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見守られるだけ、と言う諦観を子供が持つということ【不登校の親】

 学校の先生の指導方法をエビデンスに基づいたものに変えたいこまりんごです。

 こまりんごは朝ドラを見る派閥です。ここ最近の朝ドラは、面白いものが多いです。こまりんごは虎と翼と、あんぱんが好きですが、前作のばけばけも面白かったし、らんまんも良かった!

 そんなわけで、朝ドラ主題歌は我が家でよく流れています。

 今期の朝ドラ主題歌はMrs. GREEN APPLEの「風と町」です。

 ミセスは、曲をリリースすると、ビハインドと言う作成途中の映像を公式YouTubeにあげてくれます。「風と町」も上がっています。

 それによると、疫病の流行り、そのようなものに対する諦観もある、そういう歌なんだそうです。

 こまりんごは氷河期世代ですので、もう、年齢を重ねています。そういうもんだよ、仕方ないよね、と言う諦観は、基本姿勢です。

 そのため、諦観を感じにくくなっているのか?何とも思わず聞いていました。

 でも、ある日、「風と町」の歌詞、「泣きたくなる日がある事も 風はただ知っている」に、「知っているだけなんだね」としょんぼりしている人がいる事を知ったんですよ。

 悲しい時、つらい時、共感したり、励ましたり、そういう反応がほしいのですね。ただただ、そういうもんだよね。と横を吹き抜けていく風は、諦観なんだなぁ、とテーマが浮かび上がってくる様がみえました。

 もっと言えば、悲しみやつらさの元を解決する手立てを一緒に考えてほしい、一緒に打ち破ってほしい、でも、風はそんなことしないと言う諦観、そこまであるかもしれません。


 よく、子育ての中で「様子を見ましょう」とかありますが、この「様子を見ましょう」は、子供が諦観するようになる対応なんだな。と思いました。

 高熱が出て、周りにインフルエンザが流行っているけど、熱が出てからまだ数時間しか経っていないので、検査しても陰性になっちゃうから、まだ検査できないし、抗ウィルス剤はもらえない。と言う時のあのガッカリ感。

 もう一回受診、しんどいよ〜。です。あの感じですよね。でも、でも、病院は解熱剤をくれます。ちょっとは楽になります。

 いじめや、なんかがしんどい不登校なんかでは、なんの手立てもなく「様子を見ましょう」です。しかも、インフルエンザの検査ができない理由と違って、理由の説明がない。

 結局のところ、そこで行われているのは「泣きたいんだって?つらいんだって?へ〜。ふ〜ん。話は聞いた。で?」と言う対応です。

 子供の生活上のトラブルや躓きって、通りすがりの風くらいしか見てないんですかね? 家族や学校という大人が子供を育てる仕組みって、通りすがりの風程度の見守りをする関わりで作られているものなんですかね?

 朝ドラでは、風は風。人の営みとは離れた存在。主人公達は人と人の関わりの中で、共感や励まし、協力で前に進んでいきます。

 その人の営みを俯瞰して見ているものが風。どうしようもない疫病や天災等に巻き込まれている人類を俯瞰して見ている風。

 風には肉体がなく、見ているしかできない。助けることも寄りそう事もできない。

 風から見ても、人類から見ても、疫病や天災に倒れる人類は、どうしようもなく救えないもので、そこに諦観があります。

 その全てを見て、「知っている」風。


 なんでその風と同じように見守るだけ、知っているだけしかしない大人が子供を教育するシステムに存在しているのか、納得できない。

 私達の肉体って、なんのためにあるのさ。子供を助けるためじゃないの?


 こまりんごは、この「風と町」の

苦手なものが
平気になってさ
ちょっぴり寂しさを知る
どこかでこの手を待ってる
人はいるのでしょうか

Mrs. GREEN APPLE 風と町

この部分が大好きです。

 子供って、これがイヤだとか、できないとか、苦手とか、なんやかんや言ってやらないんですよ。まぁ、感情は全て本当なんですけどね。

 で、大人はそれに付き合って、やりやすいやり方を考えてやらせてみたり、おだてたり、怒ったり、しばらく遠ざけてみたり、またやらせてみたり、色々な方法で共に時間を過ごすのですよね。

 メッチャめんどくさいのですよ。でも、やる。子供といっしょに色々やる。だって、子供を愛しているから。

 そうやって、苦手なものが平気になっていくんですね〜。

 この歌詞を聞いた時、子供時代の終焉なんて美しくうたうんだ、と感心しました。

 そして、手をかけてもらって育った自分の手を必要としている人の所に駆けつけるんでしょうね。その「手」は愛なんです。

 愛を一方的に享受していた子供の終焉とともに、愛を与える大人への成長がある。イイ話だな〜。

 風にはできない事を人がしている。それを風は知っている。


 子供に手をかけられない大人が、なんで教育機関にいるのか、全く理解できない。教育機関が教員に手をかけるリソースを与えていない、言われている現状も全く理解できない。

 何にもできない風がただ知っているように、子供の様子を見てただ知っているだけの大人は、そこになんのためにいるんだろうか?

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