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思考は現実化する——ミャンマーが教えてくれたこと

導かれるように辿り着いたあの国での気づき


聖なる山の上に立つ寺院、 赤く燃えるバガンの夕陽、 そして光の方へ歩いていく。 ミャンマーで見た景色は、 私の心の重さを静かにほどいていった。 “思考は現実化する”—— その意味を、私はあの国で知った。

第1章:なぜ叶う人と叶わない人がいるのか

人は誰しも、夢を叶えたいと願う。 健康でいたい、豊かに暮らしたい、いつも笑って楽しくいたい。 それは当たり前の願いだ。

けれど現実には、 願いを叶えていく人と、 願いの前で立ち止まってしまう人がいる。

その違いはどこにあるのだろう。

私はずっと「叶わない側」の人間だと思っていた。 弱虫で、ネガティブで、自信なんてどこにもなくて、 “どうせ私なんて”と言いながら、「まっ、いいか!」と言い聞かせていた。

でも、ある出来事をきっかけに、 私はその考えを根本から覆されることになる。

第2章 48歳、弱虫でネガティブだった私

2015年9月。 私は離婚した。

突然、子どもたちを一人で育てることになり、 住んでいた家も出なければならなくなった。 元夫が用意してくれた仮住まいは半年だけ。 その後は私が家賃を払うことになった。

家賃は50,000円。

支払日に間に合わず、 何度も大家さんのところへ謝りに行った。 ある日、従業員の人にこう言われた。

「仮住まいって言うから敷金なしで貸してるんだよ。 長くいたいなら敷金出してもらいますよ。」

行く場所もないのに、 “ここを出ろ”と言われたようで胸が痛んだ。

でも、そのとき優しかったのは大家さんだった。

「悪いなぁ、ここは家を建てる人が完成するまで住む仮住まいなんだよ。 従業員も、あなたたちがここに居座ると次の人が入れないから、困ると言いたかったんじゃないかな。 離婚して家探ししてるんだろう?まだいてもいいよ。」

その言葉に救われた。 でも私は翌月、小田急線の5つ先の駅——桜ヶ丘に家を借りた。家賃は58,000円だった。
働いている人から見れば「安い」と言われる額かもしれない。 でも当時の私にとっては、 “この家賃を払う” 事に必死だった。

子どもたちは学生で、 それでもバイトをして家計を支えてくれた。 携帯代が払えないときは息子や娘が払ってくれた。

あの頃の息子と娘の優しさは、今も胸に残っている。

あの時期の私は、 生きるだけで精一杯だった。

そんな私の人生を変えたのが、 “思考ノート”との出会いだった。

第3章 思考ノートとの出会い

知り合いから「思考ノート」を教わったのは、 心がすり減っていた頃だった。

「毎日、感謝を10個書くの。 どんな些細なことでもいい。 そのあとに“欲しい未来”を書く。 まるで、もう受け取ったかのように。」

半信半疑だった。 感謝なんて、そんなに出てこない。 むしろ、不安のほうが多かった。

でも、ノートを開いて書いてみた。

「今日も子どもたちが元気だった」 「ご飯が食べられた」 「雨が降らなかった」 「息子が携帯代を払ってくれた」 「大家さんが優しかった」

書きながら、胸の奥が少しだけ温かくなった。

“ああ、私、ちゃんと支えられて生きてるんだ。”

感謝を書き続けるうちに、 心の中の霧が少しずつ晴れていった。

そしてある夜、 Facebookを開いたとき、 私の人生を変える“1枚の写真”が飛び込んできた。

雲の上に立つような、 天へ続くような風景。高知県の大豊町の写真を思い出した。

その写真を見た瞬間、 胸の奥がドクンと鳴った。

「ここに行きたい。」

理由なんてなかった。 ただ、強烈に惹かれた。

第4章 運命の写真:ミャンマーとの出会い

私は英語でコメントを書いた。

Amazing, wonderful. Which country is that?
素晴らしい、ここは何処の国ですか?

数日後、返信が届いた。

Mount Kakaboraji in Myanmar.
ここは、ミャンマーのカカボラジ山です。

その瞬間、 私の中で何かが“カチッ”と動いた。

ミャンマー。 行ったこともない国。 言葉も文化も知らない。

それなのに、 心が強く惹かれた。

その夜、私はメッセージを送っていた。

I will go to Myanmar in February.
私はミャンマーの気候がいい2月に行きます

送信ボタンを押した瞬間、 胸が熱くなった。

“ああ、私、本当に行くつもりなんだ。”

数日返信はなかった。 不安もあった。

でも、 “行ける気がしていた”。

そして1週間後、 彼からメッセージが届いた。

When your trip to Myanmar is decided, please message me.
あなたのミャンマー旅行の日程が決まったら私にメッセージをください

その言葉に、 人生が動き出す音がした。

第5章 一人でミャンマーへ行くと決めた日

決意の熱が冷めないうちに、 私はHISへ向かった。

パスポートは期限切れ。 ビザも必要。 書類も山ほど。

でも、不思議と苦じゃなかった。

“行く未来”がもう見えていたから。

パックツアーはあるけど、個人だと高額です。日本から添乗員を付けるとなるとある程度の人数が集まらないとならない。現時点でミャンマー旅行に行く人はいません。と言われた。

それでも私は迷わなかった。

「現地で迎えの人を手配してください。」

ホテル、飛行機、送迎。 すべてを一つずつ決めていく。

Facebookで知り合ったミャンマー人の友人たちにも連絡した。 日本語が話せる人もいて、心強かった。

そして出発の1週間前。 あの写真の男性からメッセージが届いた。

Let's meet on February 6.
では、2月6日にお会いしましょう!

胸が高鳴った。


ヤンゴン国際空港へ

第6章 ミャンマーでの出会いとカルチャーショック

ヤンゴンに降り立った瞬間、 むわっとした湿気と土の匂いが体を包んだ。

日本とはまったく違う空気。 でも、不思議と怖くなかった。

それは日本からミャンマーに仕事で来ていた人が偶然飛行機で隣の席だったからだ。出国や両替も教えてくれた。本当に偶然にしては良い人に出会えた。

5日の夜はミャンマー人の友人たちと食事へ。 みんな優しくて、 「困ったら連絡してね」と言ってくれた。

翌朝9時、 あの人と会う約束だった。

私は8時半にはロビーにいた。

でも、 9時になっても来ない。 10時になっても来ない。 11時になっても来ない。

「え……騙された?」

不安が胸を締めつけた。

そして12時過ぎ、 彼は何事もなかったように現れた。

ミャンマーでは、 時間に遅れるのは普通らしい。

”あー、時間にルーズな人は苦手だけど、来てくれてよかった”とほっとした。

夜はBBQへ。 炭火の香り、辛い料理、160円のビール。 自由で、温かくて、 心がほどけていった。

文化の違いにも驚いた。 僧侶への敬意、寄付の文化、 子どもの頭を触ってはいけないこと。

トイレは昔の日本式で、 紙は流さず横の箱へ。 桶の水で流す。

でも、その全部が新鮮だった。


ミャンマービール

第7章 気づき:私は恵まれていた

ミャンマーの人々は、 決して豊かではない。

でも、みんな笑っていた。 助け合っていた。 優しかった。

その姿を見て、胸が熱くなった。

「……私、恵まれていたんだ。」

家賃が払えなくて泣いた日も、 仮住まいで肩身の狭い思いをした日も、 子どもたちに助けられた日も。

全部つらかった。

でも、 “つらいと思えるほど、私は守られていた”。

ミャンマーの空気が、 私の心を解放してくれた。

第8章 二度目のミャンマー:太陽の熱と自由

10月上旬。 私はまたミャンマーへ向かった。

空港を出た瞬間、 汗が皮膚に“1ミリ”乗るような暑さ。

でも嫌じゃなかった。 むしろ懐かしかった。

バガンの大地は、 時間が止まったようだった。

赤土の地平線、 無数のパゴダ、 ゆっくり走る馬車。

太陽は大きく、赤く燃えていた。

「……生きてる。」

そう思えた。

ポッパー山を登ったとき、 汗が滝のように流れた。

でも、 苦しくなかった。

頂上で風が吹いた瞬間、 胸の奥の重りが落ちた。

「……私、自由だ。」

階段はきつかったが、その空気は新鮮で気持ちが良かった。


ポッパー山

第9章 結論:思考は現実化する。ただし行動が必要

ミャンマーの旅から帰ってきて、 私は確信した。

思考は現実化する。 でも、それには行動が必要だ。

思考ノートに書いた願いは、 ただの夢では終わらなかった。

HISに行った。 パスポートを更新した。 ビザを申請した。 飛行機を予約した。

行動が、 思考を現実に変えた。

就活も同じ。 「実らない」と思えば実らない。

だから私はこう思う。

「就活は実る。 私は必ず働ける場所に出会う。」

第10章 出会いは偶然ではない。すべて必然である

離婚も、 仮住まいも、 家賃の不安も、 ミャンマーの写真も、 あの人との出会いも。

全部が、 私を“今の私”に連れてきてくれた。

偶然なんて、ひとつもなかった。

人生で起きることは、 良いことも、悪いことも、 すべて“必要だから起きている”。

私はこれからも信じて生きていく。

思考は現実化する。 そして、出会いはすべて必然である。


ヤンゴン。

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