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お願いごとはしない。感謝だけを伝えに行く日

月末になると、私は神社へ行く。
いわゆる「ミソカモウデ」。

特別な願い事をするわけじゃない。
おみくじを引くわけでもない。
ただ、その月を無事に終えられたことへの感謝を伝えに行く。

これが、いつの間にか私の習慣になった。

月末の神社は、不思議と静か。
初詣のような華やかさはない。
参拝客もまばらで、境内には風の音と、足音だけが残っている。

その静けさの中に身を置くと、
頭の中で鳴り続けていた雑音が、少しずつ消えていく。

普段の生活は、忙しさに満ちている。
やるべきこと、考えなければならないこと、
反省、後悔、次への不安。

毎日は流れるように過ぎていき、
気がつけば「今月、何があったっけ?」と振り返る暇もない。

だから私は、月末に立ち止まる。

鳥居をくぐるとき、
「今月も、ここまで来たな」と、心の中でつぶやく。

うまくいったこともあった。
思い通りにいかなかったことも、もちろんあった。
途中で投げ出したことも、
「もっとできたはずなのに」と悔やんだこともある。

でも、それでも、ここに立っている。

その事実だけで、
まずは十分なんじゃないかと思える。

拝殿の前に立ち、手を合わせる。
お願いはしない。

代わりに、その月に起きたことを、一つずつ思い浮かべる。

「よく頑張ったな」と思えた日。
「正直、しんどかった」と感じた夜。
小さな成功。
小さな失敗。

全部ひっくるめて、
「ありがとうございました」と伝える。

感謝というと、
何か良いことが起きたときにするものだと思われがちだけど、
私はそうは思わない。

感謝は、
うまくいかなかったことに対しても向けられるものだ。

失敗があったから、学べたことがある。
落ち込んだからこそ、見えた自分の弱さがある。
何も起きなかった平凡な一日が、
実は一番ありがたい日だったりもする。

ミソカモウデは、
自分を評価する場でも、裁く場でもない。

ただ、
「今月を生きた自分」を、
そのまま受け止める時間だ。

神社の境内をゆっくり歩きながら、
私はいつも思う。

もし、この時間がなかったら、
私はずっと、自分にダメ出しをし続けていただろう。

「まだ足りない」
「もっとやれるはず」
「これじゃだめだ」

そうやって、自分を追い立てながら、
次の月へと雪崩れ込んでいたと思う。

でも、月末に一度、立ち止まることで、
その流れを、いったん断ち切ることができる。

ここで終わり。
そして、ここからまた始まる。

ミソカモウデは、
私にとっての小さな区切りであり、
小さな再生の儀式だ。

反省はする。
でも、自分を責めすぎない。

次の月に、
ほんの少しだけ持っていきたいことを選ぶ。

・この姿勢は続けたい
・この考え方は手放したい
・これは、もう一度挑戦してみたい

それだけでいい。

大きな目標を掲げなくても、
人生が劇的に変わらなくても、
月に一度、心を整えるだけで、
生き方は少しずつ変わっていく。

神社を後にするとき、
空気が少し軽く感じられる。

何かを達成したわけでも、
問題が解決したわけでもない。

それでも、
「大丈夫だ」と思える。

ミソカモウデは、
派手なイベントじゃない。

でも、私にとっては、
月末に訪れる小さな祭典であり、
自分を立て直すための大切な時間。

忙しさに飲み込まれそうになったとき、
立ち止まる場所があるということ。

それだけで、人はまた歩き出せる。

今月も、ありがとう。
そして、来月も、よろしく。

私はまた、
静かな神社の境内で、
新しい始まりの準備をする。

それが、私のミソカモウデ。


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