タタール人とカワハギ(あるいは見晴らしの良い高台への行き方)|ルーマニア(ブカレスト〜ブラショフ)|バルカン紀行 Vol.12
2019年6月15日
たぶん、オールナイトでクラブ・ミュージックがかかっていたのだと思う。ブカレストの深夜のドミトリー。重低音が容赦なく枕を揺らし続け、随分と長い間寝付けなかった気がする。真夜中に新しく誰かがチェックインしてくる気配もあった。まあ、ホステル側にどうしようもないことだし、旅先ではよくある不運だ。
それでも、翌朝は予定通りの時間に起きて出発する。寝不足の目に、朝の空はやっぱり美しい。
地下鉄の駅で買った2回券の切符を見つめながら、なかなか上手いこと考えたシステムだな、と思う。せこい人間ほど「もう1回乗れるから」と、予定になかった移動を詰め込もうとするのだ。まんまとその術中に嵌まりながら、列車に乗り込む。
朝早く駅にやってきた割には、土曜日のせいかホームは人で溢れ返っていた。それどころか、挙げ句の果てに「お前の席はない」と冷たく告げられる。座席指定が売り切れていたらしい。場所が悪いのか、タイミングが悪いのか。ことごとくこの国は僕を苛立たせる。
「金ならある」と大見得を切れるわけではないが、何とかならないものか。新幹線じゃないんだから、デッキで立っていればいいというものでもない。隣のローカルが「若いんだからいいじゃない、乗れるだけラッキーだよ」なんて顔で見てくるが、まあ、そういう問題でもないのだ。
結局、全く座ることのないまま、列車に2時間半揺られ続けた。1時間ほど経った頃から、窓の外に峻厳な山並みが見え始める。なるほど、避暑地というか、日本の長野かどこかの山岳リゾートを思い起こさせる景色だ。
どういう経緯だったのか忘れてしまったけれど、ブカレストからドラキュラ城のあるブランへ向かう途中、ブラショフという小さな町に立ち寄った。山に囲まれた古い町だった。名前こそよく知られていないものの、中世の町並みを今に残す美しい町で、ルーマニアでは有数の観光地のようだった。

土壇場で予約したゲストハウスは山の中腹にあった。初夏の新緑の隙間から柔らかな陽光が漏れこぼれていた。宿の同室にはドイツから来た女の子がすでに入っていた。なるほど、山あるところにドイツ人、ということか。
僕はとりあえず部屋に荷物を置くと、階段を降りて共用キッチンへと向かった。これからの旅のプランをじっくり練ろうと思ったのだ。 ドアの向こうには既に人影が見えた。小柄な老人だった。ハンチング帽を被って、白い口ひげを蓄えている。旅行者というよりは、宿のスタッフのように見えなくもなかった。国籍はよく分からない。
僕はその老人に軽く会釈をして、備え置きのインスタント・コーヒーを作った。それから、老人の座っている隣のスツールに腰掛けた。他に座れるような場所は見当たらなかった。テーブルの上に、ろくに下調べもせずにここまで持ってきてしまった町の地図を広げて見ていた。どうやって旧市街に行けばいいのかすら分からない。
老人は何をするでもなくじっと白い壁を見つめていた。何か考え事でもしているのかもしれない。僕のことなんてまるで眼中にはないようだった。それでも、その狭苦しいキッチンで二人黙っているのも何だか気まずい気がして、どこか町を見渡せる、景色のいい場所がないですかね、となんとなく彼に声をかけてみた。
それが最初の間違いだった。
「魚みたいな形をしてるだろう? これがルーマニアだ」
老人は手元にあった何かの裏紙に、ぐりぐりと歪な円形を書きつけながらそう言った。それは単に魚というより、カワハギと言われればしっくりくるような気がした。でも、 彼が日本のカワハギを知っているとは到底思えなかった。あるいは、カワハギみたいな形をした魚がルーマニアにもいるのかもしれない。
「いいか、北東にロシア帝国、西にハプスブルク帝国、南にオスマン帝国だ。この魚はずっと敵に囲まれていたんだ」
と彼は続けた。たしかによく考えてみれば、他の多くのバルカン半島の国がそうであるように、ルーマニアだって巨大な帝国に翻弄されてきた歴史を持っているのだ。中世の頃の話ですね、と僕は試しに言ってみた。だが、返事はなかった。老人の独壇場は続く。
「中でもタタール人は、おっかないんだ。やつらは音もなく近寄ってきて、それから音もなく殺すんだ。ニンジャだ。ニンジャと同じだよ」
そう言って彼は、どちらかといえば忍者というより、必殺仕事人みたいなジェスチャーをしながら、往時のトルコ人がいかに脅威であったかということをありありと再現してみせた。その話はなぜか日本史の教科書で見た蒙古襲来の図を思い起こさせた。てつはうの恐怖。
「タタール人は本当におっかないやつらなんだ」
老人はこの目でそれを見たのだと言わんばかりに、鼻息荒く必死に語り続けていた。僕はずいぶん前に空になったコーヒーカップを飽きもせずにすすりながら、やはりぼんやりと町の地図を眺めていた。別に急いでいるわけじゃないんだ、と僕は自分に言い聞かせた。それに、そもそも自分が切り出した話じゃないか。
それにしても話はずいぶんと長引きそうだった。老人はいつの間にかどこかの国の植林の話をしていた。次に気がついたときには、産業化とインテリゲンチャの関係性について話をしていた。僕は適当に相づちを打っていたけれど、ヨーロッパ訛りの英語のせいか、話がうまく頭に入ってこなかった。やっぱりそろそろ切り上げた方がいいかもしれない。
この調子だと、丸2日経ったとしても、見晴らしの良い高台への具体的な行き方の話題には辿り着きそうになかった。

老人に礼を言ってなんとか抜け出し、街を歩き始める。 やはり、このあたりの中世の街並みというのは、どこかで見終えたような既視感が拭えない。唯一、黒教会だけが少し違った異彩を放っていた。到着した近代的な駅周辺と比べると、随分とこじんまりとした旧市街だ。歩いているのは、おそらく観光客ばかりなのだろう。もう少し綺麗に手入れされていたならば、西欧のメジャーな観光地のようになったのかもしれないが、この少し寂れたまま残されているあたりが、ルーマニアらしいといえばらしい。
じりじりと日差しが強い。一旦宿に戻って休憩を入れる。 空模様が怪しくなり、今にも雨が降りそうではあったけれど、思い直して、街の背後に聳えるタンパ山に登ることにした。 登山道は文字通り、つづら折りになっている。日本の山ならすれ違うときに「こんにちは」と声を掛け合うものだが、ここではどうやら挨拶の習慣はないようだ。皆、黙々と歩いている。
予定通り、40分ほどで山頂に到着した。
そこには、麓の街からも見えていた「BRASOV」という白い巨大な文字盤が聳え立っていた。まるでハリウッドのそれのように、不釣り合いな存在感を放つ文字のすぐ裏側を回り込んで、街を見下ろしてみる。思ったよりも広い旧市街の全景が、オレンジ色の屋根瓦となって箱庭のように広がっていた。
首都のブカレストに比べれば、ここにいる人々の方がまだいくらか人がいいように思える。けれども、何だかつっけんどんというか、愛想がないというか。あの老人もそうだったが、良くも悪くも、それがルーマニア人というものなのだろう。
宿に戻ると、ドイツ人のティア(昼間にあった女の子だ)とトルコ人のヌアールが新しく加わっていた。 やっぱりドイツ人はハイキングの話が好きだし、トルコ人の彼女は驚くほど利発そうだ。あの老人が「おっかない」と憤慨していたタタール人の末裔が、いま僕の目の前で賢そうに微笑んでいる。
ベッドに寝転び、スマホの画面でひたすら次の目的地であるベオグラード行きのルートを調べる。しかし、国境を越える移動はどれも一筋縄ではいかず、大いに苦戦を強いられそうだった。窓の外からは、まだ微かに夜の街のざわめきが聞こえていた。
【Note】
●ブラショフの旧市街と黒教会 ルーマニア・トランシルヴァニア地方に位置するブラショフは、12世紀にドイツ(ザクセン人)の入植によって開かれた歴史を持つ。そのため、どこかドイツを思わせる中世の美しい街並みが残る。街の中心にそびえる「黒教会(Biserica Neagră)」は、17世紀の大火で外壁が黒く焦げたことからその名がついた、東欧最大級のゴシック建築である。
●②タンパ山 旧市街のすぐ裏手に聳える標高約960メートルの山。山頂にはハリウッドを模した「BRASOV」の巨大な白い文字の看板が掲げられており、街のアイコンとなっている。山頂まではロープウェイもあるが、深い森の中を縫うように走るつづら折りの登山道は、旅人やハイキング好きなヨーロッパの旅行者たちの格好の散策路となっている。

