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『忘れ難き旅』 最終回 ー再生の終着駅。砕け散った心が繋がった日―

【代筆者より:連載完結にあたって】
宏樹さんの青春の軌跡を辿る連載『忘れ難き旅』。
本日、ついに最終回(第7話)をお届けします。
奈落の底から天国へと駆け抜けた、九日間の旅。
第7話はごく短い結びとなりますが、
そこには「ばらばらに砕け散った心が再びつなぎ合わされた」という、
真実の救済が綴られています。
また、この物語の完結に添えて、宏樹さんの精神の根源を紐解く
もう一つの短編『詩の目覚め』を併録いたします。
中学時代、ランボーやヴェルレーヌに魂を射抜かれた「黄金時代」から、
30歳で再び詩に救われた邂逅まで。
旅が「外の世界」との繋がりを取り戻してくれたのだとすれば、
詩は彼の「内の世界」を支え続けた光でした。
二つの作品を通じて、一人の表現者が歩んできた
「魂の遍歴」を最後までお楽しみください。


奈落の底から天国へ昇天した心持を味あわせてくれた、この旅は
一生の想い出になっただけでなく、

結果として私の精神にはかり知れない鎮静効果をもたらした。


私の病気があっけなく治癒し
比較的、予後も安定したのは、
単に向精神薬の効力のせいだけでなかったと思う。


この至福の旅の経験が
ばらばらに砕け散った私の心を再びつなぎ合わせてくれたのだ。


この後、こんなに心躍らせる旅を
ついに経験することはなかった。


『詩の目覚め』


誰にもあるはずだ。詩に目覚める経験が。


私の場合、それはちょうど一二歳から一三歳の変わり目、
中学一年の時に起こった。


たまたま、少年少女世界文学全集を読んでいたとき

ランボーの「感覚」という表題を持った
次の詩句に目が留まった。


夏の蒼い夕暮れには、小道を通ってゆこう、

小麦の穂にちくちく刺され、細やかな草をふんで。

夢見る僕は、足元の草のさわやかさを感じよう、

帽子もかぶらず、風が頭をひたすにまかせて。


話もしない、考えもしない。

それでも限りない愛が僕の心に昇ってくるよ、

そしてゆこう、遠く、ずっと遠くへ、ボヘミアンのように、

「自然」と連れ立って、―女づれみたいに幸福に




心の琴線に触れるのを感じた。


詩は初見ではなかった。

小学校五年生の時、授業で詩の勉強をした記憶があるし、
中学受験の模試に山之口獏さんの詩が掲載されていた。


私も小学校で詩に興味を覚えて
詩らしきものを作ったが、

心の中にこれ程強烈に響いてくる経験は初めてであった。


ページをめくると
ヴェルレーヌの「秋の歌」が掲載されていた。

 
秋の

ヴィオロンの

節ながき啜り泣き

もの憂き哀みに

わが魂を

痛ましむ。


時の鐘

鳴りも出づれば

せつなくも胸せまり

思い出づる

わが来し方に

涙は湧く。


落ち葉ならぬ

身をばやる


われも、

かなたこなた

吹きまくれ

逆風よ。



まさに邂逅である。


ランボーの詩以上に深い陶酔感に浸った。
この二つの詩に出会った事によって、

私は以後詩に憑りつかれた人になった。

 
学校の授業そこのけに、
詩のことばかり考え、欧米の翻訳詩の虜となった。


本屋で或いは図書館で
欧米の翻訳詩を貪るように読み漁った。


ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー
マラルメ、ヴァレリーといったフランスの象徴詩から


ゲーテ、シラー、ヘルダーリン、
ヘッセ、カロッサといったドイツの詩人、


シェリー、キーツ、ワーズワース、
T・S・エリオットというイギリスの詩人まで


読書は広範囲にわたった。
なぜ、この中に
我が邦の詩人が混じらなかったのかは私にも分からない。
(賢治も中也も道造も精読したのは三十歳過ぎてからである)


ページをめくるごとに次はどんな詩句が出てくるかと
わくわくして心が震え
一編の詩を読み上げるごとに陶酔し
熱狂し繰り返し何度も読んだ。


これらの詩人の中でもとりわけ惹かれたのは
フランス象徴詩の
ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーだった。


鈴木信太郎氏の翻訳した「惡の華」は

気に入った詩句は暗唱するぐらい読み返し、
「旅の誘い」の詩句に出会ったときは、
私も世界旅行しているかの如く錯覚した。

その詩人の人生や人となりを除外すれば、
恐らくヴェルレーヌの甘くてセンチメンタルな詩が
私と最も親和性を持ち
心をくすぐられたと言っていいだろう。

 
だが、何といっても最大のヒーローはランボーだった。

「地獄の季節」や「イリュミナシオン」といった散文詩には
さほど心奪われなかったが、

その人生が思春期の生意気盛りの性根を
惹きつけるのに余りあるものだった。


パリ・コミューンに共鳴し、
フランス中を放浪しながら十代半ばで当代一流の詩を書き、

「地獄の季節」や「イリュミナシオン」によって
詩の世界を変えた男。


しかし、一転して豹変し
二十歳前に詩を捨て、
砂漠地帯で商業に従事した男。


そのあまりのカッコ良さに、
私も三十歳くらいには世界を放浪する詩人になりたいものだと
甘い夢想を抱いていた。

実際の現実は
似ても似つかぬものとなったが。


それに呼応するがように、
こんこんと泉が湧き出るがごとく
私の心から詩想が溢れ出た。


大学時代を除けば私の「黄金時代」と言っていいと思う。


だが、詩の時代はもうとっくに過ぎ去っていた。


私は詩は一行も書かなかった。


面映ゆかったからだろうか?


中、高一貫校だから、
二〇年位前ならば、誰かの言いだしで文芸の同人誌が発刊されて、
私も投稿していたかもしれない。

中、高時代一人の友達もいない孤独な少年だったから、
同級生が詩に惹かれていたかは確かめるよすががない。


だが、思春期の悩みは共通のもの。


他にも詩を読んでいた同級生もいたと思う。

 
後に、大学に入学してから所属するサークルの
スポーツマンである先輩の一人が、

「俺、高校の同窓会に出たくないよ。
今の俺が、中也や道造の詩に熱中していた姿を
思い起こされたら恥ずかしいよ。」

と述べているのを聞いて、
彼の普段の言動からは窺い知れぬ側面を垣間見たように。


誰にでも、詩に惹かれたか経験はあったのだ、と
その時思った。


私の、この詩に憑りつかれた「黄金期」は

理由は分からないまま一年半ほどで自然消褪した。
それ以後詩集を繙いたことはなかった。



だが、それが蘇ったのである。

微かであるが。・・・・・



あれは、忘れもしない。

私が障害者雇用で工場で働いていた三〇歳の時のことだ。

障害者、とりわけ精神障害者は、
職務経験がない為、事務職に就けない。

 
私は、何も考えない労働の繰り返しに嫌気がし、
少し鬱気味になっていた。


その時である。


たまたま、立ち寄った本屋で
長田弘氏の詩集
「黙されたことば」を手に取り立ち読みした。


詩集を読むのは十五年ぶりであったろうか?


私は、本に釘付けになった。
心に清新の空気が吹き込み、
詩句が身に沁みた。


二度目の詩との邂逅である。


自分の生活が本当にしんどい折には
詩は人を勇気づけ鼓舞してくれるものだろうか?

 

これから、私は再び詩を読みだした。


今度は、シュールレアリズム・ダダイズムといった
二十世紀の前衛詩人、
わが邦の現代詩人に興味の中心が移り変わった。


詩とはこんな面白い表現もできるのかと
大いに蒙を開かれた。


絶版になっている書物が多かったので、
神田の古本屋街に通い詰めた。


給料とは割が合わなかったが、
高値の西脇順三郎全集を買った思い出もある。

 

その後、転々と職を変えたが、
詩集だけは手放さなかった。


四十七歳になった今でも
私の最高の愛読書は詩集である。


経済効率一辺倒の今日では、
詩人は異常な窮乏生活を強いられているだろう。


小説のない社会はあっても
詩のない社会・民族はない。


最小限、衣食住足りた後に最も必要なのは、

詩である。

 

いかに、経済発展を遂げても、
科学技術がどれほど発展しても


詩を忘れた社会は
究極のディストピアなのではないだろうか。


全7回の連載『忘れ難き旅』にお付き合いいただき、
誠にありがとうございました。

宏樹さんの旅はここで一度筆を置きますが、
物語の最後に併録した『詩の目覚め』にある通り、
彼の魂を支えてきたのは旅の記憶だけではありませんでした。
中学時代にランボーやヴェルレーヌに魂を射抜かれ、
そして30歳の苦難の中で再び詩に救われた経験。
それは、どれほど現実が過酷であっても、
私たちの内側には決して侵されない
「美しい聖域」があることを教えてくれます。

「衣食住足りた後に最も必要なのは、詩である」

効率や数字ばかりが追い求められる現代において、
彼が守り続けてきたこの「詩心」こそが、
壊れかけた心を再び繋ぎ合わせる真の力だったのかもしれません。
サロマ湖の夕日の輝きと、ページをめくる指先に宿る震え。
宏樹さんの歩んできた日々が、今を生きる誰かの心に、
静かな勇気の灯をともすことを願って。

――連載完結。ご愛読ありがとうございました。


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