々な重装備に繋がれて、命をつないでいる姿になった父。その様な状態になった父を見守り続けて下さる医療現場の方々に大変お世話になりました。
 気管切開しているし、お薬のコンロトールもされているので意識も鬱々としていたけれど、最後の3日間は病院の規則ギリギリのラインで一時間の見守りを許して頂けて、父のそばで過ごせました。
 意識は戻ってませんと大学病院を出る時に言われていたけれど、確かに父は私の声に反応し、見えないはずのくぐもった瞳が揺らいだその刹那、一粒の涙が溢れました。
 そして私の脳内にはいつもの父のおどけた声が聞こえたのです。
そこにあった奇跡は、一つの命として、人としての尊厳としての父の命を守って下さっていたからこそおきた奇跡だと思いました。一緒にいて下さった看護師さんが、一緒に泣いてくださり、父の日常を語って下さって、私の来院を父と一緒であるかのように喜んでくださいました。
 患者家族の立場では、ただただ感謝しかなかった思い出が重なりました。


 私自身は延命処置には反対する立場で、ゆくゆくは延命治療に関する意思表示カードの所持をしようと思っていました。


父のケースは介護施設での不慮の事故から始まってしまった入院だったので、救命士の方の必死の蘇生行為によって蘇生しましたが、結局医学的には意識が戻ることも自発呼吸が戻ることも無く最後を迎えました。


何が正しかったのか、今もわかりません。
ただ一つ確かなことは、父はとても綺麗でした。


この本を多くの方が手に取り、できれば映画化などされて、終末期医療の意義や課題が社会に広く認知されることを願わずにはおれません。


最後まで、読んで下さってありがとうございます。


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