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旅する経営者、弔いの現場へ _ ベルギー・オランダ編(3/6)

クーラーなし、お湯出ない、そして深夜の大騒ぎ -アントウェルペンの洗礼

シャン・ド・クールを後にした車は、この日の宿泊地であるアントウェルペンへと向かった。宿は以前にも泊まったことのある4つ星ホテル、De Kyeser Hotel。勝手知ったる場所のはずだったのだが、ヨーロッパの夏は、そう簡単には油断させてくれない。

チェックインを済ませて部屋に入ると、まず気づいたのがクーラーの効かなさだった。ヨーロッパは今年は40度近くまで気温が上がる日もあると聞くが、幸い訪問時はまだ比較的過ごしやすい気候だった。それでも、部屋の空調はほとんど機能していないに等しい。追い打ちをかけるように、シャワーのお湯も一向に温まらない。とはいえ、クーラーが効かず火照った身体には、水しか出てこないシャワーがちょうどいい冷却装置代わりになってくれた。壊れたクーラーと出ないお湯、差し引きすればプラマイゼロだったのかもしれない、と無理やり自分を納得させることにした。星の数と快適さが必ずしも比例しないというのは、何度経験しても慣れないものだ。

荷物を置いて身支度を整えたあと、会食場所までの移動で、街を歩き、トラムに乗った。トラムの充実ぶりがすごい。大通りだけでなく、車がやっと一台通れるような細い路地にまでレールが敷かれ、トラムがするすると入り込んでいく。都市の骨格そのものにトラムが編み込まれているような感覚で、公共交通のあり方として素直に感心してしまった。

街を歩いていると、そのうち赤い服を着た人たちの姿がやけに目につく日があった。最初は何かのお祭りか、あるいは地元の祝日でもあるのだろうかと思っていたのだが、あとになって、それがサッカーの試合を控えたベルギー代表のサポーターたちだったと知ることになる。

アントウェルペンといえば、日本人にとっては『フランダースの犬』の舞台として馴染み深い街だ。物語の最後の舞台となった聖母大聖堂(カテドラル)は、この街のランドマークのひとつになっている。

大聖堂の近くには、主人公ネロと愛犬パトラッシュの像も置かれていた。せっかくなので見に行ってみたのだが、正直な感想を言うと、なんというか、あまり可愛くない。日本で想像していたような愛らしい雰囲気ではなく、どこか独特な、少し寂しげな空気をまとった像だった。

そもそも現地で聞いた話では、『フランダースの犬』はベルギーではほとんど知られていないという。日本では誰もが知る国民的な物語なのに、舞台となった当のベルギーでは、地元の人にその名を言ってもピンとこないことのほうが多いらしい。同じ物語が、国によってここまで扱いが違うというのは、なんとも不思議な感覚だった。同じコンテンツでも、受け取る国や文化が変われば、その価値も温度感もまったく別物になる。ブランディングや発信の仕事に関わる身として、妙に考えさせられる一幕だった。


聖母大聖堂を見上げながらふと足元に目をやると、ここがかつて墓地だったとは信じがたい。今は観光客がベンチに腰掛け、ルーベンス像を囲んで写真を撮る、ごく普通の広場だ。だがこのグローエンプラーツ(Groenplaats)、かつては「Groenkerkhof(緑の教会墓地)」と呼ばれ、13世紀から大聖堂南側の教会墓地として使われてきた場所だった。

転機は1784年。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が、衛生上の理由から市壁内での埋葬を禁じる勅令を出す。その後フランス革命政府が1795年に大聖堂の敷地を接収し、1799年には墓地を囲う壁が取り壊された。広場としての整備が進み、1805年、皇帝ナポレオン1世に敬意を表して「プラス・ボナパルト(Place Bonaparte)」として開場する。かつての墓地は、ナポレオンの名を冠する広場へと生まれ変わったのだ(この名称は1815年まで使われ、後にグローエンプラーツへと改称された)。

死者をどこに、どのような形で留めるかという問いは、時代の衛生観念や都市の空間認識と分かちがたく結びついている。


移動の途中、アントウェルペン中央駅にも立ち寄る機会があった。「世界一美しい駅舎」と称されることもあるこの駅は、20世紀初頭に建てられた壮麗な石造りの建築で、大きなドーム状の天井と、まるで宮殿のような重厚な内装が特徴だ。鉄道の駅というより、大聖堂か美術館に迷い込んだような錯覚を覚える。駅前の売店で買い物をした際、店員さんに日本人だと伝えると、急に表情を崩して、とても親切に対応してくれた。言葉はあまり通じなくても、ちょっとした気遣いのやりとりが、旅の疲れをふっと和らげてくれる瞬間だった。

この中央駅の周辺は、実はもうひとつの顔を持っている。世界的なダイヤモンドの取引拠点として知られるダイヤモンド地区がすぐそばに広がっており、宝飾店や研磨業者の看板がずらりと並ぶ。そしてこのダイヤモンド産業を支えてきた歴史的な背景として、駅周辺にはユダヤ人コミュニティが多く暮らすエリアもある。黒い帽子に伝統的な衣装をまとった人々の姿を、駅の周辺で何度も見かけた。宗教色の強い伝統的な装いの人々と、最先端の宝飾ビジネスが同じ通りに同居している光景は、この街の重層的な歴史を物語っているようだった。

晩餐会の会場へ向かう道すがら、アントワープの川沿いを通った。この街を語るうえで欠かせないのが、ヨーロッパ有数の規模を誇るアントワープ港の存在だ。スヘルデ川を通じて北海とつながるこの港は、ロッテルダムに次ぐヨーロッパ第2位の取扱量を誇り、石油化学産業をはじめとする一大工業地帯としても知られている。ダイヤモンドの取引拠点としての顔と、巨大な港湾都市としての顔。この日訪れたレストランRASも、まさにそんな川沿いの素晴らしいロケーションにあった。

その滞在中の夜には、ベルギーとオランダの火葬場事業者・葬儀事業者の皆さんとの晩餐会に招かれていた。フランス料理と美味しいワインを囲みながら、業界の垣根を越えた意見交換が続いた。この時期のベルギーは22時を過ぎてもまだ明るく、ついつい話し込んでしまう。気づけば3時間近く、盛り上がっていた。

そして、このアントウェルペン滞在の数日間には、もうひとつ忘れられない夜があった。時差の関係で日本時間に合わせた深夜のWeb会議が入っていた日のことだ。ホテルの一室でパソコンに向かい、画面の向こうの日本のメンバーと粛々と議論を進めていると、外からただならぬ騒音が聞こえてくる。クラクション、歓声、何かを叩くような音。最初は何事かと思ったが、すぐに理由がわかった。サッカーワールドカップで、ベルギー代表が勝利したのだ。街で見かけたあの赤い服の集団が、まさにこの瞬間のためにいたのだと、ようやく合点がいった。

クーラーなし、お湯出ない、犬の像はどこか物悲しい、そして深夜まで鳴り止まないクラクション。快適さとは程遠い滞在だったはずなのに、振り返ってみると、これもまたこの街で過ごした時間の、確かな手触りとして残っている。

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